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愛しい家族、愛しい人との対話 _ 静かで 心穏やかなひととき

他界された愛しいご家族や方々との対話回想、思うところを書いています。

お盆 

お盆の謂れや行事は、日本で生まれ育つ私たちにとって

深いものがあります。

特に、初めてお盆を迎えるのは ことのほか 様々な思いが

致します。



心安らかに・・・



大事な家族や人を思い願いつつも、

心の平安が必要なのは、願う私たち自身なのだと思えます。



最近頂いたメールの一部を掲載させて頂きます。

多くの方々もそう思われることと思います。



- - - - -

お盆が近いせいでしょうか。心がザワザワ。
どうして◯の初盆の準備をしているのだろう…
私達親は生きているのに。
順番が違う…
去年は一緒に過ごしていたのに…
など色々な事を考えて苦しいです。

側にいてくれている。
分かっていてもこの眼で見たいです。
抱きしめたい。
この悲しさ、苦しさはいつまで続くのでしょう。
本当に笑って思い出せる日が来るのでしょうか。

なんだか毎日苦しくて。
アガサさんに聞いてもらいたくて。
愚痴ですね。

- - - - -



愚痴だとは微塵も思いません。

すごく自然な気持ちです。





" 愛しい家族を信じる。"

これに徹すること。

どれほど長い時間、月日、年月がかかろうとも

心底、しみじみとわかるまで徹すること。

その過程では、

信じるということが、

たった"信じる"ということでさえ

とても難しいことだと思い知らされます。

どれほど、自分が口先程度、文字程度の"信じる"を

繰り返しながら生きてきたのかを 思い知ります。





私たちは、物に囲まれた生活をしています。

物にあふれる生き方に慣れています。

そういう生活に、どっぷり浸かっています。

ですから、目にみえて、手でふれられることだけが

「すべて」で「実存」するのだと思えます。

それが「実感」だと思っています。



目に見えず、手で触れられない状態に慣れていないので

不安でいっぱいだろうと思います。

誰もが、今ある"当たり前"な日常を当たり前と思い込んでますし、

その"当たり前"が変わることなど 露ほども思わないのです。





悲しさ、辛さ、苦しさがいつまで続くのか・・・

それは人それぞれだと思います。

個人的には、それらが消滅する日はないと思っています。

だからこそ、覚悟というものが少しずつ芽生えてきます。

だからこそ、生きること、死することが貴重だと思えます。







お盆。

私は怠け者で無宗教な人間です。

子どもの頃から周囲に"人"の存在を認めざるを得なかったので、

お盆だからどうこうという意識はありませんが

生前、そうしたことをきっちりしていた祖母達に思いを馳せ、

晩年、お遍路さんに行き出した父を思い、

場所がどこであろうとふと心が静まる時や穏やかになれる時に

心で話しかけたいと思います。

それは特別なことではなく、自分を見つめ直す意味でも普段から

言葉や思いひとつひとつを噛み締めながら心をこめて話しかけること。

それで十分だと思っています。






大事な人ならば、

大事なその人を信じること。



信じる_

そのなかに自分都合の感情を一滴も混ぜないこと。

信じるということは、自分を忘れ去ることだと思います。



どのような状況に移り変わっていこうとも、

悲しく辛いことに馴染むことは無理でしょうけれど、

応じていく心(覚悟)を持ちたいと思います。








どうぞ、お身体をご自愛ください。

健康が何よりです。











アガサ






Posted on 2017/08/11 Fri. 10:02 [edit]

category: 思うこと

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11

静かに敬意を。 

世の中が便利になり、ひとりひとりの発言や行動が

自由になり、

大切なものが置き去りにされてきた。



なにかあれば、表現の自由だとおっしゃる。

その"表現の自由"というのは、なんだ?

表現の自由はもちろん大切だが、

人を傷つけての"表現の自由"は いかがなものか。



表現の自由の名の元には、

人としての真心が 必要。

好き放題、言いたい放題、やりたい放題 が自由ではない。

自由の意味をはきちがえては 悲惨なだけ。



すべてにおいて、まったくの自由は ない。

自由を歩むには日々多くの覚悟が必要。

自由は、

人を傷つけたうえに成り立つものではない。



人ひとりの命を大切に、心底大切に思えるならば

非難や批判というのは口にも心にも出てこない。

それは、表現の自由でもないし、報道の自由でもない。



" お金があるから、受けられる医療だ "、

" ああすればよかったんだ "、

" そういう治療方法は間違っている "、

等と他人様に言うよりも書くよりも

他にやらなきゃいけないことが あるだろう?

他人様のことをどうこうおっしゃるよりも、

ご自分のご家族の心を大切にすることがあるだろう?

ご本人に直接言うのではないからといって言いたい放題は

人としておかしい。

他人様を傷つけるよりも やらなきゃならいことが

あるだろうと思う。



人ひとりの命。

懸命に前を向き続けたご本人、

愛しいご家族を懸命に支え続けたご家族の方々へは

静かに

静かに

そっとしてあげたいと思い願うのが、人ではないのか?



" 私はこんなに祈っています。"

" 故人とご家族にこういう祈りを捧げています。"

等ということも言う必要も書く必要も、ない。

それらは、自己満足の自己アピールであり、

自己陶酔以外の何物でもない。

言った直後、書いたまなしから、その輝きは陰湿なものへと

変化していく。



ご自分のご家族が他界された時に、

まったく知らない方々から

非難批判を浴びせられたら

どんな思いがするのか・・・

それぐらいはおわかりになると思う。

悲しみの淵におられる方々をそっとしてさしあげるのが

心ある者の思いやりと態度だろう。



精一杯 生き抜いて来られたご本人に対して、

精一杯 支えてこられたご家族に対して、

第三者が

エラそーに ああだこうだ言い、

さも何でも知っているかのようにSNS等に書くのは、

人として 善きことなのか?

その言葉ひとつひとつに、

発信側の美しい真心が含まれているのか?



他人様の神聖な他界について、

ご自分の日常における不平不満をぶつけてはならない。



生まれてくること、

死すること。

どちらも尊い。

人生で最高の感動と感謝の瞬間。

静かな、静かな、神聖な時間。



生まれくる時も、

死する時も、

弔う準備をして頂く時も、

私たちは、多くの方々の手を借りている。

想像しえない思いやりと多くの方々の手に

お世話になるのだ。



悲しんでいる方々の一挙一動に対して、

責め立てるのは

止めましょうや。



他人様のことをいうよりも、自分の生き方を大切に

見つめた方が良い。





心静かにしていよう。

命に対して、敬意をはらおう。

他に対して、敬意をはらおう。









すべての方々のご冥福を祈ります。

心を受け継がれた、すべてのご家族の方々に

敬意を表します。










アガサ










Posted on 2017/06/24 Sat. 20:09 [edit]

category: 思うこと

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24

報われる 

交流お伝えが一段落しますと、相続に関することをよくお話しされます。

胸の内、ですね。私なんかが丁度良い"距離感"だからだと思います。

口も硬いし(笑)。



相続というのは、一般的には "本性" が出るように思います。

法律に則って分配されることもあれば、

" ご本人の意思 " が文章で残されていればそれに順じられます。



どちらにしても、受け取る側が互いに譲り合い、気持ち良く分配!

となれば最高なのですが、ぽんっと目の前にお金や不動産がちらつきますと

なかなか そうは行かないように思います。

専門家に間に入って頂いても、ややこしいこともたくさんあります。

遠い親戚までご参加される場合も、あります。(苦笑)

" 貰えるもんは、貰いたい!"

そうなるんでしょうね。



「 え? そんなの、仲良く分けたらいいじゃな〜い!」

と思われる方々もいらっしゃると思います。

すんなりと皆が譲り合うことが出来るのなら、私なんかには

お話しになりません。

皆が譲り合い出来るなら、この世に、警察、弁護士、税理士、

裁判、犯罪というもの自体が存在しないと思います。

その場になると、ころっと変わるというのもあるし、

欲が沸々と沸き出すのが、人の感情です。

魔が差す、というのもあるでしょうね。



想像で考えるのとは違って、現実その場そのケースに遭遇しないと

人間というのは分からん、のです。



私がよく観ていた「名探偵ポアロ」シリーズでも、よく揉めておられます。

「 何にもしていない◯○さんには、相続があって、

 いつもお世話をしていた私には何も頂けないんです。」

というのは可愛いぐらいで、大抵は、犯罪が起こります。

いつの時代も、人の欲は いかばかりか・・・ですよね。



ご依頼を頂くということは、その方のプライベートなことまで

知らされます。

びっくりするような話をよく耳にします。



大抵は、正直で誠実で我欲の少ない方がご心労なさいます。

我欲の強い人に翻弄されるのです。

本当に気の毒に思います。

わが家も、そうした時期が10年程続きましたから、心から

ご心労をお察し出来るのです。



" 人に迷惑をかけず、真面目に地道に生きて質素に暮らしています。

あの人達は何もせず、自由気ままに 生きているのに、

どうして相続出来るのでしょうか? "

空しい限りです。

世の中、どうなってんだろう?って思いますよね。

本当にお気持ち、わかります。

努力や誠実さって報われないのかなぁ・・・と思えたり。



そもそも、" 報われる " ってどういうことだ?と思いました。

" 報われる " というのは、

「 努力や苦労に対して、それに見合ったような期待通りの成果や成功が得られること。」

だそうです。



ここでふと思いました_

" それに見合ったような・・・"

" 期待通りの成果や成功・・・ "

そう考えてしまうことに、そもそも 無理があるんじゃないか?

努力して、苦労して、それに見合った成果や成功をしている人って

この世の中に一体、どれだけいらっしゃるのだろう?と。

結果を期待するから、頑張る・・・というのは確かに在ると思います。

だけど、期待通りに行くというのは、誰にもわからないことです。



例えば、運動会。

子どもたちが皆、頑張りますね。

特にリレー。観る側も力が入ります。

皆、頑張っています。

だけど、突然転倒したり、バトンの受け渡しが上手くいかなかったり・・・

というのが発生してしまいます。

なんでだろうな〜 と思いますが、思ったところで仕方が無い。

一時的にがっかり、悔しくて泣いたりするけれど、

" 皆で頑張ったんだ!"

" ◯○君、◯○ちゃん、頑張ったよ!"

というように、負けてもそれを乗り越えて、清々しい気持ちになります。

これは、勝った側では、味わえません。

種類が、違うのです。



悔しさを乗り越えるというのは、本当に大変なことです。

でも、それは勝つよりも、見えない価値があると思いますよ。

勝ち続けることは、ないし、

負け続けることも、ないでしょう。

人生は、勝ち負けではないし、ましてや、他の人と比べることでも

無いのだと気づいていきます。



それは、" 報われなかった "という悔しさを経験しているからです。

逆に、

「 あぁ、努力が報われたぁ!」という思いは、用心です。

喜んでも、気を引き締め直すこと。

これは肝心ですね。

そのままにしていますと、足元をすくわれます。



この世は、物質至上。

触れられる物が優先されています。

お金は、無いより有った方が良いでしょうし、

家も、そう。

在った方が良い、ですよね?
(うちなんて、両方、ありません! 大笑)




何不自由なく有る、という方々も世の中におられます。

家計は安定し、

家族も元気、

持ち家もある。という方々。

だからといって、そうした方々に一切の不安が無いか?といえば

それは違う話だと思います。

人様を羨む気持ちは、あって自然と思いますが、

くれぐれもご自分の感情にぐるぐる巻きされないよう、ご留意ください。



まぁ確かに、ポンっと相続で入ってくるのは助かるでしょう。

家計も助かるでしょうし、家計に余裕が出来ると

精神的にもゆとりが出てくるかもしれません。

しかしながら「相続する」というのは、プラスもマイナスも相続せねばなりません。

プラスだけの相続は出来ないのです。



この世的(物質的)に考えて生きることは、

私たちの心を狭くしてしまうように思います。

自分の得しか考えないような、ね。

損得勘定しか働かないなんて、味気ないですよ。

人間に深みがありません。



物質的に報われたいと切望されるのなら、我欲強欲で生きねばなりません。

他のことを考えることなく、自分中心で生きねばなりません。

人が泣いていても、自分さえ楽出来れば良いと思えねばなりません。

それが出来れば、物質的に報われると思います。

自分の心と行いは、表情・人相・空気感にまで影響を及ぼします。

どちらで生きようとも、バランスは取られます。



この世は、ごちゃ混ぜ。

不完全な人間で世の中は動いています。

だからこそ、自分の心と対峙出来るのだと思います。

甘い誘惑が多いからこそ、理性を輝かせることが深い意味と意義を持ちます。

" 他の振り見て、我が振り直せ " です。



" 自分の存在を忘れ、

少しでも、自分以外の誰かのためになるかもしれない。

自己満足に浸る暇もなく、葛藤しながらも地道に地味に続けて行く。"

それが本当に幸せだなぁ と思うのです。



報われるとか、報われないとか、そういうのは

どうでもいいと思うのです。



あなたは、素晴しく 心を尽くしておられるのです。

私はそう思いますよ。

















この季節は、ほおずき。
わが家では、食用のほおずきを家族が育てています。
鑑賞用のとは違って、とても美味しかったそうですよ!
「まるでマンゴーのようだった!」と本人びっくりしていました。
(へぇ〜、そうなんやぁ〜・・・)
と思いながらも、私は、今一、勇気が出ません。(笑)
まぁ、そのうち、頂いてみようかな。






アガサ



Posted on 2017/06/13 Tue. 12:10 [edit]

category: 思うこと

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13

ひとりひとり、共に歩む同志。 

良いお天気が続いているGW。

いかがお過ごしでしょうか?



先日、ご家族の他界をご経験なさった方々の会にお招き頂きました。

会場は、あるお寺さん。

お掃除も空気も、行き届いたお寺さんでした。



建物や敷地といった空間は、そこに住んでいる方の心や精神が

感じられますね。

お寺、神社、教会といったところだからといって、全てが全て、

清々しい気持ちになる・・・というわけではありません。

" 人と、成り " が、やっぱり影響されるのだと、あらためて実感しました。



極度の方向音痴な私は、出張の場合には、迷う時間も見込んで

自宅を出発します。(本当に酷いんです。)

このことをご存知だったかどうかはわかりませんが、

電車の時間や乗り継ぎまでご連絡くださいました。

幹事の方々が細やかな気配りと準備は、私も含め、

ご参加される皆さん全員に及んでいました。



幹事の方々も、深い悲しみを経験された方々です。

悲しみに浸り続けるご自分からその時だけでも逸脱され、

家族を亡くした方々のことを思い、気遣っておられました。

名前も住む場所も一切聞かない、尋ねない、人様のために動く_

その原動力になっているのは、" 思いやり " だと思います。

ご自分達も深い悲しみと辛さを経験されているなかにあって

" 人様のために " と細やかに動かれるその姿は、

本当にキビキビとなさっていました。

私が会場に到着した時、忙しく動き回れる幹事の方々の姿を

目にした時、まるで、旅館の裏側のようでした。



本当にお忙しい彼女たちの邪魔にならないようにと控え室で

考えてきた談話の紙を眺めることにしました。

( 準備しても、その時になると話の内容が変化するもんな・・・)

まぁ、それは致し方ありません。

成るようにしか、成らないのですから。



時間になり、会場へと向かいました。

約30名程の方々がご参加くださっていました。

(でも、もっとぎゅうぎゅうでした。)



1時間半の持ち時間は、あっという間。

お話の最後の方では、ご参加くださっている方々の

"ご家族の皆さん"のお気持ちも相まって、感極まりました。

途中、私自身が話せる状態になるまで、数秒、時間が必要な時も

何度かありました。



霊媒という者自体をご存知ない方々もおられる_

それで自然だと私は思っています。

家族の他界がこんなに辛く、悲しく、寂しいものだとは

思わなかった方々を目の前にして、

「 あちらの世界ではね・・・」

と、知ったかぶりをするような、空気を読まない身勝手極まりない振舞い、

軽口をたたくような、"人で無し"のようなことは言えない、言わないです。

普通の神経ならば。

かといって、慰めることを目的とすると慇懃無礼的になると思っています。



慰める、救う、癒す、などということは、

誰かにやってもらうことではないと思います。

それは、自然に起こること。

意図的にやって、出来ることではありません。



持ち時間が終わったあと、会場の空気は明らかに変わっていました。

にこやかな、自然な笑顔に変わり、

おひとりおひとりの周りの空気が、柔らかさを帯びていました。



詳しくは知らないのですが、

この方がキッカケで「◯◯○会」が発足されたようです。

その方からのメールの一部を掲載させて頂きます。



- - - - -

(略)

ご感想を数多く頂きましたので、ご紹介いたしますね!

●日々の生活を改めて考えさせられ反省もしました。これからは、楽しみを共有しながら生きたいです。

●会場は参加者だけでなく、愛する方々も一緒にいて、皆で話を聞いていたような気がします。

●ツナグお手伝いをしてくれる方がいらっしゃると知り、支えが出来ました。

●心の持ちようについて深く考える機会を与えて頂きました。

初参加の方も、毎回参加してくださる方も、笑顔で帰られたのが印象的でした。

(中略)

皆さんとのお出会いは、「家族の死」という悲しい出来事がきっかけでしたが、私はこう思うんです。
ご縁がある人とは、きっかけがどうであれ、いつかは出会える運命だったと。
それがたまたま、「家族の死」だったというだけのこと。
そうでなければ、平凡な私の周囲に、同時期に、あれだけの素晴らしい同志の皆さんが
集まるなんて、考えられません。
皆さんと出会うことは、ずっと前から決まっていたことだと。
家族達があちらの世界で出会うことも、ずっと前から決まっていたことだと思うんです。

(略)

- - - - -



こうした集まりというのは、いつしか、問題が出て来るのが常。

人が群れれば、やがて、小さなグループが出来ます。

人が群れると、様々な人間模様は、避けて通れないのかも。

そこには、欲が絡むからだろうと思います。



ところが、「◯○○会」は、例外だろうと思えます。

"お名前、お住まい、ご事情を聞かない。

集まった人達は、同志。

限られた時間、泣いたり、笑ったりして、話すだけ。

ただ、それだけなんです。"

というようなことを聞いたように思います。



多くを聞く必要が無い、のです。

根掘り葉掘り、聞く必要など ありません。

存在を大切にしたいし、思いを大切にしたいから。



雨の日もあれば、晴れの日もあるし

嵐の日もあれば、穏やかな日もあります。

人生って そういうもんですよね。

毎日って そういうもんだと思います。



人間、良い時には、何にもわからないんですよ。

困ったり、辛い目にあって 初めて、いろんなことが見えてくるって

そう思っています。

自分の人生経験から、そう実感しています。



霊媒だからって、あちらや何とかの話ばっかりしてるようじゃぁ、

ねぇ。(大笑)



辛くても、

悲しくても、

嬉しくても、

楽しくても、

いつも " 人と成り " で在り続けたいと思います。








◯○○会の皆様、有難うございました。

また、いつの日か。










5/9追記:
ご参加費の一部を下記団体様へ寄付致しましたことをご報告致します。
シャイン・オン!キッズ様「ファシリティドッグ」プログラムへ





愛犬の散歩道に咲いているお花たち。
このお花は、野花ではない、、、と思うんですが。
畑をされている方が種を蒔かれたんじゃないかなぁ?
5月になり、新緑がとても美しいですね。
緑、黄緑が無限にあるかのように思えます。
有難いですね。



アガサ









Posted on 2017/05/04 Thu. 15:52 [edit]

category: 思うこと

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04

今を生きる 

タイトルの「今を生きる」というのが思いに適当なのかわかりません。

ありふれた言葉のように感じますが、しばし、おつきあいください。



以前にも書かせて頂いたと思うのですが、

ご依頼を頂く半分は、ご自分からこの世での生活に終わりを告げた方々です。

近いお身内の方々は、複雑な心境であります。



個人的に思いますのは、

どのような流れで他界されても判断は出来ません。

自分から選ぶことを良しとしているわけでもなく、

悪いことと決めつけることは出来ないのです。

生きることも、死するのも どちらも大変で、尊いことです。



私自身若い時分に、友人自らの選択を知った時は、怒りに震えました。

悲しさを通り越して。

" 生きたくても生きれない人もいるのに・・・"

そんなふうに思っていたのだと思います。

だけどそれは、私が何も理解していなかったのだろうと

今はそう思えます。



物事を一方から判断すること全てが、正しいとは限らない。

人の心は実に、様々です。

強い面と弱い面と中間の面もあります。

どれもが重なり合い、複雑に絡み合っています。



自分の身内、友人知人が他界しますと、大変なショックを受けます。

ショックの受け方も長さも、人それぞれ。

人前では大泣きして、外に出るとあっさりされている方もおられますし、

数日、数ヶ月は、胸に深く残り、あとは少しずつ薄らぐ人もいるし、

ずっと苦しまれる方もおられます。

言い悪いでもなく、本当に悲しいか、そうでないか、でもありません。



ずっと苦しまれる方は、とても繊細です。

" 自分がもっと何か出来たんじゃないか?"

" 手を差し伸べることが あったんじゃないか?"

" もっと ◯○すれば良かったんじゃないか?"

ああすれば、

こうすれば、

今が違っていたんじゃないか・・・・・・・・・・

と。



確かに、そうかもしれない。

けど、

違うかも、しれない。

それは、誰にもわからないと思います。



生き返ってくれたら・・・

あの前日に戻れたら・・・

誰でもそう思います。

だけど、それは、私たちが深い悲しみを経験したから

そう思うのです。



時間を戻すことが出来たなら・・・

地球上すべての人や動物、植物、宇宙すべてが、

平等に戻るのだと思います。

そしたら、経験している悲しみや辛さや様々な思いも

未経験状態に戻るでしょう。

最愛の人が戻ったとしても、病気が治ったどこかの誰かさんは、

病気中の頃に戻ってしまうでしょう。

それが"最善"と言えるかどうか・・・。



悲しい経験も、辛い経験も、経験したのです。

その経験を自分だけの感情にまかせていることが、

悲しんでいるとは言えない。

愛しているのだとは言えない。

自分の感情が優先されているのです。

キツい言い方を許してください。



愛しい人のことを思えばこそ、

私達は、悲しみを心で背負い、

心の傷があるからこそ、その経験によって

困っている方々、動物達に思いやりの心を持てるのです。



愛しい家族にしてあげたかったことを、

目の前に居るご家族にしてあげて欲しい。



時折、耳にします。

「自分はこんなに悲しいのに、家族はあっさりしている。」

というようなことを言われます。

"私は、こんなに悲しい・・・"

"自分の方が悲しいんだ・・・"

"自分は他界した家族のことを心底悲しんでいるんだ・・・"

もしこういう思いがよぎったら、

独りよがりも甚だしい。

自分だけが悲しいなんて、傲慢。

感情の表現は、人によって違うのです。



家族や愛しい人を亡くして 悲しくないわけない。

悲しみ方や毎日の生き方は、違っても、

それぞれに心に傷が在ります。



辛い、悲しい、寂しいは、当たり前。

そんなの 当たり前。

立場を変えて申し上げますと、

他界におられる方は、

ずっと ずーーーーーーーと 悲しんでいる姿を視るのです。

この方の気持ちは、どうしましょう?

最愛のご家族の気持ちは?

最愛の人の気持ちは?

わんちゃんやねこちゃんだって、悲しいですよ。



悲しむな、ということではありません。

悔やまれてばかりじゃ、

悔やまれる側だって 気が気でないんじゃないかと思います。

私が他界したら、そう思うと思います。

" あぁ、私って愛されていたんだなぁ〜。悲しんで生きてね。"

と家族に対して、絶対に思わない。



心の傷は、受けたままにしておくよりも、

似たような境遇におかれている人々や動物たちへ

少しでも救いの手を差し伸べることで、私達の心の傷も

傷ではなくなるのではないかと思います。




最愛の家族を今まで通り触れられないのは

とても悲しい。

悲しくて寂しいに決まってます。

誰だって、そうです。

自分だけじゃない。



命の尊さ、命の儚さを経験されたのです。

だったら、

本当にそれがわかってるなら、

心と行動を一致させること。

その勇気と覚悟をお持ちなさい。

最愛のご家族に向かって、

" 見ててよ!私、大事に生きるから!"

と言っておあげなさい。



悲しみを背負いながら(覚悟)、

身の回りにある幸せに気づき、大事に育むこと(心)が

他界した家族や友人知人に、温かな空気となって伝わるだろうと思います。

肉体を持つ家族や周囲の人々にもそれは伝わります。



生きることも、

死することも、

どちらも尊いのです。

長い短いはあるにせよ、この世に生まれてきた私達は

皆、他界するのです。必ず。

だからこそ、大事に生きること。



出来なかったこと、

してあげれなかったことばかりを見つめるは、

もうストップ。

身近にいるご家族の健康を心から有難いと思えてないとすれば、

命の大切さって、何でしょう?

そのご家族が病床に伏せてしまってから、

また、ああすれば良かった、こうすれば良かったと

思うのでしょうか?



今、できることは多くないかもしれない。

小さいことかもしれない。

けど、真心を持つことは出来る。

真心で生きていると、目の前にあることが

とても有難く思えてきます。

有難うって、

この漢字通りに、思えます。



今を生きる、ということは、

大きな深い悲しみを経験したからこそ、

その意味と貴重さがしみじみわかるのです。



命の尊さを真に理解している人は、

弱き立場におかれている人達、動物達に

心が向きはじめます。

そうしてはじめて、

最愛の人を愛せ、

感謝の真意と恩恵を実感するのです。



どうぞ、今を大事になさってください。

あなたを大事になさってください。









アガサ




家族がキャラメルポップコーンを作っていました。
ポップコーン用を買って、鍋に入れて、バチバチポンポンしたものに
カラメルを作って、かけて。
いや〜、美味しいですね!
「◯○剤」というようなものがかかっていない食べ物を食べれるって
本当に幸せです!
※たまには、私も作るんですよ。古くなったバナナを使ってバナナパウンドとか。(笑)










Posted on 2017/02/17 Fri. 11:04 [edit]

category: 思うこと

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