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2016/04/18.Mon

心 やわらかく。

私の中で薄れて行きながらも、印象に残っているのは、

Eさんのご到着を待ちながらの時間に言われたことです。



< 爪の形が(自分と)似てる。笑 >

( どの指ですか? 右手?)

< 左・・・>

左と言われたので、自分の指を一本一本見ました。

< それ。>

( あぁ、真ん中の指ですね。中指。)

< そう。>

( へぇ、そうなんですね。Eさんが来られたら尋ねてみます。)

< 聞いてみてください。>



そういう会話があったのに、

Eさんとお会いするとしばらくは忘れていました。

あ!

と思い出せたので、Eさんにお尋ねしてみました。

「 Eさん、Eさんが来られる前の時間に、

 ご主人がこんなことをおっしゃったんです。」

そう切り出しながら、お話ししました。

すると、

「 あぁ、確かに! そういう爪の形をしていました。そうそう。」

「 ご主人のおっしゃることは、その通りでしたね。笑 」

突然そういうことを言われたEさんは、

びっくりされたと思います。(笑)



しばらくして、ご主人は、お子さんのことを話し始めました。

ご主人自身がその子に良かれ、合うだろうと思っていたけれど、

お子さん本人の様子を見ていて、

そうではないんじゃないか・・・

と思っていることを。

Eさんへは、お仕事の面でのアドバイス。

どちらも「 なるほど。わかります。」とおっしゃっていました。



最後の方で「ご質問はありますか?」と尋ねますと

「 お墓のことで、主人に相談したいことがあります。」

そうおっしゃったEさん。

その話をご主人は聴きながら、

< ○か○・・・かなぁ〜。>

「 ○か○かなぁ〜 とおっしゃっています。

 あ、・・・続きがあるようです。」



その続きに話されたことは、

Eさんの胸にすっと馴染んだとおっしゃいました。



- - - - -

前回同様に、夫がいつも家族と一緒にいることを感じました。
子供への思いが時と共に変化していたことも、
姿が見えないけど、夫は生きているのだと実感しました。
お墓の○○の時は夫と会話しているような錯覚がありました。
結果は本当に彼らしい判断になって、私もスッキリしました。
(中略)

夫が一緒にいてくれていると思いながら、
日々の忙しさや寂しさに気持ちが硬くなると、孤独感に苛まれて、
何に対しても被害的に考えてしまいます。
感謝の気持ちもなくなりますね。
私にとって、アガサさんのところへ伺うのは、
夫との交信で心を柔らかくするためなんだと感じました。
(けれどそれに依存してばかりでもいけないと思っています。)

(略)

- - - - -


後日、Eさんから頂いたメールの一部です。

Eさんは、ご主人と話しているような " 錯覚 " を感じたと

おっしゃっていました。

Eさんがおっしゃりたいことは、

とても自然だった、ということだろうと思います。



むこうとの対話や交流は、

大声を出したり、

儀式的なことをしたり、

聖職者の方々がお召しになるようなものを着たり、身に着けたり・・・

" それっぽい " ことが必須でも必要でもありません。

それらは、見た目で相手を押さえ付けたい欲から発するもの。

交流は、とても自然なのです。

しかしながら、

足し算や引き算、九九のように習って覚えれば出来る、

というような類いのものでは ありません。



何かを言われてるような気がする・・・



そういう言葉をよく見聞きする機会をもらいますが

そんなことはありません。

私がむこうから私に関して " 何か " を言われた時は、

必ず 疑います。

相手にはしません。

「 真面目に生きてるから。精一杯生きるから。」

虫の居所が悪い時には(笑)、そんなふうに思います。



私たちの毎日、人生に対して、

あちらの誰かが いちいち 口出しするようなことはありません。

見守ることと、口出しすることとは 全く違います。

何かを言われたからといって真に受けるようなことは

私はしません。



なぜなら、

自分が生きるということは、

自分の選択の積み重ね。

その " 自分の選択 " は、自分だけに留まらない。

必ず 周囲の人々に対して何等かの影響があります。

自分の感覚を大事にすることと、

その感覚を試すこととは、全く 意味が違ってきます。



交流は、

一歩間違えば、何かを勘違いすれば、自分も含め、

伝えている相手、周囲の人々に多大な影響が出ます。

自分で見える、聞こえる、という人を私が信じないのは

得手勝手な行為(我欲)だからです。



そういう意味で、交流は、簡単ではないのです。

非常に難しいものである、とも言えます。

けれど、とても自然なことなのです。



愛しい家族が他界したら、

自分の毎日に関与してほしい!と誰しも望むことです。

望むがあまり、ムキになってしまうこともあります。

ムキになることを

愛しい家族は、愛しい人は、望まないと思います。



何か尋ねたい、と思ったら、

まずは、冷静になること。

例えば、

お茶を飲んでから・・・

心が落ち着く曲を聴いてから・・・

など 心を落ち着かせるようなことをして。

そして、

返事を待つのではなくて、

あなたと会えて良かった・・・

そう ゆっくりと思ってみてください。

心底そう思えたら、自然に心が落ち着いてきます。



申し上げたいのは、

返事の有る無しで、

愛を確かめようと、試そうとなさらないように。



心や精神を試す必要も 試される必要もない、

ということです。



愛は 静けさのなかにあります。













久しぶりの「ぺこ」登場です。
春の穏やかな昼下がりに、昼寝をするぺこ。久しぶりの昼寝姿です。
長い手足を伸ばして、気持ち良さそう。(ごん、気にすんな。)





もっと近づいて撮ろう・・・
と思ったら、やっぱり。起きた。
白目、ならぬ、黄色目をむいてました。笑
まぁ、たまにはゆっくりお昼寝しなよ。ねぇ〜。
※老眼のデメリットは、ピンぼけ写真の枚数が増えたこと!










アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~

愛しい家族、大切な人との交流 | Comments(3)
Comment
心やわらかく…。ほんとそうありたいなぁと思う毎日です。

人付き合いが苦手になったり、些細な事で腹が立ったり…。カラカラでカチコチの心になってる事、しょっちゅうです。
こちらへお邪魔して、みなさんの対話やアガサさんの思いを読ませてもらうと、心が少しほぐれます。
愛おしい涙を流す事、ここへきて、深い思いを共有させてもらう事が、これ以上固くならない為のストレッチになっているようです。
まさこさん、お互いちょっとずつ穏やかな時間を増やしていきたいですね。
アガサさん、ありがとうございます。
ちょっとずつ
いつも、お読み頂き有難うございます。

皆、そうです。顔が見たい。手に触れたい。頬に触れたい。髪をなでたい・・・。
こう、物が溢れ、何でも便利になりますと、なかなか「心やわらかく」なりにくい。
(もちろん、困ったときは便利なことで多いに助かりますが)

私も、そうです。気をつけてはいますが、なかなか どうして。ねぇ。

愛しい家族は、今日も元気でいることを胸に思い返して 私たちに
思いやりをなげかけてくれていることでしょう。

ちょっとずつ。

ちょっとずつ、ですよ。

そう 思います。

アガサ
心やわらかく。
私もそうでありたいと考えることがあります。
そして考えるときはいつも自分の心が硬いと気づく時です。
毎日、どの時間もまだまだ硬いです。
いつも側にいて笑顔が見たい触れたい話せたらってそこだけ固執しているのかもしれません。
まだまだ自分の想いだけです。
心が柔らかくなったら喜んでくれるのかなってふとそう思いました。
でも、思ったらその時の笑顔が見たいって望んでる私がいます。

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