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プロフィール

アガサ

Author:アガサ
他界された愛するご家族、大切な方との対話を地道にお伝えしています。

アガサ
(2019年春から町暮らし)




- - - - -

息子とこうして交流ができた事を大変嬉しく、ありがたく、思っております。
(略)

息子はもう働いているとは、驚きました。
いつまでも大学生のままではないのですね。

パリッとしたスーツ姿で、嬉しそうに登場してくれた事に、
息子の私を安心させたいという心を感じ、涙があふれてきます。

息子は、私と娘の事や、家族の在り方、いろんな事へ気にかけてくれている。
息子のやり方で、私達を見つめ守ってくれている。

いつもその事へ感謝しておりますが、今回は特にその息子の優しさと強さを感じて、
私の中へ安堵感がぱーっと溢れ続けています。

私は息子へ至らなかった部分や息子へ申し訳ない気持ちが、常にあります。
この罪悪感はなかなか消えませんが..、
息子が大きく優しく強くこちら側を見つめてくれているのなら、
それに答えられるような人間にならないといけないなという気持ちに今回はなりました。



今晩の夕食に、息子からのリクエストの献立で作りました。
(略)
「一緒に食べようね」と息子に問いかけながら、食べました。
涙はでませんが、共有しているという優しさに包まれているような気持ちになりました。
そして不思議な事に、私も娘も「いつも以上の美味しさ」を感じました。
これは息子のパワーだと、信じています。

特別な事をしなくても、普段の生活の中での小さな幸せ、
それを息子はいつも感じていててくれた事にとても感謝いたします。

「◯◯○」というワードが出てきてくれて、本当に、嬉しかったです。
同じ空間で共に過ごしていたという事を、思い起こさせてもらえました。
息子のコタツ布団、時々干さないとね、と。
(この部分アガサさんと一緒に笑えて、嬉しかったです)


昨晩の夢に、赤ちゃんの頃の息子が出てきてくれて、
少しだけお世話をさせてもらいました。
(息子はたまに、夢に出てきてくれています)
(略)
息子とつながっているんだと、この自分の感覚を大切にしています。

そして、アガサさんにして頂いている交流も、大切にさせて頂いております。
胸のあたりがあったかくなるような、開けるような、そういう感覚にさせてもらえております。

アガサさんはいつも、息子と丁寧に交流してくださり、そしてそれをまっすぐに伝えてくださり、
私は息子と交流できる事は当然嬉しくありがたい気持ちなのですが、
息子とアガサさんが交流している事自体も、とても嬉しくあったかい気持ちになっているのです。

生前の息子は、同級生よりも年上の方とのやりとりに安心していたふしがありました。
きっと、アガサさんと交流している息子は、アガサさんから安心と安らぎをもらえているのでしょう。
だから、アガサさんへそういう意味ででもいつも感謝をしております。
今回も息子と交流をしてくださり、本当に、ありがとうございます。

スカイプ、今回はきちんとつながって良かったです。

(略)

- - - - -





どなたかと初めて会う時、初めて話す時、ある程度、緊張します。

交流ともなれば、それプラス、違う種類の緊張が私にはあります。

責任、というものに近い緊張です。



そうしたものも、話していくうちにお互いの信頼関係が繋がり、

増してゆき、友情のような感覚が芽生えてきます。

こうした流れは、こちらもあちらも同じのように思えます。

心と心が在るからです。



違うとすれば、偽は通用しない、ということ。

私達の世界では、外見や言葉を使ったコミュニケーションで

大雑把な関係が成立します。

自己アピールが巧みな人とそうでない人がいます。

それに伴って、損得もあるのかも しれません。

でも、他界は違います。

偽善や嘘は通用しない。

権力や肩書きなども通用しない。

それらは、何の価値もない。

だから、続けようと思えるのです。



普通の人が どれほど美しい心の持ち主か。

地味な人が どれほど愛情深いか。

目立つことに興味のない人が どれほど勇敢か。

大切なことは、肉眼ではパッとわからないもの。



深い辛さと苦しみと悲しさを経験してこそ、

本来の眼(心)が開くのだと思います。

どれほど大事な存在だったか・・・

辛い程の悲しみを経験することになって気づき、わかるのは

残されたと思えてしまう私達だけではありません。

こちらにおられるご家族やご友人も、そう。

あなたの 他界された大切なご家族、大切な人も、そう。



とりかえしのつかない思いを募らせる毎日で

どんなに自分のことが嫌になったとしても、

あなたを嫌いにはならない。

憎むなんて、しない。

だから、周囲の 全く知らない他人様が幸せそうに見えても

ひがんだり、憎んだりは しない方が善い。

後ろめたく思う必要など これっぽちもない。

もしそうしたものがあるのなら、そんなものは

捨ててしまった方が善い。



普通の何気ない平凡な毎日が どれほど幸せなのか_

あなたが身にしみてわかったはず。

これは経験した人にだけ その真価が分かるのです。

辛いほど、悲しいほど、切ないほど、分かっておられる。



特別なことばかりの人生ではないからこそ、

人生に深みが増すのです。



ご飯やおかずを作ったって、物質が " 減る " わけじゃない。

量が減ったらわかりやすいけど、それは仕方ない。

「 作ったって、供えたって、空しいだけ・・・」

そう思ううちは、自分の感情の方が比重が大きい。

物質的なことにばかり着眼するから、分からないだけ。

このどうしようもない思いは、この悲しみは、一体 誰のための悲しみなのか_

そう自分に問いかけ続けたことも、私にはありました。



家族のために疲れていてもご飯を作ってくれる気持ち、

淋しく空しく思えても、平穏と幸せを祈る気持ち。

損得ではなく、自分のためでもない、相手を思う気持ちが

あなたの大切な人の心に 届くのです。

霊媒の言葉だけが届くんじゃない。

一緒に過ごした何気ない日々、日常で培った思いの方が

どれだけ大切で、どれだけ嬉しく思われるのかは

言うまでもないのです。



それは、肉眼では見えない。

物質ではないから。

物は必ず 朽ちます。

必ず 劣化する。

私達側で言うところの"有形"は、誤摩化しても無理。

朽ちて劣化することが自然なのです。



物は大事にすれど、心はもっと大事なのだということを

大切な家族、大切な人の他界によって 私達は身にしみて

分かります。

切なくなるほど、身に沁みるのです。

長い年月をかけて、心底 わかってくるのです。



肉眼で見えることは大事ですが、それだけに頼ってしまったら

それだけが " 存在する " と思い込んでしまったら、

大切なことが 見えないまま。



子どものために、親がご飯を作る。

親のその愛情が肉眼で見えるのか?と言えば、見えない。

見えるのは、料理。

愛情や精神は、見えない。



作っても供えても、確かに 物理的な量は、減らない。

そこだけに着眼してしまったら、子どもさんが気の毒で

滅茶苦茶だと思います。

(きついことばかりを言い、スミマセン)



子どものために作られたご飯の味が

いつもより美味しく思えたのは、

親子、家族の心がお互いに繫がっているのを

心が認識したからです。

心が認識しますと、" 数 " を求めなくなってきます。

ぎゅっとした愛情を認識しますから、回数は無関係。



Yさん、

お母さんを支えたいと思う息子さんの気持ちを

どの言葉で伝えれば 十分に伝えられるのか、

頼もしさをその言葉以外でどう伝えれば、

息子さんの心そのままに伝えきれるのか・・・

言葉に詰まる時が何度もありました。

それほど、息子さんは成長なさっているのです。



お母さんが自分の好物を作ってくれたことに

息子さんは喜ばれました。

いくつになっても、嬉しいもんだと思います。



しかも、オロナミンC付き!















ア独り言:

オロナミンCか・・・

大昔、徹夜続きの時に飲んでたなぁ〜(笑)








= おまけ =

先週のある朝、雪が降っていました。
雪景色も、冬とは違うなぁ〜 と思いました。
どこか、明るい感じがします。

マイナスも朝方のみとなり、マイナスにもならず、1度や2度となりますと
雨戸を開ける時には「暖かくなったなぁ」とほっと息をつけます。
それに馴染んできますと、突然のマイナス5度や雪となると
「 寒っ!」
と言ってしまいます。(笑)
気が緩むんですね。(大笑)

気が張っている時があって、気が緩む時があって、その両方や中間もあって
良いんでしょうね。(笑)








アガサ






 2019_03_15


交流当日の朝、洗濯物用事をしていましたら

遠くで 救急車のサイレンの音が聞こえてきました。

その音に安堵する自分が居て、

すぅーっと眠りについていく自分も居ました。



サイレンの音は この山の中のものではありません。

普段の私なら、サイレンの音を聞きますと反射的に祈ります。

他の方々と同じように。

交流お約束日の朝に 聞いたそのサイレンの音は何といいますか、

とても安心できる音でした。

< これで安心。あれは自分のところに来てくれる救急車だ >

自然に、そう思えました。

その音には、

救急隊員の方々の責任感と人を助けたい気持ちが感じられました。

目に見えない思いやりや使命感が 物理的なものを越えて

安心と安らぎを与えてくれたのです。

周囲の人達にとってはドキッとするサイレンの音ですが、

その音を耳にすることが出来、安心を得て、静かに、

すぅーと寝入る感覚に成ったのです。

気づくと 立ったまま、目を閉じている私がいました。

( 何してたっけ?・・・あぁ、そうだ。洗濯の途中だ。)

そう思い出して、いつも自分に戻りました。



Yさんは、交流を数年待たれたようです。

そのYさんから頂いた " 心のメール " の一部をご紹介致します。



- - - - -

(略)

主人は3年前に急性大動脈解離で倒れ、そのまま亡くなった為、後悔ばかりでした。
共働きの為主人の健康管理も十分できなかったのが、原因だったのでは。
私が仕事を辞めていれば良かったのでは。
だから、交流の場に来てくれないかもしれないとの思いがあり、
お願いするまで3年かかりました。

「ああすれば、こうすれば、もっと生きれたのかも、と後悔した時期もあったけど、
今はもう後悔していないから。湿っぽいのは嫌いだから。」とアガサさんから伝えられた
主人の気持ち。
お互いに3年という時間が必要だったのだろう、と思います。

亡くなった時にせめて痛くなければ、と思っていたのですが、
「救急車の音が聞こえただけで、体が痛いとはなかった」と聞いて、少しホッとしました。

「自分の遺したものは処分していいから。2〜3年使用しなかったものは必要ないから。」
と伝えられた主人の言葉。
これから引っ越しする予定で、主人の持ち物を並べて、途方に暮れている私を見て
「このままでは引っ越しできないぞ」と背中を押してくれたのだろうと思います。
ただ、私が心強くなれる物は手元に置こう、と思います。

「そんなに頻繁にお供えしなくても良いから、多めにしてほしい」と
食いしん坊の主人の要望を伝えられた時には大笑いしてしまいました。
というのも、今年に入って「もう4年目になったし、そちらでもダイエットしてね。
もう特別な日しかお供えしないよ。」と主人の写真に向かって言ったのを聞いて、
慌てたんだろう、と。
本当に変わっていないなあ、とほっこりしました。
これからは、去年と変わらず、お供えをするつもりです。

「姿は見えないけれど、今もいるから。今も愛しているから。いつか会えるから。」
と伝えられた主人の気持ち。
突然亡くなった為、心の準備もなく、現実に対処すべき事が次々と起こり、
独りで生きていけるのだろうか、と悩んだり。
周りの人達が皆幸せに思えて、落ち込んだり。
そんな中、主人も陰ながら手助けしてくれたのだろうけど、
いろいろな人に手助けしてもらえて、今日まで無事に生きてこれたなあと思います。
(略)
主人の死によって「人との出会いをもっと大切にしなくては」と思えるようになりました。
それと、
いつか私の人生も終わるのだから人に迷惑をかけない程度に好きなことをしよう、とも。
こうならないとわからなかったのは、本当にもったいないですけど。

(略)

- - - - -



交流を終えた時、いつも思います。

人生は続くんだな・・・ということを。

辛く重い身体から脱した楽さは得れるにせよ、自分の感情と

向きあうことは、どちらに所属先を置こうとも変わらない。

むしろ、

重い肉体を維持するための時間(生活するための仕事)が

ぽんっと宙に浮くため、自分の感情と向き合うことが増える

のだろうなぁ・・・

そんなふうに思えています。



Yさんのご主人がおっしゃった、

<ああすれば、こうすれば、もっと生きれたのかも、

 と後悔した時期もあったけど、今はもう後悔していないから。

 湿っぽいのは嫌いだから。>

というお気持ち。

私達は 毎日 生きることが精一杯で、

生活を営むために働くことで精一杯で、

"ちょっと余裕が出来れば、どこかに行こうか、

何か美味しいものを食べに行こう!" という励ましを胸に

仕事、仕事、仕事、の日々を送るのです。



味気ないように思われるかもしれませんが、

家族のために 好きでもない仕事をする、

生活のために やりたい方向ではない仕事をすることは

それはそれは 尊いことだと 私は思うのです。

仕事というのは、誰かのために 尽くすということだと

思うのです。

自分のためにだけの、仕事は限界があり、飽きてきますもの。(笑)

家族のために、

お客様のために、

顔を合わすことのない誰かのために、

腹立つこともあったり、文句を言いたくなる日もありますが(笑)

やっぱり 誰かのために 働いているのです。

働くということは、本当に尊い。

良いことづくめではないからこそ、尊く成るのです。



重い肉体を持っている私達の3年間、年月の経つ感覚と

他界での感覚とは、少し違うように思えます。

これは、交流を通しての、私の感想です。

正しいのか、真実かは 分かりませんけど、そう思えます。



大切な人の他界を経験してからでないと、

心底 わからないことの方が多いかもしれない。

それでは遅いじゃない!

と思う人がおられるとすれば、私はそうは思いません。



身を切られるような悲しみや苦しみ、辛さを経験して

物事の本質や大切なことに気づくことだって多いと思います。

後悔や反省しても、あの人は、あの子は帰って来ない・・・

そう思われる方の方が多いでしょう。

ああすればよかった、こうすれば良かった、

そうしていれば、今は違っていたかもしれない・・・

・・・こう言うのは簡単ですよ。

辛い経験をしなかったら、きっと、そうは思えなかったと

思いますよ。

他人様の悲しみは、所詮、他人事。

よくある本音です。



そうじゃない。違うんです。

断腸の思いは、相当なもんです。

言葉で軽く言える言葉ではありません。

痛みは辛さというのは、言葉では言えない時期があるんです。

辛い、というのも言えない。



Yさんのご主人や、今まで交流に参加してくださった方々も

きっとおっしゃっていたと思いますが、

そうした思いを乗り越えて来られての、今なんです。

残された私達だけが 悲しいわけじゃない。

残された私達だけが 辛いわけじゃない。

忘れ去るわけじゃないし、

置き去りにされたわけじゃない。



< 湿っぽいのは嫌い >

仲介する私は、そのままの言葉でYさんに伝えました。

ご主人も きっと 湿っぽくなられていたんだと思いますよ。

ある時期は。

そうじゃないな、そうじゃいけないな・・・

そうした時期を過ぎての 今なんです。



他界は 不自然な場所ではありません。

詳細に渡り、何でも分かって、何でも知ることが出来る、

全知全能に成れるかのように思うことの方が不自然だと思います。



大切なこと_

思いやりや愛情を見つめ、温める場所だと 多くの交流に

参加させて頂いて そう思うのです。




交流は、人生そのものだと心底思えるからこそ、

続けるのかなと思います。

交流は、特別ではありません。

非現実な絵空話や架空物語でもありません。



特別ではない平凡な日常の積み重ねだからこそ、

自分は続けて、続けられるのだと思います。



普通が一番しあわせなんだもの。














= おまけ =
すみません!
おまけ写真がありません!

花粉の純度が高い山の中ですので、皮膚炎を優先して、
今のこの時期は、ほとんど山歩きをしていません。

もうちょっとの我慢我慢!(笑)









アガサ







 2019_03_04


Kさんから頂いたメールです。

- - - - -
(略)

先日は、穏やかに過ごす息子の様子をお伝えいただき、ありがとうございました。
表現の仕方、言葉の使い方、考え方、すべてが生前の息子の姿そのもので、
旅立った日からずっと苦しかった気持ちが少しほぐれていきます。

アガサさんが仰った「(略)」、
心に温かく心に染み込みます。

穏やかに楽しくいてくれている、場所が変わっただけで、
今も息子は何にも変わらずに過ごしているんですね。
それどころか、新しいお友達も二人出来て、勉強したり、
私のそばにも来てくれたり、
忙しく、まだまだ成長・進歩を続けていることが、
夢のように嬉しい事でした。

自分で下した人生の大きな決断に今もぶれることなく、
「これで行くしかない」は実に息子らしく、
悲しいことではありますが誇りにさえ思えます。

おにぎりにはびっくりしました。
息子が食べたいと思う気持ちが私に伝わったのか、あるいは、
私がおにぎりを思い浮かべた事を「知っているよ、そばで見ているから」と教えたかったのか。
どちらにしても、お互いに想い合っているんだという事を心底実感しました。

私が生きている限り、手元に置いておこうと思った息子のお骨、
納骨することにしました。
お墓を購入し、墓石のデザインも慌ただしく決めました。
「◯」の文字を入れます。
いつかお墓を建てたらそうするつもりでした。
ただ、これは「いつも想っているよ」の気持ちでしたが、今の思いはまったく違います。
「お互いに想いあっているね、永遠に」ということ、
そして、想いが一方通行ではなく、息子も常に私たちを想ってくれている事に
「ありがとう」の気持ちを込めて。

(略)
- - - - -



あまり話さない、

口数の少なさは 私自身あまり気になりません。

話したくないわけじゃないのです。

自分の存在を知ってほしい、

一言でも何か話したい、

そうした思いがあるからこそ、

他人の私の傍に立ち寄ってくださるのです。



口数が少なくとも、大切な思いがある_

この些細な当たり前にも思えることが心底わかった時、

青年がどういう伝え方で伝えてくれていたのかが

はっきりとわかったのです。



< この人(私)、わからんちんだなぁ〜 >

と苦笑いされていたかもしれませんが、それでもなお、

息子さんが諦めもせず 心から話してくれていたから

わからんちんの私に届き、伝わったのです。



< 普通のおにぎりが 食べたい >

( 普通のって、混ぜ物なし、ですか?)

そうすると、彼は私に懐かしいあのおにぎりを見せてくれたのです。

( あぁ!これね! 本当に普通のおにぎりだ!笑)

( お母さんにそう言います。わぁ、美味しそうだなぁ。)



おにぎり。

おにぎりなんて、ものすごく些細な小さなことだと思われるでしょう。

大したことじゃない、と思う方もおられるかもしれません。

だけど、そうじゃない。

些細なこと、普通のこと、特記すべきことではないことを私は

ものすごく大事に思えます。

日常の気持ち、感情ほど、その人らしさを感じるのです。



おにぎりのことをKさんに話しますと、本当にびっくりされていました。

私の方がびっくりするぐらい、びっくりされていました。

それが、家族なんです。

他人は取るに足りない、大したことのように思えないことでも

家族にとっては、大切な人にとっては、大きなことなのです。

それが想い。



想いというのは、思いじゃない。

相手を心から思う想い。

美しいですね、日本語は。



子が親を想う。

親が子を想う。

大事な人を想う。

その想いは、やっぱり伝わっているんだなと思いました。



淋しいは、当たり前。

悲しいも、当たり前。

逢いたい、というのも本音で、

それは無理だろうなと思う自分にがっかりするのも本音。



逢いたい、抱きしめたいを私達はこちらでいっぱい貯めるんです。

めっちゃ貯まるでしょ。

私も相当貯めてます、逢いたい気持ち抱きしめたい思いを。



息子さんが「普通のおにぎり」とおっしゃって見せてくださったのは

本当に 普通のおにぎりでした。

交流の後、その普通のおにぎりが私も大好きだった少女の頃を

思い出しました。

母が学校から帰ってきた私や兄弟のために、

普通のおにぎりをおやつとしてお皿に置いていってくれてたこと。

母が作ったしりから、その普通のおにぎりは 子ども達の口に入り、

お皿不要だったことも。



ほかほかの白ご飯に、塩が少しあって、

ノリがちょっとだけ巻いてある 普通のおにぎり。

母の味。

おふくろの味です。



特別じゃない " 普通のおにぎり "だけに、

交流の後、思い出して ちょっとだけ泣けました。



母の味 か・・・

懐かしいなぁ。















= おまけ =

ちょっと前まで、雪が積もっていたのですが
ここのところの気温で 雪は解けてしまいました。
だけど、山の中のお天気は天気予報通りにはいきません。
4月ぐらいになって、突然降ったりします。
だけど、
もう春が近づいているんですね。
この寒い写真の芽も膨らみ続けていますよ。











アガサ

















 2019_02_25


Kさんから頂いたメールをほぼ全文掲載させて頂きます。

書かれた言葉ひとつひとつにKさんの思いや日常が含まれています。

それらを想像し、かみしめながら ゆっくりお読みください。


- - - - -

(略)

今回は2度目の交流でした。最初は夫が亡くなってちょうど◯年後くらい。
その時の夫は突然の病死で混乱していたようです。
しかし夫と話すことができ感激と感動で涙波でした。

2度目の今回は、亡くなって◯年。
必ず来てくれると思っていたせいか、どこかワクワクしてこの日を待ちました。
前回の経験やメールのやり取りから、アガサさんを200パーセント信頼していたので、
(ア:Kさんのご信頼は伝わっています。ありがとうございます。)
不安心配は全くなく穏やかにこの日を迎えたと思います。

まず夫が伝えてくれたのは、私の身体のこと。
身体が冷えていて体調を崩していること、自分(夫)のかわりをしようと
何でも買って出て私一人でやろうとするのを、やめないといけない、
一人じゃなくもっと誰かの手を借りる方法がある、そのことを私に
ずっと言おうと思っていたこと。
もう私自身も納得することだらけでした。
節約のため、一人の時は暖房を使わずにいた私を夫は心配して
身体を冷やしてはいけないと言いました。
(略)
昔から登山、山が大好きな夫が、山にお住まいのアガサさんとその環境を
羨ましく興味を持った様子を伝えていただき、本当に間違いなく
我が夫がいると嬉しく思いました。

この交流の日はあえて子供の大事な日にしました。
子供が大学で長いこと勉強し、とても大事な発表をする日、その時間でした。
大学に入って一年ちょっとで、夫は急に亡くなりました。
一番心配していたのはその息子のことだったでしょう。
息子にも大きな葛藤がありましたが、しっかり勉強を続け、今後もさらに
学んでいくことを決めました。

交流の途中で、夫が「息子がホッとして満足そうな顔をしているのが見える」
と言うのをアガサさんを通して知り、私も息子が大事な発表をやりきったのだと
確信し、本当に本当にホッとしました。
夫の言葉はアガサさんを通して伝えられるわけですが、私としたら
夫と普段のように会話していた感覚でした。

(略)

私が一日中、うるさいくらいに夫に話しかけいる(ほぼ独りごと)のも
夫は聞いてくれていたんですね。
3割はありがたく、3割は面白がって、残りはちょっとあきれて?(うちの
奥さんよく喋るな〜)聞いてくれてるようで(笑)。

こちらとあちらは全然別の世界のように思っていましたが、
そうではなく重なってるところがあるんですよ、ラジオの電波のような
感じです というアガサさんのご説明がわかった気がしました。

この交流の前、夫のお墓参りに行きました。
夫からの言葉は、「寒くなかったか?有難いけれど
無理しなくていいよ。自分はそこにいるわけじゃないし」でした。
確かに久しぶりに雨が降って寒かったのです。

姿形は見えなくなった夫ですが、それでも私や息子を心配して
今も想い続けてくれていること、さりげなく側にいる合図を
送ってくれていること、大きくなった息子だけど時々幼い日を
思い出し今もとてもかわいいと思っていること。
それは私が知る夫そのものでした。

夫の死から◯年がたっても、実はまだまだ私は泣いて、まだまだ暗闇に
落ち込み、全部は夢なのではと思う日もたくさんあります。
しかし交流を通して、夫は死んだけど今もいる。はっきりそうわかって
本当に心が楽になり、穏やかな気持ちになれました。

(略)

- - - - -



交流も終わりかけていた頃、

私「何かお尋ねになりたいことはありますか?」

K「 以前、熱心にマラソンをしていたのですが、

  今も走っているのでしょうか?」

そのままの意味で、ご主人に尋ねてみました。

すると、満足そうな顔をなさって

< いいえ。もう走っていません。>

( そうですか。)

< 走る必要がなくなったんです。笑>

( 必要?)

< はい。>

「 Kさん、ご主人は今は走っておられないとのことです。」

「 そうですか。」

「 はい。満足そうな顔をされていて、走る必要がないそうです。」

ちょっとだけ間が空いたように思いますが、

Kさんはすぐに納得されたように こう話されました。

「 走る必要がない、というのはわかります。

 仕事が忙しい人だったので、『 走らなきゃやってられない。』

 とよく言ってました。じゃぁ、満足しているんですね。」

「 だから満足顔なんですね。なるほど。」



ご主人は前日ぐらいからでしょうか、何度か私に

同じことを繰り返して 話しておられました。

< 焦って なんでもやらなくていいよと話してください。>

( わかりました。Kさんにお伝えします。安心してください。)

確か数度言われていました。

その度に同じ返事を返しました。



言いたいこと、話したいことというのは、

そんなに多いわけじゃない。

だけど、話される言葉ひとつひとつには 心がこもっているのです。

妻を思う気持ち、

子を思う気持ち、

気持ちや心というのは、深く温かさがあります。



心ごと まるごと受けとめて、受け入れて、

ご家族に 心から伝えて、

ご家族が 心から受け入れられて、

そうしてはじめて、「伝えましたよ」と返事できるのだと

思っています。



交流の時、突然、ご主人が嬉しそうになさって

< 息子がほっとして、満足そうな顔をしています!>

と、おっしゃったのです。

( Kさんに伝えます。)

「Kさん、今、ご主人が「 息子がほっとして満足そうな

 顔をしてる!」とおっしゃったんですよ。」

「 あ!そうですか! そうかもしれない。今ぐらいかも

 しれない。」

電話口でぽかんとしている私を察知してくださったKさんは

「 多分、論文発表が終わったんだと思います。

 それぐらいの時間だと思います。

 そうですか! 良かったぁ!」

と それはそれは嬉しそうでした。

本当に嬉しそうなご夫妻。

お父さんとお母さん。

私は、胸にぐっときていました。

息子さん、頑張ったね。としみじみいたしました。



親が子を思う思いは、とても深いように思います。

子の成長に応じる時、時に、親は複雑な思いを経験します。

成長は、嬉しいこともあるし、もう親の手を離れていくんだ

という一種の淋しさもあるように思えます。

親が子に対しての考えや扱いを あらためなければなりません。(笑)



そして。

父親が子を思う、その思い方と 母親が子を思う思い方は

また 少し違うように思えます。

どちらも体験させて頂きました。

どちらも私自身、体験中ですので非常に参考になりました。



海より 深く、

山より 高く。

ですね。



付け加えるならば・・・(お許しください)

海より 広い選択肢を与え許し、

山の隆起のような人生であろうとも、

子は 子が 自分の人生を生きるのだ。

親は・・・子の空気を感じ、

子を人として敬意を表する・・・

そのように思えています。















= おまけ =

先々週でしたか、そこいらの枝には美しい自然の造形がありました。
氷の透明度が高いでしょ。
本当に綺麗なんです。

今朝、家族の見送りから帰ってきますと、マイナス10度。
なんだか、首もとが寒いかも・・・と思っていたら、
マフラー、してないやんっ!!!
随分と慣れたふうですね、寒さに。
慣れたんじゃなくて、諦めです。(笑)
こんなに寒くても、ぼちぼち、虫を見かけるようになったんですよ!
まだまだ、寒いから出てこなくていいよ・・・(苦笑)








アガサ









 2019_02_01


多くの方々が交流に望まれることのひとつに、

他界した家族や大切な人は、" 私達のことを何でも知っている "

と思いこんでしまうことが挙げられます。



悩んでいることや迷っていることについて何も尋ねていないのに、

それに関して助言されたら、びっくりします。

(私もびっくりします。)

知っていてくれていることは、とても嬉しく、

歓喜に似た気持ちになります。

けれども、「 知ってくれていない = 無関心 」では

ないのです。



いつも 自分のことを見ていてほしいと願うのがいけない、

という意味では ありません。誤解されませんように。



「 ブログに書かれている人達のように、

 自分の家族も そう言ってくれたらいいなぁ・・・」

と、思われる方々も多くいらっしゃいます。

お気持ち、わかります。

羨ましく・・・思ってしまいますよね。

いいなぁ〜と思ってしまうかもしれません。



お伝えする時、交流の際に私が願うことは、

伸び伸びとされておられる状態であるかどうか ということ。

思いつくまま、羽を伸ばして自由に交流して頂きたいのです。

交流に臨む方の気持ちとしては、すごく複雑ですけれど

それでも、やっぱり、微塵の束縛も制限もかけたくはありません。



良い雰囲気だったら、来易いし、話し易いと思います。

自分の機が熟していないのなら、私だったら行かないかな?

話せるようになったら、自然と話したいと思うでしょう。

とにかく、良い雰囲気、話し易い雰囲気を作ることが私の

努めることの大きなひとつだと考えています。





Yさんのご感想を少し掲載させて頂きます。

- - - - -

(略)
おかげで素晴らしい時間を過ごすことができました。

じいちゃんが来てくれたのは驚きましたが、
昔から目に見えない誰かが僕のことを常日頃から見ているとしたら、
それは多分じいちゃんかなぁと勝手に思ってたので、
「やっぱりそうなんだ!」と嬉しくなりました。
じいちゃんの子供や孫の多い家系なので、
四六時中僕だけ見ているワケではないと思います(笑)。

◯さんとも久しぶりにお話できて楽しかったです。
昔、◯さんに何度か転職の相談をした時に
「自分の将来のことは自分自身で決めるものだから、
Yがそう思ったのならこっちが引き止められるものではないけど、
でも辞めて欲しくない」と話していたので、
退職することに関してもっとしんみりするかと思ったら意外(?)と
サバサバしてるというか、むしろ背中を押して送り出されたような感じ(笑)。
それもまた◯さんらしいなぁと思いますし、
(略)
職場を離れても変わらぬ縁でいられるのは、ある意味では
こういう状態になったからこそなのかなと思います。
(決して他界されたことが良いというワケではありません)。


- - - - -



Yさんは、とても自然な雰囲気を持っておられる男性です。

素朴な方です。

Yさんが職場でとても信頼されている先輩とお祖父さんとの

交流をされました。

先輩は確か・・・子どもさんのことをすごく気にかけて

おられらたのを思い出します。

子どもを残して、若くして他界された先輩◯さんにとって、

一番気になるのは当然ながら、子どもさんのこと。

子どもさんのことを抜きにして、Yさんのことだけを

話し続けておられたとしたら・・・

多分、私は不自然さを感じます。

交流前に、子どもさんのことを気にかけておられることを

話して頂けたから、私も先輩○さんへの信頼を厚く出来たのです。

Yさんとお祖父さん、信頼の厚い先輩との繋がりは、

非常に深く、とても自然な繋がりです。



自然で深い繋がりというのは、

情報として知っている事柄の量では計れません。

尊敬し、信頼をしている人のすべてを知っているというのは、

ある種の不自然さが匂います。



" 自分のことを知っていてほしい。"

知るということは、理解する とは違うのです。

知るということ自体は、淡々としています。

物質的です。

知るは、単なる情報。

理解する、というのは、思いやりやご本人の人生経験が

含まれいると思います。



" 相手を理解する。"

そこには、自分の感情や希望は 横に置いておける、

相手を理解しようとする深く広い心が在るということ。

それが、自然で深い繋がりだと 私は思うのです。



こちらとあちら、所属する先、土俵が違うといえども、

自然な繋がりに垣根はありません。



交流に対しての偏見も取除いていきたいと思います。

その偏見とは、不安という意味。



信頼に不安など微塵もないのです。

交流は、そのことを再認識して頂く機会でもあると思うのです。















= おまけ =

山に住む動物達の足跡です。
右下は、鹿さん。コーヒー豆のような感じです。
左上は、多分、狸かな。
最初、猫ちゃんかなと思ったのですが、ちょっと大きめ。
狸ですよ、狸。

先日、人の気配(私達家族)がしたので急いで逃げる際に
雪でツルッとずっこけていました。
その姿を見た家族達は「お母ちゃんみたい」と即効言いました。
言われる前に、ずっこけた狸の姿に親近感がわいていました。
(どんくさいことを自分で思う分はええけど、
 いちいち、家族から言われんのは腹立つねん!(笑))

動物占いで、たぬきだから親近感がわくのでしょうか?(笑)








アガサ








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