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Author:アガサ
他界された愛するご家族、大切な方との対話を地道にお伝えしています。

アガサ

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冷静に物事をみる、とは

2019.04.27 07:59|思うこと
世間で起きていることは、IT会社ニュースで、ざっとタイトル読みをします。

3点、気になることがありました。



・尊い命を巻き込んだ大事故を起こした加害者へのうやむやな対応。

・その事故への、著名有名で優秀なコメンテーターの方々のお言葉。

・その事故対応への、ネットからの声が感情的である、という判断。



この3つに共通するのは、不公平で不誠実 ということ。

事故を起こした人が、高学歴でキャリアがあっても、

現実、人が亡くなり、多くの方々が巻き込まれたのですから、

現行犯逮捕です。

これをすべき部署がしていないから、不公平で不誠実。

加害者が指示をしたしないに関わらず、そうした類いの " 根回し " は

まるで映画並の速さです。

この大事故に限らず、昔っから、政府高官やそれに準ずる人達が

何かをやらかしてしまったら、お蔵入り、迷宮入りとなるのです。



2点め、著名有名で優秀なコメンテーターの方々のお言葉は、

随所に、ご自分を基準に発言なさっています。

人が亡くなり、ケガを伴う事故や事件につきましては、

コメントする側がご自分を基準にしたようなコメント発言は

観点と論点がズレているとしか思えません。

炎上するのは、極自然なことだろうと思います。



3点め、ネットの人達は感情的だというご意見。

不誠実、不公平があるから、「おかしいぞ」という意見が出るのです。

誠実、公平に事が成されていないから、です。

コメントが明らかに公平を欠いた発言であるからゆえ、

多くの人々が「それはおかしい」となるのです。

それは、感情的ではないと思うのです。

ネット意見=感情的=冷静ではない=独断と偏見

という色眼鏡で見、記事として書かれます。

確かに、感情的なコメントもあるでしょうけど、

すべてがすべてそう(感情的)とは言えないのです。



大切な家族が事件事故に巻き込まれて、亡くなった・・・

事件事故に巻き込まれて、日常生活に差し支える大けがになった・・・

精神的に苦痛が残ってしまった・・・

毎日です。毎日。

ずっとですよ。

事件や事故が忘れ去られていっても、ご本人やご家族の苦痛と悲しみは

毎日毎日続くのです。



事故や事件は、イベントではない。

暇つぶしの起爆剤でもなんでもない。

命と日常が懸かってる。



毎日毎日、一秒一秒、

言葉では言い尽くせない深い悲しみと辛さと怒り、

様々な感情と闘っておられるのです。

凄まじいほどの辛さです。



物事を冷静に見、真実を扱うという大役は、

警察、裁判所など 国家権力が担っていますから、

その部門が、不誠実で不公平なことをやってしまったら

国家はすでに崩壊している、という他 ありません。

地位や権力を持っている者のための " ご都合国家 " 。

地位や権力が大きくなればなるほど、崩壊破壊への道が加速します。





きちんとなさること。

被害に遭った人が自分の家族なら、親しい友人なら、

目の色変えてしっかりとお仕事をなさると思います。

各部署が各部門が、例外なくきちんと仕事をすること。

相手がどこかの国王や総理であったとしても、です。





ご家族を奪われた方のお気持ちを考えないで、

何を考える必要があるというのです?



腐り切った対応に、多くの人達は憤りを感じているのです。

それは感情的ではなくて、

至って 自然な 人の心の声です。





誠実であること。

正直であること。

これらは、簡単なようで 実に勇気がいること。

人様に迷惑がかかった時ほど、

震えながらでも

勇気を振り絞らねばなりません。





冷静に物事を見る時、自分の立場を擁護してしまっては

物事は冷静には見れず、まともな考えは出てこない。

そう思います。






亡くなられた方々、

そのご家族、

ケガをされた方々のことが最優先です。





















アガサ

テーマ:社会問題
ジャンル:ニュース

雨降って、地固まる。雨のち晴れ。

自分が大事に思う人や信頼していた人が、

自分に嘘をついているのではないか・・・

そんな思いがまとわりついてしまった時、私達はどれだけ

自分の感情に振り回されてしまうのでしょうか。

そういう事態になっていない時に想像する自分と、

実際、その渦中に落とされてしまった自分とでは

大きく違ってくると思います。

果たして、実際起こった時にも冷静に持論通り

自分を保てるでしょうか?・・・



私の場合は、無理だと思っています。

動揺することは避けたいと願いますが、やっぱり、人間ですから

動揺するのも自然だと思うのです。

覚悟が足りない、考えが甘い云々ではなくて、そこは、

やっぱり、人間なんだと思うのです。



まずは、

Mさんから頂いたメールの一部をお読みください。

- - - - -
(略)
「散歩や買い物という日常が幸せだったとご主人が言ってらしゃいます。」
とアガサさんから伝えられるその言葉でやっぱり主人だと思いました。
特別なことは無くても一緒に居ることが幸せでした。
仕事が忙しく、出張が多い人でしたので、愛犬と過ごすお休みを大事にしていました。

○月に主人が亡くなった頃は、喪失感と裏切られていたのではないかという疑念とで
夜も眠れず、気が狂ったように主人の携帯や手帳などを見ていました。
それがさらに自分を追い込み病気もしました。
熱があっても気がつかず、腎盂炎になっていました。
その頃のことが時々フラッシュバッグし辛かったのですが、今年に入り、
主人との生活は幸せだったし、大事にしてくれた◯年間は嘘では無かったと
思いたいと思うようになりました。
この頃、アガサさんのブログを拝見しました。

(略)
アガサさんに主人のことを聞き、信じたいと思えました。
(略)
主人が病気になってから来てくれた愛犬も主人に寄り添い
今は私に寄り添ってくれています。
この子のお陰で私は乗り越えて来れたんだと思っています。
もちろん主人も支えてくれていたと思います。
主人には今、生活できていることに感謝しています。
(略)
心が軽くなりました。前を向いて生きて行けそうです。

- - - - -



何度も申しますが、交流に来られる方から嘘を言われたことは

ありません。

私が他界を盲信することはありませんが

先入観という色眼鏡で見ることもありません。

ご依頼人、他界の方、どちらかを依怙贔屓することもありません。

カチッと音がするほどの本当かどうか、です。



Mさんのご主人は、家庭を守り続けてくれた妻に感謝の思いを

深くされていました。

ご主人は、

<私が仕事が忙しくてもやってこれたのは、妻が家庭をしっかりと

守り続けてくれたからです。親のこともあり、苦労をかけました。

本当に感謝しています。>

とおっしゃったのです。

今の時代、結婚相手の親を看るというのは珍しくなりました。

そんな時代であっても、妻が自分の親を看てくれることが

どれほど大変なことなのかというのがご主人はわかっておられたのです。



交流を続けていくなかで、Mさんからあることを伝えられました。

悲しみにくれるその最中に突然起こったことによって、ご主人への

疑念が浮上してきたのです。

「 私は本当に主人のことが大好きなんです。」とそうおっしゃれる

Mさんですから、相当のことだったと想像するのは難くありません。

信頼しきっていただけに、ボキッと折れてしまわれたのです。



ここで私が申し上げておきたことがあります。

「そうだとしても携帯や手帳を見るなんて・・・私ならそんなことしない。」

というお考えの方もおられると思いますが、

そうしたことは考えないで頂きたいのです。

人を本当に理解する、思いやりを持つ、公平な心の目を持つ、

というのは、人様のされてきたことに対して批判的に独自的に

意見することではないのです。

どんなにお辛かったでしょう、

どんなに苦しかったでしょう、と同情ではなく、

相手の心を慈しむ気持ちが大切なのです。

(批判や非難は、簡単に誰にでも出来、自分の心さえ蝕みます。)



ご主人は誠実に心から話されました。

きっとご主人も妻がそういう疑念を持ち、病を患ってしまう程

苦しんでしまうとは想像もされていなかったと思います。

真実ではないことで、ご夫婦それぞれにお辛かったのです。



他人様の何気ない行動で、傷ついてしまうことは

私達の日常にあります。

だからとって、傷ついたままでいるのは違いますね。

声をあげなければならない時もあるし、

頃を見計らって、静かにしている時もあったり。



交流も終わる頃、Mさんのお声は違っていました。

誤解が解けて、ご主人もほっとされていると思います。



雨降って、地固まる。

雨のち晴れ。













アガサ







テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル:心と身体

ようやく

2019.04.16 13:28|日常
日常を送るための片付けはようやく、落ち着いてきました。

それにしても、人生はいろいろなことが起こりますね。



2月中旬、彗星のごとく、我が家に現れたわんこです。

家族の知人の方の、そのまた知人の方のところで生まれた子。
※その方は本職の傍ら、日本犬の保存のプロだそうです。


ごんのこと、ぺこのことが私の心の中で大きく、

無事を祈る日々。

まだまだ、受け入れ態勢が出来ていなかっただけに、

戸惑いがありました。

突然のご連絡電話が、家族の誕生日だったことも

縁を強く感じつつも、不思議でした。



おしっこシートを数枚敷いたダンボール箱の中に、

ちょこんと大人しく入ってやってきた子犬。

長野に越す前、愛犬の他界後まもない頃_

神奈川に居た時に ふと飛んできた"空気玉"には

< 長野で犬との出会い(縁)がある。>

とありました。

( そんな早くにわんこを迎えるとは思えない )と私。

( 空気玉も時には、間違うんじゃないの?)と思いました。

あれから、約1年後、空気玉の言う通りでした。

こういう縁もあるんですね。

長野での出会いなので、「りんご」と名付けました。

りんごはすごく甘えたなのでびっくり。

女の子は初めて、女の子は甘えたが多いのかなぁ〜?

戸惑いながらも、可愛いなと思いました。

一匹一匹、個性があるんですね。

知識として知っていても、実際にそう経験するのとは

違うなぁと思いました。



寝る時は、一緒に寝れないと鳴きます。

一緒に寝るのがこの子にとって良いのかどうかわかりませんが、

りんごがそう願って鳴いているんだから、良いじゃないかと

思いました。(笑)




我が家に来たまなしの「りんご」。



家の中では超甘えたですが、山荘で放牧させますと豹変。

" 山犬 " の異名通り、低い姿勢をとり、山を駆け巡るんです。

小さいけど、カッコイー!



木の皮をはいで食べ、土も食べ、そこいらにある枯れ葉も食べ、

石コロも食べてしまいます。

おっかなびっくり連続の私は、何度注意しても食べるのです。

「 野生というか、野犬ってこんな感じなのか?」

そう思わずにおれませんでした。

小さくても、家への道は覚えているんですね。

何度も呼んでも帰って来なくて、心配していましたが、

1時間程経つと必ず、どこからか帰ってきました。


この子が元気だったらいいなぁ・・・と思います。

ごんをはじめとする先犬達を思い、

ぺこの無事を案じ祈り、

今までの、自分の不甲斐なさを繰り返したくない

強い思いがあります。



対面の方でわんこ好きな方の前では、まさかの「嬉ション」!

びっくりしました。

嬉ションする子がいることを思い出せました。

懐かしいやら可笑しいやら、申し訳ないやらでしたが、

お越し下さった方は

「 わぁ〜、可愛いぃ!犬っていいなぁ〜!」

とそれはそれは喜んでくださいました。



りんごの寝顔を見て、思います。

「 それにしてもこんなバタバタしていた時期に

 なんでやってきたんだろうね。不思議だね。」

と、家族達と何度かそう話したことがあります。

「 わからないけど、ごんがりんごとの縁をくれたんだよ。」

「 そうだね。きっと、ごんだね。」

いつも同じところに、落ち着きます。



人生は、シッチャカメッチャカ。

踏んだり蹴ったりの時もあるし、

テンヤワンヤの時もあるし、

何だかなぁ〜・・・の時もあるし。



いろいろありますが、

ようやく 外を歩けるようになりました。(嬉)

太陽光や紫外線、熱に反応し過ぎる肌状態は心を凹ませます。

太陽の陽射しを服を通してでも感じれることは、本当に嬉しい。



ようやく、春が来た!

そんな感じがしています。














=おまけじゃないけど、おまけ=

生後三ヶ月ぐらいのりんご。耳がピンっとなりました。



越してきたところのマンホール。
長野らしいデザインですね。
マンホールの柄を見るのが好きな自分です。




山育ちだからか、ビビリだからか分かりせんが、
車、自転車、他の犬、怖いようで、散歩も距離が伸びません。
5分外歩きしたら帰りたがります。
山では何時間でも外に居るんですけどね。




図書館近くの花壇に咲いていました。
春なんですね。いかにも春!というような花は町中に多いですね。
桜や杏などの木を植えておられるお家も多くて、すごく綺麗です。




これも図書館近くの花壇に咲いていました。
なんていう花なんだろう。
追記4/17:「ムスカリ」という春のお花なんだそうです。
Yさん、教えてくださってありがとうございます。








アガサ






相手の良いところを見つめて

Nさんご家族様方とのお約束した当日。

起床直後、頭痛がしました。

直後というよりは頭痛で起きた、というほうがぴったり。

頭痛持ちも辛いな・・・と思います。



(まいったな・・・今日は、Nさんご家族様方が来られるのに。

 頭痛、辛いな・・・ま、耐えるしかない。)

にわか”頭痛持ち”となった私は、

転居後の、今はまだ見知らぬ地の風景を見ながら歩きました。

ふと、何か気配がして、歩いてきた道を振り返ると、

花粉をたっぷり含んだ杉の下を歩いてきたのだと気づきました。

( ・・・なんとまぁ。ま、通り過ぎたからどうしようもない。苦笑



徒歩5分ぐらい先にある待ち合せの駅へと到着。

山の中と比べて、超が付く程の便利な住環境、思わずニヤりです。



付近の景色をぼぉ〜と眺めていました。



< あ〜、早く会いたいわぁ。早く来ないかな〜。>

ぼんやりしている自分とは違い、乗って来られる電車を

今か今かと待つ女性が傍におられたのです。



( ご家族をお待ちですか? 久しぶりなんですね。)

< 久しぶりというわけじゃないけれど。笑>

( そうなんですか。笑)

< とにかく、会えるのを楽しみにしていたんですよ!>

( 会えるのは楽しみですもんね。)



< あ!あの電車! きっと乗ってる!わぁ〜 >

隣の女性_ おそらく、私より10歳程上の女性の空気に

喜びが増してきました。

嬉し過ぎて 目頭が熱くなってらした。

横に居た私まで感激し、目頭が熱くなりました。



電車が止まる前から、その方は、

< ほら!私の家族。あそこ!>

( え、どこですか?)

< あそこあそこ!あそこの三人。ほら!分かった?>

( あ、わかりました!あの方々ですね。三人?

  もしかして、あなたは、Nさんのご家族ですか?)

そう言い終わる前に、女性はどこかへ行かれたようでした。

( あれ? どこ行かれたんだろう。面白い人だなぁ・・・笑

  あの方が、Nさんの会いたい方だったらいいな・・・)



会いたい人だと一瞬にしてわかる瞬間、

名前や誕生日や携帯電話の番号ではなく、

家族の人柄や心が伝わってくるあの”瞬間”は言葉では例えられません。

同じ屋根の下で暮らしてきた年月への懐かしさからなのか、

不可能だと思っていたことさえ、消え失せ、

家族の、真の存在と心と 自分の心が重なるのを心が認識する瞬間、

本当の自分に戻れたような気がするのです。



たまたま、話しかけてくださった方が

Nさんご家族であれば・・・こう願わずにはいられませんでした。



小さな我が家での交流は、終始、和やかでした。

笑いに包まれ、時に、涙があふれていました。



私の回想よりも、頂いたメールの方が大事に思っていますので

Nさんとご家族様方から頂いたメールの一部を掲載させて頂きます。

文章量としては長めに思われるかもしれませんが、

読まれますと長くは感じません。

書き手の心がじんわり感じることの方が印象に残ると思います。

どうぞ、ゆっくりと心からお読みください。



- - - - -

母は、本当に突然逝ってしまったので、悲しさ寂しさ虚しさ、
心がぽっかり空いたような感情をこの半年間ずっと抱えて過ごしてきました。
それでも、毎日は過ぎて行くし、やらなければならないことも多い…
今回の交流で母に会えるかもしれない!と、楽しみにして毎日を頑張っておりました。

交流が始まってすぐ、アガサさんが気さくで話しやすい方と仰った時、
すぐに母だと分かりました。

父のことを「かっこいいでしょ?」とアガサさんに同意を求めることも、
追いつかない程、話し続けるという様子も、
お供え物は自分で取りに行くからあげなくて大丈夫!というのも、、
どれもとても母そのもので、その場に母がいることを実感出来ました。

母が亡くなる3年程前に「今までの人生でどの年齢が、一番楽しかった?」
と聞いた事があります。
その時、「そうねぇ、やっぱり子育てしてる時かしらね」と笑顔で答えていた
ことを思い出しました。
数日前からアガサさんの子育てに口を挟んでいたとのこと(笑)、
子育てが楽しかった!と言っていた母らしいな。と感じました。


生前、人の良いところを見て付き合いなさい。
感謝の気持ちを持って毎日を過ごすんだよ。と、常々母から言われてきました。
しかし、母が亡くなったことで、余裕を無くし、周りが見えなくなっていました。
人が優しくしてくれないことに腹を立て、
なぜ私ばかり苦労をしなければいけないのかと、そう思って過ごしていたように感じます。
でも、違うのだと、アガサさんからの母の言葉を聞いて気付かされました。
人の悪いところは大したことない。
そこに注目するよりも良いところに引き寄せられる方が自分が居心地がいい_
というのが母そのもので、ハッとさせられました。
大切なことを教わっていたのを忘れていたな。と、、
自分のことしか考えられなくなっていたんだな。と気付くことが出来ました。

また、心を込めてありがとう。と伝えて欲しいと言うのも、まさに母でした。
どんな小さなことも大袈裟なくらい喜んで、
満面の笑みでお礼を言ってくれていたのを思い出しました。
(略)
アガサさんから出た母の「ありがとう」はとても重みがあり、今でも涙が溢れてしまいます。
生前もっと感謝を伝えていれば良かったとも思いましたが、(略)
これからも感謝を伝えていきたいと思います。

父のことですが、私たち娘が思っているよりも遥かに父のことを愛していたんだな。と感じました。
母は普段、そんなに口に出して「かっこいい」と言うタイプではなかったですが、
確かに「お父さんなら大丈夫」「だってお父さんだもん」「さすが◯◯さん!」という言葉は
結構聞いていました。笑
それだけ信頼し尊敬の念を持っていたのだなと、改めて気付かされると同時に、
そんな温かい夫婦の間に産まれて、私は本当に幸せ者なんだなと気付くことが出来ました。
父は、今回の交流で母が傍にいることを少し感じられているようです。
私が母の代わりになることは不可能ですが、母の話をたくさんし、
少しずつでもこの生活に慣れていけたらと思っています。
(略)
きっと平坦ではない道のりを、母に大丈夫!と言われるとなぜか大丈夫な気がします。
無理かも。と思っていた気持ちもやってやろうじゃないか!と少し気持ちに変化が出た気がします。

今回の交流で、姿は見えないし、話すことも出来ないけれど、
物事に対する姿勢や価値観、そういったものをきちんと私の中に残していってくれたんだなと
改めて感じました。
(略)

生前は、困らせたり、怒らせたり、泣かせたり、、そんな事ばかりで後悔しかなかったですが、
感謝を伝えるのに遅いことはないのかもと少し思えています。

- - - - -

昨年の夏、母は頭が痛いと言って突然倒れ、そのまま意識が戻らぬまま他界しました。
くも膜下出血でした。
本当に突然すぎる別れでした。
母はさぞ心残りだろうし、悲しんでいるのではないか、泣いてばかりいるのではないか、
今は頭の痛みや身体がつらいことはないか、母がどんな様子なのか、ずっと気がかりでした。
(略)
待ち合わせのとき、早く会いたくて、とてもコンビニの前でなんて待っていられなかった、
と母と重なった心情を伝えていただいたこと、今になって、じわじわと、母の会いたい気持ちと
それを表現してくださったアガサさんと、2人の気持ちが嬉しく、切なく感じられます。
母の愛情を感じました。
母からの、心をこめてありがとうを伝えていただいたときは、涙が止まりませんでした。
母の姿が見えたように思いました。

アガサさんに、涙ぐんでおられます、って言われると、母の表情がありありと浮かびました。
とても丁寧に母のことを伝えてくださり、本当にありがとうございました。
(略)
母のことをじわじわと、確実に、感じることができました。
(略)

父のことが今も大好きで、ずっとそばで顔を見ていたい、カッコいいと思っていること、
こんなに主張してくるとは、意外でした。笑
そしてもっと側にいたかったと思っていること、やはり寂しいです。
母の父に対する愛情は、私の想像以上でした。
勝ち負けではないですが、なんだか完敗という感じです。。笑
帰り道、父は嬉しそうでした。
アガサさんにお礼のメールをするよと言ったら、一言、
ありがとうございましたとお伝えくださいと、申しました。

今までどおり、母に話しかけて、相談して、母だったらなんて言うかなと
心の中で話しながら過ごしていきます。
人の良いところ、キラッとするところを見て、
人のダメなところなんて些細なことと思って気に留めず、
自分が機嫌よく心地良くいれるような生き方をする母を、
今回改めて、我が母ながら尊敬するなと感じました。
そんな風に思う機会にしていただけたことも、とても有り難く思います。
母に育ててもらった娘であることに自信を持って、
母がしてくれたことを思いながら、私も子育てをして、生きていきます。

でもやっぱり会いたいです。
近くにいてくれているのを感じることができたし、
何も変わらず母はいて、心は繋がっていると思う。
でも、やっぱり声が聞きたいし、会いたいです。
今回交流して、改めてそう強く思う気持ちもあります。まだまだですね。
(略)

- - - - -


印象的だったのは、

「 母からの褒め言葉を聞かないと 他の人からどんなに褒めらても

 褒められた気にならないんです。」

ということ。

ご家族全員が「その通り」と言うように

うんうんと首を縦にふっておられたこと。



人は誰しも、良い所とそうではない所があります。必ず。

時と場合によっては、良いところよりもそうではない所に

意識が向くでしょう。



お母さんは、ご自分の人生を歩まれていくなかで

相手の良いところとそうではないところとどっちが

自分にとって居心地が良いのか?ということを幾度となく

経験されてきたのだと思います。



お母さんが話してくださっていた子育て。

乗ってこられる電車を待ちながら、こんなことも話していました。

< 子どもの年齢によって、親も思うことが変わってくるけど。笑>

( はい。まさに、そうです。うちは思春期突入です)

< いいじゃなぁ〜い。笑>

( 小学校低学年ぐらいまでが良かったですよ。)

< そう? それは親の贅沢ね!笑>

( まぁ〜、そうですね! 親の贅沢ですね!笑)

< ほら、見て。線路の近くを歩いている女の子達!>

( わ、可愛いですね。姉妹でしょうね。)

< お揃いの上着、着てる!可愛いぃ>

そうおっしゃるお母さんは、娘さん達の幼い頃を思い出して

おられたんだと思います。



わが子の幼い頃を思い出しながら、

家族それぞれのことを思いながら、

電車の到着を今か今かと待っておられたんです。



すべて 懐かしくて

ぜんぶ 愛しくて。












アガサ






テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル:心と身体