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2019/12/30.Mon

正月飾り 〜 初めて作ってみた 〜

毎年、秋を感じる頃から日が経つのが加速するような

気がします。



いつ頃からか 忘れましたが、

「 一日に 大きめの用事は ひとつ 」

そうするようになっていました。

それで 精一杯。



若い頃のように 二つも三つも、あるいは、同時に

いくつものことが出来なくなりました。

しようとも思えなくなりました。大笑



一つのことを 間違えないように ケガしないように

自分で気をつけること。

気をつけていても、うっかりすることがあります。 



時間、月日の経つのは速いもんです。

秋の紅葉が綺麗だなぁ〜と思っているうちに、あっという間に

外気温の数値がどんどん下がってきました。



突如、歩く人達の服装も、まるで スキーウェア並み。

自分は・・・薄い長袖Tシャツとジーンズ、そして、裸足。

昨年一年間、山奥暮らしをしていたおかげなのか、

それとも、

体温調節機能が誤作動を起こしたままなのか? 笑



靴下を履くよりも、先に寒さを感じたのは、頭です。

お気に入りの"ぼんぼん"が付いたニット帽をかぶりながら、

裸足のまま トレッキングシューズ・・・

何とも妙な体温分布です。



長野市のほとんどの人達が、ニット帽をかぶっています。

オシャレでかぶるのではなく、実際、寒いから。

湿気があまりないので、寒さ体感は緩和のように思います。



あっという間に、晦日。

今年はどうも、お正月のお飾りを購入する気になれず、

" 昔は、自分ん家で作ったんだろうなぁ・・・"

という気持ちが何故か沸々湧いてくるではありませんか。



物価がじりじりと上昇してきているのもあって、

買うのもなぁ〜・・・どうしたもんかなぁ〜・・・と思いながら、

今までの感覚とちょっと変化しているのも、妙な気分。

けれど、些細な変化を無視することも出来ず、

まぁ、自分の内に " 何か(ひっかかり) " が発露してるのなら

理由は追求せず、素直になってやろうと思いました。



ささやかでも 新年を迎える感謝はしたいなぁ・・・

という気持ちをぼんやり感じていましたら、

突如、" 自分で作ろう! " と思ってしまったのです。

えぇ、自分で?!

なんと まぁ・・・このぐうたらな私が。 笑



正月飾りの本来の意味を 想像しながら、

それぞれの素材の謂れを 想像しながら、

自分に用意できる範囲の 素材を考えましたら、

100均さんにお世話になることに しました。



折り紙

水引き

これで、初めて自分で作ることにしました。

しかも、出来る範囲で。 笑



感謝する自分が 心こめて作るんだから

わかってもらえるだろう・・・

そう思い、感謝をこめて作りました。

いつか しめ縄を編み、白い半紙で作りたいと思います。



新年がめでたいとか、

歳神様に来て頂きたいとか、

そういうのは、なんだか もういいやと思えてしまうように

なってしまいました。



ただ 感謝をしたい、感謝を表したいと思います。

それだけ。




皆さん、ありがとうございます。

皆さんの御身と御心が 健やかでありますように。
















= 今日の一枚 =

なんとか、それなりに仕上げました。
水引きで作りましたのは、松です。
松の上のは、太陽をイメージしました。笑
折り紙で、鶴を白、赤、黄の三種、羽ばたかせてみました。

本当は玄関(外気)に飾るのだと思いますが、
何となく、玄関の内側(内気)に飾りたいと思えましたので
そうすることに。 笑

これはこうだ、というしきたりも尊重しています。
でも、" なんとなく " 思えることを大事にしたいと思います。

うちの"りんご"も、おかげさまで1才を迎えました。
毎晩、母子でお布団の争奪戦です。 笑











アガサ







日常 | Comments(0)
2019/12/26.Thu

また 一緒に暮らせるから

Rさんの交流数日前のことでした。

いつもの わんこへの呼びかけ、「 お布団ひいたよ。寝よか。」

この言葉で、うちのりんご姫は一目散に布団の上へ。

「 もっとズレてくれるかぁ?お母ちゃん、寝るとこ無いやん。」

毎晩の母子のやりとりです。



やっと寝れる・・・といっても夜9時過ぎですけれども、

布団に入る習慣です。

寝ながら本を数ページ読んでも集中出来ず、寝ることにしました。



毎晩のお願い事(辛く悲しい状態、弱い立場の人や動物達への祈り)を

し終え、眠くないけれど、時間だから寝るかとお布団をこんもりと

被ろうとしたその時、

< ◯っちゃん! >

まだ若い男性の大きな声がしました。

あまりにも、一生懸命に呼んでおられる。

ひたむきな気持ちも飛んできました。



( 私の名前・・・じゃないよねぇ・・・)

私の他界した家族達とは、夢であったこともありませんし

夢で見た事もありません。

ましてや、そんなに懸命に ひたむきな気持ちで呼んでくれる

性格の人は身内にはいません。笑



( やっぱり、私のことではないなぁ・・・)

この時にすぐに、どなたのということを考えませんでした。



( 必ず、大事なご家族と繫がりますから、安心してください。)

そう心に刻み、寝息をたてているりんご姫の寝顔を覗き込み、

他界した動物家族達に心で話しかけて、眠り込みました。



当日、Rさんからスカイプ通話を頂く前に、調子を合わせますと

すでに来られていました。

30代ぐらいに見えるハンサムな男性でした。

睫毛がびっしり生えていて、お人形さんのような目です。



ア「 睫毛が長くてびっしり。男性に失礼かもしれませんがお人形さんのような目ですね。」

R「 そうなんです。睫毛が抜けて、目に入って痛いぐらいです。」

ア「 本当に可愛い目ですね。私などは睫毛がちょっとだけですから。笑」



< Rちゃんの顔は・・・>

この「Rちゃん」という話しかけでハッと思い出しました。

数日前の夜に懸命に呼ばれていた"◯ちゃん"は、Rさんのことで

あの男性は、この方だったのだと符号したのです。

( やっぱり、私は呼ばれていなかったんだ!)

自分のことを心配して呼びかけてくれていなくて、良かった!

Rさんだと判って、良かった!!

もちろん、就寝前の"懸命な呼びかけ"のことをRさんにお話しました。



< Rちゃんの顔は、ぱっと明るい印象があるんです。

( ご自分には)そうした明るさがないんですよねぇ。>

と苦笑いされながらおっしゃいました。

綺麗で可愛い目のことを言われ、褒められ過ぎたとでも思われたでしょうか・・・

褒めているのではなくて、私は見たまま思ったままをストレートに言っただけ。

ハンサム・・・とは言わないでしたか?今の時代は。

イケメンでしたか? 個人的にはこの言葉はあまり好まないので

使いませんよ。(笑)

やっぱり、ハンサムの方が言葉としては、私の中でしっくり来ます。(笑)



< 週末、家族と過ごせるのが最高に嬉しかった。

 家族と一緒に居れる、特に何のイベントもなくても

 それだけで幸せでした。この気持ちは今もあります。>

彼の心が、私の心に沁み通ります。

( 本当にそう思っておられるのが、わかりますよ。)

私の内情を見抜かれてか、わかりませんけれども、

< 家族は、一緒に居ないと。ね!>

と、ニヤリ顔で私に話してくださいました。

あはは。

何でも お見通し・・・なんですねぇ。まいりました。笑



24日を大切に思い続けておられること、

子に楽しいクリスマスを過ごさせてあげたい思いのことを話され、

飾り付けのことも身振り手振りでおしえてくださいました。



( それは、折り紙で作った輪っかを繋げるアレですね?)

彼は真剣に、そして、とても嬉しそうに幸せな空気いっぱいで

作っているところを見せてくださいました。

( クリスマスの飾り付け用・・・なのかなぁ?)

Rさんに、折り紙で輪っかを作って繋げる装飾をなさっている事を

伝えました。

すると、

「 主人は、子を出産して自宅に戻ってきた時のお祝いで

 折り紙で作った輪っかをいくつも作って、部屋全体を飾って

 くれていました・・・」

少々、私は耳が遠いのですが、思い出を話されるかのように、

嬉しさと淋しさが入り混じった涙声でRさんは話してくださいました。



( そうでしたか。折り紙で輪っかの飾りを作ってあげていたんですね。)

彼の嬉しさ、幸せな気持ちで作っておられるのが、ありありと私に

伝わってきます。

Rさんにすれば、複雑な気持ちでしょう。

けれど、ご主人がどれほど、Rさんを愛し思い続けておられるか、

お子さんのことを愛しておられか、

彼の思いをどんな言葉を繋ぎ合わせれば、見合った分を伝えきれるのか

わからない程の愛情です。



彼自身、悲しみや切なさもあるけれど、どんなに嬉しくて、

どんなに嬉しかったか、

そして、これからも最愛の妻と子を愛し続けていく思いでいっぱいです。



真面目な表情で彼は私に話してくださいました_

< 今でも 何でも ◯ちゃんに結婚を申込みたいと思っています。

 姿を見せてあげれないのは残念ですが、傍に居て守っています。

 必ずまた会えるから、また一緒に暮らせるから 楽しみにしています。>

あっさりと 簡単に この思いや考えに移行出来たとは 私には到底

思えません。

愛情が深ければ深いほど、縁が濃ければ濃いほど、悲しみや辛さから

そうは簡単に移行するのは難しいように 私は思います。



< 彼女の愛情が(ご自身を)救ってくれたように思います。>

他界後まもない頃、彼は打ちひしがれておられたのです。

ハンサム具合がわからないほど、髪はボサボサで表情は暗く、

ご自分でもどうしようもなかったと仰っていました。

そんな時に、太陽の陽射しのように暖かく感じられたのが

最愛の人からの愛情だったことに彼は気づいたそうです。



肉体がある時には、愛情というのはそうした感覚ではわからないですが

重く、必ず朽ちる肉体から脱した後の身体には、微細で精妙な感覚を

取戻せますから、目には見えないものを実感できるようになるのです。



彼は、今、広い家に住んでいるそうです。

そして、いつか、最愛の妻Rさんがそちらにゆかれた時に

一緒に暮らせることを楽しみになさっているそうです。

お子さんはいつか、愛する人と出会うから、親と一緒に住みたいと

思う思わないはわからないと笑って仰ってました。





( 随分、落ち着かれましたね。)

<はい。かなり落ち着いてきました。家族のおかげです。>

( 本当に。そうですね。

 Rさんの淋しさと悲しさは深いですが、

 きっと あなたの愛情が温かさとして伝わり続けると思います。)



必ず、という強い信念の表情で深く頷かれて

彼は愛するご家族がおられるお家へと帰ってゆかれたのでしょう。

スカイプを終え、気づけば、アガサ部屋には、私独りでした。




" また 一緒に暮らせるから "



愛する者同士が また 一緒に暮らせることを

教えて頂きました。

再確認出来ました。

ありがとうございます。










待っててよ!

私の動物家族たち!!! 

※向こうは気が向いた時に今でも傍にウロチョロしているのでしょうけれど
こちらの感覚としては、、、ねぇ。(笑)
そういう意味で「待っててよ!」と思っています。(大笑)


















アガサ







愛しい家族、大切な人との交流 | Comments(1)
2019/12/23.Mon

心で通じることの大きさ

交流の回想を更新するペースが衰えている私です。

書きたいな・・・

書かないとな・・・

という気持ちがいつも在るのに、

書けてない言い訳をさせてください。(苦笑)



書いていいのかどうか・・・

という思いがよぎるのです。

その思いが巡ることのひとつに、

交流内容を他の方々と比べてお考えになるのだなぁ・・・

ということがあげられます。



そのお気持ち、わからなくもないです。

この回想を書いたら、羨ましいと思われるんじゃないか?・・・

表現を変えた方がいいかな?・・・

それとも、この部分を省いた方がいいのかな?・・・

な〜んて、考えてしまうのです。

それで、手が引っ込むのです。(笑)



回想を書くことで、他界後の生をお伝えしているのですが

他と比べさせてしまう、羨ましいと思わせてしまうのは、

書き手(私)の考えや対応が足りないということです。



9割の方々がそのように思われたことがなくても、

1割の方々がそのように思われたことがあるのなら、

1割の方々をほっておくことは出来ません。

例え、考え方や捉え方の違いであろうとも。



交流というのは、つきつめれば、心で通じることです。

肉眼で見たい、肉耳で聞きたいお気持ちは察していますが

物質にこだわってしまいますと、歪んでしまいます。



心で通じることを軽んじてしまう、物足りなく思うのは

物質重視の世の中にどっぷり使ってしまっている私達の

ある種の偏見であり、欲でもあります。



世界的に有名な本の主人公の、有名な言葉のひとつに、

" 大切なことは 目に見えない。"

という言葉があります。

多分、ほとんどの方々がご存知の言葉です。

本を読んでいる時は、「そうだよねぇ。そうなんだよねぇ。」と

感慨深く、ため息まじりで 一点を見つめながらしみじみ

こう思える方々が多いと思います。

心ではわかっていることも、どうしても、心よりも感情を優先

してしまうのです。

感情の方が勝っている状態。

善い悪いではなく、単にその状態にあるということ。



交流は、その有名な言葉の通りです。

ご依頼人の肉眼と肉耳を用いる必要などないのです。

交流は、大切な機会であるはず。

ですから、心で見なくてはよく見えません。

心を持ち続けていると 大切な人とは通じ合えるのです。

悲しく辛い状態であっても、心は存在します。



更新のノロさ言い訳から書き始めていますが、

申し上げたいことは、

交流というのは、心を以て 心で通じ合うことであり、

心で通じることが真の理解と愛情を大きく育めるということです。



偏見や欲は、自分が伝える交流にはありません。

他界されてもご自分の偏見や欲を伝えたいんだ!という方と私は

繫がりません。



ご依頼くださる方の " 大切な方 " は、そうした類いの方々では

ないのだと心から信頼しているからです。







年末が近づいてまいりました。

様々な行事がありますが、大切なことはただひとつ。

大切なものは、目では見えないんだということ。



キラキラとしたイルミネーションや他のお家や人達を羨ましいとか

見たくないとか、自分には関係がないとか、そんなふうにお考えに

ならないでください。



あなたが淋しく、辛く、悲しい思いを持ちながら生きておられるのを

存じています。

けれども、心を腐らせてはなりません。



あなたが大切に思い、愛している方との連絡網である心を

どうか、大切に 大事になさってください。



心は 正直で温かい。

だから、私は 心が大好きなのです。



大切な人を 大切に思うように

ご自分も 大切に思ってください。

目の前におられるご家族や他の方々も 大切に。

動物達も 大切に。





心で通じることほど スゴいことは ありません。

そう 思います。










補足:12/25記
回想の更新は、続けていきますので、ご安心ください。





アガサ





愛しい家族、大切な人との交流 | Comments(0)
2019/12/16.Mon

依頼をする、依頼を受ける

大切な家族、大切な人が他界をする_

こんな辛く悲しいことはありません。



どう思っていたんだろう、何を思っているんだろう・・・

様々な思いが私達の胸や頭をよぎります。

そうした時に、その手段を調べると霊能者や霊媒という人達から

伝えてもらえるんだと知ります。



とはいえ、その数のあまりにも多いことにびっくりします。

なかには、アヤシイ・・・眉唾もの、宗教色の濃いもの、

有名著名具合を謳っているもの、

海外在住や行き来をアピールしているもの、

といったありとあらゆるものにゲンナリしつつも、

インターネットで探して、探して、探しまくっている自分がいたり、

人から薦められて・・・だったり。

様々な流れで、依頼へと気持ちが向いていくようです。



これから申し上げることは、ご依頼を頂く際に留意して頂きたい

ことです。

今まで何度も申し上げていることですので、目新しいものはなく、

何一つ、不思議で神秘的なものもありません。



肉眼で見えないとされることだからこそ、

事は冷静に考えて頂きたいのです。

なぜなら、

依頼人の悲しみを"餌"にし、辛い胸の内を"手玉"にとっている霊媒が、

まだ存在することをご依頼人さん方から耳にします。



他界との交流を依頼する側も依頼を受ける側も、

真の交流は、" 信頼と真実 " に直結してこそ実現するのだと

いうことを心に留めて頂きたいと思います。





● 霊媒や霊能者への依頼

他界との交流が初めての時は、いろいろなことを考えて

用心に用心を重ねられると思います。

そうして、交流依頼を重ねてゆきますと、ある程度の " 慣れ "

のようなものが伝える側と依頼側に芽生えてくるかもしれません。

そういう場合には、留意なさってください。

「 他の霊能者や霊媒からも聞いてみたい・・・」という思いが

沸々と沸いてくるかも、しれません。



よくお考えください。



交流を依頼するその目的(真意)をご自分でご自分に確認

なさるのが良いと思います。

"大切な人を思いやる" という大切で愛情あふれるお気持ちを

大事にし続けること。

こうしたことに関する興味は、真心の対極にあるのです。



過去依頼したその霊媒や霊能者への信頼がおありならば、

新しい者を試す必要はないように思います。

興味と信頼、どちらが大切なのか? です。

どうぞ、ご自分の心にある信頼を大切になさってください。

※補足
以前に依頼なさった霊媒霊能者の方を信頼できるのであれば、私に
依頼をなさらずにその方との信頼を大切になさった方が良いように思えます。
逆に、過去、私へご依頼頂いた方が、他の霊媒霊能者の方に依頼なさる事は
全く気になさらないでください。本当にそう思います。





交流というのは、回を重ねてゆくごとに、ご自分の心の安定と

ご家族への愛情と信頼が増していく手助けになると思います。

手助けにはなっても、交流がすべてではない のです。

少しずつ、交流依頼から離れてゆかれることが自然の流れです。

他者に交流依頼をしなくても大丈夫な日が必ずやってきますから

ご自分を過小評価しないこと。

弱過ぎる、我侭だと自己暗示なさらないこと。



きっと、あなたの大切な人は、そう思っておられると思います。

<霊媒の◯◯さんがいないと駄目だ>

なぁ〜んて思われるわけがありませんもの。



大切な家族、大切な人とご自分の信頼と愛情に重きをおくこと。



家族だから、家族をわかってあげれるのです。

大切に思っているから、その人をわかろうとするのです。

これが一番大事。



私が他界したら、家族に直接伝えたいと思うでしょう。

もし、伝えてもらうなら、伝える側を

人として信頼できるかどうか_

これがひとつの決め手になると思います。





● 未成年の方のご同席

未成年の方、特に、小学生以下の方のご同席については、留意が必要です。

「 うちの子はしっかりしているから、大丈夫 」と思われていても、です。



幼い子どもさんの感情、

小学生低学年の頃の感情、

小学生中学年の感情、

小学生高学年の感情、

中学生、

高校生、

年代によっても当然ながら、違ってきます。



ひとりひとりの性格や感受性も、違います。

親がこうだろうと想像するのと、現実は違います。



お子さんの感情を想像せねばなりません。

親の気持ちと子の気持ちは、必ずしも 同じではないのです。



特に、幼い子ども達は純粋無垢です。

純粋な心、疑うことを知らない年頃のお子さんは

大人から、

" お父さんからだよ、お母さんからだよ " と言われれば

「そうなんだ!」と思うでしょう。

そうなると、

どういう可能性が出てくるとご想像なさいますか?



そうです。

他言してしまうのです。

だって、言いたいですよ。

会いたいのですもの!

自分のことを思っていてほしいですもの!

そう思って、誰かに話してしまうのは、自然だと思います。



「 内緒だよ。誰にも言ってはいけないよ。」

と子に言うことは、子どもにとってストレスになります。

大人でも「ここだけの話だけどね」と切り出されたことは

ほら・・・大抵、静かに いつのまにか 広まるもんです。

感情というのは、そういうものです。



大人と違い、子ども達は純粋です。

疑うこと、疑われることを想像しません。

だから、大人が留意して守らねばならないのです。

守ってやりたいと思って、自然。



ご存知の通り、大人は、陰で何を言うかわかりません。

人前では良い顔していても、腹の底までわからない。(苦笑)

ママ友同士の会話で、そのことが出てしまう可能性は大。

あとは、ご想像通りです。



未成年の方のご同席に気をつけて頂きたいと願いますのは、

子どもを守るため。

純粋無垢な子どもさんが陰で何を言われてしまうか、

その一因を親が作ってしまう可能性がある、ということを

お考え頂きたいのです。



私もひとりの親ですから、人様の子も守りたいと思えます。

ご依頼人さんのお子さんが受ける嬉しくない可能性を考えずに

大切な交流を軽率に臨むわけにはいかないのです。



今の時代、

誰でもSNSで発信できる時代ですから、用心に用心を重ねても、

し過ぎは無いのです。

子どもを守るのは大人の責務であり、使命。

良かれと思うことも、様々な視点からお考え頂きたいと思います。





依頼する、依頼を受ける _

どれだけの思いが詰まっているのか、

どれだけの辛い悲しい思いをなさってきたのか、

なんとか、ご自分を奮い立たせたいと望んでおられのか、

様々な思いをご依頼フォームやメールから伝わってきます。



だからこそ、

交流の目的、ご依頼なさる方を思います。

依頼を頂いたら、嬉しい!・・・

霊媒をやってる自分でありたい!・・・

こんなアホで無責任な考え方と愚か過ぎる行動は、

自分には出来ません。





安心なさってください。

一番大事なのは、大切なご家族や大切な人への愛情と信頼です。

繫がるのは、霊能者や霊媒といった他人ではない、のです。

この真実をよく噛みしめてください。

じっくりとこのことに向き合ってください。



家族が家族を信頼していることが、最高です。

どんなに悲しくて辛くてもです。

霊能者や霊媒といった人達から伝えられる内容よりも

明らかにその信頼は燦然と光り輝いています。

真実と真の愛情は、肉眼や肉耳レベルではなく、

大切に思うあなたの心に温かさを帯びさせてるのですから。

あなたが泣いていても、です。



自己アピール上手な自己陶酔タイプの霊能者や霊媒の口車に

乗せられてはなりません。









ご連絡を頂くご縁に感謝しています。

ただ、

交流におきましては、私はあくまでも冷静であらねばなりません。

霊媒風を吹かすことよりも、

人としての筋を通していたいと、思うのです。










心から述べさせて頂きました。

厳しく、あるいは、偉そうに響いた場合には

ご勘弁ください。



アガサ









思うこと | Comments(0)
2019/12/02.Mon

好きにしていいよ

どういう交流が正しくて、正しくないのか_

その判断は伝える側が決めるのではなく、

最も親しい方(ご依頼人)の心に温かみを感じるのだと

思います。



交流をさせて頂く度に、様々な方々と出会います。

存在、お人柄のみならず、その方の人生を垣間見る私は、

自分の日常(人生)に活かせなければ偽善だと思っています。



とはいえ、なかなか、見習えないことも多くあります。

そのひとつに、自分の持ち物について。

金額の高い安いではなく、愛着愛情思い出が詰まっている物を

どうするのか・・・

引越の度、また、年齢を重ねていくうちに、私物をどうするのかを

気にかけるようになりました。

特に頂き物は心がこもっていますから、とても難しいです。

Wさんの大切な方のご意見は、そんな私にセンセーショナルでした。



- - - Wさんメールの一部より - - -

彼は収集癖があって、趣味で集めた物たちが足の踏み場もないほど
大量に残されていて(もうかなり処分してしまったんですが)
処分したら彼が悲しむかな、取っておいてほしいかなと思って、
どうしたいか聞いてもらったら、
「『自分では片づけられなかったから好きにしていいよ』と言っています、
なんの未練も執着もないみたいですよ」とアガサさんから伝えてもらいました。

彼は会社でも同じようにいろんなものを集めてデスク周りに置いていて
異動になってもなかなか片づけないので後任の方が困って連絡すると
「「自分ではできないから好きに捨てるなり片づけて いいよ」と言ってた」
という話をちょうど会社の人から聞いていたところでしたので
まったく変わってない!と笑ってしまいました。
(何回か部署異動があったんですが、毎回その調子だったみたいです。)

それを聞いてアガサさんが思わず「え~全部人にやらせるの~?!」と声に出して
彼に言っていたのも可笑しくて、普通に3人で会話してる感じでした^^
でも彼は憎めない感じなんだよね、ってアガサさんに言ってもらえて、
会社の人も片づけのエピソードを話してくれた時、にこにこしながら
「しょうがないなぁもう」って言って笑い話にしてくれていたのを思い出して、
人って肉体がなくなっても普通に存在していて、彼らしさと かって変わらないんだなぁと
実感して嬉しく思いました。
それにしても言うことまでまったく同じとは。。。笑ってしまいました。


- - - - - -



他界しますと、確かに、物理的には片付けられませんが、

その観点ではなく、彼はある意味、超越なさっていたのでしょう。

あまりにも潔くきっぱりと言い切られるじゃ ありませんか。

思わず言ってしまった、「えぇ?!全部人にやらせるのぉ?!」

という私の発言は、衝撃的だったのです。

センセーショナル。

でも、ムッとしないのですね、こちらが。(笑)

面倒くさいな〜とは、不思議に思わないのです。

「じゃぁ、好きにしますよ。」と笑って返答してしまう、

返答させてしまう魅力を持っておられるのだと思いました。



とても、誠実で、頼れる人なのですが、こうした面があり、

それに対して、愛嬌を感じてしまうのは、お人柄の良さでしょう。



普段といいますか、日常のことを少し話しておられたことで

印象深く、メモしていますのは、

< 普通に家で一緒にテレビを観ていますよ。>

( テレビ、ですか。)

その続きを話そうと思っていましたら、

< (写真を向けること)それをやらなくてもいいよ。

 写真みたいに薄っぺらいところに入ってないから。笑>

と言われた私は、?と思っていましたが、

Wさんにはお分かりのことだったのです。



今までのように、好きなテレビ番組を一緒に見ること。

観る時は、彼の写真をテレビ画面の方に向けてあげてること。

タッチの差、一瞬の差で、先に話されることに、

今では不思議にも思わなくなりました。

不思議ではなく、時間の違いであり、今も変わらない愛情への

感謝の気持ちや照れくさい気持ちなどが含まれているのです。

Wさんは驚かれたでしょう。

けれど、その驚きは、彼の変わらない面を愛しく思う気持ちへと

変わってゆかれたものと思います。



- - - Wさんのメールから抜粋 - - -

初めてでしたので最初はドキドキ緊張していたんですが、
アガサさんのブログでもいろんな方がメールなどでおっしゃっていましたが、
涙涙な感じではなく、笑いあり、時々涙ありという感じで
仰々しい感じもなく、アガサさんが気さくに私にも彼にも話してくださるので
3人で普通におしゃべりや世間話でもしているような感覚で
リラックスできて、あっという間の時間でした。

(略)

今はスッキリ晴れやかで、痛みも不調もなく、建設的にあちこち
飛び回っていると聞いて安心もしました。

とは言っても、こちらからは姿も見えなくて会話もできなくて
今後一人で生きていかなきゃとか考えると暗く寂しくなると思います。

(略)

- - - - -



交流を特別扱いする方もおられるかも、しれません。

なかには、神懸かりな、お告げ的なものに 押し上げるような

伝え方をされる方々も おられるかもしれません。



見下すようなことを言われたこともありませんし、

お告げ口調で言われたこともありません。(笑)

いたって、普通。

その人らしさがあふれる口調、そぶり、考え方。

相手を尊重する、というのは、見た目や肩書きではなく、

心(内面)がどうか、です。

内面というのは、普段、日常にこそ、色濃く出ます。



人前だけ、特別な時だけ、特別な場だけの"顔"や"振舞"は

作られたものであり、自己陶酔とも言えると私は考えています。

誰もみてないところで、どうか。

褒められもしない、感謝もされにくい日常で

どう在るか、どう在り続けられるかが、私の最大の関心です。



なぜなら、そこに、本性が出るからです。

善し悪しを判断するという意味ではなく、

個性というのは、素ですから、

素が一番出るのは、日常生活。



日常ほど、面白く、辛く、嬉しく、悲しいものはありません。

特別ではないところに、美しさが在るのだと思えます。

当たり前に思える日常ほど、愛に欲し、愛にあふれているように

思うのです。





度胸と愛嬌。

両方共、愛すべき無形のものです。













アガサ




















愛しい家族、大切な人との交流 | Comments(0)
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