親の他界を幼いうちに経験されるのは、想像絶することです。
家族や大切な人の他界は、大人だって辛いのですから。
あるお母さんから、メールを頂きました。
思うところをお返事させて頂きましたが、これが正解というのは
ないと思います。
ただ言えるのは、子どもの気持ちになって(想像して)みよう
ということです。
頂いたメールの一部です。
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娘は、夫が亡くなってから 夫のことを「怖い」と言うようになりました。
最初は見えているからなのかな、と思っていました。
葬儀、告別式と夫の事は見ず、最後の最後まで拒否しました。
あったかいパパがいい、冷たいパパは嫌だと言って。
一週間ほど前に、寝ながら泣いていました。
結構な泣き方でした。
起きてから、嫌な夢だったの?と私が聞いたら、うん。と。
私が、もしかしてパパの夢?と聞くと そうだとは言いましたが、
怖いから言いたくない、と。
次の日も夫の夢を見たそうですが、それも教えてはくれませんでした。
娘は夫の何に怯えているのでしょうか?
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幼い娘さんが「怖い」とおっしゃることについて、ご心配でいっぱいと思います。
でも、しばらくは、そっとしておいてあげてください、と思います。
とは言え、大泣きするわが子をほっとくわけにはいきません。
「どうしたの? 何が怖いの?」と何度も尋ねたくなるのが親です。
視点をかえますと、親が尋ねることで、娘さんは怖さを思い出してしまうのです。
怖い夢は、大人だって 思い出したくはありません。
(嫌な夢を見たら、いまだに、" バク バク バク"と私はつぶやきます。
夢を食べると勝手に人間が言ってる勘違いを40年以上も前から続けてます。)ご質問で私がお返事できるとすれば、
娘さんは、人が亡くなるということを怖がっておられるのだと思います。
大好きなパパの他界は、言葉では表現できない程です。
ショックと不安と怖れや様々な気持ちが混ざって、怖い夢を見てしまう
のは、仕方のないことです。
平気で居られるわけがありません。
それと、人間誰しもが持つ、死への恐怖もあるのかもしれません。
特に小学生の間は、そういうことも考えてしまうのです。
どれぐらいの月日かは人によって違いますが、月日が流れ、
娘さんご自身が心の整理がついた時、ぽろっと話し出されると思います。
渦中の時の心情は、大人でもなかなか、人様には言えないものです。
自分のなかで、少し整理をつけ始めてから、
友達や何やらに話せるものだと、自分の経験から思えるのです。
泣くことも、そうです。
幼い娘さんは、まだ一度も泣いておられないとのこと。
心配でしょうけれど、これも、娘さんの時期があります。
家族といえども、泣く時期は一緒ではありません。
ひとりひとり、感情も性格も違います。
娘さんのなかで、整理できたら、泣かれると思います。
母親の私達に出来ることは、子どもが辛そうな時に出来る限り、
傍に居てやることだと思います。
仕事を持つお母さんがほとんどの時代で、家に帰ったら帰ったで
やらないといけないことが山積していますが、
「時間がない、忙しい!」と目を釣り上げるよりも、たまには、
片付けなくても大丈夫ですから、努めてゆっくりなさってください。
" ほら、お母さんはゆっくりしてるよ。出来てるよ。" と
声なき心の声で、お子さんが寄りつける空気を作ってみてください。
親が言葉少なめでも、愛情いっぱいな余裕な時間と空気を持ち続けますと
子どもは、言葉をかけやすい、話しかけ易いと思えるのです。
ゆっくりした時間を作ったからといって、親の方から頻繁に
「 どうしたの? なんか辛いことあるの?」と言うのは控えること。
大抵は、
「 ない。大丈夫。」と子どもは言い返しますから。(苦笑)
どうしても気になる、ということであれば、
学校に来られるカウンセラーの存在を話してあげてはいかがでしょう。
最近はどこの学校でも、月1か、月2ぐらいで来られていると思います。
「お母さんに話しづらかったら、学校に来られるカウンセラーの先生に、
ちょっと話してみたら、どうかな。優しく、聞いてくれるよ。」
さらっとアドバイスするのも、ひとつだと思います。
母親としても非常に辛いですが、辛いのは自分だけじゃない。
母親の立場も辛い、
子どもの立場もつらい、
男子は男子なりに、
女子は女子なり、
年齢それぞれの辛さも違ってくると思います。
感じ方も ひとりひとり違います。
家族といえども、悲しみや辛さは、
決して、同じタイミング、同じ内容ではありません。
親が心配すると思って、なかなか、胸の内を言えない子ども達は
たくさんおられます。
第三者になら、話せることも多々あると思います。
※学校のカウンセラーのこと。
戦争の頃は、周囲に 身近な家族、特に父親や兄、弟を
戦争で亡くされた方々は多くおられました。
ですから、お互いがお互いの気持ちを思いやれたんです。
協力も自然な形で出来たのです。
そういう意味で、今は、戦争していない状態にある日本。
周囲に似たような思いをしたお友達やご近所さんは
居そうで居ないのです。
ですから、励まそうと思われて言葉掛けされた言葉は、
相手の気持ちを励ましたい、自分の気持ち寄りなのです。
悪気はないと分かっていても、言われた方は、傷つくのです。
同じ経験をされていたら・・・少しは違う言葉や表現を
なさっていると思います。
「 だいぶ、元気になったね!」とか、
「 いつまでも亡くなった人に縛られていたらだめだよ。」とか、
「 元気だして。◯◯さんもそう思ってるよ。」とか、
「 頑張らんと、◯◯さんも悲しむよ。」
などなど。
悪気はないのですが、相手の気持ちを察しきれていない。
想像できないのです。
それは、家族間にもいえること。
親子といえども、同じ気持ちではないのです。
温度差があるのではなくて、感受性の違いです。
悲しみや辛さを表現することを焦ってはなりません。
ご自分の悲しみや辛さや今後の生活へのご不安がありながらも、
お子さんを心配なのは、お察ししています。
焦るよりも、ゆっくりとなさってください。
そして、たまには、頑張ることをお休みなさってください。
「 たまには、ピザ、注文しよか!」とか、
「 たまには、回転寿司食べよか!」とか、
子どもさんが好きな食べ物を食べるのも、良いと思います。
便利さと機械物に囲まれた世の中に生きていると、
便利さと機械物の副産物
→ 待てなくなる、即、結果を求めてしまう
→ 焦らす、焦らされる、イライラする、等
心身の安らぎを便利さの副産物によって負荷(ストレス)で
アンバランスにさせてしまうのです。
大切なことを見失ってしまいがちな日常を送ってしまうのです。
だからといって、
家庭内においてまで、負荷を積み重ねることはありません。
親も子も、大変なんですから。
子どもの気持ちに寄り添うというのは、
家庭の本来の姿にもどること。
本来の姿というのは、心に寄り添うということ。
待つことも、そのひとつ。
第三者の手を借りるのも、そのひとつ。
家の恥かどうかで判断するのではなくて、
その子にとって善いかどうかでお決めになるのが
最善だと思います。
子どもは、いつも 真実を見ています。
特に小学校の頃は。
大丈夫。
お子さんは、お母さんが自分を信じてくれているという空気を
感じ取りますから。
すぐに結果は出なくても、良いんだと思うこと。
この子には、この子のペースと感受性があるんだということを
大事に温めてあげてください。
子どもと一緒に過ごせる時間はあっという間です。
気長に。
アガサ
テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル:心と身体