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愛しい家族、愛しい人との対話 _ 静かで 心穏やかなひととき

他界された愛しいご家族や方々との対話回想、思うところを書いています。

突然の、見知らぬ人からのメール 

ご相談を頂くなかに このようなお話があります。



<頂いたメール> - - - - -

ブログ等を通して、コメントやメールを頂きます。

その内容に一喜一憂します。どう思われますか?



<補足> - - - - -

ブログを書かれている方のところに、

そのブログを読まれている方から、あるいは、

その方のご事情をある程度ご存知の方から、

突然、

「 あなたのご家族からメッセージがありました。」

などというようなことを言われる_

ということです。

言われる側としては、もちろん、動揺しますよね。

キツいことです。



<ご返信> - - - - -

冷静に判断するならば、

その連絡くださった(書かれた)内容が、

" すでに、ブログで書かれている内容かどうか?"

" 相手の方にお話になった内容かどうか?" です。

ブログにも書いていない、何も話していないこと、かつ、

ご本人にだけわかることが書かれている、言われるのならば、

伝えの可能性は高いだろうと思えます。



私が判断する時のもうひとつに、

" 必要なことかどうか?"

" 緊急を要することかどうか?"

です。



こうしたことは、とても微妙なことです。

聞かされる側、言われる側も、

ご自分の判断を鈍らせてはなりません。

" 嬉しいけど、突然、なんだろう・・・どうして?"

って思うと思います。

その感性を大事にされたらいいと思います。



例えば、

私がどなたかのブログを読んでいたとします。

そして、

その方のご家族を夢で見たり、声を聞いたり、存在を感じたりと

そういうことが起こったとします。

私なら、ご本人に、それを申し上げません。

伝えません。

こういうことについては、

まず 自分を疑わねばなりません。

" 声 " や " 気持ち " が届いたのではなく、

自分の関心事が夢に出てしまった・・・

夢に出るほど、興味を持ってしまっているのではないか?

ということです。



文章を読んでいることで意識していなくても、

繰返し読むことで、それは脳に刻み込まれます。

無意識の下で。



別の面からも考えますと、

イタヅラをする存在(思念というか思い)は確かに在ります。

それが愛しい人をご家族を模倣する可能性も、大いにあります。

こうした " 危険 " も常に考えねばなりません。



" 伝わったから、伝える。"

こんな失礼なことはありません。

そこにあるのは「自分の欲」です。

そこには「相手の気持ち」が不在です。無視されています。



伝えることで相手の方がどう思われるか、

どうお感じになるか、です。

悲しみと辛さを経験なさった方々の動揺は、

想像を越えるものです。

目にみえないことを伝える、言うというのは、

言葉を発した後の「 影響 」を考えて、普通です。

相手の気持ちを想像して行動して、普通です。

それが相手に対する礼儀であり、本物の思いやり。



念押し、しますよ。

" 伝わったから、伝える。"

これには、危険が伴います。



" 頼まれていないことをして、感謝される。"

家のお手伝いをして、喜ばれることはとても嬉しいです。

誰でも、

感謝されれば、良い気分になります。

ただし、

目にみえないことに関しては、微妙で繊細です。

この場合、人間というのは「 欲 」が出て来ます。

そうして、

世間一般に多くおられる、

言いっぱなし、あるいは、

誰に対してもあてはまるようなことを

あちらからの伝言として伝える霊能者や霊媒や何とか、

自分には霊感があるとひそかに思っていたものが、

より強い願望へと豹変して育っていきます。



発端は全く普通であり、悪気は無いのでしょうが、

こうしたことに興味を持ち出しますと、

今迄の自分が感じなかった、自分の中にある欲が膨らみます。

自分のそうした感情を常に抑制し続ける理性を

育み続けることの方に関心を持たれた方が善いです。

人に害を与えずに済みます。



興味をもち、

憧れに変わり、

欲のままに行かれる方々は後を絶ちません。

それは、きっと、

人間誰しも持っている「 特別意識(憧れも含みます)」

をくすぐられるからだろうと思います。



私にも、そのようなメールやコメントが届いたりしますが、

頂いた文章を冷静にみつめて、その判断をつけます。

少しでもそっち系のニオイがした時には、

感謝を込めて、お返事はしないようにしています。

リアクションをすることで、

相手の方が間違った方向に行かれる可能性があります。

これは、感謝をしないこととは違います。



" 何を勇気となすか "

" 何を真実と見なすか "



自分の感情との見つめ合いのように思います。

私も日々、自分の感情と向き合い、

ご依頼を引き受けた時には、自分ではない方々の感情を取り込み、

日々、、、こういってはいけませんが、葛藤と闘いです。

責任があるから、です。



ブログを書きますと、様々なことがあります。

不特定多数の人々の目に触れるというのは、

嬉しいことや素晴しいご縁がある反面、

さまざまな発言や感情が届きます。



交流というのは、

「 ご家族の思い ≠ ご家族からの"言葉"がある 」です。

言葉や伝言がないことは、寂しいこと、見守ってくれてない、

忘れられている・・・そういうことにはなりません。

言葉にならない思いがあることを、ご存知と思います。

そのような意味です。

深い思いというのは、長ったらしい文章ではありません。



心揺れる時もあるでしょう。

悲しい時もあるでしょう。

けれども、

心をしっかり持つこと。

いろんなことを言ってくる人達は、世の中に多くいます。

何を自分に取り入れるか、です。



言葉数が過ぎました。(笑)

あちらからの思いや言葉は、とてもシンプルです。



愛にあふれた言葉は、多くの単語では綴られません。

本当に、とてもシンプルです。



- - - - -



あなたの心が穏やかになれば、と思います。




そして。

伝える、ということは想像を絶する責任と重圧が

伝え手に " 四六時中 " のしかかります。

それに耐えられない、耐えたくないから、

自分本位になってゆかれるのです。



" 伝えられたから 言う。"

これは、その内容と後の影響を考えて言わねばなりません。

好き放題言う今の時代は、

どれだけ人の心を傷つけているかは、

昨今のニュースで うんざりするほどですね。



発した言葉には、責任があり、

発する言葉には、人柄が醸し出されます。

口にする言葉は、気をつけねば。



真の思いやりを携えたいものです。














アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~

Posted on 2016/08/29 Mon. 21:11 [edit]

category: 頂いたメールへのお返事

thread: 心、意識、魂、生命、人間の可能性  -  janre: 心と身体

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29

夢に出にくい? 

頂いたメールです。

全く同じ、ということは無いと思いますが、

似たようなお気持ちをお持ちに方に、勇気を奮って頂きたく

やりとりを掲載致します。



<頂いたメール> - - - - -

おはようございます。
いつも、ブログ拝見させていただいています。
(中略)

今日は突然のメール申し訳ありません。
こんなこと、アガサさんにお聞きしてもご迷惑かなって思ったのですが
他に話す人さえいないものですから。
もし、答えるに値することさえないようでしたら
お返事は全く気にされないでください。

実は、○月にアガサさんにスカイプでお願いしてから
2度ほど○が夢にでてきてくれたようなのです。
でも、夢の中で私は○を認識 しているはずなのになぜか○ではないのです。
顔が、○だとわからないのです。

ただの流れの中の夢であるだけで○がでてきてくれてないだけの
普通の夢ならそれはそれで仕方ないって思いますが、
私のせいで○がでてこられないんじゃないかって思ったり
私は親としても人としても欠陥があるんじゃないかって落ち込んでいます。

私はまだ言えない言葉があります。
○くなって、
向こうへいって、
○んだ、など
他にもありますが言葉にするのはもちろん文字にすることもできないでいます。
頭ではわかっています。
でももしかしたら、心のどこかでそうじゃない、
見えないけどいるんだからって
その現実を受け止めていないんじゃないかって考えることがあります。
自分で文字にしたり言ったりするとその現実が目の前に現れて
心が壊れてしまいそうなのです。
その言葉で○の今を表したくないだけかもしれません。

情けないって思います。
やはり夢にしっかりでてきてもらえないのは私の心のせいなのでしょうか?
どんなに哀しくても苦しくても前向きにひたすら頑張ってらっしゃる方々に比べたら、
いえ、比べるのもおこがましいほどどうしようもない親なんだって思います。
他にも私のような人っておられましたか?
○はそれで苦しんでないでしょうか?

ごめんなさい。
どうしてもお聞きしてみたくて失礼を承知で メールさせていただきました。





<ご返信> - - - - -

(略)

夢はご存知のとおり、
自分の心(感情)や様々な意識、記憶などがごちゃ混ぜになります。

夢を見る側の心の有り様のせいで家族が出て来れない、
出にくいというのはないと考えています。
薄情に聞こえるかもしれませんが、家族といえども、
ひとりひとりの人生があり、存在(魂)です。

自分の何かのせいで、家族やご先祖に迷惑をかける_
というようなことは日本古くから残る迷信のひとつです。
家族であっても、存在は別。

例えば、
ある人が犯罪をおかしたからといって、ご先祖さんの生活が暗転する、
ということはありません。
良識で考えても、おかしなことです。

夢に出てこれないのは、
誰々のせいです、とか
その状態はご家族が苦しい(暗いとこなど)状態にいらっしゃいます、とか
口達者なことを言う霊能者や霊媒、占い師、ヒーラー、
そういう活動をされてなくても、自分から「霊感がある」等とおっしゃる方々は
わんさかといるだろうと思います。
大抵は、不安や恐怖を与える言動と自分を特別扱いしたい感情から発するものです。

さらに、
「 浄霊の必要がある 」とおっしゃるでしょうし、
「 これが必要 」と物品などをすすめられるでしょう。
悪徳霊感商法というのは、人の感情につけ込んだものです。

全ては良識で考えればわかることです。
冷静で在ること。
何かで判断しようとしないこと。

夢で家族と会える、ということは意外にも少ないと思えます。
私は見ない方です。
( 気持ちとは裏腹にほとんど見ませんでした。)

見ないことが、縁が薄いと思いませんし、
見ることが、縁や絆が強い、とも思えません。
この判別は、私たちがすべきことではないと思っています。
個性のひとつ、と考えた方が善いと思います。

私には、ずっと会いたいと願っていた家族がいます。
夢に出て来ない期間は、7、8年程だったと思います。
初めて夢にあらわれたとぼんやりと思えたのは、強烈でも印象的でも
普通とは違う夢・・・とも思いませんでした。
さらっとしていて、そう言えば見たような気がする・・・という感じでした。
出ずっぱりではなく、一瞬の現れでした。
以降、家族は夢には出てきません。
それで良いのだと思っています。
家族と自分を信じています。
というよりも、それが自然なんだと思っています。

言葉に出来ない、写真を見れない、という方々は多くおられます。
いづれにしましても、無理はしないということです。

現実というのは、何が現実かは人によって違います。
正しいということも、そうですね。
人によって「正しさ」は違います。
時代によっても「正しい」ことは違ってきます。

夢で現れること、あらわれないこと、
他のことも含めて、
家族を人が、家族を苦しめているはずはありません。

人の感情というのは、まったく厄介なのです。
私もそれは日々、痛感しています。
自分はなんて臆病者だろう、怠け者だろう、なんとかだろうって。
けれども、そう思い続けていても、なんのためにもなりませんし、
誰の役にも立ちません。
ばかばかしい感情です。
( こんな考え、や〜めたっと!)と心で思います。
そんな感情に飽き飽きです。

大きなことなど出来なくても、毎日、掃除したりご飯を作ったり、
些細なことの連続、マンネリな日々のなかで、互いに助け合い、
支え合って生きていくことが、すべてに繫がるんじゃないかと思っています。

○さんが苦しんでおられるわけがありません。

夢で見ることは、自分の感情(怖れや欲望など)が反映したものがあります。

大丈夫ですよ。




<上記へのご返信メール> - - - - -

(略)

言葉にできないこと、現実と向き合っていないのではということは
私にとって心の重圧になっていました。
夢のこと、理路整然とお話しくださったことは私にとって
目の前に霧があることを教えられ初めてわかったようなそんなハッとすることでした。

やみくもになぐさめられそんなことないよって
例え本心から言われても きっと私はまた暗闇から抜けられなかったでしょう。

そっかそうだよねって素直に考えることができました。
思うだけではなく考えることができました。
 
>現実は、何が現実か人によって違う、正しさもそう。

>無理はしない

この言葉は私にすんなり入ってきました。
優しさと一緒に入ってきました。

現実と向き合わなくては前に進まない
絶対そう言われるって思っていたんでしょうね、
実際周りからもそう言われることがあるので。

定石の言葉って正義を振りかざしているようで
素直になれないあまのじゃくな私ですが
それすらもあっけなく吹き飛ばしてくれました。

アガサさんも大事な人の夢をあまり見ないって意外でした。

ということは私の心が腐っているからだけではないのかも
と、ちょっと安心しました。

私が○のところへ行くその日まで、
もしかしたら言葉にできないことが続くかもしれませんが
それでも無理はしない、言えるようになるのかどうかわかりませんが
他の親御さんと比べないで
私は私のままでこのままでいることもありだよって言えそうです。

ちょっと安心しました。

- - - - -



私たちは一生をかけて、

自分の心のなかに沸々と湧いて来る感情_

不安、嫉妬 というものを

潰していくのではなく、

闘うのではなく、

日常生活を通して 心の偏りを均等にしていけるよう

心掛けていくのだと思います。



" 心しなやかに "



感情のどんな台風が来ようと、

竜巻が来ようとも、

冷静さ(理性)を腹にぐっと携えて

日常を生きていくこと。

これは 簡単なことではありません。



けど、

それしか出来ないし、それが人として大事だと思います。












ゆで用の落花生だそうです。
落花生の育ち方は、本当に「落花生」だそうです。
私はこの目で成長を見ていませんが、家族は感心していました。
収穫された姿を見ますと、(めっちゃ、地味や)と思いました。
枝豆よりもさらに地味なんです。
種からそれぞれの姿になっていくことは、それだけでスゴい。
ちゃんとこうして、落花生の姿形になるのですもんねぇ。
わが家では、食べる野菜の実の中にある種を残し、
手間と日間をかけて乾燥させたりしています。
その種から、、、こぉ〜んなちっちゃな種から、野菜に育つんだと
びっくりします。
売られているほとんどの種は、種を植えても育ちません。
そういうように人工的に作られている種、だからです。
丈夫に育つように(手間がかからないように)、美味しくなるよう
人工操作されています。
その代わり、毎年毎年、種を買わねばなりません。
家族は、そうではない自然な種(固定種)で野菜作りをしています。
見た目や味は、人工的な種には劣りますがとても素朴な雰囲気です。
こんなことは、いままで全く知りませんでした。


「当たり前のことだ」で済ませると、味気ない無感動な人格が育ち、
横道それますと犯罪に至る可能性と成ります。

世の中のことは、当たり前のことばかり。
けど、
良いこと、助かること、生きることに、
何一つ「あたりまえ」のことって無いと思います。

茹でた落花生。
美味しかったですよ!ほんと。
私はお酒類は飲みませんが、
ビールが好きな人は、好きだと思います。



Posted on 2016/08/24 Wed. 10:04 [edit]

category: 頂いたメールへのお返事

thread: 心、意識、魂、生命、人間の可能性  -  janre: 心と身体

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24

お元気ですか? 

夏休みも残り10日程になりました。

激しいお天気が増えてきましたが、お元気ですか?



私は、どのように過ごしているかと申しますと、

家事の隙間の余暇に、やりたかったことをしています。

やりたかったこととは、家の中の大掃除、読書など。

窓のサッシを外して磨いたり、

目についたところを掃除したり。

家も古くなってきますと一層のメンテナンスが必要ですね。

新しいうちは、どう見たって綺麗なんで掃除しやすい。

古くなってくると、ちょっとやそっとの掃除量では

頭でイメージしているように綺麗にならないのです。

掃除をしていていつも思うんですが、

( たまの大掃除より、毎日の"ちょい掃除"だね。)

って。(笑)

賃貸という気楽さがあるにせよ、

掃除するっていうのは、手を入れて掃除するから、

手入れする、ってことですね。

箱ものの家(house)と自分との距離が短くなるような・・・

気がします。

家の外の掃除は、早朝にやってしまいます。

朝6時半近くになりますと虫たち、

特に蜂たちが活動を始めますからね〜。用心ですよ。

葉山は自然豊かです。

夏シーズンは、虫の季節。

「 自然が豊か = 虫が多い、しかも、大きい。」

蛇も出ます。

バイクや車の騒音も、それはそれは酷いもんです。(苦笑)

まぁ、随分と鍛えられました。



アガサ部屋のそこいらじゅうに、読みたかった本が

いつのまにかそびえたっています。

思う時に、読みたいと思う種類の本を続きから読む_

なんて贅沢な時間だろうと思いながら読んでいます。



9月いっぱいは、残暑。

10月に入っても台風がやって来たりもします。

今も台風が数個、同時期。

やっぱり今年は、というか、年々気象状況がおかしくなってますね。

普段からの備えと意識が一層必要になってきました。



9月1日から、ご依頼が始まります。

健康に留意して、地道に地味に生きていきたいと思っています。








夏休み、唯一、子どもの希望を実現しました。
彼の好きな横須賀美術館。ここの美術館は、本当にセンスが良いです。
建物も素晴しいし、周囲の景色もすごく良いです。




これは、美術館の方向を向いて撮りました。



ある日の夕方近くに、子どもの散策にお供しました。
「あ!○○○みたい!」と子どもが撮影。なんだっけな、ジブリの・・・
あ!思い出した!龍の巣。竜だっけ?とにかく、それに似ているようです。
見てるだけで暑くなりそうですが、雲も勉強になります。




ある日、突然、ご近所さんからお電話。
タッチの差で電話に出れなかったので、私から電話しました。
「虹!大きな虹が出てるんですよ!」という声を聞きながら外へ。
「あ〜、ほんとだぁ〜。あ、ダブルレインボウだ。」とか何とか。
こういう電話は、すごく嬉しいです。




近所の神社散策途中に子どもが撮った写真。
宿題でもなく、何でもないのに、スケッチと写真を撮る子ども。
そのスケッチは置いておくかと思いきや、ポイッですよ、ポイっ。(笑)
子どもって面白いですね。



プランターのメロンを収穫してくれました。
洗って、切って、分けてくれました。
さあ!食べたら・・・う〜ん、確かにメロンの味は する。
かすか〜に、メロン味。(笑)
経験だ、経験。




畑にいた、玉虫(で、合ってるのかな?)を連れて帰ってきてくれました。
ピカピカしてて、本当に「玉虫色」。
これが自然の色か・・・とため息が出るほどの極彩色。
いやぁ〜、自然ってスゴいですね。
このあと、すぐに放してやりました。
虫を触れる子どもや男性が少ないと聞きます。
子どもの頃に、お母さんから「触ったら駄目だよ。」とか「汚い」とかって
言われるのかなぁ〜。。。





家族が子どもに買ったシリーズ「ゲド戦記」。
私はてっきり、戦争もんだろうと思い込んでいました。
先日何気なく、「どこまで読んだの?」と聞いた返事が、本のあらすじでした。
「え?ファンタジー?」。
最近の、夜眠る前のお楽しみ本です。私は、このシリーズ。
子どもは三国志。
時間にして30分程ですが、至福です。




英語の先生が、約一ヶ月半の夏休みに入られる前に、サプライズで頂きました。
(ぶ、分厚いんですけど・・・)
彼女が休んでいる間に、読み切らねば・・・。
帰り際、玄関外で「会えないのは寂しいわー。」とおっしゃって、肩ハグ。
内心(一ヶ月半ぐらいですよ。寂しいっていう期間と違いますやん。)な私。
寂しいどころか、宿題を山のように授けてくださった。




このオレンジ色の瓜は、家族が畑でお世話になっている"先生"からの頂き物。
なんでも、沖縄の瓜だとか。




確かに、瓜。
おつけもんのようにして頂きました。シャキシャキした歯ごたえがすっごく良い。
「美味しいね、美味しいね。」と言いながら頂きました。






ふぅ〜、暑い。

書いているだけで、汗がにじみます。










Posted on 2016/08/20 Sat. 14:46 [edit]

category: 日常

thread: 人生を豊かに生きる  -  janre: 心と身体

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20

過去の上に成り立っている今。 

ご依頼を頂いた方々から、その後も時折、メールを頂きます。

最近は、返信時間がとてもゆっくりになってきました。(苦笑)

すみません。



8月に入り、いろいろなことを振り返り、考えます。

今までのことや、これからのことの両方に思いを馳せたり。

原爆、終戦があった月であり、

命について、平和について、

あらためて考えることが多い月でもあります。



そうこうしていましたら、

ある方から久しぶりのメールを頂きました。

書いてくださった方の心の流れをご紹介したいと思います。



- - - - -

2015年の○月にそちらに伺わせていただいた○○と申します。
何度かメールのやり取りをさせていただきました。
憶えていただいてると嬉しいのですが。
あの節は大変お世話になり、主人との仲を取り継いでいただき感謝しております。

あれから一年以上が過ぎ、わたしもいろんな事がありました。
お陰様で落ち着きを取り戻し、幸せな時間を過ごす事が出来ております。
主人が亡くなったことで、沢山の気づきを与えてもらい、
亡くなる以前より多くの事がわかるようになりました。

あの時にわたしも死んだのだなと、近頃強く思います。
自分の設定を新たに作り上げる日々が続いていました。
古い価値観をすて、固定概念を外し、新たな価値観で新たな自分。
(中略)
あれから本当にいろんな心の動きがありました。


「生きねば」
ただそれだけの思いで、ここまできたような気がしています。


(中略)

主人のことはとてもとても哀しい。
今もとてもとても愛しい。
でもわたしの幸せと環境は無関係ですから、
それはそれとして「生きねばならない」のなら、
「幸せで楽しい」という感情をメインにすることを選択しました。

(ご主人の他界は)
わたしに「愛である」ことを気づかせてくれました。
それに関しては、ほんとに感謝しかありません。
主人が身をもって教えてくれたんだと思ってるので、
わたしは生きねばなりません。
しかも、よりいっそう輝いて生きねばなりません。
どんなことがあっても、笑っていられるよと怖くないよと安心してと、
皆に感じてもらえるように。

彼の命を無駄には出来ません。
彼はわたしの中で生きている。
よく聞く言葉ですが、これは比喩のようなものではなく、
ほんとにそういう意味なんだと、ほんとに生きてるんだなと感じています。

(略)

- - - - -



愛しい人の他界は、それまでの考え方や生活を一変させます。

価値観も。

全てが無駄に感じ、空しく思えことが多い。

今までに湧いてこなかった感情や憶測というのも

あるかもしれません。

そうであっても、自分と向き合い続け、

「 生きねば 」と思うことは、実に大変なことです。

" 言うは易く、行うは難し " です。

言うことは、自分のことであっても" 他人事 " 的で、

好き放題、言いたい放題、言えます。

行うことは、自分から奮起せねばならないのです。



最愛の人の他界を無駄にしないためにも、

より一層輝く、笑って生きるんだという方向を辿るに至っても

日によって、時間によって、山あり谷ありのこともあるでしょう。

それでも、笑って生きていく・・・ように感情を切替えるのは

心のしなやかさだろうと思います。



私が回想を書き続けることが少なくなってきています。

素晴しい交流の仲介をさせて頂いているにも関わらず、です。

回想を書き続けることが、

読み手であられる方々にとって、

最愛の人の他界を経験された方々にとって、

心のしなやかさに繫がるのだろうか?

ということ。

善い面もあるでしょうし、

違う面もあるでしょう。



人や動物の死後に起こることを

" 不思議系 "や " 現象扱い " したくありません。

ご依頼人をはじめ、読んでくださる方々を

そうした方向へ注目させ、いつしかそれが "執着" のようなものに

なってしまうことは、本末転倒であり、不本意です。

そして、他界された方々に対して失礼な話。



証拠、証拠、証拠と いつしか 目を吊り上げるような狭い心を

発露させたくも ありません。

ご依頼くださる方々のなかには、そういう方もたまにおられます。

そういう時に限って、通常の何倍も気力と体力を消耗します。

お帰りになったり、お電話やスカイプを切ったあと、

空しさが胸に広がります。

( 精一杯ご自分のことを伝えて来られたのに、

 なぜ、認めてあげようと出来ないのか・・・

 なぜ、" あぁ、そうだ。"と心で感じてやれないのか・・・)

( 誰にとっての「 証拠 」なのか?

 なんのための「 交流 」なのか?・・・)

という思いがぐるぐると駆け巡ります。







愛する、

大切に思う、

感謝する、

こうしたことのなかに、純粋性がなければ

一歩間違えれば、欲が絡んでいることも大いに在ります。

誰のために、愛している のか、

誰のために、大切 なのか、

誰のために、感謝する のか。



自分のために(相手を)愛していたり

自分のために、大切だと思っていたり。

感謝という衣を身にまとっているだけで、

それを感謝だと思い込んでいたり。



本当に、相手を大事に思えるならば

「 生きねば 」なりません。

心歪めて生きるのは、

本当に生きているとは言いづらい。



" 私は誰からも愛されていない "、

" 私には家族はもういない "、

というような、すべてに対して否定的に生きることを

愛しい人や愛しい家族が思っているわけが ありません。



うまくいかないことがあっても、

なにくそと踏ん張りながら、

腹で泣きつつも、

顔では笑って・・・

いつしか それが 本当の心のしなやかさとなり、

うまくいかないことがあっても、

悲しいと思うことがあっても、

「 まぁ、安心してて。」

と、

腹でも顔でも 笑顔が出てくるようになってきます。



家族の他界は、過去ではありません。

大切な人との時間が、消滅したわけではありません。

過去の上に、今が成り立っているのです。



原爆や終戦記念日と設定されている、8月。

この日だけ、

この月だけ、

命について考えたり、黙祷したり、でOKなはずがない。

普段、日常から、私たちは、

自分の考えと行動を一致させていくよう努力し続けることで

他を思いやり、命を祖末に扱わないことで、

「 生きている 」ということになるのだと思います。



" 悲しい。"

この感情の上に、新たな心ある行動を少しずつやっていくこと。

それは、この世を生きている私たちの使命であり、責任。



どう生きていくかを 愛しい家族のせいにしないで頂きたい。

悲しみのせいに しないで頂きたい。

自分の人生におけることを、誰かのせいにしないで頂きたい。



肉体を有することだけに「 生きる 」を結びつけてはなりません。

そうした現象などに頼ることは、私は勧めません。

なぜなら、

肉体(物質)に偏っていて、存在というものからかけ離れているからです。



" 心の中で生きている。"



いつか、ある日、この真意を感じ取られることを

心から祈ります。













アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~






Posted on 2016/08/16 Tue. 05:43 [edit]

category: 思うこと

thread: 心、意識、魂、生命、人間の可能性  -  janre: 心と身体

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生きること、学ぶこと 

お休みに入ってから約2週間。



時折、他界の人々からの " アプローチ " があっても、

日常優先モード。

他界と話すことが日常になっている時の自分と

全く切り離した日常とでは、多少なりとも、

ギャップのようなものが 感じられる。

そのギャップに、うつつをぬかしているほどの

暇人ではないので、ずっとやりたかったことを

少しずつしている。



やりたかったことのひとつ、

家のなかでの「引越」。

これには、家族の意見と了承が必要。

自分勝手にするわけには、いかない。

何故だか分からないのだが、

その人にとって、その場所が合わなくなってくるのが

" 知らされる "。

だからといって、ずっと そのことに着目はしない。

そればっかり思うことは、偏ってしまうから。

知らされても、気にしない。

これは長年培ってきた私なりの生き方。

本当に必要で、もうMaxだよ!という場合は、

大抵、空気がギクシャクしてくる。

そして、目に見えて 事が起こってくる。(苦笑)

火に油を注ぐような言動も行動もしない。

感情で相手にぶつかることほど、無駄なことはないからだ。

年の功、というところだろうか。(笑)



いつになく 気持ちがザワザワしたり、頭痛がしたりすると

私は、自室にある方位磁石を確認する習慣がある。

気のせいかもしれないが、針の向きが乱れていることが多い。

まるで、虫か動物のようだな・・・と自分で笑えるが、

人間は動物だから、それで自然かと妙に納得する。



話を戻します。

この2週間程で、ほぼ、家の中での引越作業は完了。

家族の部屋については、6、7年も掃除をしていなかったから

それはそれは、すごいことになっていた。

家族と言えども、

散らかっているように見えても、

本人にとっては、本人がわかって置いているもんだ。

その場所を変えてしまっては、後々、面倒くさくなる。

ぎょっとするようなのも(Gのこと)、いくつか見てしまい、

いちいち騒いでも何にもならないので、

淡々と " 夏の大掃除 "をし続けていた。

時折、家族たちも手伝ってくれた。

大きな物や重い物を移動させる時に、年を感じることが増えたので

本当に助かった。



自分の勘に従って、家中引越をしたあと、

何度も 部屋全体の空気を見に行った。

それぞれの物が しっくり来ているかどうか。

しっくりくる、というのは勘に頼るわけではない。

現実的な動線もとても大事。

何をするのも、想像力と現実目線が大切。
(想像力は、便利な生活を満喫していると乏しくなる。)



方向学というのだろうか、気学というかわからないが、

私には、そうした知識は全く無い。

本能のおもむくまま、

気の向くまま、

風の吹くまま、だ。

心友がとてもそうしたことに詳しいので、

たまに報告がてらメールすることが ある。

不思議に、彼女が書いて送ってくれる内容と合う。

そういう時、

自然に生きて来れたのかなぁ・・・と嬉しく思える。



" 生きることは、学ぶこと。"

日常から学ぶこと。

平凡極まりないように見える日常にこそ、

多くのことが 含まれている。と思っている。



平坦ではない日常だからこそ、だ。

何不自由ない、好き放題、言いたい放題な日常では

学ぼうとする心が育ちにくい。



逆境は、いつもでも 逆境ではない。

順調も、いつまでも 順調ではない。



生きること自体、学び。



学んだら、生活に活かすだけ。

そこに、" 報われる " というものなど存在しない。

学ぶこと自体に、損得など存在しない。



大いに 生きよう。

















先月お越し下さったRさんから頂いたもの。
なんとびっくり!Rさんの手作り。
とっても良い香りもするし、すっごく綺麗。
キャンドルとして使ってしまうのが勿体ないのですが、
肌寒くなってきたら有難く使わせて頂きます。











アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~






Posted on 2016/08/13 Sat. 06:40 [edit]

category: 思うこと

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咀嚼する生活 

8月に入り、

暑さにかまけて 家のご飯も手を抜きがちな私。

私の一番落ち着くご飯は、子どもには不評です。

焼き魚、野菜具沢山のお味噌汁、そして、ごはん。

これに、煮こんぶがあれば、わたしは「最高」です。

秋冬には、じゃがいも、にんじん、ひろうすなどの煮物。

不評そうでしょう?(笑)

私が作るのは、" 昭和の食卓 "。

おばあちゃん料理こそ、

日本人の体質と精神には最適だと思っています。



家庭での「食」は、そこん家の考え方が含まれていきます。

食は、身体の状態を育むだけではなく、精神も育みます。

これは決定的です。



首をかしげるような様々な社会問題が増えているのも、

食事の仕方や食材の影響もあるんだろうと思います。



手軽さ、楽さ、見栄え、そして、食べたいものを食べる。

多くの人々が食べるには、量を作らねばならない。

売るには、量を作らねばなりません。

となると、当然、添加物などの薬品が必要になります。

" 売れるまでの保存期間 " が必要だから、です。

私たちも買う時、

「 わぁ〜、ふっくらぁ〜。」

と喜んで買い物かごに入れてしまいます。

ちょっと待てよとふと我に返ると、

それが不自然であることが わかります。



薬品が入っていないものは、当然、自然の道を辿ります。

腐ります。

それが、自然。



家族が畑作業をする姿を見て、安心安全な野菜作りは

その手間の多いこと。

びっくりします。

野菜が育っていく様子を見て、

安全な食材は、どういうものなのかを知りました。



なんにでも言えることですが、

安全で安心出来ることの裏側(基礎)は、

非常に地味で地道な努力が在り続けるということ。

毎日、休みなく。

ただひたすら、努力し続けるだけ。

誰かに報いられたいと思ったら・・・終わりだろうと思います。



食べることは、咀嚼すること。

咀嚼することで、脳の働きを促します。

感謝をすることで、さらに、満足感を感じる脳内物質が分泌されて

幸せをも噛み締められるのです。



咀嚼する生活。



人と話し合う、ということもある意味、

咀嚼だろうと思うのです。

現在は、インターネットが盛んになり、

様々なツールやアプリケーションで溢れています。



文字だけのやりとりを続けますと、

理性を働かせることを忘れると、

我欲が大きく張り出して来ます。

これは、" 咀嚼 " しないからだろうと思うのです。



人とじっくり話し合うこと、

しっかり噛み締めながら咀嚼する食事。

この両方は、やっぱり 私たち人間にはとても大切です。



思い通りにならないから、、、といって相手を傷つける。

傷つけていることも、わからず、欲のまま、

それが犯罪へと繫がっていく。

今は、犯罪と日常がとても密接になってしまったように思います。

誰にでもその " 可能性 " があるんだなと思えることは、

ふとした日常のひとこまに見え隠れし、

それを心の闇だとは言えないのではないかと思います。



心の闇が犯罪に繫がるのではなく、

相手の立場を想像する気持ち(思いやり)、

見えていない相手の心情を察する気持ち(思いやり)が

咀嚼しない日々の積み重ねによって

" ひとりよがり " と成ってしまいます。

権力や特別扱いへ憧れが強く、求め続けてしまう時期、

それが犯罪へと繫がっていくのだろうと思います。



突然、物事が変化するのではなく、

日常の積み重ねによって、

いかようにも変化していくもの。

そして、

安全や安心というのは、

自分で気を付けていかないとどうにもならない国に

なってしまったんだと思います。



なんにしても、

何才であっても、

いくつになっても、

相手を思いやる気持ち、

相手の真意をくみとろうとする気持ちは、

生きていくうえで かけがえのないもの。



暑い夏。



イライラすることも多いと思いますが、

そういうときは、

噛み締める食事を心掛けてみるのも

良いんじゃないかと思います。

" 忙しいのに、ゆっくりと噛んでられない!"

という方も多いと思います。

たまに、目の前に並んでいる食事を

ゆっくり じっくりと 噛み締めることは

良いことだと思います。



心と身体のために。

平和のために、にも。















見栄えは良くないかも、しれませんが、とても良いです!
ぎゅっと締まった食感です。
「ピンクなんとかルージュ」とかっていう品種だったと思います。





Posted on 2016/08/09 Tue. 11:46 [edit]

category: 日常

thread: 人生を豊かに生きる  -  janre: 心と身体

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