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2016/01/27.Wed

サイン(知らせ)というもの

他界した大切な家族から、

愛しい人から、

愛犬、愛猫、愛鳥・・・から、

「 ここにいるよ。」

というようなサインが欲しいと願ってしまう_

そう思われて自然だと思う。



人から、本から、

「 私はこう感じた。」

「 私はこう聞こえた。」

などと見聞きすると

どうしても、うらやましい・・・となる。

なかには

焦るような気持ちに似た複雑な感情も

ご自分のなかで感じるかもしれない。



" 愛しい人や家族と会いたい。"



この気持ちを 冷静に見つめることを

望んでも良いのなら 望みたい。

なぜなら、

こうした気持ちをかきたてるような書籍や

ワークショップ(講習)というのが星の数ほど

有るから。

もっともらしいことが書かれ、

その気にさせられるようなことを言われる。



こうしたことをすすめるのは、

おおよそ、

宗教的な背景があるか、

または、

ビジネス的な背景が存在する。

" 広めたい " からだ。

誰のために?

もちろん、書き手、伝え手の私腹のために。

子どもの頃からの そうした経験をし続けている人ならば

ご理解頂けると思うが、

広めようとは 到底思えない。

様々な・・・実に様々なことがあるから。

こうした事というのは、

美しくて素晴しくて良いことだらけ!ではない。

人知れずなことを嫌というほど味わっているので

そんな思いを相手にさせたいとは思えない。

相手の身になれば そうは簡単に勧められない。

だから、私などは そうしたことを勧める、

簡単と言う人の気が知れない。



どんな時にも、

" 物事には すべて二面(表と裏)がある "

このことを頭の片隅に置いておかれると善いと思う。



サインが欲しい、

サインに気づきたい_

その発信先が

愛する人や家族からを希望する人もいるし、

自分を守ってくれている存在からを希望する人もおられる。



とにもかくにも、

自分以外の誰かからの " はっきりした知らせ " があれば!

安心できるのに!

というのが 正直なところだろうと思う。

厳しいことを言うようだが、

そう思えてるうちは 最善を尽くせてはいない。



逆に、

常にいろいろと " 言われ続ける " と

もうウルサイ!となる。

ほっといてくれ、と。

人の感情というのは実に様々だ。



サイン(知らせ)というのは、

自然のひとつだと私は思っている。

自然現象のひとつ。



自然現象の例としてあげるなら、地震。

これだけ技術が発達しても

優秀な頭脳を持つ人々が絶え間ない研究を重ねても

完璧な地震予知というのは ない。

天気予報も、そう。

最近の天気予報は、天気が実際に変わってから

表示も変わる。(苦笑)

自然というのは、人間が考えているような

そんなスケールだとは思えない。



なんでもかんでも 人間都合で

自然が反応すると 思う方がおかしい。

それと一緒で、

あちらからのサインというのも、

それに似ている。

そう思われた方が良い。

自然現象に対して、努力したら、練習したら、

訓練したら何とかなる!と思うのは 甘い。

コントロール出来ると思うのは 間違い。

コントロールすべきは、自分の感情。

抑制・他と比べることなどは 自分の範疇だ。



自然、自然現象に関しては、コントロールは無理。

そんな欲を抱くよりも、畏怖畏敬の念をもつこと。

真から理解していれば、世の中で浮き足立っているような

軽々しい感覚など 望めなくなる。言えなくなる。

言葉では例えられない気持ちになって 自然。

おそれおおいと思えて、自然。

それが、自然への尊敬態度。



サインがなければ、

サインを感じられなければ、

愛しい人との

愛しい家族との

信頼や心の繋がりが信じられないのだろうか?



良い時もあったし、

ケンカした時もあったことが、

サインをくれなければ

帳消しに なるのだろうか?



そんなわけは ない。



信頼や愛というのは、

サインでは計れない。



愛する人と出会った、

家族と成った、
( 戸籍は問わない )

愛する子を授かった、

自分より小さき動物を家族同様愛せた、

少しの間でも同じ屋根の下で暮らせた、etc...

これらの奇跡を

サイン(知らせ)などで 計れるものではない。



計るの?

私は 計れないと思う。



日本における " スピリチュアル " という言葉が

薄っぺらく、情けなく思える理由は

ここに ある。

なんでもかんでも、手軽に捉え、

綺麗ごとを並べ、

魔法かなにかのような便利ツールとされ、

商売じみ、ブームと化する。

事の真相を捉えようとしない。

肩をすくめるしかない。





誰かを 心から大切に思える その心があれば

他に何を望むというのだろう。

何が望めるのだろうか。

何を疑おうとしているのだろう。



心を疑ってはいけない。

愛する家族の心を。

あなたの心を。



自分の不安をサインで天秤にかけることなかれ。

巷で言われているようなチープな " サイン " に

惑わされないこと。



愛を 計るな。

愛を 縛るな。

写真や思い出のものが手元になくったって

あなたの心に たっぷり愛が あるではないか。



大丈夫。

愛する人は、元気なんだから。








(追記:2/1)
これをアップしたあと、以前ご依頼くださった方から
メールを頂戴しました。
- - - - -
まさにこのテーマで自分が駄目な人のかと感じていました。
(中略)
今日、ずっと通った○○の会がありました。
終わった後、サインの話しになり、
一度も感じない私は自分が鈍感なのかと思い、
勉強が足りないと考えていたところでした。
アガサさんのブログで、自分の勘違いに気付きました。
サインを感じられなくても、○が見守ってくれてることは信じられます。
○○達も含め家族が元気でいられること、
その奇跡に感謝しないといけないとおもいました。
- - - - -
団体の中に自分を置きますと、どうしても、多数の意見が
まるで「正しい」かのように、「普通」であるかのように
聞こえ、捉えられてしまいます。
しかしながら、ひとりひとりじっくりと尋ねますと、
決して、賛成であっても意見や感覚というのは違ってきます。
私がスピリチュアルな団体に属さない、賛成しかねるのは
源となっている「個人の自由意思」というのが抑圧される場
であるからです。

見えないことほど、良識というのは大切です。(アガサ)














ティッシュで 突然作られた「ねずみ」ちゃん。
可愛いでしょう?(笑)
しっぽは、お菓子袋などをくくってあるアノ針金。
私の大切な思い出です。







アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~






愛しい家族、大切な人との交流 | Comments(0)
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