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2015/09/02.Wed

あちらへの移行 〜 私の父 〜

” プライベートなことを綴らない。”


人気を得ることをしているわけでもないし、

自分を語る必要は 霊媒にはありません。

霊媒は 人の前には出ない_

それで普通を保てます。



父のあちらへの移行は書かないでおこう、

綴る必要などない、

そう思っていました。

でも、

今までご依頼頂いた方々の胸のうちに

「 こういうことを言ってくれればすぐにわかるのに・・・」

「 どういうふうにあちらへ行くのか・・・」

ということが多少なりとも おありのようです。

これらは、

ご依頼人のみならず

こうしたことに興味を持っている方々の

最大級の関心だろうと 思います。

ただ、

” あちらに行った人のため ” になるのだろうか _

そういう思いが私の内には、あります。



交流というのは、余興ではないし、

質疑応答の機会でもありません。

一例として、

私の父の他界後、数日内に起こったことを記します。

普通を心から大切に思う平凡な私ですから、

脚色や演出をすることもありません。

お読みになる方おひとりおひとりの胸に

何か、大切なもの、温かなものが 伝わるのではないか_

そう思います。



- - - - -



通夜、葬式を内々の家族だけで無事終えて、

葉山に戻ってきた日の夜。

京都滞在時は、なかなか寝付けなかった疲れもあってか

いつも通りの時間に眠れそうでした。

( さぁ、寝るか。)

うつうつとしていますと

いつになく、隣にはっきりと存在がありました。

誰でもいいし、疲れていたので、

正直、とりあう気になれませんでした。

( もう・・・寝苦しいやん・・・)

イラっとして起きてしまいました。

( まったく。貴重な睡眠時間を。疲れてんのに・・・)

そう思いながら、気分転換に、

天井近くの壁をぼんやり眺めていました。



すると、視線の先に

もやもやした煙状のようなものがありました。

( ん?)

そのもやもやしたものから、次第に誰かの姿が

形づけられました。

( ・・・お父ちゃん?・・・)



父を肉眼で見てしまいました。

( 肉眼で見えてはいけない・・・のに。)

そう思いながらも、成り行きに任せました。

ぼんやりとしたシルエットは、

ガラス戸に雨がかかって輪郭や詳細が

ぼやけるような感じです。

父だとわかりました。

老いぼれた感じはありません。



父をじぃっと見ていますと、

両手といいますか、両脇に何やら抱えているようでした。

白いかたまりと 茶色のかたまり。

( 何やろう・・・)

そう思った次の瞬間、

随分前、20年近く前に他界した猫の○○と、

数年前に他界した犬の○○だと わかりました。



( あぁ、会えたんやね。そっか。よかった。)

そう思ったあと、父は静かに消えてゆきました。



- - - - -



それ以来、父の気配は ありません。

安心です。

他界した直後は、気配を感じるたびに、

気配を感じなくとも、

父に向けて、

( 何も恐れることはないで。

 光の方に向かって歩いていって。

 光の方に行くんやで。

 その先に、お父ちゃんの会いたい人達が待ってるんやから。

 光の方に 行きや。大丈夫やで。)

いつも そう心で話しかけていました。



父が私に伝えたかったことは、

私の将来でも、

父と母の間にあった問題への思いでも ありませんでした。

猫の○○と犬の○○と会えたということ。

伝えたかったのは、” 安心してや ”_

そういうことだろうと思います。

私には十分でした。



肉眼で見せてほしいと望まなかった私に

父が 教えてくれたのだと思います。



” あちらへの移行は、とても静かなもの。

 無になるわけでは、ない。

 どこか遠くへ、

 会えないところへ行ったわけでは ない。

 心で繫がっている。”

ということを。



残されたと感じ続ける方々への手助けは、

依頼を受けるだけでは、ない_

そう思います。



悲しみと辛さと現実の板挟みになる私たちが

乗り越えてゆけるのは、

誰かを信じる、

霊媒に依頼する、

スピリチュアルに目覚める、

といったことではないと思います。

家族や愛しい人や動物との間に、

そうした知識は 必要ないのです。

必要なのは、

真心。

すでに 誰もが持っているもの。



父は無言でした。

話さずともわかるのが、

わかってあげれるのが、

家族なんだなぁ、

愛なのかなぁ・・・愛なんだろうなぁと思いました。



身体を持っていたあいだ、

私たちの生活環境は めまぐるしく変化します。

家族といえどもあまり話す機会が無くとも、

ごめんね、と言えず終いでも、

ありがとうと言えず終いでも、

思いを尽くすことが出来なかったとしても、

自分を責め続けることは、

あちらへ移行した家族に 悲しい思いの波動が

伝わるように思います。

その逆も 伝わります。



むこうから表現されることは、

最小ににて、最大。



私も いつか、

あちらへ移行します。

読んでくださっているあなたも。

それは、苦しみや悲しみに満ちたものではなく

自然な流れなのだと思います。



生まれてくる時、

私たちはみな、母親に耐え難い陣痛を与えて

母親は 身体の中で骨が砕ける激痛を耐えて

この世に 生まれてきます。産みます。

死する時は、

家族に耐え難い苦しみや悲しみを与えて

あちらへ 行きます。

でも、与えるのは 苦しみや辛さだけでは ありません。

自分の存在は 様々な形で派生し、

家族中の人生まで影響します。

自分の人生だけど、自分だけの人生ではない。

そう思います。



そうした自然の流れにそって、

むこうから伝えてくれることを

自然なまま、伝えてゆこうと思います。

今まで通り。



大切なご家族へ、

波打つ感情が苦しいと思われているご自身へ、

静かな心を感じて頂けると思い願いながら

綴りました。





愛は 静けさのなかに。
















※長い文章になりましたことをご勘弁ください。

アガサ 葉山在住
~天国の人々の思いを伝えています~
天国との対話(霊交信 / 霊界通信)






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