FC2ブログ
2019/12/23.Mon

心で通じることの大きさ

交流の回想を更新するペースが衰えている私です。

書きたいな・・・

書かないとな・・・

という気持ちがいつも在るのに、

書けてない言い訳をさせてください。(苦笑)



書いていいのかどうか・・・

という思いがよぎるのです。

その思いが巡ることのひとつに、

交流内容を他の方々と比べてお考えになるのだなぁ・・・

ということがあげられます。



そのお気持ち、わからなくもないです。

この回想を書いたら、羨ましいと思われるんじゃないか?・・・

表現を変えた方がいいかな?・・・

それとも、この部分を省いた方がいいのかな?・・・

な〜んて、考えてしまうのです。

それで、手が引っ込むのです。(笑)



回想を書くことで、他界後の生をお伝えしているのですが

他と比べさせてしまう、羨ましいと思わせてしまうのは、

書き手(私)の考えや対応が足りないということです。



9割の方々がそのように思われたことがなくても、

1割の方々がそのように思われたことがあるのなら、

1割の方々をほっておくことは出来ません。

例え、考え方や捉え方の違いであろうとも。



交流というのは、つきつめれば、心で通じることです。

肉眼で見たい、肉耳で聞きたいお気持ちは察していますが

物質にこだわってしまいますと、歪んでしまいます。



心で通じることを軽んじてしまう、物足りなく思うのは

物質重視の世の中にどっぷり使ってしまっている私達の

ある種の偏見であり、欲でもあります。



世界的に有名な本の主人公の、有名な言葉のひとつに、

" 大切なことは 目に見えない。"

という言葉があります。

多分、ほとんどの方々がご存知の言葉です。

本を読んでいる時は、「そうだよねぇ。そうなんだよねぇ。」と

感慨深く、ため息まじりで 一点を見つめながらしみじみ

こう思える方々が多いと思います。

心ではわかっていることも、どうしても、心よりも感情を優先

してしまうのです。

感情の方が勝っている状態。

善い悪いではなく、単にその状態にあるということ。



交流は、その有名な言葉の通りです。

ご依頼人の肉眼と肉耳を用いる必要などないのです。

交流は、大切な機会であるはず。

ですから、心で見なくてはよく見えません。

心を持ち続けていると 大切な人とは通じ合えるのです。

悲しく辛い状態であっても、心は存在します。



更新のノロさ言い訳から書き始めていますが、

申し上げたいことは、

交流というのは、心を以て 心で通じ合うことであり、

心で通じることが真の理解と愛情を大きく育めるということです。



偏見や欲は、自分が伝える交流にはありません。

他界されてもご自分の偏見や欲を伝えたいんだ!という方と私は

繫がりません。



ご依頼くださる方の " 大切な方 " は、そうした類いの方々では

ないのだと心から信頼しているからです。







年末が近づいてまいりました。

様々な行事がありますが、大切なことはただひとつ。

大切なものは、目では見えないんだということ。



キラキラとしたイルミネーションや他のお家や人達を羨ましいとか

見たくないとか、自分には関係がないとか、そんなふうにお考えに

ならないでください。



あなたが淋しく、辛く、悲しい思いを持ちながら生きておられるのを

存じています。

けれども、心を腐らせてはなりません。



あなたが大切に思い、愛している方との連絡網である心を

どうか、大切に 大事になさってください。



心は 正直で温かい。

だから、私は 心が大好きなのです。



大切な人を 大切に思うように

ご自分も 大切に思ってください。

目の前におられるご家族や他の方々も 大切に。

動物達も 大切に。





心で通じることほど スゴいことは ありません。

そう 思います。










補足:12/25記
回想の更新は、続けていきますので、ご安心ください。





アガサ





愛しい家族、大切な人との交流 | Comments(0)
2019/12/16.Mon

依頼をする、依頼を受ける

大切な家族、大切な人が他界をする_

こんな辛く悲しいことはありません。



どう思っていたんだろう、何を思っているんだろう・・・

様々な思いが私達の胸や頭をよぎります。

そうした時に、その手段を調べると霊能者や霊媒という人達から

伝えてもらえるんだと知ります。



とはいえ、その数のあまりにも多いことにびっくりします。

なかには、アヤシイ・・・眉唾もの、宗教色の濃いもの、

有名著名具合を謳っているもの、

海外在住や行き来をアピールしているもの、

といったありとあらゆるものにゲンナリしつつも、

インターネットで探して、探して、探しまくっている自分がいたり、

人から薦められて・・・だったり。

様々な流れで、依頼へと気持ちが向いていくようです。



これから申し上げることは、ご依頼を頂く際に留意して頂きたい

ことです。

今まで何度も申し上げていることですので、目新しいものはなく、

何一つ、不思議で神秘的なものもありません。



肉眼で見えないとされることだからこそ、

事は冷静に考えて頂きたいのです。

なぜなら、

依頼人の悲しみを"餌"にし、辛い胸の内を"手玉"にとっている霊媒が、

まだ存在することをご依頼人さん方から耳にします。



他界との交流を依頼する側も依頼を受ける側も、

真の交流は、" 信頼と真実 " に直結してこそ実現するのだと

いうことを心に留めて頂きたいと思います。





● 霊媒や霊能者への依頼

他界との交流が初めての時は、いろいろなことを考えて

用心に用心を重ねられると思います。

そうして、交流依頼を重ねてゆきますと、ある程度の " 慣れ "

のようなものが伝える側と依頼側に芽生えてくるかもしれません。

そういう場合には、留意なさってください。

「 他の霊能者や霊媒からも聞いてみたい・・・」という思いが

沸々と沸いてくるかも、しれません。



よくお考えください。



交流を依頼するその目的(真意)をご自分でご自分に確認

なさるのが良いと思います。

"大切な人を思いやる" という大切で愛情あふれるお気持ちを

大事にし続けること。

こうしたことに関する興味は、真心の対極にあるのです。



過去依頼したその霊媒や霊能者への信頼がおありならば、

新しい者を試す必要はないように思います。

興味と信頼、どちらが大切なのか? です。

どうぞ、ご自分の心にある信頼を大切になさってください。

※補足
以前に依頼なさった霊媒霊能者の方を信頼できるのであれば、私に
依頼をなさらずにその方との信頼を大切になさった方が良いように思えます。
逆に、過去、私へご依頼頂いた方が、他の霊媒霊能者の方に依頼なさる事は
全く気になさらないでください。本当にそう思います。





交流というのは、回を重ねてゆくごとに、ご自分の心の安定と

ご家族への愛情と信頼が増していく手助けになると思います。

手助けにはなっても、交流がすべてではない のです。

少しずつ、交流依頼から離れてゆかれることが自然の流れです。

他者に交流依頼をしなくても大丈夫な日が必ずやってきますから

ご自分を過小評価しないこと。

弱過ぎる、我侭だと自己暗示なさらないこと。



きっと、あなたの大切な人は、そう思っておられると思います。

<霊媒の◯◯さんがいないと駄目だ>

なぁ〜んて思われるわけがありませんもの。



大切な家族、大切な人とご自分の信頼と愛情に重きをおくこと。



家族だから、家族をわかってあげれるのです。

大切に思っているから、その人をわかろうとするのです。

これが一番大事。



私が他界したら、家族に直接伝えたいと思うでしょう。

もし、伝えてもらうなら、伝える側を

人として信頼できるかどうか_

これがひとつの決め手になると思います。





● 未成年の方のご同席

未成年の方、特に、小学生以下の方のご同席については、留意が必要です。

「 うちの子はしっかりしているから、大丈夫 」と思われていても、です。



幼い子どもさんの感情、

小学生低学年の頃の感情、

小学生中学年の感情、

小学生高学年の感情、

中学生、

高校生、

年代によっても当然ながら、違ってきます。



ひとりひとりの性格や感受性も、違います。

親がこうだろうと想像するのと、現実は違います。



お子さんの感情を想像せねばなりません。

親の気持ちと子の気持ちは、必ずしも 同じではないのです。



特に、幼い子ども達は純粋無垢です。

純粋な心、疑うことを知らない年頃のお子さんは

大人から、

" お父さんからだよ、お母さんからだよ " と言われれば

「そうなんだ!」と思うでしょう。

そうなると、

どういう可能性が出てくるとご想像なさいますか?



そうです。

他言してしまうのです。

だって、言いたいですよ。

会いたいのですもの!

自分のことを思っていてほしいですもの!

そう思って、誰かに話してしまうのは、自然だと思います。



「 内緒だよ。誰にも言ってはいけないよ。」

と子に言うことは、子どもにとってストレスになります。

大人でも「ここだけの話だけどね」と切り出されたことは

ほら・・・大抵、静かに いつのまにか 広まるもんです。

感情というのは、そういうものです。



大人と違い、子ども達は純粋です。

疑うこと、疑われることを想像しません。

だから、大人が留意して守らねばならないのです。

守ってやりたいと思って、自然。



ご存知の通り、大人は、陰で何を言うかわかりません。

人前では良い顔していても、腹の底までわからない。(苦笑)

ママ友同士の会話で、そのことが出てしまう可能性は大。

あとは、ご想像通りです。



未成年の方のご同席に気をつけて頂きたいと願いますのは、

子どもを守るため。

純粋無垢な子どもさんが陰で何を言われてしまうか、

その一因を親が作ってしまう可能性がある、ということを

お考え頂きたいのです。



私もひとりの親ですから、人様の子も守りたいと思えます。

ご依頼人さんのお子さんが受ける嬉しくない可能性を考えずに

大切な交流を軽率に臨むわけにはいかないのです。



今の時代、

誰でもSNSで発信できる時代ですから、用心に用心を重ねても、

し過ぎは無いのです。

子どもを守るのは大人の責務であり、使命。

良かれと思うことも、様々な視点からお考え頂きたいと思います。





依頼する、依頼を受ける _

どれだけの思いが詰まっているのか、

どれだけの辛い悲しい思いをなさってきたのか、

なんとか、ご自分を奮い立たせたいと望んでおられのか、

様々な思いをご依頼フォームやメールから伝わってきます。



だからこそ、

交流の目的、ご依頼なさる方を思います。

依頼を頂いたら、嬉しい!・・・

霊媒をやってる自分でありたい!・・・

こんなアホで無責任な考え方と愚か過ぎる行動は、

自分には出来ません。





安心なさってください。

一番大事なのは、大切なご家族や大切な人への愛情と信頼です。

繫がるのは、霊能者や霊媒といった他人ではない、のです。

この真実をよく噛みしめてください。

じっくりとこのことに向き合ってください。



家族が家族を信頼していることが、最高です。

どんなに悲しくて辛くてもです。

霊能者や霊媒といった人達から伝えられる内容よりも

明らかにその信頼は燦然と光り輝いています。

真実と真の愛情は、肉眼や肉耳レベルではなく、

大切に思うあなたの心に温かさを帯びさせてるのですから。

あなたが泣いていても、です。



自己アピール上手な自己陶酔タイプの霊能者や霊媒の口車に

乗せられてはなりません。









ご連絡を頂くご縁に感謝しています。

ただ、

交流におきましては、私はあくまでも冷静であらねばなりません。

霊媒風を吹かすことよりも、

人としての筋を通していたいと、思うのです。










心から述べさせて頂きました。

厳しく、あるいは、偉そうに響いた場合には

ご勘弁ください。



アガサ









思うこと | Comments(0)
2019/12/02.Mon

好きにしていいよ

どういう交流が正しくて、正しくないのか_

その判断は伝える側が決めるのではなく、

最も親しい方(ご依頼人)の心に温かみを感じるのだと

思います。



交流をさせて頂く度に、様々な方々と出会います。

存在、お人柄のみならず、その方の人生を垣間見る私は、

自分の日常(人生)に活かせなければ偽善だと思っています。



とはいえ、なかなか、見習えないことも多くあります。

そのひとつに、自分の持ち物について。

金額の高い安いではなく、愛着愛情思い出が詰まっている物を

どうするのか・・・

引越の度、また、年齢を重ねていくうちに、私物をどうするのかを

気にかけるようになりました。

特に頂き物は心がこもっていますから、とても難しいです。

Wさんの大切な方のご意見は、そんな私にセンセーショナルでした。



- - - Wさんメールの一部より - - -

彼は収集癖があって、趣味で集めた物たちが足の踏み場もないほど
大量に残されていて(もうかなり処分してしまったんですが)
処分したら彼が悲しむかな、取っておいてほしいかなと思って、
どうしたいか聞いてもらったら、
「『自分では片づけられなかったから好きにしていいよ』と言っています、
なんの未練も執着もないみたいですよ」とアガサさんから伝えてもらいました。

彼は会社でも同じようにいろんなものを集めてデスク周りに置いていて
異動になってもなかなか片づけないので後任の方が困って連絡すると
「「自分ではできないから好きに捨てるなり片づけて いいよ」と言ってた」
という話をちょうど会社の人から聞いていたところでしたので
まったく変わってない!と笑ってしまいました。
(何回か部署異動があったんですが、毎回その調子だったみたいです。)

それを聞いてアガサさんが思わず「え~全部人にやらせるの~?!」と声に出して
彼に言っていたのも可笑しくて、普通に3人で会話してる感じでした^^
でも彼は憎めない感じなんだよね、ってアガサさんに言ってもらえて、
会社の人も片づけのエピソードを話してくれた時、にこにこしながら
「しょうがないなぁもう」って言って笑い話にしてくれていたのを思い出して、
人って肉体がなくなっても普通に存在していて、彼らしさと かって変わらないんだなぁと
実感して嬉しく思いました。
それにしても言うことまでまったく同じとは。。。笑ってしまいました。


- - - - - -



他界しますと、確かに、物理的には片付けられませんが、

その観点ではなく、彼はある意味、超越なさっていたのでしょう。

あまりにも潔くきっぱりと言い切られるじゃ ありませんか。

思わず言ってしまった、「えぇ?!全部人にやらせるのぉ?!」

という私の発言は、衝撃的だったのです。

センセーショナル。

でも、ムッとしないのですね、こちらが。(笑)

面倒くさいな〜とは、不思議に思わないのです。

「じゃぁ、好きにしますよ。」と笑って返答してしまう、

返答させてしまう魅力を持っておられるのだと思いました。



とても、誠実で、頼れる人なのですが、こうした面があり、

それに対して、愛嬌を感じてしまうのは、お人柄の良さでしょう。



普段といいますか、日常のことを少し話しておられたことで

印象深く、メモしていますのは、

< 普通に家で一緒にテレビを観ていますよ。>

( テレビ、ですか。)

その続きを話そうと思っていましたら、

< (写真を向けること)それをやらなくてもいいよ。

 写真みたいに薄っぺらいところに入ってないから。笑>

と言われた私は、?と思っていましたが、

Wさんにはお分かりのことだったのです。



今までのように、好きなテレビ番組を一緒に見ること。

観る時は、彼の写真をテレビ画面の方に向けてあげてること。

タッチの差、一瞬の差で、先に話されることに、

今では不思議にも思わなくなりました。

不思議ではなく、時間の違いであり、今も変わらない愛情への

感謝の気持ちや照れくさい気持ちなどが含まれているのです。

Wさんは驚かれたでしょう。

けれど、その驚きは、彼の変わらない面を愛しく思う気持ちへと

変わってゆかれたものと思います。



- - - Wさんのメールから抜粋 - - -

初めてでしたので最初はドキドキ緊張していたんですが、
アガサさんのブログでもいろんな方がメールなどでおっしゃっていましたが、
涙涙な感じではなく、笑いあり、時々涙ありという感じで
仰々しい感じもなく、アガサさんが気さくに私にも彼にも話してくださるので
3人で普通におしゃべりや世間話でもしているような感覚で
リラックスできて、あっという間の時間でした。

(略)

今はスッキリ晴れやかで、痛みも不調もなく、建設的にあちこち
飛び回っていると聞いて安心もしました。

とは言っても、こちらからは姿も見えなくて会話もできなくて
今後一人で生きていかなきゃとか考えると暗く寂しくなると思います。

(略)

- - - - -



交流を特別扱いする方もおられるかも、しれません。

なかには、神懸かりな、お告げ的なものに 押し上げるような

伝え方をされる方々も おられるかもしれません。



見下すようなことを言われたこともありませんし、

お告げ口調で言われたこともありません。(笑)

いたって、普通。

その人らしさがあふれる口調、そぶり、考え方。

相手を尊重する、というのは、見た目や肩書きではなく、

心(内面)がどうか、です。

内面というのは、普段、日常にこそ、色濃く出ます。



人前だけ、特別な時だけ、特別な場だけの"顔"や"振舞"は

作られたものであり、自己陶酔とも言えると私は考えています。

誰もみてないところで、どうか。

褒められもしない、感謝もされにくい日常で

どう在るか、どう在り続けられるかが、私の最大の関心です。



なぜなら、そこに、本性が出るからです。

善し悪しを判断するという意味ではなく、

個性というのは、素ですから、

素が一番出るのは、日常生活。



日常ほど、面白く、辛く、嬉しく、悲しいものはありません。

特別ではないところに、美しさが在るのだと思えます。

当たり前に思える日常ほど、愛に欲し、愛にあふれているように

思うのです。





度胸と愛嬌。

両方共、愛すべき無形のものです。













アガサ




















愛しい家族、大切な人との交流 | Comments(0)
2019/11/19.Tue

思う心  〜 気高く、気丈な母心 〜

医療とは、何だろう。

なぜ、医師になろうと思われたんだろうか _

あらためて深く、こう思った交流でした。



医療拒否というのは、患者側にあっても、医療側にあるとは

思いもしませんでした。

何のために、猛烈に勉強され、専門知識と経験を積まれていた

のだろうか・・・

頭ごなしに患者側のご家族に対して、圧をかけるのか。

人に偉そうにしたかったから、医師という職業を選んだとは思えない。

初心は遠い昔に、権力と資力と引換えに置いてこられたのだろうか。

それでも、

誠実に真面目な医師も多くおられると思いたい。

実際、交流ご依頼を頂いた方々で医師をされていた方は実に、誠実。

それとも、慣れに甘んじてしまい、責任感と誠実に対応することが

バカバカしく思えてしまうのだろうか。

いづれにしても、どのような仕事、職業であっても、

迷惑をかけている者は鈍感で相変わらず、分厚い面をし続け、

真面目に尽くしている者は、表裏変わらず、真面目に尽くし続ける

のだろう。

何年かに一度、不誠実な医療現場の現実を耳にし、何とも

やりきれない思いが蘇ります。



Fさんから頂いたご依頼フォームには、「家族の死を受け入れられません」と

短い文章でお書きになっていました。

はっきりそう書いてこられるには、"相当以上の"何かがあるのです。



ものすごく遠い距離を車で伺いたいですとメールに追記されていました。

「 ええっ? 車で? 」

思わず、パソコンに向かって、叫んでしまう程 心配でした。

車でも、行ける距離というのがあるように思います。

いろいろな運転をする人達がいますから、長距離は大変です。

( 休憩を取られると思うけど、大丈夫なんだろうか・・・)

もうそのことばかりでした。





当日の朝、準備をし始めますと、かなり高齢の女性がおられました。

久しぶりと言えるぐらいの、高齢の方です。

Fさんのご家族の方か、ご親戚の方か、それは分かりません。



< どんなに苦労しても、子どものため! 子どものために、頑張る。>

訛りがあり、上手に聴き取れなかったのですが、心は私と重なります。

きっぱり、強い意思でそう言われました。

まるで、それは、私への助言のようにも思えていました。



< F・・F・・・F・・・・>

何度も名前を呼ばれます。

( 今日、お話ができますから、安心してください。私、頑張りますから。)



< 寿命だったから。気にせんで。

 人を悪くおもうたら いかん。

 Fがおって しあわせやった。>
※方言を大事に思っていますが、覚えていません。意味は上記の通りです。


しばらくすると、

< ようけの 人ら と会った。なつかしい子どもの頃の友達も・・・>

とおっしゃりながら、沢山の方々に囲まれて懐かしい笑顔で

おられるところを見せてくださいました。

( ものすごい人達に囲まれておられる・・・)

眺めている私まで、感無量でした。

後で話してくださったのですが、ご兄弟やご親戚が多いとのこと。

出迎えの人達が多かったことを「 なるほど 」と思えました。



「 母親が亡くなってから◯日経った頃、こんなことがあって」

と交流の後、話してくださいました。

稀で貴重な実話でした。

お知りになりたい方も多くいらっしゃるかもしれませんね。

ご存知の通り、このブログは不思議系や興味本位系ではありませんので

ご容赦願いたいと思います。



Fさんにとって、ご自身の経験は、貴重で大事な宝です。

経験したから、死後があるのだと信じれた、

だから、依頼をしましたとおっしゃっていました。



Fさんは、本当に親孝行な人。

これほどまでに、孝行されていたのですから、大きなショックと

怒りでいっぱいだったのは当然です。

ものすごく口惜しくて辛くて、

どうしようもないお気持ちでおられるのは、仕方のないこと。

それでも、お母さんはあのようにおっしゃったんです。

自分だったらどうだったろう・・・と思いました。





親が子を思う気持ちは、痛い程、わかります。

いくつになっても、親は親。

年老いてきますと、子に従うことが増えてきますが、

それはそれで幸せを感じれるのです。

子が話しかけてくれるその言葉に、愛情を感じるのです。



遠い昔、

子が幼かった頃、子を抱っこする、手をつなぐ、ほっぺたを寄せる、

寝息を聞いてほっとする・・・

その瞬間にしあわせをしみじみ感じれる余裕はあまりなかったと

思います。

今のように、夫が家事や育児に協力してくれる時代ではないですから、

その時代の母親は、家事、育児、仕事、義親のこと等、必至の連続です。



子どもが大人になり、ふと、子どもが幼かった頃を懐かしいと

思い出せるのです。

大きくなった子どもに、しがみつけることは、親が子に甘える

ということではなく、子が幼かった頃を思い出せる至福の一瞬

なのだと思います。



どんな目に遭おうとも、人を悪く言ってはいけないよと言う母。

そこには、子に、心を腐らしてはいかんよという願いが込められて

いるのだと思います。

人がどうであれ、気丈であることが お母さんの人生において、

とても大切なことだったのです。

そうでなければ、生き抜くことなど出来なかった時代。

次から次へと災難が起きる時代でしたもの。





大病院の肩書きある先生が、患者を見下し、

医療を施さない自分に酔いしれているかのように圧をかける現実。

なぜ、医師を目指したのか・・・

一番大切なことを見失ってしまった医師が担当になったために、

大事な家族の体調が急変急降下していく様は、許し難い現実です。

私のような者が聞いていても、許し難く、非常に腹立たしく思いました。



それでも、お母さんは、

"人を悪く言ってはいけない" とおっしゃるのです。



自分が、Fさんのお母さんと同じ立場だったら、どう言えるのか?

お母さんのように言えるのか・・・

それとも、

あの先生に自分は殺されたと思ってしまうのか・・・



もし、自分だったら・・・

もし、自分の親だったら・・・

もし、自分の子だったら・・・



その時、自分だったらどうするのか。



どのようであっても、Fさんのお母さんのように

気高く、気丈な心を持ち続けることの難しさもあります。



Fさん、

たくさんの身内、友人、知人の方々に出迎えられ、

再会の感激でいっぱいの母上の姿は、

とても穏やかで神々しくみえましたよ。



折にふれ、Fさんのお母さんの思いを思い出したいと思います。

ありがとうございました。













= 最近の写真 =

葉の色が変わり出してから随分経ちます。
街の中でも、紅葉がとても美しい頃になりました。
遠くに見える山肌も、色とりどりのパレットのようです。
りんご散歩では、落ち葉が風で舞う度に、りんごは落ち葉を追いかけます。
ひきづられて転けないように必至の私です。(笑)

皆さんのところでも、紅葉していますか?






アガサ


愛しい家族、大切な人との交流 | Comments(0)
2019/11/05.Tue

おーい!

頂いたメールから一部を掲載させて頂きます。

- - - - -

(略)
朝一番に朝を流してきたなんて本当に主人らしいと思いました。
学生時代に同じクラブで一緒に汗を流してきた同級生が10年ほど前に亡くなっているので、
きっとそのお友達だと思います。

あちらの世界でも運動楽しめるんですね。私が悲しんでなかなか立ち直れていないことで、
心配ばかりかけて主人には申し訳なく思いましたが、整然と変わりなくにポジティブ思考で。
あっさりした性格そのままで、一緒に会話しているようで涙が出ながらもとても楽しかったです。

今は悲しいですが、本当に幸せでした。
これからも見えないけれどこんなに思ってくれている主人がいるだけで幸せです。
心配かけないように頑張りますが、思いが深いので、涙が出るけどこの涙が笑顔に変わる日が
来ればいいのにと思います。

主人と一緒にまたあちこちでかけていけるようになれるといいなと思いますし、
これからも二人で過ごしていきたいと思います。

(略)
おーいっていつも呼びかけられていました。今もおーいって答えているってびっくりしましたし、
数日前におーいって空耳かなって思いましたが、声が聞こえたように思いました。

(略)

久しぶりに主人とおしゃべりができたようで、懐かしくもあり楽しくもあり、
今またそばにいてくれているんだと信じられるけど、こちらから話しかけても
返事が聞こえない寂しさがあります。

本当に二人でおしゃべりしていると楽しくて、コントのようでもあり、
受け答えで笑いが絶えない、漫才しているような楽しさがありました。
どうしても後ろ向きになってしまいますね。

それでも。今でも見えないだけで、いつもと同じようにそばにいてくれていて、
そのままの主人であることは、実感できました。
これからも二人で楽しむんだという主人の姿勢にかわらないなとうれしかったです。
今までもそういう主人にずっと手を引いてもらってきていました。

(略)
いつまでも、心はつながっているし、一緒なんだと思って過ごしていきたいのです。


- - - - - -


頂いたメールをもとに回想させて頂きます。

( 覚えていなくて、ご勘弁ください。)



確か・・・この日、交流直前に、

60歳前後の男性が、軽く息をはずませて来られました。

< すいません、すいません・・・ハァ ハァ >

遅れておられないのに、ちょっと遅れて申し訳ないといった具合で

来られたのです。

何やら、軽く運動をされていたご様子。

ハァ ハァと少しだけ、息がはずんでおられましたけれど

全く 平気そうなんです。

私がその運動に参加したら、ハァハァどころではなく

ゼイゼイ言いながら、フラフラして、よろよろしながら、

顔真っ赤で、喉がカラカラで すぐには喋れなかったでしょう。

それぐらいの運動量だと思います。



( すごいなぁ・・・)

軽く汗を爽やかにかいておられてのご登場に驚きつつも、

万年運動不足に馴染んでしまった私は 尊敬の眼差しでした。

( 私も若い頃は鍛えていたんだよなぁ・・・)

どっちが年齢的に若いか分からないなと苦笑いしてしまいました。



< 懐かしい友人にね、会ったもんだから。>

( そうですか。それは感激ですね!)

< ええ、そうなんです。ちょくちょく会うんですよ。>

( それはそれは!)



なんだか、普通の日常みたいで、こっちと変わらないんだなぁ・・・

そんなように思いました。





< 話しかけているから「おーい」って返事しているのですが

 どうやら、聞こえないみたいで。>

さらっと微笑みながら話されるのですが、優しいなぁ〜と思いました

だって、ちゃんと返事をされるのですから。

面倒くさいなと思う人がいても、不思議ではないですもんね。

ご主人のそういうさり気ないところにも、お人柄の温かさを感じました。



その後も、車の一部分が故障していること、音楽のこと、

Kさんのことを話してくださったのです。







交流の度に、いつもそう思えるのは、

" 大切に思っている者同士が一番わかりあえる " です。



縁あって出会い、共に過ごす時間があって、

今も大事な存在だと辛く悲しくなるほど思えるのですから、

過去の人ではないでしょう。

大切な人だと思えるでしょう。

無理ですか?

悲し過ぎて、そんな余裕 ありませんか?



私は こう思うんですよ。

私達のこの肉眼で、どれだけのものが見えるのか?

私達の肉耳で、どれだけの音が聞こえるのか?

ほんの一部です。

一部。

人間より他の動物達の方が、多くを見聞きできます。

全てを見聞きできない(感知できない)からこそ、

豊かな感情が発達しているのです。



本当に大切なものは、この目では見えないと思います。

ずっとは 見えない。

だから、善いのだと思います。



他界しても、いつも見えて聞こえていたら・・・

私達は これほどまでに

大切な家族を 大切な人を 大切な動物家族を

今のように恋い焦がれ、大切だと痛感しているでしょうか。



人間というのは、誰しも 欲深いですから、

いつか " 有難い " が " 当たり前 " になってしまいます。

極々 たまに 奇跡のように、

空耳か

見間違いか

このようなことが あるからこそ、

感激の深さがあるのです。







私達が覚えている限り、

愛情を持っている限り、

いつか、必ず、再会できるのです。




泣いていても、いつか、会えますよ。

ちょっと 笑顔が出る日があったらいいなぁ〜 と

陰ながら 祈っています。




「 おーいっ!」って ご主人がおっしゃっているんですよ。

ご主人のために、泣きながら笑ってください。

ご主人との信頼と愛情が一番深いのは、他の誰でもなく

Kさんなんですもの。


















= おまけ =

りんご です。
寒くなってきましたので、スリッパ必須の私です。
洗濯物を干したり、入れたり、と狭っこいベランダに出ると
必ず スリッパの上に ドカッと居座るりんご嬢。
どこに脱いでも、スリッパの上に座る。

キッツーイおばちゃんの私ですから(笑)、「母ちゃんのだ!」と
ビシッとスリッパをひっこぬきます。

哀れ、りんご。





アガサ



















愛しい家族、大切な人との交流 | Comments(0)
« Prev | HOME | Next »