FC2ブログ
2013/08/26.Mon

迎え入れた命


今朝、子を叱った。



理由は、

子自身が お祭りで釣ってきたザリガニの

お世話について。



我が家では、

捕まえてきた虫にせよ、

何にせよ、

自分が ” 迎え入れた命 ”ならば

迎え入れた者が、最期までお世話をする!

出来ないのなら、元の場所に丁寧に帰すこと!

世話もせず、死なすことだけは 

断じて やっては ならない!

と、決めている。

まあ、どこの ご家庭である決め事だ。



子どもの内に

命の尊さを 学んで欲しい。

これが、子に 伝えたいことのひとつ。



虫だから・・・

ザリガニだから・・・

といって、祖末にすることは

いけない。

その思考は、放置してはならない。

命が在る、ということを伝えたい。

痛みを感じないんだよと、

そんなわけのわからんようなことを

常識のように 捉えないで欲しい。



他の命を「命」と思わないような

ことだけは、芽生えさせては

ならない。



子が 迎え入れた命_

ザリガニ2匹。

家族は、

” その内、強い方に食べられる ”

と、子どもに そう言ったまなしから、

私は 上に書いたとおり、

大切にお世話をするのか、

しないのか、

はっきり しろ

と、 言うのみ。



迎え入れた命。



虫にせよ、

ザリガニにせよ、

犬にせよ、

猫にせよ、

何にせよ、

見た目の 大きさや

言葉が 話せる話せないに関わらず、

命 を見つめる、

命 を育てる、

ということは、

とても 大切なこと。



命のお世話をする、

というのは、

排泄、食べ物、病気 ・・・といった、

すべてのことを やらねばならない。

興味があるうちだけ、

可愛いうちだけ、

というのでは あまりにも 無責任。

面倒くさいからといって、

ゴミのように 捨ててはいけない。

命は 物ではない。

物だって、不法投棄は 犯罪だ。

人として 人の道を 歩いて欲しい。



夏休みは、

自然の命を感じる機会が とても多い。

海、

川、

山。

私たちの 周囲には

命が あふれている。



お金で 買ってきたからといって

人間の「 所有物 」になったわけでは

ない。



天命を 全うするその日まで

自分の子のように、

自分の親のように、

自分の兄弟姉妹のように、

共に暮らすこと。



最期まで思いやりをもって接する。

心ある人に。

これは とても 大切なこと。
















思うこと | Comments(0) | Trackback(0)
2013/08/07.Wed

真なる者


真なる者は

強制 など しない。



真なる者は

ああしなさい、

こうしなさい、

とは

言わない。



真なる者は

これを持てばご利益がある、

これを持たなければならない、

これはあなたのために選ばれた物だ、

とは、

言わない。



人間は、

物を 何一つ持たずに

生まれてきた。

物を 持たずに

あちらへ 還る。



真を 見つめなさい。

見つめる心 と 精神を

自分自身で 養うこと。

肩書きや世間体、世間的評価といった

ラベルに惑わされずに。



真なるもの は、

一切、

強制

強要

勧誘

見下し

といったことは

しない。

そんな安っぽい次元では

ない。



心の目(良識)で見れば

わかる。












思うこと | Comments(0) | Trackback(0)
2013/08/05.Mon

どこであっても


愛や光

内なる光や輝き_

私たちにとって 大切なものは

外 に あるのではない。



有名な神社やお寺

大聖堂や教会

大ホール といったところに

在るのでは ない。



四畳半に満たない部屋であろうと

神具などが飾られてなくとも

祈る者の心が 純粋であれば

どこであっても

その者の 内から 周りからは

愛や 光が あふれだす。



失ってから

人はその命の尊さに

気づくもの。

失ってから、

何が大切であったかに

気づくもの。

嘆き、悲しむ。



どんなに 悲しみが深くあろうとも

命を大切する。

心を見つめる。



どこにいても

前よりも ずっと

あなたの傍で見守っておられる。



どこに いても。
















思うこと | Comments(0) | Trackback(0)
2013/08/01.Thu

場に馴染む


先日、勉強会に 呼んで頂いた。



会場は 整理整頓され、

空調や お香を焚いていて下さったりと

心遣いに 感謝するばかり。



ご参加される方々が来られる前に、

会場の いろんな場所に 座ってみる、

立ってみる。

そうして、

しばらくの間、端っこの方に 座っていた。

そして、

次々に 入ってこられた。

ある方の 小さなつぶやきが

私の心を 嬉々とさせて下さった!




「 先生だと 思わなかった・・・」

初めてのご参加の方のようで、私の顔など

ご存知ない。

この方のこのつぶやきを聴けて

心の中で 私は 万歳をした!



外見で それらしく見せることは

誰にでも 出来る。



濃いめのお化粧をしたり、

インパクトのあるネックレス等を

身に着けたり、

それっぽい話し方・・・をすれば、

大抵は

” いかにも●●らしく ”

見せることは出来る。



それらしく見せることや

気取ることには、

私は昔から、全く興味がない。

普段通りの、

ありのままの自分でいたい。



伝え手だからといって、人様よりも

一段上に 居るわけではない。

一歩先を 歩いているわけではない。



真理を

悟ったようなつもりは

さらさら ない。

真理や霊界に 

修了書や認定書というものは、ない。



勉強会という場では

場所的には、人様の前に立っているが、

位置的には、参加する一人。

魅力的な参加者の方々おひとりおひとりと

私もおしゃべりしたいと思う。



でも、

世の中にはびこる「誤解」「迷信」などを

ご参加者の方々に是非とも払拭して頂きたいと

思うこと_

それらは、伝えたいことでもあるし、

伝えなければならないことだと思っている。



神様、天使、守護霊様、ガイド、宇宙の何たら・・・

そういったことに 熱心になるのではなく、

現実の生活、日常を自分で何とかする!

人からのサポートはあるにせよ、

まずは、

自分が しなやかであることの大切さを

思い出して頂きたい。<



遠いところからのご参加、

万障繰り上げてのご参加、

いろいろなご事情や段取りをされて

ご参加される。

「 この場の雰囲気が良くて しあわせです 」

と、おっしゃる方もいた。



ご参加される方々の誰ひとりとして、

「自分はすごい」

「自分には能力がある」

他の人よりも私は!といった欲が

空気に混じっていないから、

本当に素晴らしいと思う。

だから、とても居心地が良い。



ひとりでも、

そういったことを胸にひそめたり、

よぎったりされると、

その途端、

場の空気はガラッと変わる。

そういうのは・・・・

すぐに わかる。



回を重ねるごとに、

ご参加される方々のエネルギーにより

場が さらに美しく、

居心地良くなってくる。



一重に、

キッカケを創って下さった方と

ご参加者全員の方々との信頼関係に寄るもの。


信頼で成り立っている場所に

立たせて頂ける恩恵に預かり、

いつも 身の引き締まる思いがする。



伝え手が

どこの誰であるか という事よりも

参加者全員が、

佳いエネルギーに なることが大切。



誰が霊媒であるか、

誰が講師であるか、

わからない程、

溶け込めるのは、本当に素晴しい。



特別感は、要らない。

特別になりたいと願っているうちは

何も 見えてこない。

何も 心に届かない。



普通が最高。














思うこと | Comments(0) | Trackback(0)
 | HOME |