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2014/05/09.Fri

人を助ける、救う とは


先日、ご依頼くださった方から

メールが届きました。

困った状態、不安な状態に

陥った人が抱く思いに つけこむ_

誘う側は、自分は、

人助けをしている、

人を救いたい、

そう思いこまれているのですが、

その組織の本音は、欲。我欲。

それは、

なんとも あさましく、

ナンセンス極まりないのです。

言葉巧みな勧誘に、呆れるばかり。

もし、そういうことを言われたら

確固たる姿勢で はっきりと断ること。

それらを一蹴りするような言葉や

真の思いやりや愛というものを

非常に強く伝えてこられたご機会でした。



- - - - -

(ご挨拶文は省略)

大切な○○達、○○のメッセージは、
しっかりと書き留め 深く心に残っています。

(中略)
と聞き、そのメッセージの意味が
私の悩んでいた事に ピタッと一致し
驚きました。

それは、知人から
私が宗教に入れば
○を助けられる!などと言われ
正直、宗教に対して偏見はあるものの、
私が入る事で○を死から助けられるのなら…。
と随分悩んでいました。
(中略)

セッションを終えて
私の事を見ていて、
心配してくれている人達がいる事に
すごく嬉しく思い
感謝の気持ちでいっぱいです。

今は
心が軽くなり
心が丸く、温かく
心がほんわりとしています。

今まで味わった事の無い
不思議な感覚です。

- - - - -

現在の宗教というのは、誘いが増えました。

この方のように、家族への思いやりの心と

不安な気持ちにつけこむような誘い文句は

到底、真とは思えません。

古くからある宗教も、最近では、

人の目をひくような・・・

サービス業のような・・・ことをしてまでも

関心をもってもらおうと必至な感じが致します。

信じる、ということの真意から逸脱している

ように思われます。

本来、そうした精神的なものは

群れる必要性など 全くないのです。



これをすれば、助かる・・・

こうすれば、救える・・・

こうしたら、浄化できる・・・

etc・・・

この手の誘い文句には、

絶対に 心を揺らされてはなりません。

私は逆に問いたい のです_

神様という存在は、

何かをしなければ、救わないのか?

条件を満たさなければ 助けないのか?

人が集まらないと だめなのか?

といった疑問が 出てきます。

それと同じで、

目の前に 溺れている人がいるとします。

同じ宗教でなければ、救わないの?

何かを買わなければ 助けないの?

毎週通わないから 溺れたんだと言えるの?

どうでしょうか???



人を助けたいという心は、

条件付きなどでは ないのです。

小さな子どもだって 知っています。

困ってたら、「大丈夫?」と言います。



集団にならなければ、

何もできないのでしょうか?_

思いやりをかけることさえも。

大声をあげることや、

大きなイベントをすることが、

集会することが、

真理では ありません。



誰もがもっている「心」は

誰からも奪われるべきではないし、

強制されるものでも ありません。



精神的なものに「群れ」は

必要ありません。

圧力に 屈してはなりません。

なぜなら、

信じるということは、

どこかに属したり、

何かを所有することではなくて、

自分の人生から学び、

自分との信頼から発露するもの。

甘い言葉や 強い語気に、

のってはなりません。

自分の心を腐らせてはなりません。



命あるものすべてに、

生きる権利があると同時に、

「 生き抜く義務 」を

ご自分のために 高く掲げること。

自分を守ること。



誰からも 脅されることなど

何もありません。



生きることも、

死すことも、

人を助けることも、

救うことも、

すべて 尊いことなのです。

そこに、条件など ありません。



霊界から来られた方々は、

冷静に物事を観ること、

判断すること、

を伝えてこられました。



本人の力を信じること_

それが

真の救済だと思います。








合掌

アガサ






愛しい家族、大切な人との交流 | Comments(0) | Trackback(0)
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