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愛しい家族、愛しい人との対話 _ 静かで 心穏やかなひととき

他界された愛しいご家族や方々との対話回想、思うところを書いています。

早朝 

早寝早起きは、子どもの頃からの慣れ親しんだリズム。

先日の日曜日、朝5時半ぐらいに散歩することにしました。

途中、立ち止まりながら、ゆっくり散歩。



ガラケー写真ですが、ご覧頂いて、

のんびりなさって頂ければと思います。(笑)











県道に沿って、畑があります。
歩く度に、この畑エリアがずっと在り続けることをいつも願っています。
ここ数年、建物が増え続け、空気が本当に息苦しくなってきました。
心に余裕が必要なように、土地や空気にも余裕というのは必要だと強く感じます。
このお花たちが、整備されたエリアで狭っ苦しく咲くのではなく、
のびのびと自由に、自然に、咲けるようにと願いながら歩きました。








朝は4時ぐらいになると明るくなってきます。
眼で見るのと、写真に撮るのとでは、明るさも雰囲気も違って見えますね。
写真では、かなり " 早朝 " という感じがします。(笑)









葉っぱに朝露が涼しげ(ちょっと肌寒いのですが)です。
自然の美しさというのは、本当に自然で美しく思えます。








山の中腹にある公園です。
人もまだ、まばら。
ウォーキングする方々、楽器演奏の練習をする方々、ラジコンを操作する方々、
思い思いに早朝を楽しんでおられます。

そうそう。
公園が近くなってきますと、声が聞こえてきました。
声楽の練習をなさっているんだなぁ〜、綺麗な声だなぁ〜、と思い、うっとり。
すると、人の声ではなくて、楽器の音だったんです。
(おっかしいなぁ〜、確かに、人の声だったんだけどなぁ・・・)

聞き間違えた自分に思わず、苦笑です。
(どんだけ、耳、悪いねん!)








銀杏並木です。
今は、美しい黄緑色。
秋には、黄色に染まります。とても美しいです。

ぼちぼち、人も増えてきたので、家へと帰りました。
朝7時ぐらいにもなりますと、人も車も増えてきますね。
この季節は、朝5時前が気持ち良いです。











若い頃は、毎日、ジョギング。

ダイエットではなく、トレーニングのために、です。(笑)

必要に迫られないと私は動かない、怠け者。

必要があると、そのために、きっちりやります。

必要がないと、ずるずる&だらだら。(大笑)

まぁ、そんなもんですね。



怪我をしてからは、もう 走り込むことは止めました。

今は、思った時に歩く_

ゆるゆる具合が、今の自分に合っています。



頑張る時があり、

のんびりする時があり。

頑張らねばならない時が来たら、

また、その時に 頑張ろうかと思います。



歩きながら、

残されている自然を大事に思いながら、

久しぶりの早朝散歩でした。









アガサ








Posted on 2017/05/25 Thu. 13:16 [edit]

category: 日常

thread: 小さな幸せ  -  janre: 心と身体

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25

笑っていたら、何とかなる。 

当日は朝から落ち着かず、アガサさんにお電話する時間が近づくと
心臓がドキドキしてかなり緊張しましたが、アガサさんの声を聴いて
お話をする内に気持ちが落ち着きました。

交流が始まり来られた方の特徴をアガサさんが伝えて下さいました。
【まゆがしっかりしていて目元ははっきり】と聞いて主人だと思いました。
そして人柄や性格を聞いて確信に変わりました。

主人がこの日をずっと待っていてくれた事に驚きと嬉しい気持ちで胸が一杯になり、
主人が「ありがとう」と何度も何度も私に伝えてくれた事が本当に嬉しかったです。

お菓子を食べている場面では、人を驚かせたり笑わたりするのが大好きだった
主人に久しぶりに会えたようで嬉しかったです。

亡くなってからも私や子供たちを笑わせてくれるなんて、本当に主人らしいです。
食べれなくなりガリガリに痩せてしまった主人の姿を今でも思い出してしまう私に対しての、
主人の優しさからくる行動ではないかとアガサさんがおっしゃって下さって
それも又、主人らしいなと思いました。

アガサさんが伝えて下さった中に
「眠くて仕方がない。頭がスッキリしない、ボーっとした感じ」とあり、
その時は最近の私の症状かな?と思いましたが、眠気はあるけど頭はスッキリしているし、
ちょっと違和感がありました。
ふと、「もしかして」と思うことが頭に浮かびました。

主人は◯○癌で亡くなったのですが、病気が分かったのが○月半ばでした。
すでにかなり進行していましたが、手術をしてその後は仕事をしながら通院での
抗がん剤治療が始まる予定でした。

○月に入ってすぐに手術をし退院はしましたが、容態が悪化して入院しました。
入院して暫くは会話も普通に出来ていたし歩けましたが、ある日を境に眠ってばかり
になりました。
私はパートを辞めて毎日病院へ通いましたが、主人はただただ寝てばかり。
そんな主人に対して私は「せっかく来てるのに寝てばっかり!何で?」って
言ってしまったんです。
主人は「俺だって好きで寝てるわけじゃない。仕方ないやろ」と…。

目が覚める時もありましたがボーっとしていて、明らかにそれまでの主人では
ありませんでした。
もしかして脳に転移したのでは?と頭のCTも撮ってもらいましたが、
転移はしていませんでした。
結局、主人が何故そういう状態になってしまったのか医師達にも分からず
主人は亡くなるまでの○か月半の殆どをベットの上で寝て過ごしました。

アガサさんが伝えて下さった「眠くて仕方ない。ボーっとしている」とは
まさにこの時の事ではなかったのかと思います。
自分でもどうする事も出来なかったんですよね。

私は毎日病院へ行ってましたが、主人とは殆ど話すことも出来ませんでした。
癌で闘病されたご夫婦のブログを読ませていただくと、たいていは夫婦二人での
大切な時間を過ごされていて、亡くなる方は遺される家族に対しても気持ちを
伝えられていて、羨ましい気持ちがありました。

主人はどんな気持ちで自分の病気と向き合い、死を迎えたんだろう。
私と結婚して幸せだったんだろうか。
子供達への思いはどうだったんだろうか。
主人の気持ちがずっと知りたいと思っていました。

遺していく家族に何も伝えられなくて悔しかったのは主人の方ですね。
だからこそ、この日をずっと待っていてくれたんだと思います。

何度も何度も「ありがとう」と伝えてくれたのは、言いたくても言えなかった
強い思いがあったからこそだと思います。

(中略)

当日の夜に子供達に交流の話をしました。
下の娘は主人が亡くなった時はまだ◯歳だったのですが、
主人との思い出も少なく覚えていない事も多いんです。
普段もクールで主人の事で泣く事もほとんどありませんでした。

今回の交流の事も、私が「こんな機会をもらって、もしかしてお父さんに
会えるかもしれない」と話しましたが、あまり関心もなさそうで「ホンマなん?」
って感じでしたので、前日に「明日やな」とポツリと言ったのが意外でした。
当日は学校から帰ってくるなり「どうやった?」と聞かれ、長女が帰ってきて
落ち着いてから話し出しました。

次女の性格からしてなかなか信じてもらえないのではと思っていたのですが
ふと次女を見るとポロポロと涙を流していて、長女も泣いていました。
長女と次女それぞれに色々な思いがあったのだと思います。

(中略)

交流が出来、主人が亡くなって止まっていた時計が又動き出した感覚です。
『笑っていたら何とかなる』という主人の言葉を胸に、これからも
子供達と一緒に生きていきたいと思います。



- - - - -



調整時のメモで読める文字は、「 眠い 」。

あとは、何を書き留めてあるのか・・・文字というよりも、曲線。

まるで、霧やお香の煙のように交流は空気中に混ざり混み、私から

消え去っていきます。

交流を経験された方々がメールを送ってくださるおかげで、

多くの方々がどれほど救われておられるか計り知れません。

ご依頼人以外の方々から送られてくるコメントやメールには、

ご依頼人さんへの感謝の気持ちで溢れています。

互いを労り合い、感謝の気持ちが自然と芽生えることこそ、

他界との交流の恩恵だと思っています。



こちらで生きた証は、" 他への思いやり " だろうと思います。

形ある何かを残すことではなくて、無形の何かをし続けること。

有形は、いつか必ず劣化します。滅びます。持っていけない。

無形は、劣化するどころか、一層 輝きを増します。

心や精神は、永遠だろうと思います。



Kさんのご主人がご家族へ伝えられた言葉(思い)、

" 笑っていたら、何とかなる!"。

現実、生計を支えるKさんの大変さは想像に難くありません。

協力されるお嬢さん方も、そうでしょう。

欲しいと思う物も、それ以外のことも、

言葉を飲んでいらっしゃるだろうと思います。

子ども達は、お母さんを思いやり、

親は、子ども達に不憫させているだろうと思いながら。



Kさん、

お嬢さん方は、思いやり深く育っておいでです。

お父さんとの思い出が少なくたって、思い出しづらくても

心の奥深くで いつも お父さんとは繫がっておられます。

お嬢さん方の涙は、お父さんと繫がっている証。



自分達が悲しめば、お母さんを困らせると

無意識で思っておられると思います。

胸の内を話さない、話せない時期は、多くのことを育むでしょう。

じっくりお考えになっている、ということです。

時期が来れば、いつか、ぽつりぽつりとご自分から話されると思います。





" 笑っていたら、何とかなる!"

無理に笑顔を作ることだって、あります。

そういう経験を重ねて、本当の真心がわかるんじゃないかなぁ・・・

と思います。



" 笑っていたら " というのは、単に笑うというだけではなく、

視点を変えて物事を見る、心軽やかに、という意味だと思います。

一方向からだけ、物事の事象を見るのではなくて、

" 広い視点から物事を視たら、何とかなる " ということ。



ご主人らしい言葉です。
















後ろ姿で、失礼します。(笑)
年いってから、よく寝るようになりました。
起きている時は、食べ物探し。とうとう、ゴミ箱もあさるようになりました。
ので、物は「上へ上へ」と移動させ中。(笑)
叱るよりも、頭の使いよう!(私のボケ防止にも良い!)
ごんだって、悪いことしていないのに怒られたくないでしょうから!(笑)




アガサ



















Posted on 2017/05/24 Wed. 14:33 [edit]

category: 愛する人・家族との交流

thread: 心、意識、魂、生命、人間の可能性  -  janre: 心と身体

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24

おすすめの本 

欲しいなと思って、本を買う場合と

気づけば、その本に辿り着いていた・・・

という本があります。



この2冊の本は、後者の方。

すでにご存知の方々もおられるかと思いますが、

おすすめです。







フィボナッチ
イタリアの数学者レオナルド・フィボナッチ。本名は、レオナルド・ダ・ピサ。
中世で最も才能のある数学者と言われているそうです。
子どもの頃から興味のあった「数」。
幾多の苦難も、純粋な心と友人の支えで乗り越えた人。
学校の先生も含んだ、周囲の人達から「能無し」と呼ばれ続けても、(今でいうとイジメ)
心ある友人から励まされ、数に関して集中していきます。
ある日、自然あふれる中にひとり居ながらぼんやりしていたフィボナッチ。
他界した長年の友人との心の会話で " あること " に気づきます。
それは、今日、私たちの生活の至るところ、自然界に在る"素晴しいこと" だったようです。
(フィボナッチ数列は、あまりにも有名です。)

ガリレオ・ガリレイの人生もそうですが、昔の偉人が素晴しいと思えるのは、
とにかく、地道に、研究し、純粋だったこと。
周囲に惑わされることなく、真実に忠実だったこと。
(現代人には失せつつあることです。)

本に書いてあるから・・・
誰それが言ってるから・・・
多数が言うことが常識で正しいことだと言われていることでも、
鵜呑みにするのではなく、自らの実際の経験から真実を見出す心の眼です。

周囲に流されることなく、自然に沿って生きたいものです。








柴わん すみれちゃん
何度も飼い主から見捨てられた柴犬「すみれちゃん」。
もうこの画像からお察しになると思います。
人に捨てられ、人に救われ。
何度捨てられても、それでも、人を信じて生きるワンコ。
自分だったらどうか?・・・
世を捨て、人を疑って生きてもしょうがないくらいだろうなと思います。
瞳をキラキラさせるすみれちゃんから、無言の多くのことを学びます。









アガサ








Posted on 2017/05/20 Sat. 15:55 [edit]

category: おすすめ本など

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20

公平に、誰にとっても。 

" 家族との会話も空気さえも、疲れを感じ始める。

 ひっきりなしに話してくる家族。

( こちらの気持ちは、お構い無しなんだろうか・・・)

 いつしか、自分の気持ちが、固くいっぱいいっぱいになって来るのを

 感じながら 家族の話を聞く。

 申し訳ないけど、ただ 聞いているだけ。

 話は、"声"となり、声は、"音"になっていく。

 気分が落ち込みながらも、それでも 聞かなければ・・・と思う。

 この気持ちは偽善なんだろうか。

 

 家全体が息苦しく、全てから解放されたいと思うようになり、

 自分が鬱なのかとも思えた。

 こういう状態をどう呼ぼうと あてはめようと どうでもいい。

 静かなところへ 行きたい・・・。

 どんなに小さな音も、今の自分には 耳障りに聞こえる。

 まるで、全身の神経が 身体の内から外へと突出してしまったような

 そんな気さえ、する。

 ・・・大袈裟なんかじゃなくて。



 悲しくて、疲れて、何かもかもに絶望しながら

 ようやく うとうと 眠ったようだ。

 朝起きて、また、今日が始まるのかと ゲンナリする。"



強烈な疑似体験、でした。

疑似体験と見聞きされると、大したことは無さそうですか?

いいえ。そんなことはないのです。

疑似とはいえ、私自身の身と感情に起こりますから

とてもじゃないけれど、" 他人事 " とは思えないのです。



さて、当日。

朝からとても晴れていました。

5月の朝は、まだ肌寒いのですが、昼間近くになりますと

夏を思わさせるような陽射しになり、風も吹いて爽やかです。



Kさんを待ち合せ場所へとお迎えにいきました。

にこっと挨拶をしてくださるのですが、表情というのは隠せませんね。

様々な思いと疲労が見て取れました。

( 目に力がないなぁ。疲れておられるんだな・・・)

そう見て取れても、感じ取っても、いちいち、そのようなことを

言わないようにしています。

それは、人として当然持つ "思いやり" というもんですから。

何でもかんでも、びゃーびゃ喋るなんて 自分勝手です。(苦笑)



さて。

いつもなら、簡単な説明の後、静かに交流に入り込むのですが

この日は、疑似体験したことについて 先に申し上げねばならないと

思いました。

二言三言話していますと、Kさんはびっくりされて

「 まるっきり、私のことです。」とおっしゃいました。

「 そうですか。そうでしたか。リアルに私も辛かったですから 相当ですね。」

そう言いますと、鞄の中からティッシュかハンカチを出してこられて、

「 最近、すぐ、涙が外に出ちゃうもんで・・・」

と目のあたりを抑えておられたように思います。

年齢や苦労を重ねると、そうですよね、皆。

皆、そう。



その後、空気も一段落したようで、交流に入ると

若い男性が にこにこしながら、静かに来られていました。

大体の年齢(年台)と背格好、そして、お人柄や性格、

伝わってくることを話しました。



伝えることに入り込みますと、ある意味、一方的に話し続けて、

うっかり、確認をとるのを忘れてしまう時があります。

Kさんの時もそうでした。

「 おわかりになりますか? わからないですか?」

と確認しますと、おわかりになるようでしたのでそのまま続けました。



< すごく 会いたかった。>

わかりやすいリアクションは無いものの、

心からそう思われているのが伝わってきます。

そう話す青年の心に、胸いっぱいになっていた私は、

<・・・ひど・・・し・・・>

( ん? ひどし? ひろし?)

といった具合に、聴き漏らしてしまいました。

それさえも、言わないと流れさっていきます。

「 ひどし、あるいは、ひろし、というように聞こえますがわかりますか?」

「 ・・・いいえ。わかりません。」

「 わかりました。もう一度、聞き直します。」



< ひどいしうちをしてしまった。両親を苦しめてしまいました・・・>

そのまま、Kさんに伝えました。

おわかりになるようです。

心のなかで一言二言だけ会話をし、話したいことに移りました。

< 自分のせいで お父さんは苦しんでいる・・・変わってしまったんだ。>

( そんなふうに思っちゃいけないですよ。

 お父さんもお母さんも誰も、あなたのせいだと思っていませんよ。)



親の生活が変化していくと、子どもは敏感に察知します。

そして、自分のせいだと思ってしまいます。

これは、いけません。

親は子どもにそんな思いをさせては、ならないのです。

子どもには、きちんと真実を話さなければいけません。

人して尊重しながら、話すこと。

口先だけの話し方では、見抜きますからね、子どもは。(苦笑)

誤摩化しなんて効きないんですから。



どのように話したのか覚えていませんが、

息子さんは、" ある提案 " をしてくれました。



< しばらく(息子さんが)お父さんの近くに居るよ。

  そうしたら、お父さんにも伝わると思うから。

  お父さんの近くに居るからって、お母さんの近くに寄らない_

  っていうことじゃないから。

  お父さんにとっても、お母さんにとっても、それが良いようになると思う。>



「 まあ!なんて名案なんでしょう! 」

私は心の中で拍手を送っていました。

「 なんて公平な・・・公平っていう言葉で良いのかな? 平等?

 ぴったりな言葉が思いつきませんが、息子さんは基本的に人との距離を

 ある程度とられる方です。良い意味で、ですよ。

 その彼が、ご自分の領域を越えて、お父さんに近づくよって。

 きっと彼の、息子の思いやりがお父さんに届きますよ!

 偉いなぁ!息子さん!

 やっぱり、" 子は かすがい " ですね。」



「 本当に、その通りです。

 息子は、誰にでも公平でした。中立的立場でした。

 自分の気持ちを表に出すことは少なかった分、

 家族のなかで一番、大人だと思います。」

Kさんのこの思いと言葉に、しみじみしました。



印象的だったのは、Kさんが息子さんに対して

「 ありがとうございます。」と頭を下げて御礼をおっしゃっていたこと。

私自身、家族に御礼の言葉は言う習慣と心はありますが、

頭を下げての「ありがとう」は、ないかも。数えるぐらい。

Kさんを見習おうと思いました。



< お父さんに会いに行こう。>

「 ご主人に、会いに行かなきゃ。(笑)」

息子さんが私に、そう伝えて欲しいと思われたと同時に

私の口から自然にそう出てきました。



心から、自分と向き合ったのでしょう、息子さん。

努力なさったんです。

あの爽やかな笑顔は、向き合ったからこその笑顔。



こちらに居ても、あちらに居ても、同じ。

自分と向き合うことを後回しにしたり、誤摩化しては

大切なことや大切な人の心さえ、すっ飛ばしてしまう。

自分の心に目隠しをしてしまいます。



自分だけが不安なのでは、ないのです。

自分だけが可哀想なのでは、ない。

目の前にいる家族だって、辛いし、悲しいのです。

人誰しも、辛い時や悲しい時は、

自分だけが孤立してる・・・

自分だけが取り残されている・・・

自分は生きていても、しょうがない・・・

というような感情で自分を自分の感情の鎖で

ぐるぐる巻きにしてしまうものです。

誰でも そう。

誰でも そうなんですよ。

行き場のない感じ、ですね。

だけど、そう思うのは自由だと思います。

自分を祖末に思うのも、自由かもしれない。

私がここで申し上げたい、申し上げねばならないことは、

息子さんが、懸命に働きかけておられる、ということです。

このことを いつも 心の片隅に置いて頂きたいのです。

親を思っている気持ちを丁寧に扱って頂きたいのです。



それぞれが 別々に悲しんで どうするの?

お互いの肩で泣き合うことだって、時に必要ですよ。



"自分の気持ちは、自分にしかわからない。・・・"

そんなことはありません。

わかる人には、わかるんです。

わからない人には、わからないかも しれない。



我慢は、どちらか一方だけがするもんではありません。

家族だからといって、

自分のやりたい放題、言いたい放題ではいけません。

それは、単なる " 身勝手、得手勝手 " 。

家族だからこそ、大事にしてください。



息子さんは、お父さんに近づくとおっしゃいました。

親孝行です。

" 見えない" 親孝行かもしれない。

でも、私は、すっごい親孝行だと思います。



気持ちが前向きになれない時も、誰にでもあります。

自分だけが辛い状態だと ふさぎこんだり、

布団から出るのが億劫に思う時だって、ありますよ。ある!

だけど、

億劫に思えたって、子どものために、起きなさい。

辛くたって、子どものために、生きなさい。



子どものために、頑張ってる親や兄弟は

世の中にいっぱいいらっしゃるんです。



他界したって、家族じゃないですか。

見える触れられるだけが、家族ですか?



お節介かもしれない。それでもいい。

ひとりの母親として、言わせて頂きたいのです。

息子さんは、それこそ、公平に平等に

ご両親を思い、話しに来てくださったのです。



ふさぎ込んでる場合ではないですよ。

息子さんのために、少しずつ前を向こうじゃありませんか。

ええ、そうですとも。



肉体が有ろうと、脱しようと、親は親。

思いやりが有る限り、繫がっているんです。

どこにいたって、家族でしょ?

どこにいたって、家族。




5/20早朝追記:

強烈な疑似体験は、必要だったのだと思います。

必要だから(むこうから)知らされたのです。

親を想う、子の思いやり_

息子さんの思いが、心を動かしたのだと思います。

その必要があったんですよ、きっと。



人はすぐには変われない。と思います。

余程の覚悟を地道にしていかない限り。

" 変える、変わらなきゃ・・・"

そんな無理強いは、ハリボテ。(笑)

効果を先に求めると、大事なことが漏れてしまう。

効果というのは、後から自然についてくるもの。

求めたい気持ちは、逆効果に働くことも多々です。



人として大切なことを ちょっとずつ。








そう思いますよ。

私の今迄の人生経験から、そう思います。















野良愛猫ぺこ、久しぶりに登場!
ぺこは数年前に避妊手術を受けさせましたから、盛りの季節とはバイバイ。
けれども、野良雄猫は、そうはいかず。(ムムム・・・)
" 逃げるが勝ち " と言わんばかりに、夜間は隠れたりしていると思います。
こうしてのんびりと昼寝しているぺこを見ると、ほっとします。
まるで、実家に帰ってきた娘が日頃の疲れを癒しているかのように思えます。
車、バイク、自転車、人には、十分注意してな!ぺこ!
(もうぉ、ほんっとに一緒に暮らしたい。ぺこと。)



アガサ








Posted on 2017/05/19 Fri. 13:47 [edit]

category: 愛する人・家族との交流

thread: 心、意識、魂、生命、人間の可能性  -  janre: 心と身体

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そっと手を。 

毎回伺う度に、息子とアガサさんの関係が親しくなっていくように思います。笑
私がアガサさんを信頼しているように、
息子もまたアガサさんを信頼しているのだと強く感じてなりません。

桜の綺麗なこの時期は、◯年前の辛い闘病中を思い出し、いろんな思いが重なり、
心が落ち着かなくなりますが、そんな私の心の揺れを息子はちゃんとわかっていて、
息子らしい言い方で私を叱咤激励してくれました。

情けない母親で、息子にはいつもいつも同じことを言わせてしまってるなぁ…と。
それでも息子はきっとわかってくれてる…そう思います。

息子の存在を信じたいと思いながら、信じきれていない私の気持ちを息子はわかっていて、
自分は生きてる…今もいるんだよ…
そう強く訴えてくれた息子の「わかってくれよぉ~」「アガサさんからも言ってやってくれ」
と言わんばかりの思いが伝わってくるようでした。笑

その言葉がすべてです。
それを聞けただけで充分…。
それが知りたかったこと。
ありがとう

…息子の言葉を伝えてくださったアガサさんと、
何とかしてそのことを私に伝えようとしてくれた息子に感謝です。

息子の◯に対する言動には笑えましたね。
小さいときから可愛くて仕方ないといった感じでしたから…
お互い年頃になり、気恥ずかしい気持ちもあるんでしょうが、妹思いの息子は健在でした。笑
悪いムシがつかないように、私も監視しておきます。笑笑

今日は久しぶりに娘も交えた交流で、いつもとはまた違った思いで帰ってきました。



- - - - -



この日の朝、いつものように交流時間とご依頼人さんのお名前を

再確認するために机に向かっていました。

すると、私の足首のあたりを " こちょこちょ" 。

足下を見ますと、小さな可愛い動物が来てくれていました。

( わぁ〜、可愛い! ハムちゃんだ。)

好きなようにさせておくと、段々と脚の方によじ登ろうとして

爪を起てて、" カリカリ " しはじめました。

( 小さな爪でおねだりしてるんだねぇ〜! 笑)

本当に、可愛い。

動物たちの可愛い訪れは、手放しに嬉しいもんです。



アガサ部屋のドア付近にふと気配がありました。

視線を向けると、青年が私の方に来てくださっていました。

ハムちゃんは、いつのまにか青年の方に行き、

彼はとても可愛がっているように思えました。

人が動物を可愛がり慈しむ姿と心は、

その場をとても居心地良くしてくれるように思います。

しばらく、彼らの居心地良い空気に ほっこりしていました。



< その時、静かなもんだった。>

ハムちゃんが好きに動けるようにしながら、青年は穏やかに話してくれました。

( その時、というのは・・・)

ふふっと笑いながら、" わかるでしょ " と心で通い合い、

( あぁ、" その時 " ですね。わかりました。)

と頷きました。



< 何回言ってもわかんないんだなぁ〜!(笑)>

お母さんが話しかけてくれていることへの返事、

お母さんに話している時のことを笑いながら言いました。

( それは、誰しも同じですよ。誰だって、すべてを聴き取ることは無理ですよ。笑)

< まぁ〜ね >

青年との他愛もない会話は、とても落ち着きます。



< お母さんが眠ってる時・・・>

( はい )

< そっと 手を握ってあげてる。>

( そうでしたか。)

< いつもじゃないけどね!>

照れくさい顔を見られないようにして、くくくっと笑う彼に

優しさと、彼自身の成長ぶりといいますか、

落ち着いた様子に さらに安心を重ねられました。



お互いにしばらく話さなかったのですが、

青年は思い出したように、話し始めました。

< あなた(私)は、(自分が)生きているって信じてくれてる。>

そのことがとても嬉しいようでした。
( ア:他界すると人の本心が通じます。わかります。)


彼の気持ちは、とてもよくわかります。

同時に、親心も わかります。

どんなに青年の気持ちがわかっても、越えられないものがあります。

私は、彼を産み育てた母ではないからです。

親としての気持ち、母としての気持ちが、言葉を飲んでしまうこともあります。





親は、信じたい一心です。

信じれる、信じてる、信じたい・・・

その時その時の気持ちの状態によって、複雑になります。

信じていても、自分が気弱になったり、

何か不安なことがあったり、

気持ちが揺れている時には、普段、信じていることさえ

自分の妄想ではないか ・・・

信じようと無理をしているのではないか・・・

信じている自分を演じようとしているんじゃないか・・・

様々な気持ちの波が押し寄せてきます。



青年の素直な気持ちを十分に受け止めてから こう返事しました。

( 親は、誰でもそうですよ。

 子どもがどんなに大きくなったって、

 どこかで心配をしてしまうものです。

 嬉しいと言っては、泣き、

 心配だと言っては、陰で泣き、

 代わってやれれば良かったと思っては 自分を責めるんです。

 それが親だと思うんですよ、私。

 あなたのご家族みんな、あなたのことを心から思っておいでです。

 他のご家族も、そう。

 みんな、そうなんですよ。

 それが家族ってもんです。)





交流年数を重ねれば重ねる程、私のなかで自問が増えます。

 どういうのが交流なのか?

 何のための交流なのか?

いつも いつも 考えます。



とってつけたこと、上っ面なことが大嫌いな私は、

霊媒だという名称さえ、嫌気がさす時もあります。

その文字を目にすることさえ、とってつけたように思えます。

気持ちや心が届いても、どれほどの信憑性があるのか、

私の身に起きることで判断出来ても、

やっぱり、ご依頼人さんが

「 家族らしいなぁ・・・」

「 あの人らしい 」

「 あいつがそこに居るみたいだ 」

というようにお感じになって、心が温かくなるのが

真の交流だと思っています。



伝え手だけで成り立つものではないと、

ご依頼を頂くすべての方々に申し上げています。

話される内容の数が、すべてではないのです。

" 家族らしさ "

その人らしさを心で感じれるかどうか。

そのことに気づいてあげれるかどうか。

つまりは、

認めてあげれるかどうか。

これだろうと思います。



心で認めてあげれることがあって、

はじめて こうした交流というのは成り立っていくし、

三方の心の交流が深みを増していきます。



そういう意味では、万人に受ける霊媒や交流というのは

無いのかもしれない。



飾り気のない、実直な交流が 私の交流の特徴だろうと思います。

派手さはありません。

普段のままの " その人らしさ " を私は心から歓迎するのです。






ハムちゃんは、お母さんが子どもの頃に飼っていたそうです。

息子さんは、ハムちゃんがやりたいように・・・

肩にのったり、頭によじのぼったりと好きなようにさせていました。





Yさん、

息子さんは、ハムちゃんを大事な家族のように、

小さな友達のように、

そっと肩に乗せていましたよ。



おかげで、安らぎに包まれて、私も交流に入り込めました。

有難うございます。
















先日、お越し頂いた方から頂いたわんちゃん用のお菓子。
固いパンのような、乾パンのような香りでした。
うっかり、家族に渡してしまいました。
案の定、" 待て " 。(笑)
私には、無理!
「良かったねぇ!美味しいよ!」とすぐにあげますから。(大笑)
この後は、よだれが泡になるほど、頑張り続けて、ようやく食べれたゴンでした。
( わんこも大変ですな!)





アガサ










Posted on 2017/05/16 Tue. 14:30 [edit]

category: 愛する人・家族との交流

thread: 心、意識、魂、生命、人間の可能性  -  janre: 心と身体

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周囲がどうであれ 

家族の他界を経験されますと、ほとんどの方は、

ご自分を責められます。

他界との交流をさせて頂いている私が申し上げたいのは、

あまり、ご自分を責めない方が善いと思います。



自分を責めたところで、どうなりますか?

というより、

自分が他界したことを

家族が家族自身のせいだと責めている姿を見るのは

とても辛いと思うのです。



例えば、私が他界したとします。

私の家族が、ずっと自分を責め続けている姿や胸の内を

感じ続けるのは やっぱり辛い。

何とかしてあげたい、元気づけたいと願っても、

どうすればいいのだろうと思ってしまいます。

傍によりそったり、励ましや感謝の気持ちを空気に混ぜ込むしか

無いなと思いながらも、感情で揺れている家族には伝わりにくい。

自分が傍に居ることをわかってもらえなくても、です。

きっと、これを読んでくださっている皆さんもそうだと思います。



内省すること、反省することは、とても大切。

でも、内省して終わり、反省して終わり、では同じことの繰返し。

内省したり反省したのなら、

実際の行動へと少しでも繋いでいくこと。

そうは言っても、なかなか、人間の習慣や考え癖というのは

年を重ねれば重ねるほど、改め難いものも あります。



失って初めて、私たちは気づきます。

" ああだった・・・"

" こうだった・・・"

" もっと ああすれば良かった・・・"

" あの時、ああすれば今は変わっていたんじゃないか・・・"

いろいろなことを思います。

どんなに思い返しても、キリがありません。



懸命に励まそうと、" ご家族 " や " 愛しい人 " が思われています。

自分を責め続けている家族や愛しい人を何とか、励ましたい。

今までのように・・・とはいかなくても、

何とか元気づけたい_

彼らのこうした気持ちをわかって頂きたいと思います。

ご自分を責め続けているあなたが、

身を案じておられる"ご家族"や"愛しい人"の気持ちを、です。



悲しむな、というのではありません。

誤解なさいませんように。



世の中が便利になればなるほど、

私たち 人の心は、弱く、脆くなってきました。

便利な生活に慣れるもんですから、

不都合なことというのは、自分に直接関係ない限り、

どこか遠いところ、他人事のように思えてしまいます。

便利で、健康で、というのが普通で当たり前で、

都合の悪いことや悲しい事が起こることなど

考えもせずに生きてしまうのです。



ですから、不安定な状況や状態になると、

思いもよらないほど、精神的に辛く、

神経がボロボロになってしまうのです。



そこで 一呼吸。

物事は、考えようです。



自分の心の軸、精神というのをそういう時こそ、確認するのです。

気持ちや心がぶれそうになったり、弱ってきたように思えたら、

自分を気の毒に思うのではなく、自分の " 軸 " を立て直すこと。

これを普段から、日常生活に取り入れること。

お風呂やシャワーは、身体の疲れや汚れをメンテナンスします。

心の疲れや汚れは? そのメンテナンスは?

見えないことは、なかなか、" 手つかず " ですね。私たち。(苦笑)





自分軸を立て直すには、どうすればいいか?

私の場合は、心を鎮める時間を持ちます。

5分でも良い。

トイレで用を足してる時間でも十分です。

一呼吸、することは意外にも大切。





周囲がどうであれ、自分は自分。

自分の感情がどんなに揺れても、

感情に惑わされても最小限に、くい止めるのは、

誰でもない「自分」で、

他でもない「思いやり(感謝)」の気持ち。



自分を責めても大丈夫。

そして、責めたり、悲しいにだけに留まらず、必ず、活かすこと。

困っている人や動物たちに、心からの手を差し伸べること。

少しでも良い。ちょっとでも良い。

出来る範囲で、無理のない範囲で。



人として、誠実に生きること。

周囲がどうこう言おうと思おうと、

言わせておけばいいし、思わせておけばいいのです。

人様のことばかり批判非難する人ほど、

気の毒な毎日はアリマセン。勿体ないですよね。

ほっといたら善いのです。

構うことはありません。

あなたは、人として誠実に生きることに集中すること。



誠実に生きることをひたむきに努め続けていれば、

自分軸がブレてしまうことは、そうはありません。

ブレたとしても、自分で気づいて、自分で修正出来ます。



周囲がどうこう、と思えるうちは、

自分の心が定まっていないということ。

まぁ、人生、ぼちぼちです。



朗らかに、譲り合って、思いやりあって

生きていこうじゃ ありませんか!

ねぇ。(笑)










5/19加筆









ツツジが満開の頃、豪華なツツジの横に咲いていた可愛いお花。




GWに開催された、湘南国際村フェスティバルに行ってきました。
地元の中学生の方々の吹奏楽演奏に感動し、
事前申込が必要な大学生の方々によるイベントに大笑い。
とにかく、大笑いと感心の連続でした。





山の上にある湘南国際村には、大学や企業の研究機関もあります。
広々とした場所で、空が少し近いように思えて、何とものんびり出来ました。



アガサ








Posted on 2017/05/15 Mon. 09:32 [edit]

category: 日常

thread: 心、意識、魂、生命、人間の可能性  -  janre: 心と身体

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ひとりひとり、共に歩む同志。 

良いお天気が続いているGW。

いかがお過ごしでしょうか?



先日、ご家族の他界をご経験なさった方々の会にお招き頂きました。

会場は、あるお寺さん。

お掃除も空気も、行き届いたお寺さんでした。



建物や敷地といった空間は、そこに住んでいる方の心や精神が

感じられますね。

お寺、神社、教会といったところだからといって、全てが全て、

清々しい気持ちになる・・・というわけではありません。

" 人と、成り " が、やっぱり影響されるのだと、あらためて実感しました。



極度の方向音痴な私は、出張の場合には、迷う時間も見込んで

自宅を出発します。(本当に酷いんです。)

このことをご存知だったかどうかはわかりませんが、

電車の時間や乗り継ぎまでご連絡くださいました。

幹事の方々が細やかな気配りと準備は、私も含め、

ご参加される皆さん全員に及んでいました。



幹事の方々も、深い悲しみを経験された方々です。

悲しみに浸り続けるご自分からその時だけでも逸脱され、

家族を亡くした方々のことを思い、気遣っておられました。

名前も住む場所も一切聞かない、尋ねない、人様のために動く_

その原動力になっているのは、" 思いやり " だと思います。

ご自分達も深い悲しみと辛さを経験されているなかにあって

" 人様のために " と細やかに動かれるその姿は、

本当にキビキビとなさっていました。

私が会場に到着した時、忙しく動き回れる幹事の方々の姿を

目にした時、まるで、旅館の裏側のようでした。



本当にお忙しい彼女たちの邪魔にならないようにと控え室で

考えてきた談話の紙を眺めることにしました。

( 準備しても、その時になると話の内容が変化するもんな・・・)

まぁ、それは致し方ありません。

成るようにしか、成らないのですから。



時間になり、会場へと向かいました。

約30名程の方々がご参加くださっていました。

(でも、もっとぎゅうぎゅうでした。)



1時間半の持ち時間は、あっという間。

お話の最後の方では、ご参加くださっている方々の

"ご家族の皆さん"のお気持ちも相まって、感極まりました。

途中、私自身が話せる状態になるまで、数秒、時間が必要な時も

何度かありました。



霊媒という者自体をご存知ない方々もおられる_

それで自然だと私は思っています。

家族の他界がこんなに辛く、悲しく、寂しいものだとは

思わなかった方々を目の前にして、

「 あちらの世界ではね・・・」

と、知ったかぶりをするような、空気を読まない身勝手極まりない振舞い、

軽口をたたくような、"人で無し"のようなことは言えない、言わないです。

普通の神経ならば。

かといって、慰めることを目的とすると慇懃無礼的になると思っています。



慰める、救う、癒す、などということは、

誰かにやってもらうことではないと思います。

それは、自然に起こること。

意図的にやって、出来ることではありません。



持ち時間が終わったあと、会場の空気は明らかに変わっていました。

にこやかな、自然な笑顔に変わり、

おひとりおひとりの周りの空気が、柔らかさを帯びていました。



詳しくは知らないのですが、

この方がキッカケで「◯◯○会」が発足されたようです。

その方からのメールの一部を掲載させて頂きます。



- - - - -

(略)

ご感想を数多く頂きましたので、ご紹介いたしますね!

●日々の生活を改めて考えさせられ反省もしました。これからは、楽しみを共有しながら生きたいです。

●会場は参加者だけでなく、愛する方々も一緒にいて、皆で話を聞いていたような気がします。

●ツナグお手伝いをしてくれる方がいらっしゃると知り、支えが出来ました。

●心の持ちようについて深く考える機会を与えて頂きました。

初参加の方も、毎回参加してくださる方も、笑顔で帰られたのが印象的でした。

(中略)

皆さんとのお出会いは、「家族の死」という悲しい出来事がきっかけでしたが、私はこう思うんです。
ご縁がある人とは、きっかけがどうであれ、いつかは出会える運命だったと。
それがたまたま、「家族の死」だったというだけのこと。
そうでなければ、平凡な私の周囲に、同時期に、あれだけの素晴らしい同志の皆さんが
集まるなんて、考えられません。
皆さんと出会うことは、ずっと前から決まっていたことだと。
家族達があちらの世界で出会うことも、ずっと前から決まっていたことだと思うんです。

(略)

- - - - -



こうした集まりというのは、いつしか、問題が出て来るのが常。

人が群れれば、やがて、小さなグループが出来ます。

人が群れると、様々な人間模様は、避けて通れないのかも。

そこには、欲が絡むからだろうと思います。



ところが、「◯○○会」は、例外だろうと思えます。

"お名前、お住まい、ご事情を聞かない。

集まった人達は、同志。

限られた時間、泣いたり、笑ったりして、話すだけ。

ただ、それだけなんです。"

というようなことを聞いたように思います。



多くを聞く必要が無い、のです。

根掘り葉掘り、聞く必要など ありません。

存在を大切にしたいし、思いを大切にしたいから。



雨の日もあれば、晴れの日もあるし

嵐の日もあれば、穏やかな日もあります。

人生って そういうもんですよね。

毎日って そういうもんだと思います。



人間、良い時には、何にもわからないんですよ。

困ったり、辛い目にあって 初めて、いろんなことが見えてくるって

そう思っています。

自分の人生経験から、そう実感しています。



霊媒だからって、あちらや何とかの話ばっかりしてるようじゃぁ、

ねぇ。(大笑)



辛くても、

悲しくても、

嬉しくても、

楽しくても、

いつも " 人と成り " で在り続けたいと思います。








◯○○会の皆様、有難うございました。

また、いつの日か。










5/9追記:
ご参加費の一部を下記団体様へ寄付致しましたことをご報告致します。
シャイン・オン!キッズ様「ファシリティドッグ」プログラムへ





愛犬の散歩道に咲いているお花たち。
このお花は、野花ではない、、、と思うんですが。
畑をされている方が種を蒔かれたんじゃないかなぁ?
5月になり、新緑がとても美しいですね。
緑、黄緑が無限にあるかのように思えます。
有難いですね。



アガサ









Posted on 2017/05/04 Thu. 15:52 [edit]

category: 思うこと

thread: 心、意識、魂、生命、人間の可能性  -  janre: 心と身体

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