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2019/08/10.Sat

迷う時、悩みがある時には

いるべき時に、いるべきところにいて、

成すべきことを 成す。



これだろうとぼんやりと思うのです。



流れに身を任せる、というのは 簡単なようで難しい。

タイミングを見計らう、

機や時を見る、

というのも難しい。

言葉の数が少ないことほど、すごく難しい。

誰でも出来るようなことをし続けるのは、大変な忍耐が要る。



必要なものは、探さなくても 目の前にあって

それに気づくのは、事後的だと思います。

私はいつも、事後的に気づきます。(笑)



人間 誰でも迷うし、悩みます。

時折、悩まないことや迷わないことがあたかも自然で

優秀であるかのように、自己満足的な空気いっぱいで

おっしゃる方もおられるようですが、そういう方のことは

気にされないほうが良いと思います。

生きている以上、迷って、悩んで、普通なんです。

迷わず、悩みのない人は、ごめんなさい、自己陶酔型と思います。



考えて考えて考えて、

悩んで悩んで悩んで_

これでいいのかな? 違うんかな?

ああしておけば良かったのかな???

皆誰しも、こう思いながら 生きているのだと思います。



自分の感情に振り回されても、いいと思います。

振り回されるているのは、自分が一番よく知っているのですから。



いるべき時に、

いるべきところにいて、

成すべきことを 成す。



暑い毎日で 頭はぼぉ〜としがちですけれど

洗面所の鏡の隅っこに、このことを書いたメモを貼って

ふとした時に、じぃぃ・・・と穴が開くほど

見入っています。

















暑さの中にも秋が含まれてきましたね。

アガサ



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2019/08/04.Sun

お盆に思うこと 2019

びっくりするぐらい、暑い毎日。

もう暑いの、ええわ(やめて)。と思う毎日。

命の危険を感じ、地球は大丈夫か?と心配しています。
(大丈夫ではないから、この酷暑。)


昨年は、山の中生活でして夏を期待していた頃だなぁ〜と

思い出しました。

期待とは違い、山奥は暑かったのです。(苦笑)

「 ちょっとぉ、もっと こう 涼しいんちゃうの?!」

と山小屋の中で空気?山荘?山?に向かってボヤいていた私です。

よっぽど高い山に登らない限りは、山は暑いことを経験しました。

しかも、刺すブンブン系の虫がたくさん。

しかも、こちらに向かってくる!



山は、夏というよりは、10月下旬〜 12月頃が良いですね。

凍るのが激しいのは、1月中旬以降ですから、晩秋前後が最高だと

思います。

(この意見は家族全員一致です。笑)



お盆が近づいてきましたね。

他界した家族達や親戚の人達、先生、友人、動物家族達のことを

思います。

いつもより、思います。



お盆だけ、扉が開く・・・というのは、物質的だなぁ〜と思いますが、

物質世界に重きを置き、住む者にとってはそう言われた方がイメージしやすい

のだと思います。

それに、限定した方が、人の心理的には特別感が沸き起こるからでしょう。

特別や限定に無頓着な私ですが、物質的な考えを否定しません。

人様に迷惑をかけないのであれば、胸の内で思う程度は自由ですものね。



話を戻します。

お盆。

お盆を大人になってからは、あまり意識をしたことがありません。

仕事仕事仕事、で忙しかったのもあります。

多くの方々がお盆休みで、人通りが少なくて、クーラー涼しいな〜

と思えて、ちょっと得した気分を感じながら、仕事をしていました。



お盆に思いを馳せますと、思いますのはやっぱりこれ。

お墓参りと五山の送り火。

子どもの頃は、親に連れられて、お墓参りに行くのが常でした。

その帰りに寄れる、昭和な喫茶店で食べれるスパゲッティが、

小学生の私を何とも優雅でリッチな気分にさせてくれてました。

スパゲッティというよりは、焼きそばだったかも。笑

美味しかったなぁ〜。

懐かしいなぁ〜。



お盆の終わりといえば、五山の送り火。

実家から歩いてちょっとしたところから、送り火を見れました。

五山全部、見たい!とは、子どもの頃も大人になっても

思いませんでした。

何となく・・・そういうことではない、と思っていたからです。



小学生の頃、祖母と歩いてちょっとの大通りまで行って、

「 見えた? おばあちゃん。」

「 見えたで。ようけの人やな〜。」
(ようけの → たくさんの)

「 きれいやなぁ。あの近くは、熱いねんで。」

「 せやろなぁ。」

「 うち、お父ちゃんと行ったこと あるねん。燃えてない時に。」

「 せやったなぁ。登ったって言うてたなぁ。」

「 なんもなかったで。石で積んであっただけ。景色は良かったけどな。」

「 そぉかぁ。石が積んであったんや。へぇ〜。」

「 なぁ、おばあちゃん。ご先祖さんやらは、ちゃんと帰れはるのん?」

「 帰れはるで。そのために 送り火を焚いてはるんやから。」

「 そぉか。それやったら 安心やな。

 帰り道、覚えてはらへん人も やはるんちゃうかと思ぉて。笑」

「 どうもない。ご先祖はんは、ちゃんと 帰らはる。

 また、来るで〜 って言うてな。笑」



祖母との何気ない会話の帰り道、心の中で小学生の私は、

「 来年もまた、来てや。ご先祖さん。」と、思いつつ、

「 待てよ・・・見えてしまうやん? 見えた?・・・

 知らん人は居はるのに(見えるのに)、

 ご先祖さんは見たことないんちゃう?うち。」

小学生の頃というのは、本当に面白いもんですね。(笑)



祖父と小さな商店を営んでいた祖母は、どちらかというと

ガサツで陽気で勝ち気な女性。

時代が時代でしたから、お仏壇のお世話?は祖母の日課でした。

仏教を信じてたのではなく、ご先祖さんに感謝をしていたのです。

その後ろ姿を見て育ち、祖父母と同じ部屋で寝ていた私は、

ご先祖さんのこと、他界する、老いる、ということが特別ではなく、

とても普通でした。

おはようと挨拶をするのと同じように、日常的に思えていました。

寂しく思えても、悲しむことではないんだと祖母を行動を見て

そう思っていたのでしょう。



人様の、大切な方々との交流では、自分を静かに燃やすような馬力?で

心から心を込めて尽くして、交流をさせて頂いています。

これは当たり前のことで、私が優しいわけではありません。

人ならば、普通にそう思います。

人様の大切な方々とは、交流が出来ても、私自身の身内とは

そうは交流できません。

考えてみれば、それが 自然なのかなぁ・・・と思えます。



一昨年から、予期しないこと、望まないことが突発的に起き、

少ない選択肢の中から、どちらかを選ばなければならないことの連続で

しっちゃかめっちゃかの最中、酷い薬害皮膚炎になり、思えたことは、

" 人生は、先読み 不可能 " ということ。

人間、いつ どうなるか わからない、ということ。



望まないことも 起きる。

努力していても どうにもならないことも たくさんある。

でも、

人生に、生きていくということに 悲観はしたくない。

望みがある、報われるということではなくて

立ち止まりながらも、より自然に(普通に)生きていたいと思います。



お盆が近づいてきますと、

休暇と捉えて楽しむことも善し

日頃の疲れを労うために、ゆっくりのんびりも善し

忙しい日々では考えられないことに、思いを馳せるのも善し。



年のせいか何だかわかりませんけれども、

いろいろと思うところが増えたなぁ・・・と思いながら、

命の大切さを しみじみと思って過ごしています。



とにかく、

熱中症にならないように 皆さん、気をつけてください。

クーラーを点けた部屋に居ても、気をつけてくださいね。













= おまけ =

りんご、です。
只今、初ヒート中。
マナーウェア(おむつ)にテンテコマイし、暑いだろう?かぶれてない?で
着けたり外したりで、気が気でない母ちゃん(私)。
暑いだろうと思って、毎朝5時前に母娘で散歩。
到底、善光寺さんまでは行けず。(苦笑)
雄犬くんに合わないように祈りながらの早朝散歩です。
すっかり、娘を守る母親根性が育ってきました。

お〜い! ごん達ぃ。元気かぁ〜?!
暑さなんて、関係なくて良いねぇ〜。
(羨ましいぞ、マジで。笑)

















寒がりで暑がり@アガサ




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2019/07/15.Mon

第三者の力を借りる 〜 学校カウンセラー、地域 etc 〜

7/10に書かせて頂きました「子どもの気持ち」。

たくさんの方々からの温かいコメントを頂きました。

ありがとうございました。



その後、お母さんから「子どもがスクールカウンセラーの方に、

少しずつ話すようになってきました」とご連絡を頂きました。

それを伺い、私も少し安堵いたしました。



" 自分で解決しなきゃ!"

と真面目な方ほど、こう思ってしまいます。

自分で解決する意思はとても良いのですが、誰かに相談する、

話を聞いてもらう、経験を聴く・・・というのも良いヒント

になると思います。

視野を広げると、気持ちに余裕を持てやすくなるのです。



私達は誰一人として、たった独りで生きていないのです。

頭でこういうことは知っていても、精神的にキツい時は、

つい、" 自分だけ " と思ってしまうもの。

" 自分だけ " が辛く悲しく大変だと思いがち。

( 皮膚炎が酷かった時はそう思った時もありました。)



思い出し難い時は、広告の裏紙などに書いて、壁にペタッ。

そうやって、大切なことを思い出すようにします。



知人友人でなくても、どなたかのご尽力のおかげで、

日常生活が送れている_

便利な世の中になればなるほど、顔を知らないどなたかの

人数が増えてゆくものです。

例えば、

水道、電気、ガス、携帯、電話、インターネット、交通機関、配送運搬、

お店に並ぶ食品や生活に必要な消耗品などの商品 など

想像すれば、心を向ければ、私達が生活を送るうえでの便利さ全てが

どなたかのご尽力ご努力の賜物です。



悲しみや不安が大きく膨らんでいる時は、どうしても気持ちが

カチンコチンになってしまいます。

普段はそうは感じない焦り、意固地、犠牲感、といったものまでも

膨らんでしまいます。

皆、そうなのです。



何かに頑張り過ぎている時は、肩に力がどうしても入ってしまいます。

呼吸も浅いかもしれません。

必要な酸素量が体内に取込めていないかもしれない。

そうしますと、身体がしんどくなってきます。

全部が繫がっているんですね。



肩に力が入っているなと思われたら、いつもよりゆっくりめを

心掛けてみるのも良いかもしれません。



親といえども、ご自身の深い悲しみと不安が多いなか、

お子さんのことも案じられるのですから、大変です。

自分の内に閉じこもってしまうことは、仕方ありません。

人に言えない時期もあります。



便利なツール(SNS、メールなど)の文字でのやりとりでは、

若干の軽減は出来ても、根本的にすっきりしない時もあると思います。

なぜか?

それは、私達は人間だからです。

人間は、動く生き物で、コミュニケーションする生き物。

百聞は一見にしかず、という有名な諺があります。

実際にその場に行く(見る)ことで、事の真相や新たなことが

わかるという意味なんだと自分は思っています。



億劫に思え、面倒くさいなと思いながらも、実際に行動してみても

思っていたような(理想や望み)内容ではないこともあります。

「 せっかく、行ったのに・・・」

と正直 思えることもあるでしょう。

大事なのは、自分から動くということ。

そして、

ちょっと立ち止まることも大切。



行動してみる、

考えてみる、

自分を見つめ直す、

自分も子どもも、周囲の人達も、完璧ということはあり得ない。

だから、

お互いに譲り合うことが鍵になってくるのだと思います。

中学生にあがるまでは、本当の意味で、譲り合うことの意味が

わからないかもしれません。

大人が、手本を見せるのは、すごく自然です。

強い者(立場)が、善き手本を心掛けるだけで随分と変わってきます。



お住まいの市や町から配られる小冊子(◯◯だより等)にも

そうした取組みがすでにあるかもしれません。

直接的な内容でなくても、なにがしか、あると思います。



ご自分で、「自分の心がカチンコチンだなぁ」と思う時には、

そうなさってみてください。

ゆっくり行動を心掛けてみること。



待っていても、何も変わらない。

ストレスが増えるばっかり。(苦笑)

変わらないことに不平不満やストレスを抱え続けるなんて、

まっぴらゴメンです。

不平不満を言う自分にもなりたくありません。(笑)



面倒だと思えても、ちょっと動けたらいいですね。

( 私も、動かんとあきませんねぇ。笑 )







まぁ、みんな、似たり寄ったりですよ。(大笑)



















アガサ

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2019/06/14.Fri

いじめ犯罪

いじめは、犯罪。

子どもがやっても、犯罪。



先生が謝っても駄目。

教育委員会が謝って、済むことではない。

学校だけのことではない。



教育現場は、多岐にわたり、

親は、家計のために少しでもと働き、

子どもの心に寄り添う大人は、身近にいない。

大人達のせいだけともいえない。

その子の個性も関係してる。



" 見つからなかったら、何やってもいい。"

家庭にいながら、親も子もインターネットかゲーム。

( そら、アカンわな。)



自分の思う通りに出来るのがゲーム(機械)だから、

心が育つことはない。

腹立ったら、電源落としたりして、自分本位でいれる。

そんな毎日の繰返しによって、

自分のことしか考えない、

自分だけが大事な性質が増幅する。



テストの点さえ 良かったら、親は何でも買ってくれる。

うちの子はええ子だと思い込んでしまう。(間違い)

高価なゲーム機やスマホは、誕生日かクリスマス、

お年玉で手に入る子ども達が多い。

そんな、子の嬉しそうな顔を見て、親は ご満悦。(違うやろと思う)

「頑張ったからご褒美」とか、「他の子も持ってるから」という言葉で

与えてしまう。

与えた後は、大変らしい。

(これも想像できること)



問題が起きてから ぎゃーぎゃー言っても

子どもは聞く耳も心も持ってない。

親の説教中は、シャットダウンか、スリープモードに

頭がなってるから。



手間と日間(時間)のかかることは疎まれ、

お金でケリをつけたがる。

お金さえあれば、しあわせをつかめると

思い込んでしまう。

拝金主義は、大事なことを 見落としてしまう。



先生に" 生徒指導 " まで求めるのは、無理。

それは、親がすること。

小さい時から、良識で育てる努力をすること。

心を育むのが、親の務め。

だから、子育てはしんどい。

しんどいのは、当たり前。



親のせいで、日本の教師は、忙し過ぎる。

「 先生にも家庭があるんやで。子どもさん、おられるんやで。」と言いたくなる。

親が、親がすべきことまで 学校にやらせる。

家庭でやること、家族で考えること、家庭で家族と話しあいすることまで

学校だ、先生だと考える親。

責任転嫁する親。

「そんなことまで先生に尋ねるの?」と思うことまで

尋ねる親がいるのには、驚く。



先生は、本筋の務めがある。

子ども達が楽しく学べるように教授するのが仕事。

勉強が好きな子には、励まし、

勉強があまり好きではない子には、その子の特性を見つめること。

その言葉に親は、子を客観的に認めることが出来る。

テストの出来具合が、子どもの成長では ない。



いじめ犯罪をする子は、大人の目を盗むことに 長けている。

大人の前では、良い子ぶる。

群れをつくる。

威圧を与える。

多分、いじめをする子の親の姿そのものだと思う。



参観日よりも必要なのは、子ども達が日々のほとんどを過ごす場が

どうか?ということ。

PTAの役割は、そこに在ると思う。

綺麗なお花を親達がするのではなくて、

子ども達と共にする方が良い。

学校周辺の掃除や草むしりを親達だけでするのではなくて、

子ども達と共にする方が良い。

子ども達が "自分達で、自分で、綺麗にする。掃除をする。"

ことを心に刻むことの方が、意味がある。

PTAの活動は、本来、そういうもの。



毎日、教室に 先生以外の良識ある大人がいればいいなと思う。

子ども達の、学級の、空気を見るため。

PTAの働きは、9割そこに注いだ方が良い。



本当は、親がわが子の心を育てるのが良い。

けど、親も、自分の時間を楽しみたいかなぁ・・・

そういう時代なのかなぁ・・・



いじめ犯罪に手を染める子に、問題があるのであって、

被害を受ける子に落ち度や問題があるのでは ない。



嫌な、辛い思いをしてまで、学校に行くことは ない。

勉強に関していえば、個人で勉強した方が はかどる。

だけども、学校は、家庭にはない楽しさと社会性を学べるところ。

人をいじめるような奴がいるところに、

乗り込む必要は、ない。

それは忍耐でも、我慢でも、修行でも なんでもない。

親の体裁のために、子どもに辛い思いをさせてまで我慢させる

必要はどこにも ない。



教育の場である学校で、いじめ犯罪が起きたら

すみませんでした、と一斉に頭下げて謝ることが教育者の仕事ではない。

頭を下げておられるシーンで、心から申し訳ない、

という空気が感じられたことは、極稀。



大抵は、

" 頭下げて、団体で謝っておいたら、世間体的にOKだろう "

こんな心の声が聞こえてくる。

記念撮影か?と思ったりするぐらいだ。

(あぁ、口悪い私)





いじめてる暇あったら、

いじめられてる子を 助けてやれ。

ひとりで助けるのが、無理そうだったら

クラス全員で 助けてあげる。

それが、根性あるってこと。

それが、本物。



いじめは 犯罪。

謝って済むことでは ない。








アガサ



































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2019/04/27.Sat

冷静に物事をみる、とは

世間で起きていることは、IT会社ニュースで、ざっとタイトル読みをします。

3点、気になることがありました。



・尊い命を巻き込んだ大事故を起こした加害者へのうやむやな対応。

・その事故への、著名有名で優秀なコメンテーターの方々のお言葉。

・その事故対応への、ネットからの声が感情的である、という判断。



この3つに共通するのは、不公平で不誠実 ということ。

事故を起こした人が、高学歴でキャリアがあっても、

現実、人が亡くなり、多くの方々が巻き込まれたのですから、

現行犯逮捕です。

これをすべき部署がしていないから、不公平で不誠実。

加害者が指示をしたしないに関わらず、そうした類いの " 根回し " は

まるで映画並の速さです。

この大事故に限らず、昔っから、政府高官やそれに準ずる人達が

何かをやらかしてしまったら、お蔵入り、迷宮入りとなるのです。



2点め、著名有名で優秀なコメンテーターの方々のお言葉は、

随所に、ご自分を基準に発言なさっています。

人が亡くなり、ケガを伴う事故や事件につきましては、

コメントする側がご自分を基準にしたようなコメント発言は

観点と論点がズレているとしか思えません。

炎上するのは、極自然なことだろうと思います。



3点め、ネットの人達は感情的だというご意見。

不誠実、不公平があるから、「おかしいぞ」という意見が出るのです。

誠実、公平に事が成されていないから、です。

コメントが明らかに公平を欠いた発言であるからゆえ、

多くの人々が「それはおかしい」となるのです。

それは、感情的ではないと思うのです。

ネット意見=感情的=冷静ではない=独断と偏見

という色眼鏡で見、記事として書かれます。

確かに、感情的なコメントもあるでしょうけど、

すべてがすべてそう(感情的)とは言えないのです。



大切な家族が事件事故に巻き込まれて、亡くなった・・・

事件事故に巻き込まれて、日常生活に差し支える大けがになった・・・

精神的に苦痛が残ってしまった・・・

毎日です。毎日。

ずっとですよ。

事件や事故が忘れ去られていっても、ご本人やご家族の苦痛と悲しみは

毎日毎日続くのです。



事故や事件は、イベントではない。

暇つぶしの起爆剤でもなんでもない。

命と日常が懸かってる。



毎日毎日、一秒一秒、

言葉では言い尽くせない深い悲しみと辛さと怒り、

様々な感情と闘っておられるのです。

凄まじいほどの辛さです。



物事を冷静に見、真実を扱うという大役は、

警察、裁判所など 国家権力が担っていますから、

その部門が、不誠実で不公平なことをやってしまったら

国家はすでに崩壊している、という他 ありません。

地位や権力を持っている者のための " ご都合国家 " 。

地位や権力が大きくなればなるほど、崩壊破壊への道が加速します。





きちんとなさること。

被害に遭った人が自分の家族なら、親しい友人なら、

目の色変えてしっかりとお仕事をなさると思います。

各部署が各部門が、例外なくきちんと仕事をすること。

相手がどこかの国王や総理であったとしても、です。





ご家族を奪われた方のお気持ちを考えないで、

何を考える必要があるというのです?



腐り切った対応に、多くの人達は憤りを感じているのです。

それは感情的ではなくて、

至って 自然な 人の心の声です。





誠実であること。

正直であること。

これらは、簡単なようで 実に勇気がいること。

人様に迷惑がかかった時ほど、

震えながらでも

勇気を振り絞らねばなりません。





冷静に物事を見る時、自分の立場を擁護してしまっては

物事は冷静には見れず、まともな考えは出てこない。

そう思います。






亡くなられた方々、

そのご家族、

ケガをされた方々のことが最優先です。





















アガサ

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