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2019/12/16.Mon

依頼をする、依頼を受ける

大切な家族、大切な人が他界をする_

こんな辛く悲しいことはありません。



どう思っていたんだろう、何を思っているんだろう・・・

様々な思いが私達の胸や頭をよぎります。

そうした時に、その手段を調べると霊能者や霊媒という人達から

伝えてもらえるんだと知ります。



とはいえ、その数のあまりにも多いことにびっくりします。

なかには、アヤシイ・・・眉唾もの、宗教色の濃いもの、

有名著名具合を謳っているもの、

海外在住や行き来をアピールしているもの、

といったありとあらゆるものにゲンナリしつつも、

インターネットで探して、探して、探しまくっている自分がいたり、

人から薦められて・・・だったり。

様々な流れで、依頼へと気持ちが向いていくようです。



これから申し上げることは、ご依頼を頂く際に留意して頂きたい

ことです。

今まで何度も申し上げていることですので、目新しいものはなく、

何一つ、不思議で神秘的なものもありません。



肉眼で見えないとされることだからこそ、

事は冷静に考えて頂きたいのです。

なぜなら、

依頼人の悲しみを"餌"にし、辛い胸の内を"手玉"にとっている霊媒が、

まだ存在することをご依頼人さん方から耳にします。



他界との交流を依頼する側も依頼を受ける側も、

真の交流は、" 信頼と真実 " に直結してこそ実現するのだと

いうことを心に留めて頂きたいと思います。





● 霊媒や霊能者への依頼

他界との交流が初めての時は、いろいろなことを考えて

用心に用心を重ねられると思います。

そうして、交流依頼を重ねてゆきますと、ある程度の " 慣れ "

のようなものが伝える側と依頼側に芽生えてくるかもしれません。

そういう場合には、留意なさってください。

「 他の霊能者や霊媒からも聞いてみたい・・・」という思いが

沸々と沸いてくるかも、しれません。



よくお考えください。



交流を依頼するその目的(真意)をご自分でご自分に確認

なさるのが良いと思います。

"大切な人を思いやる" という大切で愛情あふれるお気持ちを

大事にし続けること。

こうしたことに関する興味は、真心の対極にあるのです。



過去依頼したその霊媒や霊能者への信頼がおありならば、

新しい者を試す必要はないように思います。

興味と信頼、どちらが大切なのか? です。

どうぞ、ご自分の心にある信頼を大切になさってください。

※補足
以前に依頼なさった霊媒霊能者の方を信頼できるのであれば、私に
依頼をなさらずにその方との信頼を大切になさった方が良いように思えます。
逆に、過去、私へご依頼頂いた方が、他の霊媒霊能者の方に依頼なさる事は
全く気になさらないでください。本当にそう思います。





交流というのは、回を重ねてゆくごとに、ご自分の心の安定と

ご家族への愛情と信頼が増していく手助けになると思います。

手助けにはなっても、交流がすべてではない のです。

少しずつ、交流依頼から離れてゆかれることが自然の流れです。

他者に交流依頼をしなくても大丈夫な日が必ずやってきますから

ご自分を過小評価しないこと。

弱過ぎる、我侭だと自己暗示なさらないこと。



きっと、あなたの大切な人は、そう思っておられると思います。

<霊媒の◯◯さんがいないと駄目だ>

なぁ〜んて思われるわけがありませんもの。



大切な家族、大切な人とご自分の信頼と愛情に重きをおくこと。



家族だから、家族をわかってあげれるのです。

大切に思っているから、その人をわかろうとするのです。

これが一番大事。



私が他界したら、家族に直接伝えたいと思うでしょう。

もし、伝えてもらうなら、伝える側を

人として信頼できるかどうか_

これがひとつの決め手になると思います。





● 未成年の方のご同席

未成年の方、特に、小学生以下の方のご同席については、留意が必要です。

「 うちの子はしっかりしているから、大丈夫 」と思われていても、です。



幼い子どもさんの感情、

小学生低学年の頃の感情、

小学生中学年の感情、

小学生高学年の感情、

中学生、

高校生、

年代によっても当然ながら、違ってきます。



ひとりひとりの性格や感受性も、違います。

親がこうだろうと想像するのと、現実は違います。



お子さんの感情を想像せねばなりません。

親の気持ちと子の気持ちは、必ずしも 同じではないのです。



特に、幼い子ども達は純粋無垢です。

純粋な心、疑うことを知らない年頃のお子さんは

大人から、

" お父さんからだよ、お母さんからだよ " と言われれば

「そうなんだ!」と思うでしょう。

そうなると、

どういう可能性が出てくるとご想像なさいますか?



そうです。

他言してしまうのです。

だって、言いたいですよ。

会いたいのですもの!

自分のことを思っていてほしいですもの!

そう思って、誰かに話してしまうのは、自然だと思います。



「 内緒だよ。誰にも言ってはいけないよ。」

と子に言うことは、子どもにとってストレスになります。

大人でも「ここだけの話だけどね」と切り出されたことは

ほら・・・大抵、静かに いつのまにか 広まるもんです。

感情というのは、そういうものです。



大人と違い、子ども達は純粋です。

疑うこと、疑われることを想像しません。

だから、大人が留意して守らねばならないのです。

守ってやりたいと思って、自然。



ご存知の通り、大人は、陰で何を言うかわかりません。

人前では良い顔していても、腹の底までわからない。(苦笑)

ママ友同士の会話で、そのことが出てしまう可能性は大。

あとは、ご想像通りです。



未成年の方のご同席に気をつけて頂きたいと願いますのは、

子どもを守るため。

純粋無垢な子どもさんが陰で何を言われてしまうか、

その一因を親が作ってしまう可能性がある、ということを

お考え頂きたいのです。



私もひとりの親ですから、人様の子も守りたいと思えます。

ご依頼人さんのお子さんが受ける嬉しくない可能性を考えずに

大切な交流を軽率に臨むわけにはいかないのです。



今の時代、

誰でもSNSで発信できる時代ですから、用心に用心を重ねても、

し過ぎは無いのです。

子どもを守るのは大人の責務であり、使命。

良かれと思うことも、様々な視点からお考え頂きたいと思います。





依頼する、依頼を受ける _

どれだけの思いが詰まっているのか、

どれだけの辛い悲しい思いをなさってきたのか、

なんとか、ご自分を奮い立たせたいと望んでおられのか、

様々な思いをご依頼フォームやメールから伝わってきます。



だからこそ、

交流の目的、ご依頼なさる方を思います。

依頼を頂いたら、嬉しい!・・・

霊媒をやってる自分でありたい!・・・

こんなアホで無責任な考え方と愚か過ぎる行動は、

自分には出来ません。





安心なさってください。

一番大事なのは、大切なご家族や大切な人への愛情と信頼です。

繫がるのは、霊能者や霊媒といった他人ではない、のです。

この真実をよく噛みしめてください。

じっくりとこのことに向き合ってください。



家族が家族を信頼していることが、最高です。

どんなに悲しくて辛くてもです。

霊能者や霊媒といった人達から伝えられる内容よりも

明らかにその信頼は燦然と光り輝いています。

真実と真の愛情は、肉眼や肉耳レベルではなく、

大切に思うあなたの心に温かさを帯びさせてるのですから。

あなたが泣いていても、です。



自己アピール上手な自己陶酔タイプの霊能者や霊媒の口車に

乗せられてはなりません。









ご連絡を頂くご縁に感謝しています。

ただ、

交流におきましては、私はあくまでも冷静であらねばなりません。

霊媒風を吹かすことよりも、

人としての筋を通していたいと、思うのです。










心から述べさせて頂きました。

厳しく、あるいは、偉そうに響いた場合には

ご勘弁ください。



アガサ









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2019/10/18.Fri

粛々と生きていこう

自分がこの世に生まれたのは、親のおかげ。

その親も、それぞれの親のおかげ。



自分に物心がついてくると、特に若い頃なんかは

正直、感謝の「か」の字もわかっていなかったと思う。



若い頃を過ぎ、年齢を重ねていくなかで、

様々な経験を 自分なりに重ねていく。

嬉しく、楽しい経験よりは、むしろ、苦しく辛い経験を

重ねていくことで、感謝の「か」の字がようやく身に沁みる。



親心の温かさ、

友情の温かさ、

人様の温かさ、

動物家族の温かさ、

いろいろな温かさが 自分の内で浸透していく。

馴染んでくる。



そうやって、感謝の「かん」の字がわかってくる。

災害、事故、病気、、、

世の中の 他人様の 様々なことを 独り祈るように

なってくるのは、

感謝の「しゃ」の字に指をのっけているのかなぁ〜

と思う。

謝という漢字には、

" ありがたく思う心を言葉に表す " という意味が

あるそうだ。



自分が無事であることを有難く思うという意味ではなく、

今、自分がこうして生きながらえているのは、

知ってる知らないに限らず、自分以外の人達のおかげ。

命を差出し、食として生をささえてくれている動物達の犠牲のおかげ。



いつ 大きな辛さがやって来、

いつ 深い悲しみがやって来るのかは わからない。

いつ やって来ようが、動揺しながら、泣きながらでも

粛々と生きていけるように 平凡極まりない日常を

夜空に輝く星々のごとく、貴重に思いたい。



平々凡々と暮らしていれば、他界は美しく充実している。

それが本当かどうかを調べたいとは思わない。

他界に思いを寄せ過ぎることもなく、

この世に居る限りは、この世での生を粛々と受け入れたい。






困っている人達、動物達が、救われますように。

強き立場の者が、弱き立場の命と心を救いますように。



霊媒、霊能者という者がこの世からなくなりますように。

真心を持ち続ける人達が増えますように。















生まれた日に寄せる思い

アガサ


思うこと | Comments(0)
2019/09/27.Fri

どう生きればいいのか、どうすればいいのか 〜 他界による悲しみ 〜

大切だと思える人が他界することで、

自分の感情に 振り回される。

否が応でも 自分という者に 向き合わされるのだ。



家族であろうが なかろうが、

長年であろうが 短期間であろうが、

出会いや存在が どれほどであろうが、

淋しいには 違いない。



大事と思っていたけれど、これほどのショックの大きさに

自分のことながら 驚くことも ある。



そっとしておくのが 一番良いように 思うが

自分のなかから 少しでも速く 辛さや悲しさ等の

複雑な感情を 追い出したいと思ってしまう。



叶わないことだと 頭では分かっていても 

時が戻せたら・・・

と 願ってしまうのだ。



誰もが そう 願う。



そうした時の特効薬など ないけれど、

今のところ これを大事にするのが 良いと思っている。



" 感謝を捧げる "



なんだ、感謝かと 思われた方々も 多いだろう。

けれど、この " 感謝 " というのは、実に深い。

感謝をするのは、簡単だ。

真に感謝をするのは、なかなか、難しい。



それは、愛する、ということと似ているように 思う。

愛することは、簡単。

だけど、真から愛するということは、実に難しい。



耐え忍ぶこともあり、

時に憎いと思うこともありながら、

愛するとは一体何だろう? と自問自答することもあり。



生と死を身近にし、日常を生きていくうちに、

真に愛するということが 何となく こういうことかと思う。

( これも 人それぞれ 違っていいと思う。)





愛する_

すべてのことから 自由で 相手の幸せを 静かに心から祈る思い

ではないかと思う。

自分にとって不都合があっても、ただただ、相手の幸せを祈る

真の愛には、感謝も含まれている。



心が辛く、自分に向き合えなくなる時も、たくさんある。

ひがんだりして、陰にこもってしまって、

どうしようもないな、自分って と思える時もある。



だけど、それらすべてが「自分」なのだと わかってやり、

自分の脆さも弱さも 自分が わかってやること。

まずは、

家族も含めて、自分以外の誰か ではなく、

自分を 自分が わかってやる。

これは、すべての土台になるように 思う。

それも 愛だろう。



感謝する、

愛する、

そして、

同じぐらいに大切なのは、

自分を許してやること。



真に受け入れるということは 大変 時間がかかる。

真に受け入れられた時、あぁ、そうか・・・と思える。

そうだったんだと 気づく。

何に気づく ということではないけれど、

何か 大きな 純粋なものに 気づくのだ。



愛というのは、

ものすごく 大きくて 広くて 深い。

制限など ないくらいの大きさ。

地球や太陽系を包み込めるほどの 大きさだといっても
(もっと大きいだろうと思うけれど)

おかしくない。

愛は 表現できないほど 大きく 深いのだ。



私達は 常日頃から 愛だ、感謝だと よく使うが

果たして 真からのそれ なんだろうか。

" 言うは易し、行うは難し " だ。



我が家では、

「 あと1時間の命だとしたら、あるいは、明日1日の命だとしたら 」

という話を よくする。

可能性は ゼロではない。

いつ 何が起きるか 誰にも わからない。



どうしたいか、

どう生きたいか、

何を言っておきたいか、

何をしてやりたいと思うのか、

考えれば 考えるほど、大して 思いつかない。



「 みんなと会えて よかった。」と自分は思う。

縁あって 家族となれた、友人になれた、これら無形の宝は

他界しようがどうしようが、永遠だ。

心だけでは、信じられない・・・という物質至上主義の世の中

だけど、心こそ 最高のものなのだ。






悲しい時、辛い時、人は誰でも 我を忘れる。

けれど、

決して 独りでは ない。



愛する人、

大切な家族は、

どこにいても 私達を 忘れるなんて ない。



いろいろあるだろうが、

いっぱい言いたいことがあるかもしれないが、

でも やっぱり

ありがとう と 言いたい。



いつか きっと 心から そう言える時は 来る。

それが 真の愛で 真の感謝だと 思う。



ひとりひとり 考えが あって いい。

どれが 正しいというのは ない。

命、存在を 心から大切だと思い願うかぎり

すべてに愛と感謝が存在するのだと 思う。



だから、自暴自棄になんてなるな。

ご自分を祖末に扱うな。

きちんと ご自分を 自分で受け入れてあげること。

自分を大切になさること。

自分に愛をこめること。



結局、私達は 愛をこめて祈り生きるほか

ないように 思うのです。


















アガサ







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2019/09/05.Thu

子どもの虐待 〜 命にゆるすぎる日本 〜

吠えること、言葉が悪いことをお許しください。





2016年の12月25日、近隣の方からの通報があった時点で

虐待以外、考えられない。



その時点で、一時保護を解除しなければ、親?を見抜いていたら

子どもさんは、大切な命は、救われていたかもしれない。



それまでも、相当、子どもさんに対しての虐待があって

ご近所も、もう耐えられないと思ったから、通告されたと思う。

子どもが可哀想って。



通告するのは、勇気が要るのは誰でもわかる。

震える指先で電話されたんだと思う。

電話をきった後も、震えておられたと思う。

ものすごい 勇気が要りますから。



もうね、

子どもが泣き叫ぶのを聞くに耐えられなかったんですよ。

通告する人、どうしようか迷っていた人、多くのご近所さんが

子どものために、胸痛めてはったんですよ。



虐待する親(人)は、自分を偽るために、いっぱい嘘をつく。

自分を擁護するためやったら、なんだってする。

公的機関の前ではね。

別人のふりなんて、そういう人らは簡単に演じますから。



嘘を平気で言う。

善人ぶる。

子煩悩ぶる。

見た目も変える、自分のイメージを変える"余裕"がある。

おかしいやん。

それって。



専門家なのに、なんで、見抜けないの?

面倒くさいの?

" 件数 " やと思ってるの?

毎日のことだから?

キリないって思うの?

だから、書類上の段取りなの?

なんで、子どもに関わる仕事をしようと思った?

命に関わる仕事でしょ。

違う?

普通の仕事とは 違うんやで。



親が子どもを虐待してるんだから、

親は親ではないことぐらい、誰でもわかるでしょ。

親が子を拷問してて、親権もへったくれもないで。

大人が、子どもを拷問してるんですよ。

他を拷問してるです。

犯罪やで。



誰が守ってやれるの?

SOS(命を助けて)を表現しにくい小さい子どもさんを

誰が守ってやれるんですか。





いつも 思う。

何のための「資格」なん?

ものすご、勉強して、実務経験もしてはるんやろ?

と思う。



資格がない人達の方が、良識で、まともな判断できるのに。

資格もってる人達が、なんで、判断できないの?

なんで、「この人(親)、嘘ついてる。」とわからんの?

芝居(演技)と、本心ぐらい、わかるでしょう?



子どもが虐待で死なんと、わからへんの?

いったい、何人 虐待されたら わかるの?

何人の子ども達が、親から拷問を受けたら、ええのですか!





日本って、ほんま おかしいと思う。

命に関して、鈍過ぎる。

命より 大事なもんって 他にないでしょ。



外国は、即、子どもを引き離すよ、親から。

アルコール依存だけでも、引き離すよ。

親が児相の訪問(ぬきうち)を怖がるぐらい、厳しいのに。



それぐらいせんと、どんどん 

子どもの命と心が 奪われ続ける。






資格って、命を守るために あるんやと思ってた。

勘違いか、私の。



資格がないご近所さんや、私なんかは、

現場に 踏み込めへんでしょ。



命を守れるのは、

子どもを親の虐待から守れるのは、

現場に踏み込めるのは、

資格を持っているあなた達しか いない。







言葉悪くて すみません。

だけど、多くの方々が 滅茶苦茶 怒ってますよ。

ものすご、心痛めておられますよ。



お子さんを亡くされた親御さんを多く存じてる分、余計に

語気が強く悪くなります。

どんな思いで毎日過ごされているか。



今も、親から受ける虐待という拷問で、

辛い思いをしている純粋無垢な子ども達がいるんです。

子ども達にとっては、毎秒 痛くて 苦しくて 悲しいんです。



ニュースに登らず、

親からの拷問で辛く痛い目にあってる子ども達は

この国、日本に どれだけいるんやろう。

ニュースなんて、氷山の一角やから。



国は、どんだけ、" 子どもの命を守ってみせる!"

気があるのか。

正直なところ、本気では 考えてないと思う。

選挙で勝つこと、他の非をつっこむことぐらいしか 考えてないから。



権力っていうのは、命を守るために使うもんですよ。

ご存知でしたか?



力のある人が、やるべきことをやらんと

子ども達が被害に遭うだけ。



弱い立場、正直で真面目な人達が、どんどん困る最低な国になるだけ。

少子化、少子化ってネタみたいにしておっしゃって、失言ばかり

なさっているようですけど、

親からの拷問によって、どれだけの尊い命が奪われているか

この現実に即効、対処せんとあきませんよ。

何年 かかってるんや。



命に ゆるすぎ。

鈍過ぎ。

無関心すぎる。





















吠えるしか能がない、情けない自分。

アガサ









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2019/08/10.Sat

迷う時、悩みがある時には

いるべき時に、いるべきところにいて、

成すべきことを 成す。



これだろうとぼんやりと思うのです。



流れに身を任せる、というのは 簡単なようで難しい。

タイミングを見計らう、

機や時を見る、

というのも難しい。

言葉の数が少ないことほど、すごく難しい。

誰でも出来るようなことをし続けるのは、大変な忍耐が要る。



必要なものは、探さなくても 目の前にあって

それに気づくのは、事後的だと思います。

私はいつも、事後的に気づきます。(笑)



人間 誰でも迷うし、悩みます。

時折、悩まないことや迷わないことがあたかも自然で

優秀であるかのように、自己満足的な空気いっぱいで

おっしゃる方もおられるようですが、そういう方のことは

気にされないほうが良いと思います。

生きている以上、迷って、悩んで、普通なんです。

迷わず、悩みのない人は、ごめんなさい、自己陶酔型と思います。



考えて考えて考えて、

悩んで悩んで悩んで_

これでいいのかな? 違うんかな?

ああしておけば良かったのかな???

皆誰しも、こう思いながら 生きているのだと思います。



自分の感情に振り回されても、いいと思います。

振り回されるているのは、自分が一番よく知っているのですから。



いるべき時に、

いるべきところにいて、

成すべきことを 成す。



暑い毎日で 頭はぼぉ〜としがちですけれど

洗面所の鏡の隅っこに、このことを書いたメモを貼って

ふとした時に、じぃぃ・・・と穴が開くほど

見入っています。

















暑さの中にも秋が含まれてきましたね。

アガサ



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