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Author:アガサ
他界された愛するご家族、大切な方との対話を地道にお伝えしています。

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ご連絡メールはこちらに。(本日から来週月曜日まで)

2019.03.25 11:04|アガサよりお知らせ
3/31ご報告

おかげさまで無事、インターネットが繫がりました。

ご連絡メールは、今までのメールアドレスも大丈夫ですし、

下記メールアドレスも もちろん受け取れます。

ご協力、有難うございます。



- - - - - - - 以下、3/25記 - - - - - - -

今週後半で、移動を致します。

それに伴いまして、私のパソコンを本日3/25お昼より

梱包いたします。



ご連絡を頂ける場合には、以下のメールアドレスまで

お願い致します。

ホームページにも画像掲載で載せて頂いています。



agatha.renraku●ジーメール.コム
※黒丸をアットマークにしてください。
※ジーメール.コムを英字表記にしてください。








荷物のほとんどを山荘に置くので気楽だなぁと思っていました。

使うものだけの梱包を始めたのですが・・・

細々としたものが多いですね。

人間って、こんなに物を日常生活で使うんだぁ・・・

動物は身ひとつだから、すごいなぁ・・・

なんてことをいろいろと思います。




引越運搬料金が通常の10倍以上跳ね上がる引越シーズン。

最低限の荷物を運ぶだけとはいえ、ほぼ毎日、

家族が乗用車で往復してくれています。

片道 60キロ近くあるでしょうか。

往復120キロ。

仕方ないとはいえ、申し訳ない気持ちで

気づかれしてしまう情けなさ。(苦笑)




引越作業と役所手続きに、飽き飽きです。(苦笑)

当分、引越はしたくないです。

役所の方々は親切に対応してくださるのですが、私、

細かいことが面倒くさくなってきたように思えます。

年、かなぁ〜・・・

年、だなぁ〜・・・(笑)。




いろいろとご迷惑をおかけしています。

どうぞ、宜しくお願い致します。




アガサ












心が繫がる、ということ。

- - - - -

息子とこうして交流ができた事を大変嬉しく、ありがたく、思っております。
(略)

息子はもう働いているとは、驚きました。
いつまでも大学生のままではないのですね。

パリッとしたスーツ姿で、嬉しそうに登場してくれた事に、
息子の私を安心させたいという心を感じ、涙があふれてきます。

息子は、私と娘の事や、家族の在り方、いろんな事へ気にかけてくれている。
息子のやり方で、私達を見つめ守ってくれている。

いつもその事へ感謝しておりますが、今回は特にその息子の優しさと強さを感じて、
私の中へ安堵感がぱーっと溢れ続けています。

私は息子へ至らなかった部分や息子へ申し訳ない気持ちが、常にあります。
この罪悪感はなかなか消えませんが..、
息子が大きく優しく強くこちら側を見つめてくれているのなら、
それに答えられるような人間にならないといけないなという気持ちに今回はなりました。



今晩の夕食に、息子からのリクエストの献立で作りました。
(略)
「一緒に食べようね」と息子に問いかけながら、食べました。
涙はでませんが、共有しているという優しさに包まれているような気持ちになりました。
そして不思議な事に、私も娘も「いつも以上の美味しさ」を感じました。
これは息子のパワーだと、信じています。

特別な事をしなくても、普段の生活の中での小さな幸せ、
それを息子はいつも感じていててくれた事にとても感謝いたします。

「◯◯○」というワードが出てきてくれて、本当に、嬉しかったです。
同じ空間で共に過ごしていたという事を、思い起こさせてもらえました。
息子のコタツ布団、時々干さないとね、と。
(この部分アガサさんと一緒に笑えて、嬉しかったです)


昨晩の夢に、赤ちゃんの頃の息子が出てきてくれて、
少しだけお世話をさせてもらいました。
(息子はたまに、夢に出てきてくれています)
(略)
息子とつながっているんだと、この自分の感覚を大切にしています。

そして、アガサさんにして頂いている交流も、大切にさせて頂いております。
胸のあたりがあったかくなるような、開けるような、そういう感覚にさせてもらえております。

アガサさんはいつも、息子と丁寧に交流してくださり、そしてそれをまっすぐに伝えてくださり、
私は息子と交流できる事は当然嬉しくありがたい気持ちなのですが、
息子とアガサさんが交流している事自体も、とても嬉しくあったかい気持ちになっているのです。

生前の息子は、同級生よりも年上の方とのやりとりに安心していたふしがありました。
きっと、アガサさんと交流している息子は、アガサさんから安心と安らぎをもらえているのでしょう。
だから、アガサさんへそういう意味ででもいつも感謝をしております。
今回も息子と交流をしてくださり、本当に、ありがとうございます。

スカイプ、今回はきちんとつながって良かったです。

(略)

- - - - -





どなたかと初めて会う時、初めて話す時、ある程度、緊張します。

交流ともなれば、それプラス、違う種類の緊張が私にはあります。

責任、というものに近い緊張です。



そうしたものも、話していくうちにお互いの信頼関係が繋がり、

増してゆき、友情のような感覚が芽生えてきます。

こうした流れは、こちらもあちらも同じのように思えます。

心と心が在るからです。



違うとすれば、偽は通用しない、ということ。

私達の世界では、外見や言葉を使ったコミュニケーションで

大雑把な関係が成立します。

自己アピールが巧みな人とそうでない人がいます。

それに伴って、損得もあるのかも しれません。

でも、他界は違います。

偽善や嘘は通用しない。

権力や肩書きなども通用しない。

それらは、何の価値もない。

だから、続けようと思えるのです。



普通の人が どれほど美しい心の持ち主か。

地味な人が どれほど愛情深いか。

目立つことに興味のない人が どれほど勇敢か。

大切なことは、肉眼ではパッとわからないもの。



深い辛さと苦しみと悲しさを経験してこそ、

本来の眼(心)が開くのだと思います。

どれほど大事な存在だったか・・・

辛い程の悲しみを経験することになって気づき、わかるのは

残されたと思えてしまう私達だけではありません。

こちらにおられるご家族やご友人も、そう。

あなたの 他界された大切なご家族、大切な人も、そう。



とりかえしのつかない思いを募らせる毎日で

どんなに自分のことが嫌になったとしても、

あなたを嫌いにはならない。

憎むなんて、しない。

だから、周囲の 全く知らない他人様が幸せそうに見えても

ひがんだり、憎んだりは しない方が善い。

後ろめたく思う必要など これっぽちもない。

もしそうしたものがあるのなら、そんなものは

捨ててしまった方が善い。



普通の何気ない平凡な毎日が どれほど幸せなのか_

あなたが身にしみてわかったはず。

これは経験した人にだけ その真価が分かるのです。

辛いほど、悲しいほど、切ないほど、分かっておられる。



特別なことばかりの人生ではないからこそ、

人生に深みが増すのです。



ご飯やおかずを作ったって、物質が " 減る " わけじゃない。

量が減ったらわかりやすいけど、それは仕方ない。

「 作ったって、供えたって、空しいだけ・・・」

そう思ううちは、自分の感情の方が比重が大きい。

物質的なことにばかり着眼するから、分からないだけ。

このどうしようもない思いは、この悲しみは、一体 誰のための悲しみなのか_

そう自分に問いかけ続けたことも、私にはありました。



家族のために疲れていてもご飯を作ってくれる気持ち、

淋しく空しく思えても、平穏と幸せを祈る気持ち。

損得ではなく、自分のためでもない、相手を思う気持ちが

あなたの大切な人の心に 届くのです。

霊媒の言葉だけが届くんじゃない。

一緒に過ごした何気ない日々、日常で培った思いの方が

どれだけ大切で、どれだけ嬉しく思われるのかは

言うまでもないのです。



それは、肉眼では見えない。

物質ではないから。

物は必ず 朽ちます。

必ず 劣化する。

私達側で言うところの"有形"は、誤摩化しても無理。

朽ちて劣化することが自然なのです。



物は大事にすれど、心はもっと大事なのだということを

大切な家族、大切な人の他界によって 私達は身にしみて

分かります。

切なくなるほど、身に沁みるのです。

長い年月をかけて、心底 わかってくるのです。



肉眼で見えることは大事ですが、それだけに頼ってしまったら

それだけが " 存在する " と思い込んでしまったら、

大切なことが 見えないまま。



子どものために、親がご飯を作る。

親のその愛情が肉眼で見えるのか?と言えば、見えない。

見えるのは、料理。

愛情や精神は、見えない。



作っても供えても、確かに 物理的な量は、減らない。

そこだけに着眼してしまったら、子どもさんが気の毒で

滅茶苦茶だと思います。

(きついことばかりを言い、スミマセン)



子どものために作られたご飯の味が

いつもより美味しく思えたのは、

親子、家族の心がお互いに繫がっているのを

心が認識したからです。

心が認識しますと、" 数 " を求めなくなってきます。

ぎゅっとした愛情を認識しますから、回数は無関係。



Yさん、

お母さんを支えたいと思う息子さんの気持ちを

どの言葉で伝えれば 十分に伝えられるのか、

頼もしさをその言葉以外でどう伝えれば、

息子さんの心そのままに伝えきれるのか・・・

言葉に詰まる時が何度もありました。

それほど、息子さんは成長なさっているのです。



お母さんが自分の好物を作ってくれたことに

息子さんは喜ばれました。

いくつになっても、嬉しいもんだと思います。



しかも、オロナミンC付き!















ア独り言:

オロナミンCか・・・

大昔、徹夜続きの時に飲んでたなぁ〜(笑)








= おまけ =

先週のある朝、雪が降っていました。
雪景色も、冬とは違うなぁ〜 と思いました。
どこか、明るい感じがします。

マイナスも朝方のみとなり、マイナスにもならず、1度や2度となりますと
雨戸を開ける時には「暖かくなったなぁ」とほっと息をつけます。
それに馴染んできますと、突然のマイナス5度や雪となると
「 寒っ!」
と言ってしまいます。(笑)
気が緩むんですね。(大笑)

気が張っている時があって、気が緩む時があって、その両方や中間もあって
良いんでしょうね。(笑)








アガサ





テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル:心と身体

2019.03.13 15:59|頂いたメール
先程、Kさんから頂いたご無沙汰メールと共に

満開の桜写真を頂戴しました。

春めき桜と呼ばれている桜だそうです。



わぁ〜、綺麗ですねぇ。

本当に美しい。

ぱぁ〜と気持ちが晴れてくるようです。



こちらの山の中も随分と春らしくなってきたとはいえ、

朝晩はまだマイナス。

今日の午前中は、雪が降っていました。





良いことばっかり、楽しいことばっかりでは

感覚が鈍ります。

日々、いろいろな経験をするからこそ、

季節折々の美しさに見とれるんですね。



すでに桜をご覧になっている方々もいらっしゃると思いますが

あらためて、ご覧頂ければと思います。



ありがとうございます。






















アガサ







湿っぽいのは嫌い

交流当日の朝、洗濯物用事をしていましたら

遠くで 救急車のサイレンの音が聞こえてきました。

その音に安堵する自分が居て、

すぅーっと眠りについていく自分も居ました。



サイレンの音は この山の中のものではありません。

普段の私なら、サイレンの音を聞きますと反射的に祈ります。

他の方々と同じように。

交流お約束日の朝に 聞いたそのサイレンの音は何といいますか、

とても安心できる音でした。

< これで安心。あれは自分のところに来てくれる救急車だ >

自然に、そう思えました。

その音には、

救急隊員の方々の責任感と人を助けたい気持ちが感じられました。

目に見えない思いやりや使命感が 物理的なものを越えて

安心と安らぎを与えてくれたのです。

周囲の人達にとってはドキッとするサイレンの音ですが、

その音を耳にすることが出来、安心を得て、静かに、

すぅーと寝入る感覚に成ったのです。

気づくと 立ったまま、目を閉じている私がいました。

( 何してたっけ?・・・あぁ、そうだ。洗濯の途中だ。)

そう思い出して、いつも自分に戻りました。



Yさんは、交流を数年待たれたようです。

そのYさんから頂いた " 心のメール " の一部をご紹介致します。



- - - - -

(略)

主人は3年前に急性大動脈解離で倒れ、そのまま亡くなった為、後悔ばかりでした。
共働きの為主人の健康管理も十分できなかったのが、原因だったのでは。
私が仕事を辞めていれば良かったのでは。
だから、交流の場に来てくれないかもしれないとの思いがあり、
お願いするまで3年かかりました。

「ああすれば、こうすれば、もっと生きれたのかも、と後悔した時期もあったけど、
今はもう後悔していないから。湿っぽいのは嫌いだから。」とアガサさんから伝えられた
主人の気持ち。
お互いに3年という時間が必要だったのだろう、と思います。

亡くなった時にせめて痛くなければ、と思っていたのですが、
「救急車の音が聞こえただけで、体が痛いとはなかった」と聞いて、少しホッとしました。

「自分の遺したものは処分していいから。2〜3年使用しなかったものは必要ないから。」
と伝えられた主人の言葉。
これから引っ越しする予定で、主人の持ち物を並べて、途方に暮れている私を見て
「このままでは引っ越しできないぞ」と背中を押してくれたのだろうと思います。
ただ、私が心強くなれる物は手元に置こう、と思います。

「そんなに頻繁にお供えしなくても良いから、多めにしてほしい」と
食いしん坊の主人の要望を伝えられた時には大笑いしてしまいました。
というのも、今年に入って「もう4年目になったし、そちらでもダイエットしてね。
もう特別な日しかお供えしないよ。」と主人の写真に向かって言ったのを聞いて、
慌てたんだろう、と。
本当に変わっていないなあ、とほっこりしました。
これからは、去年と変わらず、お供えをするつもりです。

「姿は見えないけれど、今もいるから。今も愛しているから。いつか会えるから。」
と伝えられた主人の気持ち。
突然亡くなった為、心の準備もなく、現実に対処すべき事が次々と起こり、
独りで生きていけるのだろうか、と悩んだり。
周りの人達が皆幸せに思えて、落ち込んだり。
そんな中、主人も陰ながら手助けしてくれたのだろうけど、
いろいろな人に手助けしてもらえて、今日まで無事に生きてこれたなあと思います。
(略)
主人の死によって「人との出会いをもっと大切にしなくては」と思えるようになりました。
それと、
いつか私の人生も終わるのだから人に迷惑をかけない程度に好きなことをしよう、とも。
こうならないとわからなかったのは、本当にもったいないですけど。

(略)

- - - - -



交流を終えた時、いつも思います。

人生は続くんだな・・・ということを。

辛く重い身体から脱した楽さは得れるにせよ、自分の感情と

向きあうことは、どちらに所属先を置こうとも変わらない。

むしろ、

重い肉体を維持するための時間(生活するための仕事)が

ぽんっと宙に浮くため、自分の感情と向き合うことが増える

のだろうなぁ・・・

そんなふうに思えています。



Yさんのご主人がおっしゃった、

<ああすれば、こうすれば、もっと生きれたのかも、

 と後悔した時期もあったけど、今はもう後悔していないから。

 湿っぽいのは嫌いだから。>

というお気持ち。

私達は 毎日 生きることが精一杯で、

生活を営むために働くことで精一杯で、

"ちょっと余裕が出来れば、どこかに行こうか、

何か美味しいものを食べに行こう!" という励ましを胸に

仕事、仕事、仕事、の日々を送るのです。



味気ないように思われるかもしれませんが、

家族のために 好きでもない仕事をする、

生活のために やりたい方向ではない仕事をすることは

それはそれは 尊いことだと 私は思うのです。

仕事というのは、誰かのために 尽くすということだと

思うのです。

自分のためにだけの、仕事は限界があり、飽きてきますもの。(笑)

家族のために、

お客様のために、

顔を合わすことのない誰かのために、

腹立つこともあったり、文句を言いたくなる日もありますが(笑)

やっぱり 誰かのために 働いているのです。

働くということは、本当に尊い。

良いことづくめではないからこそ、尊く成るのです。



重い肉体を持っている私達の3年間、年月の経つ感覚と

他界での感覚とは、少し違うように思えます。

これは、交流を通しての、私の感想です。

正しいのか、真実かは 分かりませんけど、そう思えます。



大切な人の他界を経験してからでないと、

心底 わからないことの方が多いかもしれない。

それでは遅いじゃない!

と思う人がおられるとすれば、私はそうは思いません。



身を切られるような悲しみや苦しみ、辛さを経験して

物事の本質や大切なことに気づくことだって多いと思います。

後悔や反省しても、あの人は、あの子は帰って来ない・・・

そう思われる方の方が多いでしょう。

ああすればよかった、こうすれば良かった、

そうしていれば、今は違っていたかもしれない・・・

・・・こう言うのは簡単ですよ。

辛い経験をしなかったら、きっと、そうは思えなかったと

思いますよ。

他人様の悲しみは、所詮、他人事。

よくある本音です。



そうじゃない。違うんです。

断腸の思いは、相当なもんです。

言葉で軽く言える言葉ではありません。

痛みは辛さというのは、言葉では言えない時期があるんです。

辛い、というのも言えない。



Yさんのご主人や、今まで交流に参加してくださった方々も

きっとおっしゃっていたと思いますが、

そうした思いを乗り越えて来られての、今なんです。

残された私達だけが 悲しいわけじゃない。

残された私達だけが 辛いわけじゃない。

忘れ去るわけじゃないし、

置き去りにされたわけじゃない。



< 湿っぽいのは嫌い >

仲介する私は、そのままの言葉でYさんに伝えました。

ご主人も きっと 湿っぽくなられていたんだと思いますよ。

ある時期は。

そうじゃないな、そうじゃいけないな・・・

そうした時期を過ぎての 今なんです。



他界は 不自然な場所ではありません。

詳細に渡り、何でも分かって、何でも知ることが出来る、

全知全能に成れるかのように思うことの方が不自然だと思います。



大切なこと_

思いやりや愛情を見つめ、温める場所だと 多くの交流に

参加させて頂いて そう思うのです。




交流は、人生そのものだと心底思えるからこそ、

続けるのかなと思います。

交流は、特別ではありません。

非現実な絵空話や架空物語でもありません。



特別ではない平凡な日常の積み重ねだからこそ、

自分は続けて、続けられるのだと思います。



普通が一番しあわせなんだもの。














= おまけ =
すみません!
おまけ写真がありません!

花粉の純度が高い山の中ですので、皮膚炎を優先して、
今のこの時期は、ほとんど山歩きをしていません。

もうちょっとの我慢我慢!(笑)









アガサ






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