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2016/03/06.Sun

意志 〜 毎日積み重ね、続けてゆく 〜

東北大震災から 5年を迎えようとしている。

自分に何が出来る、というわけではないのを

知っている。



ここ葉山でさえ、大きく揺れた。

電気がいつ復旧するかわからない、

信号は消えたまま、

ガソリンも長い行列。

かの地に比べられない程度のこの葉山でさえ、不安だった。



現地の悲惨さは、世界中に広まった。

世界中から沢山の寄付が集まった。

思いやりが 集まった。

それらは 活かされているのだろうか。

本当に困っている人々に届いたのだろうか。



" 喉元過ぎれば、熱さを忘れる "

これが得意な我が国の政治家と官僚たち。

子どもの貧困をアピールするためのウェブ制作や広告に

ン億円も使う彼ら。

それが 日本。

そんな多額なお金があるなら、

子ども達の " 今" に使い、

" 将来への道 "を作ることに使ってほしかった。

当然ながら使われた多額なお金は、税金だ。

自分達が汗水涙ながして稼いだお金ではないから

無駄な使い方が 出来るのだろう。

ウェブ制作費が新築2軒分なんて、狂気の沙汰だ。

「 企業として賛同するので制作費広告費は 要りません。」

こんなことを言える、格好良い会社って 日本にはないんだろうな。

おおよそ、" もらえるなら、もらっとこ!"  だろう。

偉そうな顔をしたいなら、

自分は特別だと思いたいなら、

役損を買って出てみろ。

それが、" 務め" というもんだ。



と思ったところで、どうにもならない。

自分に出来ることを 考える。

ちっぽけな自分に 何が出来るかわからない。

些細なことだけど 出来ることをやり続けてきた。

これからも それを続けてゆく。

それは、電気を大切に使うこと。

毎月、前年同月比 減少させた。

ちょっとした心掛けが 数字になって表れた。

しかしながら、

節電しても、一般家庭が電気を自由には選べなかった。

" 原発を持っている電力会社の電気は もう使わない。"

始末のできないことを 続けていくことは おかしい。

自然エネルギーでまかなえるように 生活を整えればいい。



あれほどのことが起こり、今もなお続いている。

悲しみと我慢を虐げられているのがわかっているのに

使い続けることは 呵責もんだ。

ようやく 待ちに待った 電気の自由化。

ずっと 待っていた。

電気代云々では、ない。

後始末が出来ない、今さえ良ければ良いという考えと姿勢に

賛成しないだけ。





なんでもそうだが、反対すれば良いということではない。

動物を守ろうと言っておきながら、

原発反対、云々言っておきながら、

毛皮や革製品を身にまとったり、

原発を持っている電力会社の電気をお安く使うのは

おかしな話だ。

批判非難することは誰にでも出来る。

自分自身に問うのは、

自分の考えと行動が一致しているかどうか だ。





間違っていたのなら、正せばいい。

しがらみやなんやかんやと言ってないで 正せばいい。

その正す勇気が 有るか無いか だ。

過ぎた分を やめれるか どうかだ。

大会社の幹部ともなれば、役得よりも

役損を買ってでてこその 役員報酬だろう。

辞めたら責任が終わる、わけではない。

社員の方々も大変だろうと思う。

会社の幹部が しっかりせねば。

国の代表者達が しっかりせねば。







今もなお、故郷に帰れない多くの人々がいる。

ニュースにはあがってこない辛さと悲しみがあり、

踏ん張っている多くの人々がいる。



被災された方々に、

今もなお 命を危険にさらされている動物たちに、

我が身を捨てて 現地で働いている方々に、

多くの尊い命に、

自分なりの意を表したいと思うのは、

至って " 普通 " 。



将来を生きる子どもたちに、

原発の責任と重荷を背負わせたくは ない。

絶対に。



お金を払えさえすればいい_

それは本当の使い方ではない。

本来の流れでは ない。



利権絡みが 国民の悲しみと苦しみを増幅させる。

私腹をこやすことだけで 周囲が見えず、

良識、常識、そして、人の心さえ 見えなくなる利権。

自分の豊かさ、おべんちゃら、待遇に 興味があるだろうと

囁く " 利権(ラベル)"。



ちっぽけな存在の私でも、善いことと悪いことの区別はつく。

人の心を 祖末にするな。

動物たちに心なんてないと思うな。



不器用な生き方でも、

曲がったはことは やらない。



記念日だけ祈るなんて 私の性分ではない。

感慨にふけるだけなんて 自己陶酔だ。

大きなことは出来ないけど、

日常で ささやかことの積み重ねは 出来る。



あの日の、

あの時間に 祈ることが 追悼でもなんでもない。

祈って、さあ(行事は)終わったというような

晴れやかな顔をしてしまう人間には なりたくもない。

イベント化することではない。



大事なのは、これからだ。

具体的に どうしていくかだ。

日々に落とし込んで どうするか、だ。

それが 実際に出来ているか どうか、だ。

目標をかかげることだけでは 意味がない。

地味なことを 続けるかどうか だ。



犠牲になった多くの人達、動物たちに

私の、我が家の日々の小さな積み重ねを

捧げます_



この意志と小さな行いの継続を。





思いを毎日積み重ね、続けてゆく。

それが 意志と成ってゆく。

人に言うことよりも、

自分が 実際に やってるかどうか。

それだけだ。

























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