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2011/06/21.Tue

我が子を亡くした親の気持ち

子を亡くす・・・ことは、

深い悲しみと絶望感や悲しみは、壮絶です。

そう易々とは薄れたり、消えたりするもんでもないです。

悲しくて悲しくて、辛くて、

少しでもいいから、どんなことでもいいから、

あの子を感じたい・・・・!

もう、藁にもすがる思い。



呼吸をすることさえ、どうでもいいと思うかもしれない。

自分(親)が今生きていることさえ、辛く、残酷。



「 会いたい 」、

「 安らかでいてほしい。」

これしかないと思います。




どれほど愛しいか、会いたいのか、

その思いは、経験したものでなければ、

わからない。

子どもは、可愛いだけじゃない。

子供を育てる、ということは、

尊く、忍耐の要ること。



親になっていく時間や経験や複雑な思いは、

苦楽を共にしたからこそ、愛情が増し、深くなっていく。

時に、魂を削る想いだってする。

頭で、理解するものでもない。



お部屋も、そのままにしてたって いいじゃない。

整理するしない、に正解などありはしないのです。

あの子がふっと帰ってくるかもしれない・・・

あの子の香りを、気配を、思い出を感じていたい・・・

良いとか悪いとかではなくて、お気持ちを大切に。



我が子への思いは、単に、子どもの年齢分の年月を

子が居なくなった年月を過ごせば、

時間が過ぎれば、

辛さや悲しみが薄まってくるものでもありません。



” 時間が流れれば、解決してくれる ”

そんな言葉は、何の役にも立たないと思います。



お父さん、お母さんが、懸命に生きていることを

子どもたちは知っています。

ご家族は知っています。

愛しい方々は心でわかっておられます。



生きることが、地獄かもしれない。

同じ境遇でなければ、本当の辛さというものは、

わかるはずもなく、

はかりしれません。



我が子の名前を言い当てることのできる霊能者や

霊媒のところを彷徨っている方々もおられることでしょう。



名前を言い当てることに、どうか、執着なさらないで。

「言い当てる」に拘ると、

交流は、もはや、純粋なものではなく、執着が混じって

しまいます。

それは交流ではありません。



霊媒のところを訪れて、

愛しい我が子に、

愛しい家族に、会える確率を高くするには、

悲しくても 辛くても

親御さんやご家族が、日常を大切にすること。

難しいことですが、これしかありません。



霊媒のところを訪れることが

すべてでは ありません。



愛しいわが子は、

愛しい家族は、

私たちの傍に そっと寄り添ってくれているのです。








アガサ








愛する人・家族との交流 | Comments(0) | Trackback(0)
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