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一緒に過ごせるうちに。 (加筆 9/6)

大切な人と一緒に居れる有難さは、別れを経験したから。

普通で平凡な日常がどんなに幸せに溢れていたのだと

気づかされます。

深い悲しみを経験したからこそ、当たり前に思いがちな

その有難さにしみじみいたします。

そうした経験も、忙しかったりしますと つい

感情の赴くままに 動いてしまう私たち。



日々頂くメールは本当に有難く思います。

メールを拝読しながら、様々ことを心に思い、

我が身を振り返る機会を頂いています。



家族の関係、子育ては、家庭の数だけ いろいろ。

命と心を大切にする以外は、

何が正解かというのは無いと思います。



子育てに、専門家はいません。

同じ家庭で育っても 子どもひとりひとり 違います。

一般的な成長と比べること、

有名な学校に入れること、

著名な哲学者や教育者の教育論に心酔し傾倒する、等

それらが正しいことではありません。

良い親だとも 思えません。

子どもがひとりひとり違うように、

私たち大人もひとりひとり違うのです。



" うちの子も天才にさせたい(出来るかも) " とか、

" うちの子も◯○大学に入学させたい " などというのは

子どもを無視してると思うのです。

子どもはブランド物のバッグや靴ではないのです。

子どもにさせずに、ご自分がなさったらいいのです。

子に言うまえに、大人が日常で示すのです。

見返りを期待せず、純粋に、大人が勉学に励めばいい。



子どもには、子どもの特性(個性)があります。

年齢に沿いつつ、その子の個性を大切に見守りながら

日常を大袈裟で窮屈にすることもなく、

自然に過ごしていかれたら良いと思っています。








最近は、小さな子どもさんにもスマホでゲームや映像を

見せられるのにはびっくりします。

子どもが静かにしてるからゲームをさせておく・・・

みんなが持っている時代だから、スマホを持たせる・・・

楽だし、喜ぶから・・・というので手渡してしまうと

後々、多くの問題がやってきそうです。

まず、習慣になり、簡単に、依存症になっていきます。

依存症になってから、事が起こってから、

ワーギャー言っても辛いだけ。しんどいだけ。

「 そんなの知らなかった!」と人は言います。

想像しうる行動の流れは、親が想像しておきたいものです。

( 政府の「想定外」という無責任さと同じですよ。)

使う前に、きちんと説明するのも親の役目。

与える者の役目です。



便利なものを扱うには、使うと決める前に、

家庭内でルールを決めること。

時間的なルールは必ず守ること。

小学校に入ってきたら、

なぜ、そうするのか、

なぜ、そう考えるのか、

なぜ、そう思うのか。

物には多面性があることを言い、危険な可能性について

説明することは大事。

面倒くさいことですけど。(苦笑)

話し合うのが、家族への思いやりなのです。



順序だてて わかりやすい言葉で伝えたうえで、

本人がどう思うか、

ということも確かめた方が良いと思っています。

小学校低学年でも、自分の意見はありますよ。

3歳ぐらいから自分の考えは持っていると思います。



親が一方的に長時間話していますと、

子どもは別の世界に行ってることが多いです。(笑)

空想の世界か、無の世界か、眠りの境地か。



話す時間は、短く。

話す内容は、端的に。

話す音量は、小さめ。

話す口調は、おごそかに。

なかなか難しい時もありましたが、

親自身も自分が伝える内容を確認しながら

話せますからね。

大事だと思います。



10代に入ってきますと、今の時代、避けられない話題が「勉強」。

わが家では、

「 皆が高校に行くから、大学に行くから行く・・・

 というような考えで通わせるお金はうちには無い。」

小学校高学年に成った頃、こう話しました。

この姿勢は今でも変わりません。



勉強が嫌いだったり、何かの辛い理由があるのなら、

学校に行く必要はないと考えています。

義務教育期間中であっても。

人生は、通り一遍ではありません。

だけど、家でぼんやりしているのは、いけない。



いつまでも 親は " 稼ぐ人 " で居られませんから、

子どもだって、自立への準備が要ります。

家で勉強をするのか

仕事を探して独立をするのか

あるいは、

これで食べていくんだという " 何か " に修練するのか。

決めるのは、本人です。

親ではない。

行動に移すのは、本人。

親ではない。



学校に行くのなら、先生の授業をしっかり聴くこと。

先生は授業の準備をされていますから、

子どもといえども拝聴する姿勢は大切。

それを教えるのは、家庭です。

学校が教えることではありません。

(授業でワーワー騒がしいのは、家庭が家庭でないからです。)



先生、お友達、クラスメイト、学校にかかわる様々な方々、

近所の方、全く知らない人達、動物達、

とにかく、丁寧に接すること。

これを教えるのも、家庭。

親が子にマナーとエチケットを教えるのです。

人様に対する接し方は、親の影響がかなり大きく表れます。



子どもにばかり「 あれしろ、これしろ 」とは言えません。

普段から、親が人として節度ある姿勢と態度で生きること。

家族に対して、

ご近所に対して、

人として節度ある態度で接すること。

身近な存在に対してこそ、礼儀と感謝を持つのが大切。

親しさの中にこそ、礼儀を。

生きていくうえで、とても大事だと思います。



どんなに子どもさんが素晴しい能力をお持ちでも、

人としてやって良いことと悪いことは

きちんと説明せねばなりません。

これを説明しないと、ろくでもない、

鈍い人間に成ってしまいます。



自分が上手に出来ることでも、

他の人よりも優れていても、

能力を振りかざすような態度と感情は、迷惑行為。

どんなに天才と言われようと周囲に不愉快な思いをさせてまで、

我を通すことは、天才でも何でもない。

人前でやることではありません。



子自身が選択する数が増える分、

責任を取ることも増えるんだということも

説明してあげてください。

子どもたちは、失敗を繰返し経験していくなかで、

何が大切なのかを自分なりに知っていくのです。

そうやって 子ども本人の人生に成っていきます。

子どもが自分で自分の人生を築いていくのを

遠くから見守っておくのが親心。

(つい口を出してしまいがちですけどね。笑)



人の心がわからない、

迷惑をかけているのがわからない、

そんな鈍い人間には成って欲しくないのです。

今の大人達で十分すぎるではありませんか?(苦笑)



私たち日本人に多い感情と言葉は、

「 みんなが持ってるから・・・」

「 みんなが知ってるから・・・」

「 みんながやってるから・・・」

ですね。

自分もみんなと同じことをしないと

仲間はずれにされてしまうから・・・。

違うんですよ、それは。

仲間外れにするような意地の悪い者は、

同じ物を持っていても、なにしても、

他を虐めるのです。

そんなのに構うことはありません。

そんなのが居るところに、居る必要はないと思います。

特に子どものうちは。



勉強するにしても、

仕事をするにしても、

何にしても、

何をするにしても、

命と心を大事にするのが本筋です。



一緒に居れる間なんて、わずか。

家族にしてあげれることは、そうはない。

親が子にしてあげれることも、そうない。

有限。



何が大切なのか、何が大事なのかを

話すことはとても素晴しいことで大事なことなのです。

話せるうちに話しておいた方が良いように思います。



そうしたことを声なき声で教えてくださったのは、

ご依頼くださった方々とご依頼人の " 愛する方 " の

愛と信頼による交流から。



一緒に居れる長さじゃない。

一緒に居れる時間が短くても、

どれだけ 愛(思いやり)を込めて生きるかだろうと

思うのです。











長くなってすみません。
加筆編集:9/6











= おまけ =

お勝手口に、なぜか、釣ってある小さなニンニク。
可愛いなと思っています。

わが家の台所周辺の重力が、おかしい時があります。
山の中に住んでいますと、山のエネルギーというのでしょうか、
地面から来るものがダイレクトです。
特にどこかで大きな地震が来る1週間前ぐらいには、強烈です。
山の中に住むというのは、いろいろなことがあるんですね。












アガサ


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