2016/04/07.Thu
もうこれ以上
Mご夫妻が来られる前、ひとりの男性が私に
そっと思いを話してくださいました。
< 最初は、ああじゃなかった。お金が(彼女を)変えてしまった・・・>
私は静かに聴くしか出来ませんでした。
< ・・・何でも「いいよ」と言ってきた自分にも、その責任はあると思う。>
< ・・・もうこれ以上、憎しみ合う言葉は 聞きたくない。
母に 言わせたくない。
・・・憎しみ合うことは、したくない。>
あたりは、静まり返っていました。
その男性と私だけ(と思っていますが)でしたが、
そう話してくださったお気持ちを思うと
何かを返事する気持ちには、なれませんでした。
数分経ったぐらいに、私の身体のある範囲に痛みが
起こりました。
( 何の痛み? このあたりは、○臓あたりだ・・・)
尋ねようと思いましたが、止めました。
なぜなら、早めに到着されるような気がしたからです。
( とにかく、もうすぐMさんご夫妻が来られる!
もし、今のお気持ちをお話になりたいなら、私にそう教えて下さい。)
< あぁ、懐かしいなぁ・・・。
遠くに行ったわけでもないのに、すごく 懐かしく思える。>
そうおっしゃってから、どこかへ行かれました。
( 切替は、大事!)
そう自分に言い聞かせると共に、あちらにもアピール。
予想通り?、ご夫妻は早めにご到着されました。
住宅建築が続いていること、
パーキングも少ないこと、
なのに、
車の往来が多いこと、
などなどの地域事情もあり、車をどこに停められるかを
当日のその時に、さっと決めねばなりません。
運良く、近隣が空いていて、駐車出来るとホッとします。
部屋に入って頂いて、しばらくしてから始めました。
次から次へと来られ、お伝えしながらも、
(この情報量では、私なら 誰だかわからない・・・)
あちらに文句を言うつもりはないのですが、
つい・・・そう思ってしまいます。(苦笑)
そんな私とは違い、
ご夫妻は、ふたりで小声で、何やら ひそひそと話されています。
例えば、こんなふうに_
「 あなたのところの、誰それの子じゃない?」
「 う〜ん・・・なんかそういうのが居たような・・・」
「 たしか、こういう感じだったような気がするんだけど・・・」
「 あれ、なんていう名前だったっけな?そんなような名前だった気もするかな・・・」
というように。
とても微笑ましく、また、有難く思いました。
「 おわかりにならなかったら、探して頂かなくても良いと思います。
ありがとうございます。」
そう 御礼を申し上げましたが、
おふたりの協力体制は、崩れませんでした。
まだ お考えくださっている様子。
本当に 愛すべきご夫妻です。
前半そのような調子で、私は、
あちらからの情報量に納得出来ずに、フラストレーション状態。
自分で自分を叱咤激励し、気を取り直していると・・・
< ・・・話したことを伝えてください。>
( ええ。でも、あなただということが私の中でハッキリしないのです。)
そこには、私の " 欲 "が在りました。
どなたかはっきりしてから交流を続ける、というのは私にとりましても大事なこと。
誰だか判らない "人" と話すことは、子どもの頃から拒否し続けたこと。
順番を変えること、長年の自分のやり方を変えることに困惑してしまうほど、
私は石頭になってしまったのか・・・。
( 何が大事? 誰が大事? " ひとりひとり、違う"ってよく言ってるじゃないか!)
普段からそう思い、そう言ってる私は、真にわかっていなかったのです。
( 自分の " 型 " に はめた交流の進行に、慣れてしまったのではないか?)
長年慣れた"習慣"を崩すのが怖かったようです。
短い沈黙の間に、私は自分と葛藤していました。
「 どなたであるかを伝え、確認出来てから、思いを伝えていますが、
思いを伝えて欲しいと言われています。
今からお伝えしますので、おわかりなれば、その通りですし、
おわかりにならなければ、私の聞き取り間違いです。」
伝え手に、責任がある。
伝達方法が異なるとはいえ、それを正論化させたくない。
聞き取り間違いとし、私の責任とする。
それは、霊媒の責任。
人に伝えるということは、責任が発生する。
そうお断りをしてから、" 男性 " と約束した通り、
話してくださっていたことを 忘れてはいけないと思い
書き留めたメモを読みながら、お伝えしました。
老眼を掛けて。
すべてお伝えして、ご夫妻の方を見ました。
「 その話は、息子からです。」
目を真っ赤にされ、Mさんがそうおっしゃいました。
私はどうしても確かめたかったことをおふたりの方を見て、
繰り返しました。
それは、性格や人柄について。
性格や人柄は、私がもっとも得意とするところ。
一番大切に思っているところ。
あちらにおられても、見た目の姿は、多少変化します。
変わらない、変わりにくいところは、性格や人柄といった
" 見えない " 部分だと自分の経験から言える、確かなこと。
私は、そこに揺るぎない信頼をおいています。
繰返し伝えてこられることを、大切にしたい。
伝えながらも、同時に、伝わってくることも 追加して
お伝えしていく_
ようやく、部屋のなかの空気の流れが変わり出し、
私も、その通りだと思えました。
言葉に出して返事されなくても、わかります。
空気を伝わってくるのです。
なので、交流中、ご依頼人方のお顔を見て確認することは
ほとんどありません。
言葉よりも、空気が真実を伝えてくれるのです。
突然、私の胃がキリキリと痛み始めました。
( 痛い。この痛みは?)
むこうとのやりとりがありました。
「 息子さんが お父さんにおっしゃりたいことがあるようです。
健康面のことです。」
・・・再度、胃に痛みが起こる。・・・
その状況をみて、Mさんは、気づかれました。
「 主人は、胃が悪いんです。
以前から、息子が主人の胃を心配していました。
『 そんなにお酒を飲んじゃいけない。身体に悪い。』って。」
「 なるほど。」と私。
息子が今も心配している。
「 もう、お酒は飲んじゃダメよ!」とご主人におっしゃるMさん。
ご主人は、笑いながら、内心(まいったなぁ〜)と思われている様子。
普通にある、家族の会話をしている、と思いました。
何とも 可愛らしいというか 微笑ましい家族。
ご夫妻が 今に至るまでは、
それはそれは 大変なことがありました。
息子さんが
< もう終わったんだよ。もう言わないで。>
とおっしゃった気持ちが切実に届きます。
自分がはっきりしないといけなかったことを
残してしまった。
それを両親にさせることになった。
申し訳ない気持ち。
自分のことだけに、
< よくやったね!ありがとう!>
とは 言いづらかったということを
交流の最後で、紐解くことが出来ました。
息子さんをはじめ、複数の親戚の方々が集まっていました。
親戚と言えども、生前にあったことがある人も、ない人も関係なく
ご夫妻のこれからを皆で応援している姿。
その集結力に頼もしさを感じました。
ご夫妻と共に、車を停めているところまでご一緒する道すがら、
「 これが、息子なのよ。」
そう嬉しそうに写真を取出してくださったMさん。
超老眼の私には、見えないのです。
「 すみません。眼鏡がないと見えないのです。」
「 あ!そうでしたね!」
残念そうに鞄にしまわれたのが 申し訳なく思いました。
「 息子の写真を飾れないのよ。なんだか、こわくて・・・。」
「 いつか、飾れる時が来ますよ。
いつも、ご自分のそういうお気持ちを大事になさってください。
無理なことはやらない方が良いと思います。」
「 そうですね。」
親を思う子がいて、
子を思う親がいる。
心はいつも変化するし、
物事も移ろぎます。
でも、
真心は、普遍。
そう思っています。
昨年の秋でしたか、蒔いたチューリップ2種類。
咲き揃いつつあります。
花びらが こういうのもあるんですね。
芍薬みたいな感じですよね。とても可憐な雰囲気です。
この春咲いたあと、うまくいけば、5年後には球根に成るようです。
アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~
そっと思いを話してくださいました。
< 最初は、ああじゃなかった。お金が(彼女を)変えてしまった・・・>
私は静かに聴くしか出来ませんでした。
< ・・・何でも「いいよ」と言ってきた自分にも、その責任はあると思う。>
< ・・・もうこれ以上、憎しみ合う言葉は 聞きたくない。
母に 言わせたくない。
・・・憎しみ合うことは、したくない。>
あたりは、静まり返っていました。
その男性と私だけ(と思っていますが)でしたが、
そう話してくださったお気持ちを思うと
何かを返事する気持ちには、なれませんでした。
数分経ったぐらいに、私の身体のある範囲に痛みが
起こりました。
( 何の痛み? このあたりは、○臓あたりだ・・・)
尋ねようと思いましたが、止めました。
なぜなら、早めに到着されるような気がしたからです。
( とにかく、もうすぐMさんご夫妻が来られる!
もし、今のお気持ちをお話になりたいなら、私にそう教えて下さい。)
< あぁ、懐かしいなぁ・・・。
遠くに行ったわけでもないのに、すごく 懐かしく思える。>
そうおっしゃってから、どこかへ行かれました。
( 切替は、大事!)
そう自分に言い聞かせると共に、あちらにもアピール。
予想通り?、ご夫妻は早めにご到着されました。
住宅建築が続いていること、
パーキングも少ないこと、
なのに、
車の往来が多いこと、
などなどの地域事情もあり、車をどこに停められるかを
当日のその時に、さっと決めねばなりません。
運良く、近隣が空いていて、駐車出来るとホッとします。
部屋に入って頂いて、しばらくしてから始めました。
次から次へと来られ、お伝えしながらも、
(この情報量では、私なら 誰だかわからない・・・)
あちらに文句を言うつもりはないのですが、
つい・・・そう思ってしまいます。(苦笑)
そんな私とは違い、
ご夫妻は、ふたりで小声で、何やら ひそひそと話されています。
例えば、こんなふうに_
「 あなたのところの、誰それの子じゃない?」
「 う〜ん・・・なんかそういうのが居たような・・・」
「 たしか、こういう感じだったような気がするんだけど・・・」
「 あれ、なんていう名前だったっけな?そんなような名前だった気もするかな・・・」
というように。
とても微笑ましく、また、有難く思いました。
「 おわかりにならなかったら、探して頂かなくても良いと思います。
ありがとうございます。」
そう 御礼を申し上げましたが、
おふたりの協力体制は、崩れませんでした。
まだ お考えくださっている様子。
本当に 愛すべきご夫妻です。
前半そのような調子で、私は、
あちらからの情報量に納得出来ずに、フラストレーション状態。
自分で自分を叱咤激励し、気を取り直していると・・・
< ・・・話したことを伝えてください。>
( ええ。でも、あなただということが私の中でハッキリしないのです。)
そこには、私の " 欲 "が在りました。
どなたかはっきりしてから交流を続ける、というのは私にとりましても大事なこと。
誰だか判らない "人" と話すことは、子どもの頃から拒否し続けたこと。
順番を変えること、長年の自分のやり方を変えることに困惑してしまうほど、
私は石頭になってしまったのか・・・。
( 何が大事? 誰が大事? " ひとりひとり、違う"ってよく言ってるじゃないか!)
普段からそう思い、そう言ってる私は、真にわかっていなかったのです。
( 自分の " 型 " に はめた交流の進行に、慣れてしまったのではないか?)
長年慣れた"習慣"を崩すのが怖かったようです。
短い沈黙の間に、私は自分と葛藤していました。
「 どなたであるかを伝え、確認出来てから、思いを伝えていますが、
思いを伝えて欲しいと言われています。
今からお伝えしますので、おわかりなれば、その通りですし、
おわかりにならなければ、私の聞き取り間違いです。」
伝え手に、責任がある。
伝達方法が異なるとはいえ、それを正論化させたくない。
聞き取り間違いとし、私の責任とする。
それは、霊媒の責任。
人に伝えるということは、責任が発生する。
そうお断りをしてから、" 男性 " と約束した通り、
話してくださっていたことを 忘れてはいけないと思い
書き留めたメモを読みながら、お伝えしました。
老眼を掛けて。
すべてお伝えして、ご夫妻の方を見ました。
「 その話は、息子からです。」
目を真っ赤にされ、Mさんがそうおっしゃいました。
私はどうしても確かめたかったことをおふたりの方を見て、
繰り返しました。
それは、性格や人柄について。
性格や人柄は、私がもっとも得意とするところ。
一番大切に思っているところ。
あちらにおられても、見た目の姿は、多少変化します。
変わらない、変わりにくいところは、性格や人柄といった
" 見えない " 部分だと自分の経験から言える、確かなこと。
私は、そこに揺るぎない信頼をおいています。
繰返し伝えてこられることを、大切にしたい。
伝えながらも、同時に、伝わってくることも 追加して
お伝えしていく_
ようやく、部屋のなかの空気の流れが変わり出し、
私も、その通りだと思えました。
言葉に出して返事されなくても、わかります。
空気を伝わってくるのです。
なので、交流中、ご依頼人方のお顔を見て確認することは
ほとんどありません。
言葉よりも、空気が真実を伝えてくれるのです。
突然、私の胃がキリキリと痛み始めました。
( 痛い。この痛みは?)
むこうとのやりとりがありました。
「 息子さんが お父さんにおっしゃりたいことがあるようです。
健康面のことです。」
・・・再度、胃に痛みが起こる。・・・
その状況をみて、Mさんは、気づかれました。
「 主人は、胃が悪いんです。
以前から、息子が主人の胃を心配していました。
『 そんなにお酒を飲んじゃいけない。身体に悪い。』って。」
「 なるほど。」と私。
息子が今も心配している。
「 もう、お酒は飲んじゃダメよ!」とご主人におっしゃるMさん。
ご主人は、笑いながら、内心(まいったなぁ〜)と思われている様子。
普通にある、家族の会話をしている、と思いました。
何とも 可愛らしいというか 微笑ましい家族。
ご夫妻が 今に至るまでは、
それはそれは 大変なことがありました。
息子さんが
< もう終わったんだよ。もう言わないで。>
とおっしゃった気持ちが切実に届きます。
自分がはっきりしないといけなかったことを
残してしまった。
それを両親にさせることになった。
申し訳ない気持ち。
自分のことだけに、
< よくやったね!ありがとう!>
とは 言いづらかったということを
交流の最後で、紐解くことが出来ました。
息子さんをはじめ、複数の親戚の方々が集まっていました。
親戚と言えども、生前にあったことがある人も、ない人も関係なく
ご夫妻のこれからを皆で応援している姿。
その集結力に頼もしさを感じました。
ご夫妻と共に、車を停めているところまでご一緒する道すがら、
「 これが、息子なのよ。」
そう嬉しそうに写真を取出してくださったMさん。
超老眼の私には、見えないのです。
「 すみません。眼鏡がないと見えないのです。」
「 あ!そうでしたね!」
残念そうに鞄にしまわれたのが 申し訳なく思いました。
「 息子の写真を飾れないのよ。なんだか、こわくて・・・。」
「 いつか、飾れる時が来ますよ。
いつも、ご自分のそういうお気持ちを大事になさってください。
無理なことはやらない方が良いと思います。」
「 そうですね。」
親を思う子がいて、
子を思う親がいる。
心はいつも変化するし、
物事も移ろぎます。
でも、
真心は、普遍。
そう思っています。
昨年の秋でしたか、蒔いたチューリップ2種類。
咲き揃いつつあります。
花びらが こういうのもあるんですね。
芍薬みたいな感じですよね。とても可憐な雰囲気です。
この春咲いたあと、うまくいけば、5年後には球根に成るようです。
アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~
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