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2015/09/18.Fri

名前

名前。



尋ねて言ってくれるものではないと思います。

尋ねなくても、言われる時、聴こえる時が私には

あります。

私の場合は、大抵、尋ねません。

すべてを 任せています。



ご依頼人さんの中には、

” 家族 ” の名前を言われたい方、

聞きたい方が おられると思います。

確かに、 "てっとり早い” 情報だと思います。



名前を告げられると、一瞬の驚きはあるにせよ、

そこから愛する家族、会いたい人を感じる・・・

つまり、イメージ出来ることとは また違うように思います。

個人的に、私の中で、

"てっとり早い” 情報に、深みを感じません。

多分、てっとり早い情報で良いのなら、

3分で十分。

3分間というのは、話してみると十分なのです。

カップ麺ではないですが、

「はい!できあがり!終了ぉ」という感じ。

それを言わなきゃ、家族だとは思えない_

これは、強制的です。

強制的なものは あちらには届きません。

どんなことでも、

てっとり早いものは、

どこか無機質なように思えます。



以前、ブログに書いたかもしれませんが、

私の経験を例にします。

随分昔、イギリス在住で長年学んで活動を

している友人から機会を得ました。

私自身の伝え方に、私自身が疑問や壁を感じていた頃で

友人を通して、

祖母が思いやりをくれたのだと思っています。



祖母のことを伝えられました。

「 おばあさんは車に乗る時、何か、特別な気持ち・・・

 緊張のようなものを感じていました。」

情報量としては、そんなになかったように思います。

けれども、圧倒的でした。

それだけで、祖母だとわかりました。

祖母の、誰にも言わなかった気持ち。

きっと本人さえ、そうは意識していなかったかもしれません。

他の人にはありきたりで、車に乗り馴れていない時代の人なら、

そうだろうと思うでしょう。

でも、私にとっては、

( あぁ、そうだったんだ・・・そうかもしれない。)

心に、すぅっと入ってきました。

自分の人生を歩み、年齢を重ねてきたからこそ

理解できる気がしました。

その言葉で、祖母の内面までもイメージ出来たのです。

祖母をより身近に思えました。



こうしたこと(交流)は、人によって

受け取り方、考え方が違うと思います。



私が思うところ、そうだと思えることは、

てっとり早い情報を求めること、告げることではなく、

家族を感じる機会だろうと 思っています。

身体はなくとも、家族をイメージできること、

家族を身近に感じる機会だと思っています。

それが、交信で、交流なんだと思います。

大切なことは、

その場に居る者たちが、心を交流すること。

依頼人も、

” 家族 ”も、

霊媒も。



心と心を通いわせることは、

無機質な状態や空気では 叶いません。

数ではなく、質なのだと思います。

そして、そこに、心がなければ。







私は そう思っています。














アガサ 葉山在住
~天国の人々の思いを伝えています~
天国との対話(霊交信 / 霊界通信)





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