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2016/01/04.Mon

相手を受け入れる 〜 メールのお返事抜粋 〜

ご依頼を頂いた後も、メールをくださいます。

人と人との心の交流です。

お返事の内容は、私自身の人生から経験してきたことを混ぜています。



相手を受け止める、ということについてお返事を致しました。

どなたも「 全く同じ 」ということはないでしょうけれど

心の振り返り、ということで読んで頂ければと思います。

(ご本人にお返事した内容に少し加えておきます↓。)



- - - - -

幼い頃の寂しさや辛さというのは、大人になっても存在します。

残ります。それは、身体や心の奥深くに在るんだと思います。

誰しも多かれ少なかれ、幼少期の楽しくないことは在ると思います。



私の叔母(母の妹)には障害がありました。

子どもの頃に高熱で知的障害となったようです。

お盆と年末年始に叔母が施設から実家に帰って来ました。

障害と思ったことはなく、

ストレートに伝わりにくい。では、どう伝えるのか?_

相手がどうこうではなくて、自分はどうコミュニケートするのか?

叔母と話をする時、子どもだった私は必至だったように思います。

お盆と年末年始以外は、祖母が何時間もかかる入所施設へ

面会に行っていました。

祖母のちょっとした表情、他の家族への気遣いも私は

敏感に反応していたように思います。

なんでもないよ、という態度の裏側で。

お店をしていた祖母は、元気で勝ち気でなきゃ

やってられなかったと思います。

私が小学生になった頃には面会時には「 私も行く」と言い、

付いて行ってました。

そうした経験もあり、障害を持つ家族がいる、ということも

少しですがわかるように思います。



障害も様々です。

大変と思えば、大変です。

けれど、誰も責めることは出来ない。

母は、自分の妹に障害があって、

子ども時代だけでなく、結婚してからもずっと

母なりに思うところがあったと思います。

それは、母本人にしか気持ちはわかりません。

祖母には祖母の思いがあり、

祖父には祖父の思い、

父には父の思い、

私の兄弟たちには兄弟なりの。

当人でなければ、心底までわからない。

誰でもそう。



障害者に対して、世間の様々な目があるのは私なりに感じています。

家族に障害を持つ家族が居ない人には、

現実、わからない(理解しづらい)ことも

多々あろうだろうと思っています。

それは、仕方のないこと。



この世は、思いやりのある人ばかりではないし、

思いやりのない人ばかり・・・でもありません。

その境遇、状態にならなければ わからないのです。

思いやることは出来ても、

その思いやりは他の人からみると また違う感情を

持たれるかもしれない。



自分の人生に起こることを 自分なりに受け止めるために

こう思ってきました _

「 所詮、経験したことのない人には、真意は伝わらない。」

って。

つまり、" 経験がすべて "。

経験が全てだと拙ブログにも書かせて頂いているのは、

そういう意味です。

経験したことがない人にどれだけ説明しても、

奥深いところまでは理解出来ないし

理解を求める方が 無理だと思うのです。

そういう意味での上記の割り切りをする私です。



兄弟姉妹に障害を持つ家族がおられる方は、

両親が兄弟姉妹にかかりっきりになる・・・

理解しなきゃと思っていても、幼な心に、寂しかったというのは事実。

けれども、ずっとそこばかりを注目してはなりません。

” 私はこんなに可哀想だったんだよ。”

そう思い続けても良いことはひとつも無いように思います。

こう思うのは、私も経験したことがあるからです。



相手を受け止める。受け入れる。



それも楽しいことではないことを受け入れる、受け止めるというのは

とても難しいことです。

容易いことではないと思います。

人間、誰しも 自分が可愛いもんだし、

自分を良く思われたい生き物です。

誰でも そうです。



嬉しくない状態、楽しくない状態を受け入れるには、

よっぽど、自分が困窮し、明日の生活さえもという状態に在り、

さらに、そうしたことを受け入れなければならない・・・

生きていかなきゃいけない・・・

こうした経験を 陰に思うのではなく、

光にしたいと心から望むこと。

まさに、

” それでも尚 " の生き方を心からすること。

周囲がどうであれ、自分が公明正大に生きる、

生きたいと望み、そう生きることを実際にする_

これしかないように思っています。



経験していないことに関して、

家族といえども、同じ気持ちを持つというのは

難しいかもしれません。

分かち合え、支え合えることは心強いですが、

かといって、そこにストレスを持ち続けても

仕方のないように思えます。

心に幅と深みがないと、困った状態の人のことは、" 他人事 "。

想像出来ないのです。

でも、恨んではいけない。

薄情だと思ったって仕方ない。



他を責めるのではなく、

他に原因や責任を当てはめるのではなく、

そうしたものは、

自分の心にも潜んでいるのだということを知った方が

様々な意味で善いだろうと思います。



人を受け入れることが出来る、出来ない、ではないと思います。

人間、出来ることもあれば、出来ないこともあります。

私なんて出来ないことばっかりです。

出来ない、知らないということを自覚しているからこそ、

気づくこともあります。

出来ることが、知っていることが、

人や動物たちの命を救ったり守ったりすることに

その勇気と努力と才能を使うことが、

人としての最善だと思うのです。



口先だけで、

" 人を受け入れている。"

" 優しくしている。”

” 思いやっている。”

” 知ってる。”

というのは 簡単。

誰にでも言えること。

そんなのは相手にしない。

本当にそうした行いをしている人は、

自分からそうしたことを言わないもんです。



何も焦る必要など無いと思います。

皆、似たり寄ったりです。



相手を受け止めるということは、

自分を受け止める、

ということでもあるように思えます。



自分を受け止めてやる。

自分を励ましてやる。

自分を説教する。

自分を褒めてやる。

たまに、そうしてあげることも大切と思います。
















2016年の幕開けは、季節らしからぬ暖かさです。
我が家では、昨年父の他界に配慮しつつ、近所の海や山へ歩いて行きました。
※人の多いところには行きたくない・・・ってだけかも。(笑)
山では、手作りの凧揚げしたり、珍しい形のまつぼっくりを拾ったり。
海では、シーグラスやさくら貝を探したり。
いつもと変わらない日常に、一日2時間程の徒歩を混ぜました。







アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~





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