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2019/07/10.Wed

子どもの気持ち

親の他界を幼いうちに経験されるのは、想像絶することです。

家族や大切な人の他界は、大人だって辛いのですから。



あるお母さんから、メールを頂きました。

思うところをお返事させて頂きましたが、これが正解というのは

ないと思います。

ただ言えるのは、子どもの気持ちになって(想像して)みよう

ということです。



頂いたメールの一部です。
- - - - -

娘は、夫が亡くなってから 夫のことを「怖い」と言うようになりました。
最初は見えているからなのかな、と思っていました。
葬儀、告別式と夫の事は見ず、最後の最後まで拒否しました。
あったかいパパがいい、冷たいパパは嫌だと言って。

一週間ほど前に、寝ながら泣いていました。
結構な泣き方でした。
起きてから、嫌な夢だったの?と私が聞いたら、うん。と。
私が、もしかしてパパの夢?と聞くと そうだとは言いましたが、
怖いから言いたくない、と。
次の日も夫の夢を見たそうですが、それも教えてはくれませんでした。

娘は夫の何に怯えているのでしょうか?

- - - - -




幼い娘さんが「怖い」とおっしゃることについて、ご心配でいっぱいと思います。

でも、しばらくは、そっとしておいてあげてください、と思います。



とは言え、大泣きするわが子をほっとくわけにはいきません。

「どうしたの? 何が怖いの?」と何度も尋ねたくなるのが親です。

視点をかえますと、親が尋ねることで、娘さんは怖さを思い出してしまうのです。

怖い夢は、大人だって 思い出したくはありません。

(嫌な夢を見たら、いまだに、" バク バク バク"と私はつぶやきます。
夢を食べると勝手に人間が言ってる勘違いを40年以上も前から続けてます。)




ご質問で私がお返事できるとすれば、

娘さんは、人が亡くなるということを怖がっておられるのだと思います。

大好きなパパの他界は、言葉では表現できない程です。

ショックと不安と怖れや様々な気持ちが混ざって、怖い夢を見てしまう

のは、仕方のないことです。

平気で居られるわけがありません。

それと、人間誰しもが持つ、死への恐怖もあるのかもしれません。

特に小学生の間は、そういうことも考えてしまうのです。



どれぐらいの月日かは人によって違いますが、月日が流れ、

娘さんご自身が心の整理がついた時、ぽろっと話し出されると思います。

渦中の時の心情は、大人でもなかなか、人様には言えないものです。

自分のなかで、少し整理をつけ始めてから、

友達や何やらに話せるものだと、自分の経験から思えるのです。



泣くことも、そうです。

幼い娘さんは、まだ一度も泣いておられないとのこと。

心配でしょうけれど、これも、娘さんの時期があります。

家族といえども、泣く時期は一緒ではありません。

ひとりひとり、感情も性格も違います。

娘さんのなかで、整理できたら、泣かれると思います。



母親の私達に出来ることは、子どもが辛そうな時に出来る限り、

傍に居てやることだと思います。

仕事を持つお母さんがほとんどの時代で、家に帰ったら帰ったで

やらないといけないことが山積していますが、

「時間がない、忙しい!」と目を釣り上げるよりも、たまには、

片付けなくても大丈夫ですから、努めてゆっくりなさってください。

" ほら、お母さんはゆっくりしてるよ。出来てるよ。" と

声なき心の声で、お子さんが寄りつける空気を作ってみてください。



親が言葉少なめでも、愛情いっぱいな余裕な時間と空気を持ち続けますと

子どもは、言葉をかけやすい、話しかけ易いと思えるのです。



ゆっくりした時間を作ったからといって、親の方から頻繁に

「 どうしたの? なんか辛いことあるの?」と言うのは控えること。

大抵は、

「 ない。大丈夫。」と子どもは言い返しますから。(苦笑)



どうしても気になる、ということであれば、

学校に来られるカウンセラーの存在を話してあげてはいかがでしょう。

最近はどこの学校でも、月1か、月2ぐらいで来られていると思います。



「お母さんに話しづらかったら、学校に来られるカウンセラーの先生に、

ちょっと話してみたら、どうかな。優しく、聞いてくれるよ。」

さらっとアドバイスするのも、ひとつだと思います。



母親としても非常に辛いですが、辛いのは自分だけじゃない。

母親の立場も辛い、

子どもの立場もつらい、

男子は男子なりに、

女子は女子なり、

年齢それぞれの辛さも違ってくると思います。

感じ方も ひとりひとり違います。



家族といえども、悲しみや辛さは、

決して、同じタイミング、同じ内容ではありません。



親が心配すると思って、なかなか、胸の内を言えない子ども達は

たくさんおられます。

第三者になら、話せることも多々あると思います。
※学校のカウンセラーのこと。




戦争の頃は、周囲に 身近な家族、特に父親や兄、弟を

戦争で亡くされた方々は多くおられました。

ですから、お互いがお互いの気持ちを思いやれたんです。

協力も自然な形で出来たのです。

そういう意味で、今は、戦争していない状態にある日本。

周囲に似たような思いをしたお友達やご近所さんは

居そうで居ないのです。



ですから、励まそうと思われて言葉掛けされた言葉は、

相手の気持ちを励ましたい、自分の気持ち寄りなのです。

悪気はないと分かっていても、言われた方は、傷つくのです。

同じ経験をされていたら・・・少しは違う言葉や表現を

なさっていると思います。



「 だいぶ、元気になったね!」とか、

「 いつまでも亡くなった人に縛られていたらだめだよ。」とか、

「 元気だして。◯◯さんもそう思ってるよ。」とか、

「 頑張らんと、◯◯さんも悲しむよ。」

などなど。

悪気はないのですが、相手の気持ちを察しきれていない。

想像できないのです。



それは、家族間にもいえること。

親子といえども、同じ気持ちではないのです。

温度差があるのではなくて、感受性の違いです。



悲しみや辛さを表現することを焦ってはなりません。

ご自分の悲しみや辛さや今後の生活へのご不安がありながらも、

お子さんを心配なのは、お察ししています。



焦るよりも、ゆっくりとなさってください。

そして、たまには、頑張ることをお休みなさってください。

「 たまには、ピザ、注文しよか!」とか、

「 たまには、回転寿司食べよか!」とか、

子どもさんが好きな食べ物を食べるのも、良いと思います。



便利さと機械物に囲まれた世の中に生きていると、

便利さと機械物の副産物

→ 待てなくなる、即、結果を求めてしまう

→ 焦らす、焦らされる、イライラする、等

心身の安らぎを便利さの副産物によって負荷(ストレス)で

アンバランスにさせてしまうのです。

大切なことを見失ってしまいがちな日常を送ってしまうのです。



だからといって、

家庭内においてまで、負荷を積み重ねることはありません。

親も子も、大変なんですから。



子どもの気持ちに寄り添うというのは、

家庭の本来の姿にもどること。

本来の姿というのは、心に寄り添うということ。

待つことも、そのひとつ。

第三者の手を借りるのも、そのひとつ。



家の恥かどうかで判断するのではなくて、

その子にとって善いかどうかでお決めになるのが

最善だと思います。



子どもは、いつも 真実を見ています。

特に小学校の頃は。



大丈夫。

お子さんは、お母さんが自分を信じてくれているという空気を

感じ取りますから。

すぐに結果は出なくても、良いんだと思うこと。

この子には、この子のペースと感受性があるんだということを

大事に温めてあげてください。
















子どもと一緒に過ごせる時間はあっという間です。

気長に。



アガサ












頂いたメール | Comments(0)
2019/03/13.Wed

先程、Kさんから頂いたご無沙汰メールと共に

満開の桜写真を頂戴しました。

春めき桜と呼ばれている桜だそうです。



わぁ〜、綺麗ですねぇ。

本当に美しい。

ぱぁ〜と気持ちが晴れてくるようです。



こちらの山の中も随分と春らしくなってきたとはいえ、

朝晩はまだマイナス。

今日の午前中は、雪が降っていました。





良いことばっかり、楽しいことばっかりでは

感覚が鈍ります。

日々、いろいろな経験をするからこそ、

季節折々の美しさに見とれるんですね。



すでに桜をご覧になっている方々もいらっしゃると思いますが

あらためて、ご覧頂ければと思います。



ありがとうございます。






















アガサ







頂いたメール | Comments(0)
2018/10/24.Wed

まだそういうことを言う人がいるの?

Kさんから頂いたメールの一部です。

同じような思いをなさっている方がおられると思い、

掲載させて頂き、経験に基づいた私の考えを申し上げたいと

思います。



- - - - -
(略)

当時、子を喪ってまだ半年も経たない頃、電話で視ていただき、
交流に涙涙だったことを昨日のことのように思い出されます。

子が旅立って◯年◯ヶ月経ちますが、悲しみは消えること無く、
突然大きな喪失感に襲われますが、前を向いて歩こうと頑張っていたところ、
最近霊視を受ける機会があり視ていただきましたら、
子はまだ成仏出来ていないと言われ、また暗闇の中に突き落とされた気持ちになりました。

- - - - -



お読み頂いた方々それぞれにお考えがあると思います。

ご自分のお考えを大切になさりながら、お読みください。

私は自分の経験や考えが絶対的に正しいとは露ほども思いませんが

言うべきことは言わせて頂こうと思っています。(苦笑)



子どもが他界して、淋しく辛くない親など居ません。

それで普通と思います。

年の順に他界しても、子は親の他界を淋しく思います。

これも普通と思います。



世の中には様々な方々がおられます。

特に見えないとされているものを「見える」とする方々は、

何故か変わった方が多いように思えます。

ご自分の感覚を疑わない方々が多く(苦笑)、自分の感覚が絶対に

正しいように思われています。

(この部分が不思議に思えます。)

別の角度から客観的に物事を見れないし見ない性質の方が多い。

だからでしょうか、目つきがおかしかったり(苦笑)、

何でもかんでもあちらのせいにするように成ってくるのです。

人格が歪んでくるのでしょうね。

ご自分を特別扱いしたいという欲が良識を蝕むんです。



そうした方々は、簡単に人様に「成仏していない」ということを

おっしゃるのです。

まだそういうことを言う人がいるの?! とびっくりします。

口悪い私からしますと「アホか」と思います。

そういう方々の、そうおっしゃる部分、その鈍さが「アホか」です。

( 口が悪くてスミマセン )



成仏するしない、成仏してるしてない_

これらを判断するのは霊媒ではありません。

断言する権利など、誰にも無い。

どんなに有名で著名で能力があると言われていても

そんなことを言う権利など無いのです。



大切なお子さんを愛し続け、心が引き裂かされるような悲しみを

日々お持ちなのは、誰ですか?

親でしょう?

ご家族ですよ。

そんなことを平気で言う霊媒に、何がわかるっていうんです?

思いやりや良識が欠如しているような人から、

言われる筋合いは無い。

思いやりや良識の一片もない人に正しい霊視など出来るとは

到底、思えません。

何をご覧になっているのでしょう。

ご自分の感覚は絶対正しい!と疑わない方でない限り、

そんなことをうすらしゃーしゃーと言えるわけがない。

本当に、酷過ぎる。



ま、いろんな人がいる、ということです。

そういう人の言動は、気になさらないこと。

( 気に障るし、腹立つけど、ほっときましょう。苦笑 )



いつも 子を思い、家族を思っているあなたは、

身勝手で無責任な人の一言に重きをおかれるのではなく、

愛を深さを経験なさっているのですから、これからも

お子さん、ご家族を大切になさること。



愛の深さは、お子さんが一番よくご存知ですよ。

大切な家族、人の他界を経験なさった多くの方々が

あなたのお気持ちをよくわかっておいでです。

きっと皆さん、おっしゃいますよ_

「そんな血も涙も無い霊媒の言うことなんて ほっときなよ!」

って。






私もそう思います。









= おまけ =

長野は本当に「りんご」の木が多いんですね!
柿の成る木は見た事がありましたが、りんごの木は見た事がなかっただけに
テンションがあがりました。
可愛いですね、りんごの木。

ということで、コインロッカーみたいなところで販売されていたりんごを
買いました。
小振りなんですが、すごく美味しい!
不便を利用して(笑)、ジャムを自分で作るようになりました。(大笑)
10キロ歩いてジャム買うより、大量に買えた果物をジャムにする方が楽!

秋は良いよぉ〜(笑)、虫少ないし。(大笑)






アガサ





頂いたメール | Comments(2)
2018/10/10.Wed

感謝する相手は・・・?

三連休は、秋晴れが続きましたね。



先日、Rさんから頂いたメールを拝読いたしました。

多くの方々が似たような思いを経験されていると思い、

そのことについて触れさせて頂きます。



- - - - -

(略)

一つご報告したくてメールしました。
覚えていらっしゃらないと思いますが、
お礼を言わないと気が済まなくて(笑)。
前回、主人が私の転職を心配してアドバイスもくれて
◯○がアガサさんの食卓にやたらと登場するという話しがありました。

おかげさまで、◯○の子会社にとても良い条件で就職がきまりました。
試験前日夜に、前回の交流の録音を聴きながら、
緊張する気持ちを抑えていました。

新たな私の人生のはじまりです

(略)

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私からの返信
- - - - -
ご無沙汰している間に季節がいくつか過ぎました。
メールを頂き、「ほぉ~、スゴいな、ご主人」と思いました。
もちろん、Rさんの頑張りと努力と素直なお人柄ゆえのことです。

お察しくださっていますように、◯○のことを覚えていません。
御礼をおっしゃる先はご主人です。ご存知のように。(笑)
きっと、ご主人がいろいろと励ましておられたのだと思いますよ。
- - - - -



Rさんからのご返信
- - - - -

(略)
友人から、
「会社に入れてくれたのは、パパじゃないでしょ、
 Rちゃんの周りにいる色々な人達、生きている人だよ!」
って言われて…
確かにそうだけど、そうじゃない部分もあると私は信じていて…
ちょっとショックだったのでアガサさんの言葉が嬉しかったです
(略)

- - - - -



ご友人がおっしゃることは、もっともだと思います。

愛情いっぱいに励ましたくて、そのようにおっしゃったのです。

そして、

Rさんを喜ばせたい一心でお返事を書いてはいません。

頂いた沢山の交流から言えること(現実の経験)を書いたのです。



お仕事が決まるというのは、一応の安心を得れます。

過去に人事採用の経験もしましたので、選ぶ側の気持ちもわかります。

ご本人の努力と誠実さというのは採用には欠かせません。

試験結果、周囲の方々の評価や評判もあるにせよ、

それだけだとも思えません。



経験による考え方の違いだと思いますが、

見えざる方々の愛情は、やっぱり有ります。

採用する人は見えるわけではありませんが(苦笑)、

応募された人の空気はご覧になっていると思います。

見えないとされている方々の愛情も少なからずお感じに

なっていると思います。

それは空気感でわかるものです。

空気というのは肉眼では見えませんが、見えないからといって

" 無い " とは言えません。

それと同じで、私達の大切な家族や身近な人達も " いない "とは

言えません。



「 あなたの努力と周囲の方々のおかげだよ。」

こうおっしゃったご友人は、お友達思いです。

「 ご主人のおかげじゃないんだよ。」というのは

ご本人が経験なさっていないからなのです。

単に その違いだけ。

そう言われた時、何だかご自分とご主人を否定されたような

感じがしたかもしれません。

全否定などされていませんから、そこは冷静に捉えましょう。



話す相手がどんなに仲の良い友人であっても、

親しい身近な人であっても、

家族であっても、

ひとりひとり捉え方が違います。

捉え方が違うからといって、悲観する必要もありません。

目に見えないとされていることを人前で話すというのは

本当に気遣います。

気を遣って自然だと思えますし、その分、大切さが増すように

思えています。



話し相手の方が、神経過敏になっておられる時もありますし、

疲れておられる時もあります。

誰もが様々な感情が揺れ動く日々を送って生きていますので

いろんなことがありますね。



" 愛する大切な人のことを話すことはいけないのか?"

という意味ではありませんので誤解されませんように。

例えば・・・

例えばですよ、

わんちゃんが好きな人もいるし、動物が苦手な人もいる、

ということを例にします。

私なんては、子どもの頃は怖かったのですが、今は逆!(笑)

わんちゃんや猫ちゃんを見かけると思わず、顔がゆるみます。

馴染みのわんちゃんには おでことおでこをくっつけるほど

わんちゃんが大好きです。

犬好きな人の前では、わんちゃんの話に大いに盛り上がり、

猫好きな人の前では、猫ちゃんの話で盛り上がります。

だけど、動物が苦手な人の前では、私の他界した愛犬や

行方不明の愛猫の話をしません。



それは、相手の方が興味がなさそうだからです。

信じる信じないではなくて、似たような経験をしていないから。

かといって、

経験したから偉い(経験豊富)、

苦労をしたから偉い、

何不自由ない人達とは違う、

経験していない人とは違う、

経験していない人にはわからない_

ということではないのです。



言葉では表現出来ない大切な思いは、胸の奥で温め続ける方が

自分の性分には合っていると思えるから。

人と共有共感出来れば、もちろん、嬉しいです。

共有共感出来なかった時は、ガッカリするかも。

そんなもんかなぁ〜と思います。誰でも。

ですから、もう、ガッカリすること、なかれ!です。



ご友人はご友人なりにあなたを励ましたいのです。

有難いですね。

ご主人はご主人なりに今もあなたを愛しています。

すごく嬉しいですね。



誰かが自分を思ってくれるのは、本当に有難い。

心から感謝する気持ちにぴったりな言葉が見つからないほどです。

「 ありがとうね。」

心からそうつぶやいた気持ちは、必ず 相手に届きます。

相手の心に。



口にする感謝の数ではなく、心から深く感謝することは

とても大きな意味があります。

双方の心に響き、広がります。





条件の良い仕事というのは、頑張らないといけない時が多い。

条件がよくなくても仕事というのは、そういうもんです。

だけど、頑張り過ぎては いけない。

無理し過ぎても いけない。

人生というのは、長いようで短いもの。

毎年発表されている平均寿命は、

私達が生きれる長さではないのです。

無理はあんまりなさらないように。



感謝する相手を限定する必要は無いと思います。

だれそれじゃないんだよと限定するよりも、

関わる全ての方々に感謝したいですもんね。



心から感謝する機会をもらえるのは

本当に有難い。

心に栄養をもらえた感じがします。



大好きな人に、

感謝できるのって しあわせです。

思われているのを実感しますね。



ご主人に感謝なさって

ご家族に感謝なさって

ご友人に感謝なさって

周囲の方々に感謝なさって。

あなたの心からの感謝は、広がりますよ。



お身体を大切にされながら、

毎日をお暮らしください。



よかったですね!本当に。



















= おまけ =

白根山です。
まるで絵に描いたような美しさでした。
志賀高原はあいにくのお天気でしたので、そのまま素通り。

紅葉というのは、枯れていくということ。
枯れていく様が美しい紅葉のように、私も年々枯れていく様が
きっぱりと潔さを増せるように生きたいと思います。(笑)







いろいろ申しました。ご勘弁ください。

アガサ



















頂いたメール | Comments(1)
2018/09/19.Wed

どんなに時間が経とうとも

今朝は寒かったです。

全ての窓には、結露がかかりました。

11月ぐらいの寒さがありますが、このぐらいの寒さが好きです。

空気が次第に透明度を増して、陽も部屋のなかまで入ってきます。

私の生まれた季節が近づいてまいりました。



M様から素敵なお写真と共に頂いたメールの一部を

掲載させて頂きます。



- - - - -

(略)

サインを求め過ぎてはいけないと思いつつ、つい探してしまう自分がいて、
先日の記事は嬉しくなります(^_^)

偶然とは思いますが、ちょっと不思議なことがありました。
◯月のある日、彼の誕生日。
あちらでは誕生日は関係ないかなと思いつつ、もしまだこっちにいたら、(略)
何か記念なる事をしたはずだから、やっぱり今年の誕生日は、例年と違う何か
特別な事をしてあげたいと思いました。
色々考えましたが、割りとすぐ結論がでて、彼が私を初めて本格的な登山に
連れていってくれた時の、思い出の山に久しぶりに彼を連れていこうと思いました。

(略)

昨年から運悪く、登る日が毎度毎度悪天候にあたり、今年も3度登山にいきましたが、
うち2回は悪天候で途中で断念、下山しました。
誕生日もその1回です。(略)
途中の山小屋に泊まった翌朝も天候が回復しなかったので、翌朝泣く泣く下山しました。

その山小屋で、です。
雨風でびちゃびちゃになって山小屋に到着し、失望しながらとりあえずチェックインしたら、
通されたお部屋が、なんと彼の名前。
私は彼を『◯◯くん』と呼んでいたのですが、お部屋が『◯◯』でした。
何度かその山小屋に泊まってますが、その名前の部屋があったなんて知りませんでした。
しかも珍しい事に、個人客は私1人で、(略)私は団体用部屋を独り占めに…。

(略)

お誕生日の夜に、彼が私と二人きりでいたいと思ってくれてるのねという事を
すっと信じられました。
夜中じゅう外は雨風の音もして、広い部屋に1人とは、なかなか怖いと思うのですが、
全く怖くなくて、寧ろ彼がいるんだろうなと安心して、手足を思う存分広げて (笑)
ゆっくり眠れました。

アガサさんが書いておられたように、頻繁にあったら、ありがたみが薄れますよね。
それでもやっぱり淋しくて頻繁にサインがほしいですが、これはもう我慢するしかない…。

- - - - -



こうした偶然の出来事に、私達はとても励まされます。

無理矢理、結びつけたい時もあれば、

自然と すっと心に入ってくることがあります。

馴染む、というのでしょうか。



"今もこちらで一緒に居ることが出来れば、どんなに幸せだろう!"

誰しも思うことだろうと思います。

我が身に降り掛かってきた悲しみを経験しているから

心底 そう思え、

心底 そう願うのです。



時間のある世界に生きる私達は、一方向。

過去に遡ることは出来ず、未来の方向だけ。

進むのは、未来。

じっとしていても、何もしなくても、

悲しくても 辛くても、

楽しくても 嬉しくても、

時間は 未来へと流れています。

一方向にしか進めないのです。



Mさんが彼と出逢い、

彼は若くして、他界され、

Mさんが深い悲しみのなか、ネットで検索されて、

アガサというのを見つけられ、

Mさんが勇気を出して、連絡をされて

Mさんと私は出逢い、

そして、

彼の心をMさんにお伝えしました。

これも時間の流れ。



Mさんと彼の出逢いを悲しい出逢いだとは思いません。

おふたりの愛は 今なお 存在するからです。

別れ、ではありません。

出逢いも記憶もなくなったのでは ないのです。



深い悲しみのなか、日常でのもやもや、様々なことを

日々乗り越えておられます。

これは、Mさんに限ったことではなく、大切な方の他界を

経験なさった方々は そうでしょう。



ちょっとした偶然のような出来事が 突然 目の前で起こる_

心を揺るがす深い悲しみを経験した方々にとって

そのちょっとした偶然に、どれほど励まされるかわかりません。

どれほど 心が救われるか 計り知れません。



嬉しい偶然は、いつも 起きるわけじゃない。

煌めく偶然の数で、愛しい人の愛情を計れるわけでは

ないのです。



深い悲しみを経験してまで、

私達は、何を信じるか?

なんのために 生きているのか?

ぽっかり空いた胸の空洞を埋めるまだ見ぬ何かがあるのか?

自分の存在価値は 一体なんなのか・・・

こうしたことを次から次へと頭に浮かぶ時も あります。



人生の中で、信じられなくなることは いっぱいあります。

私にも、もちろん、そういうことがありました。

何度も 何度も。

これからも あると思っています。



信じる、信じられないという感覚や感情は、

とてもあやふやな感覚だと 私は思っています。

その時の感情によって、信じられる時もあるし、

全く信じられないときもあります。



感情は、大海に出ている小さな小舟みたいなもの。

揺れて、揺れて、揺れまくります。

静かな時も あって、

嵐の時もある。

寒さに凍える時もあれば、

からっからの炎天下の時もあります。



私自身の日常を振り返っても、思うんです。

生きる指針をなくしてしまったら 終わりなのか?

愛する存在をなくしてしまったら 生きる意味がないのか? と。

そう思ってしまいますけど、そんなことはありません。



何のために 生きてるのか

誰のために 生きてるのか

何かがなければ 誰かのためでなければ 生きれないのか。

私の考えは、No です。



何のために生きてるか 分からなくても良い。

誰のために生きてるか 分からなくなっても良い。

この身体は、与えてもらったらしいから、

やっぱり 大事に思えます。

今まで休む暇もなく、ずっと働いてくれていたじゃないの。

誰のためでもなく、見返りを期待して動いているわけでもなく。

大事にしなきゃ。

大事にしてあげたいと思うのです。



私達は、失いかけて、失ってから 気づくことの方が多いように

思います。

健康な状態や、大切な存在、平凡な生活などが 崩れ失ってから

どんなに恵まれていたのかを気づくのです。

気づいたのだから、大切にしなきゃ。

大事にしないと。



愛する人がこの肉眼で見えなくとも、終わったわけじゃない。

" 何か喜ぶことをしてあげたい "

そう思えることは 大変素晴しいことです。



愛は、この肉眼と肉体では感じることが出来ません。

形のある肉体に閉じ込められる大きさではないし、

言葉で表現出来る単純なものではありません。

とても大きくて、とても温かくて、美しいのです。

そして、眩しく光り輝いているのです。

心が洗われるような感じです。



このことは、皆さんの愛する方から教わりました。

それを、何度も伝えたいと思います。

機会を頂いた度に、お話ししたいと思います。



愛を知ると 心が深くなります。

心が深くなりますと 悲しみも喜びも深く 感じるのです。

人の温かさも 深く 心に沁み入り、

動物の純粋な愛も 心に沁み込むのです。



生きていくことが辛いことも たくさんあります。

生きることの意味がわからなくなることもあります。

何のために、誰のために・・・

そんなに大きなテーマは、一生かけたって 分かりっこないんです。

分からなくてもいいと思います。



深い悲しみを我が身に刻んだのですから、

どこかの講座や だれそれの書籍を読まれなくても

参考にされなくても

ご自分がご自分で 十二分に 人生を歩んでいるのです。



生きるというのは、愛すること。

愛を経験するということは、きっと

深い悲しみを経験することでもあるのだと思います。



そうやって ようやく、

人や動物、自然を含むすべてに 温かく接していくのだと

思うのです。

それが生きていく、ということなんだろうと思います。



どんなに時間が経とうとも

愛するということを学んだのですから

これからも 愛し続けていきましょうか。








私の話は、余計なお節介話ということで(苦笑)

ご勘弁ください。






それでは、

Mさんが添付してくださった美しい日本をご堪能ください。


日本人の心と精神、富士山からの夜明けです。
心が洗われると言われますね。
存分に 洗ってください!
私も 洗います!










アガサ











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