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愛しい家族、愛しい人との対話 _ 静かで 心穏やかなひととき

他界された愛しいご家族や方々との対話回想、思うところを書いています。

異常気象 

毎年、

「 今年のお天気は、ちょっとおかしいよね。」

と私達は言います。

毎年毎年、去年よりは異常だと思うのです。

これだけ大きな自然現象が続きますと、言うに留まらず

実際に 日常生活で やっていかないといけない時期に

入ってきているように思います。



温暖化と言われ続けていますが、

小氷河期に入ってきているとも言われています。

温暖化と氷河期が入り混じっている、というと

矛盾しているように思われるかもしれませんが、

ここ数年のお天気具合を思い出しますと

なるほど、と思えます。



日本の四季が 消えつつあります。

暑過ぎたり、大雨が続いたり、というように

" 過ぎる " ことが増えました。

異常気象という言葉が頭に浮かび、世間的には

異常気象は、取るに足りないようにさえ思われ始めました。



異常、異常、異常・・・。

異常というのは、常と異なるということ。

私達人間にとっての " 異常 " 。



違う視点からしますと、理由はなんであれ、

地球的には、均衡を保とうとしているのだと思います。

生きている地球ですもの。



気象、地震、火山活動・・・etc

私達人間は、いつもの日常生活を守るために、

先を知りたいと思えます。

専門知識をフル活動させて、日夜、研究調査されている機関も

世界中にありますが、ピンポイントで予測することは不可能。

地震の場所にしても「来そう」と言われている場所とは違う場所で

起きています。

自然相手では、人間のたゆまぬ研究や過去歴を以てしても

当てることは、所詮、無理なのかもしれません。



山の中で住み始めて、苦手なことだらけの毎日を経験して

思うところはとても多いです。

わかりやすく気づいたのは、気温、そして、空気。

標高もありますが、不便さを通して、今まで気づかなかった

ことに 気づくこともあります。

気づくというか、考える、想像する、ということ。



アスファルトで固められた場所は熱の逃げ場がありません。

どんなに技術や研究が進んでも、自然に取って代わるようなもの

はありません。

こう熱過ぎたりすると、室内を快適にするためや健康維持のためにも

多くの機材を多くの場所で使われます。

それからは機械による熱が発生します。

それがまた、ムッとする熱さ。

室内は快適でも、外はさらに暑くなります。

そうした繰返し。

スパイラル。

まるで、私達の感情に似ているように思いました。

行き場のない気持ちは、どんどん溜まってきて熱くなってくる_

自分も周囲も居心地がわるく、息苦しくなってきます。

規模は違いますが、私達も地球も、身体のどこかのバランスが

崩れたら、自然とバランスを取ろうとしますよね。

( 爆発する前に、何とかしないと。)



自然に対して 予知はしづらいですが、

私達人間は、他の動物達と同じく、動物であり、生き物。

地球も、活動しているのです。

(このことをつい、忘れてしまいます。)




毎日心掛けられることは、本当に些細なことですし、

目に見えての成果というのは実感しづらいですが、

心掛けることはとても大切だと思っています。



心掛けたとしても、気象まで変えられるとは全く思ってもいませんが

「 地球という大きな家に住んでいるんだ。 」

そう思って、

自分たちの家の中を汚すようなことだけはしたくないもんです。



災害や事故や、災難がふりかかってこないと私達は考えません。

しかも、自分に、身近にふりかかってこないと、他人事です。

「気の毒だなぁ」と思いこそすれど、自分の日常に痛手がなければ

いつのまにか、忘れてしまう・・・というのが正直なところ。

毎日の生活、自分のことが精一杯なのは誰しも同じです。

( 災害で多くの方々が困っているのに、政治家の方々は

 飲み会をされていたなんて、神経を疑いますよね。)



心からの「想定」などしたことのない政府が言う「想定外」

という言葉には、飽き飽き。

事が起こってから、対策本部を設置する_

設置したことで満足されているようなんですよね。

" ほら、設置したぞ。仕事、やってるだろ、俺たち先生方は。"

という声が聞こえてきそうです。(苦笑)

" お偉方 " の皆さんは、ご自分のことしかお考えにならない。

一般庶民は選挙の時に投票してもらう駒なんでしょう。



「想定外」で どれほど多くの方々の尊い命が奪われているか、

事の重大性など ご存知ないようです。



私達は、隣人の方々と協力しながら、自分達の命は

自分達で守っていかねばなりませんね。

それは普段からの積み重ね。






どなた様も大切になさってください。















=おまけ=

クルミの木に、クルミの実が成り始めました。
「え? これがクルミ?」
と思いましたよ。イメージがあまりにもかけ離れていたのでね。(笑)
落ちているグリーンの実を見ますと、あのクルミでした。
クルミの木はとても堅いですから、実まで堅い。
薪ストーブの薪材として長持ちするのは、クルミのような堅い木だそうです。
長く燃やしていれるから。
だぁ〜けぇ〜どぉ〜、薪割り出来ないほど、堅い!
らしいですよ。

緑の季節に、ぼちぼち飽きてきた贅沢者な私は、ぼちぼち、秋が待ち遠しいです。
虫達が活動を休止する冬なんては、すごく寒いですが、私が出歩ける季節!
夏は虫が多くて、びびってしまって、なかなか外には出れないのです。(苦)








アガサ



Posted on 2018/07/06 Fri. 11:16 [edit]

category: 思うこと

thread: 自分にできる事から  -  janre: 心と身体

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06

何も出来なくても、自分は自分。 

車の免許のない私が山を降りる術は、歩きだけ。

とはいえ、

最寄りバス停まで、徒歩40分強、

村の中心まで、約10キロの道のりを歩こうとは

未だ思えず。(笑)

ほとんど人が歩いていない道を

若干、体調に不安がある自分が単独で出歩くのは

後々考えますと、迷惑がかかるかなぁ・・・

と思ってしまい、ついつい 尻込み中。

たぬき、いたち、きじ、ねこ達では、畑仕事をされている

方々のところまで行けないだろうからねぇ。(笑)



山の中での生活は、ある意味、天の国のよう。

時間の流れるスピードは その日によって違い、

家族以外の方々との たあいもないお喋りは、

山荘に来られた時だけ。



自転車か原付バイクでもあれば・・・

と思いましたが、何かが違うような気がして

気が進みません。(笑)

気が進まない時は、合理的であっても 行動しない。

自分のそうした気のおかげで、不便です!

でも、まぁ、不便ということは、" し過ぎることはない " ですから。

便利な環境だとついつい、" し過ぎて " しまいます。

おやつ、食べ過ぎ。

親離れ子離れ時期に差し掛かっているのに、出しゃばり過ぎたり。あはは







山の中に住んで、いつも 思っていることがあります_

" 自分に何が出来るのか。

 何も出来ない。

 自分には何があるのか。

 何もない。"

という自問自答。

いろいろなことがあって、最近、ふと こう思えてきました、

" 何も出来ず、何もない自分で良いんじゃないか "

って。

そんなふうに思う時もあれば、

いや、もうちょっと頑張れよと思い直したりもします。



そうした何でも無い自分を感じる時、

幼い頃から繰返し見る夢が ふと頭に浮かびます。

穏やかな雰囲気の ひょっこりした山がひとつ。

まるで、色鉛筆か水彩画で描いたような烏帽子のような山に

祖母が幼稚園ぐらいの私の手をひいて、

「 あの山へ行こか 」

「 あそこへ行くで 」

とでもいうような祖母の心の声がしている、のんびりした不思議な夢。



「 うん。行く!」

と祖母に返事した途端、

登っていく感覚はほとんどなく、突然、私の目の前に

山の中腹か 頂上近くにある古い山小屋が建っていました。

焦げ茶色の、古びた木の家。

まるで、今のこの山小屋のような感じです。(笑)



ただ違うのは、店先のような造りで、物を並べる木の台が

いくつもあるのです。

子どもの腰ぐらいの高さの木の台には、何も無いのです。

子どもですから、" お店に何も無い " ことの方が不思議で

「 おばあちゃん、なにも ないで!」

と大きな声で言いますと、

祖母は いませんでした。

「 あれ? おばあちゃんは?」と周りをきょろきょろする私。

いつも ここで起きてしまうのです。

何度も 何度も 見ました。



この山小屋に決まり、周囲が緑で包まれているのを

実際に目にした時、この夢のことを思い出しました。

ここで何があるのかわかりませんし、

用心はすれど、期待は少しもありませんが

いろいろと考える時期なのかも、しれません。

まぁ〜、考えるには ぴったりの場所ですね。(笑)



テレビ無い生活9年目に入り、

テレビ見たいな〜とシビレを切らしかけていた私は

自転車もない生活になり、

歩くしかない。(笑)



360度 緑の世界。

自然の中にいると、自分の弱さや何も出来ないことを

これでもかと知らされました。

" 人は考える葦 " とおっしゃったパスカル氏は、

上手に例えられたと思います。



何も出来ない弱っちぃ自分ですが、

人のことを考えて

家族のことを考えて_

そうやって こちらでの一生を暮らせたら

しあわせだと思います。



何も出来なくても、自分は自分。

自分の価値を問い出したり、見い出そうとしたら、

私は終わりと思います。

価値の有る無しは どうでもいい。

価値があるかないかは 知らん。(笑)



ただ、

人のことを考えて、

家族のことを考えて、

出来る限りのことをしてあげたい。

出来る限りの範囲のことをちまちまと出来るのが

しあわせかなと思うのです。










わけのわからないつぶやきに おつきあいくださり、

ありがとうございます。










= おまけ =

ようやく、春のような気候になりました。(笑)
と思ったら、梅雨だ!
今日の気温は、21度くらいだそうですが、わが家は16度。
長袖ででないとちょっと寒いです。
晴れた日はこんなふうに景色が綺麗です。





可愛い花でしょう?
名前はわかりませんが、可愛いなと思い、撮りました。
名前はわからないけど、良いなと思えるのが気楽です。
自分もそうありたいと思っています。欲深いですな!(笑)





家族が借りている村の畑に久しぶりに行きました。
虫、蛙、花、草・・・その成長ぶりに圧倒されます。
陽にあたると皮膚が痒くなるみたいなので、とりあえず帽子、手袋、マフラー。
今までの自分では考えられない出で立ち。
そのうち、身体が慣れてくるからね、待っとけよ!と思っています。(笑)











アガサ







Posted on 2018/06/14 Thu. 14:35 [edit]

category: 思うこと

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14

お盆 

お盆の謂れや行事は、日本で生まれ育つ私たちにとって

深いものがあります。

特に、初めてお盆を迎えるのは ことのほか 様々な思いが

致します。



心安らかに・・・



大事な家族や人を思い願いつつも、

心の平安が必要なのは、願う私たち自身なのだと思えます。



最近頂いたメールの一部を掲載させて頂きます。

多くの方々もそう思われることと思います。



- - - - -

お盆が近いせいでしょうか。心がザワザワ。
どうして◯の初盆の準備をしているのだろう…
私達親は生きているのに。
順番が違う…
去年は一緒に過ごしていたのに…
など色々な事を考えて苦しいです。

側にいてくれている。
分かっていてもこの眼で見たいです。
抱きしめたい。
この悲しさ、苦しさはいつまで続くのでしょう。
本当に笑って思い出せる日が来るのでしょうか。

なんだか毎日苦しくて。
アガサさんに聞いてもらいたくて。
愚痴ですね。

- - - - -



愚痴だとは微塵も思いません。

すごく自然な気持ちです。





" 愛しい家族を信じる。"

これに徹すること。

どれほど長い時間、月日、年月がかかろうとも

心底、しみじみとわかるまで徹すること。

その過程では、

信じるということが、

たった"信じる"ということでさえ

とても難しいことだと思い知らされます。

どれほど、自分が口先程度、文字程度の"信じる"を

繰り返しながら生きてきたのかを 思い知ります。





私たちは、物に囲まれた生活をしています。

物にあふれる生き方に慣れています。

そういう生活に、どっぷり浸かっています。

ですから、目にみえて、手でふれられることだけが

「すべて」で「実存」するのだと思えます。

それが「実感」だと思っています。



目に見えず、手で触れられない状態に慣れていないので

不安でいっぱいだろうと思います。

誰もが、今ある"当たり前"な日常を当たり前と思い込んでますし、

その"当たり前"が変わることなど 露ほども思わないのです。





悲しさ、辛さ、苦しさがいつまで続くのか・・・

それは人それぞれだと思います。

個人的には、それらが消滅する日はないと思っています。

だからこそ、覚悟というものが少しずつ芽生えてきます。

だからこそ、生きること、死することが貴重だと思えます。







お盆。

私は怠け者で無宗教な人間です。

子どもの頃から周囲に"人"の存在を認めざるを得なかったので、

お盆だからどうこうという意識はありませんが

生前、そうしたことをきっちりしていた祖母達に思いを馳せ、

晩年、お遍路さんに行き出した父を思い、

場所がどこであろうとふと心が静まる時や穏やかになれる時に

心で話しかけたいと思います。

それは特別なことではなく、自分を見つめ直す意味でも普段から

言葉や思いひとつひとつを噛み締めながら心をこめて話しかけること。

それで十分だと思っています。






大事な人ならば、

大事なその人を信じること。



信じる_

そのなかに自分都合の感情を一滴も混ぜないこと。

信じるということは、自分を忘れ去ることだと思います。



どのような状況に移り変わっていこうとも、

悲しく辛いことに馴染むことは無理でしょうけれど、

応じていく心(覚悟)を持ちたいと思います。








どうぞ、お身体をご自愛ください。

健康が何よりです。











アガサ






Posted on 2017/08/11 Fri. 10:02 [edit]

category: 思うこと

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11

静かに敬意を。 

世の中が便利になり、ひとりひとりの発言や行動が

自由になり、

大切なものが置き去りにされてきた。



なにかあれば、表現の自由だとおっしゃる。

その"表現の自由"というのは、なんだ?

表現の自由はもちろん大切だが、

人を傷つけての"表現の自由"は いかがなものか。



表現の自由の名の元には、

人としての真心が 必要。

好き放題、言いたい放題、やりたい放題 が自由ではない。

自由の意味をはきちがえては 悲惨なだけ。



すべてにおいて、まったくの自由は ない。

自由を歩むには日々多くの覚悟が必要。

自由は、

人を傷つけたうえに成り立つものではない。



人ひとりの命を大切に、心底大切に思えるならば

非難や批判というのは口にも心にも出てこない。

それは、表現の自由でもないし、報道の自由でもない。



" お金があるから、受けられる医療だ "、

" ああすればよかったんだ "、

" そういう治療方法は間違っている "、

等と他人様に言うよりも書くよりも

他にやらなきゃいけないことが あるだろう?

他人様のことをどうこうおっしゃるよりも、

ご自分のご家族の心を大切にすることがあるだろう?

ご本人に直接言うのではないからといって言いたい放題は

人としておかしい。

他人様を傷つけるよりも やらなきゃならいことが

あるだろうと思う。



人ひとりの命。

懸命に前を向き続けたご本人、

愛しいご家族を懸命に支え続けたご家族の方々へは

静かに

静かに

そっとしてあげたいと思い願うのが、人ではないのか?



" 私はこんなに祈っています。"

" 故人とご家族にこういう祈りを捧げています。"

等ということも言う必要も書く必要も、ない。

それらは、自己満足の自己アピールであり、

自己陶酔以外の何物でもない。

言った直後、書いたまなしから、その輝きは陰湿なものへと

変化していく。



ご自分のご家族が他界された時に、

まったく知らない方々から

非難批判を浴びせられたら

どんな思いがするのか・・・

それぐらいはおわかりになると思う。

悲しみの淵におられる方々をそっとしてさしあげるのが

心ある者の思いやりと態度だろう。



精一杯 生き抜いて来られたご本人に対して、

精一杯 支えてこられたご家族に対して、

第三者が

エラそーに ああだこうだ言い、

さも何でも知っているかのようにSNS等に書くのは、

人として 善きことなのか?

その言葉ひとつひとつに、

発信側の美しい真心が含まれているのか?



他人様の神聖な他界について、

ご自分の日常における不平不満をぶつけてはならない。



生まれてくること、

死すること。

どちらも尊い。

人生で最高の感動と感謝の瞬間。

静かな、静かな、神聖な時間。



生まれくる時も、

死する時も、

弔う準備をして頂く時も、

私たちは、多くの方々の手を借りている。

想像しえない思いやりと多くの方々の手に

お世話になるのだ。



悲しんでいる方々の一挙一動に対して、

責め立てるのは

止めましょうや。



他人様のことをいうよりも、自分の生き方を大切に

見つめた方が良い。





心静かにしていよう。

命に対して、敬意をはらおう。

他に対して、敬意をはらおう。









すべての方々のご冥福を祈ります。

心を受け継がれた、すべてのご家族の方々に

敬意を表します。










アガサ










Posted on 2017/06/24 Sat. 20:09 [edit]

category: 思うこと

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24

報われる 

交流お伝えが一段落しますと、相続に関することをよくお話しされます。

胸の内、ですね。私なんかが丁度良い"距離感"だからだと思います。

口も硬いし(笑)。



相続というのは、一般的には "本性" が出るように思います。

法律に則って分配されることもあれば、

" ご本人の意思 " が文章で残されていればそれに順じられます。



どちらにしても、受け取る側が互いに譲り合い、気持ち良く分配!

となれば最高なのですが、ぽんっと目の前にお金や不動産がちらつきますと

なかなか そうは行かないように思います。

専門家に間に入って頂いても、ややこしいこともたくさんあります。

遠い親戚までご参加される場合も、あります。(苦笑)

" 貰えるもんは、貰いたい!"

そうなるんでしょうね。



「 え? そんなの、仲良く分けたらいいじゃな〜い!」

と思われる方々もいらっしゃると思います。

すんなりと皆が譲り合うことが出来るのなら、私なんかには

お話しになりません。

皆が譲り合い出来るなら、この世に、警察、弁護士、税理士、

裁判、犯罪というもの自体が存在しないと思います。

その場になると、ころっと変わるというのもあるし、

欲が沸々と沸き出すのが、人の感情です。

魔が差す、というのもあるでしょうね。



想像で考えるのとは違って、現実その場そのケースに遭遇しないと

人間というのは分からん、のです。



私がよく観ていた「名探偵ポアロ」シリーズでも、よく揉めておられます。

「 何にもしていない◯○さんには、相続があって、

 いつもお世話をしていた私には何も頂けないんです。」

というのは可愛いぐらいで、大抵は、犯罪が起こります。

いつの時代も、人の欲は いかばかりか・・・ですよね。



ご依頼を頂くということは、その方のプライベートなことまで

知らされます。

びっくりするような話をよく耳にします。



大抵は、正直で誠実で我欲の少ない方がご心労なさいます。

我欲の強い人に翻弄されるのです。

本当に気の毒に思います。

わが家も、そうした時期が10年程続きましたから、心から

ご心労をお察し出来るのです。



" 人に迷惑をかけず、真面目に地道に生きて質素に暮らしています。

あの人達は何もせず、自由気ままに 生きているのに、

どうして相続出来るのでしょうか? "

空しい限りです。

世の中、どうなってんだろう?って思いますよね。

本当にお気持ち、わかります。

努力や誠実さって報われないのかなぁ・・・と思えたり。



そもそも、" 報われる " ってどういうことだ?と思いました。

" 報われる " というのは、

「 努力や苦労に対して、それに見合ったような期待通りの成果や成功が得られること。」

だそうです。



ここでふと思いました_

" それに見合ったような・・・"

" 期待通りの成果や成功・・・ "

そう考えてしまうことに、そもそも 無理があるんじゃないか?

努力して、苦労して、それに見合った成果や成功をしている人って

この世の中に一体、どれだけいらっしゃるのだろう?と。

結果を期待するから、頑張る・・・というのは確かに在ると思います。

だけど、期待通りに行くというのは、誰にもわからないことです。



例えば、運動会。

子どもたちが皆、頑張りますね。

特にリレー。観る側も力が入ります。

皆、頑張っています。

だけど、突然転倒したり、バトンの受け渡しが上手くいかなかったり・・・

というのが発生してしまいます。

なんでだろうな〜 と思いますが、思ったところで仕方が無い。

一時的にがっかり、悔しくて泣いたりするけれど、

" 皆で頑張ったんだ!"

" ◯○君、◯○ちゃん、頑張ったよ!"

というように、負けてもそれを乗り越えて、清々しい気持ちになります。

これは、勝った側では、味わえません。

種類が、違うのです。



悔しさを乗り越えるというのは、本当に大変なことです。

でも、それは勝つよりも、見えない価値があると思いますよ。

勝ち続けることは、ないし、

負け続けることも、ないでしょう。

人生は、勝ち負けではないし、ましてや、他の人と比べることでも

無いのだと気づいていきます。



それは、" 報われなかった "という悔しさを経験しているからです。

逆に、

「 あぁ、努力が報われたぁ!」という思いは、用心です。

喜んでも、気を引き締め直すこと。

これは肝心ですね。

そのままにしていますと、足元をすくわれます。



この世は、物質至上。

触れられる物が優先されています。

お金は、無いより有った方が良いでしょうし、

家も、そう。

在った方が良い、ですよね?
(うちなんて、両方、ありません! 大笑)




何不自由なく有る、という方々も世の中におられます。

家計は安定し、

家族も元気、

持ち家もある。という方々。

だからといって、そうした方々に一切の不安が無いか?といえば

それは違う話だと思います。

人様を羨む気持ちは、あって自然と思いますが、

くれぐれもご自分の感情にぐるぐる巻きされないよう、ご留意ください。



まぁ確かに、ポンっと相続で入ってくるのは助かるでしょう。

家計も助かるでしょうし、家計に余裕が出来ると

精神的にもゆとりが出てくるかもしれません。

しかしながら「相続する」というのは、プラスもマイナスも相続せねばなりません。

プラスだけの相続は出来ないのです。



この世的(物質的)に考えて生きることは、

私たちの心を狭くしてしまうように思います。

自分の得しか考えないような、ね。

損得勘定しか働かないなんて、味気ないですよ。

人間に深みがありません。



物質的に報われたいと切望されるのなら、我欲強欲で生きねばなりません。

他のことを考えることなく、自分中心で生きねばなりません。

人が泣いていても、自分さえ楽出来れば良いと思えねばなりません。

それが出来れば、物質的に報われると思います。

自分の心と行いは、表情・人相・空気感にまで影響を及ぼします。

どちらで生きようとも、バランスは取られます。



この世は、ごちゃ混ぜ。

不完全な人間で世の中は動いています。

だからこそ、自分の心と対峙出来るのだと思います。

甘い誘惑が多いからこそ、理性を輝かせることが深い意味と意義を持ちます。

" 他の振り見て、我が振り直せ " です。



" 自分の存在を忘れ、

少しでも、自分以外の誰かのためになるかもしれない。

自己満足に浸る暇もなく、葛藤しながらも地道に地味に続けて行く。"

それが本当に幸せだなぁ と思うのです。



報われるとか、報われないとか、そういうのは

どうでもいいと思うのです。



あなたは、素晴しく 心を尽くしておられるのです。

私はそう思いますよ。

















この季節は、ほおずき。
わが家では、食用のほおずきを家族が育てています。
鑑賞用のとは違って、とても美味しかったそうですよ!
「まるでマンゴーのようだった!」と本人びっくりしていました。
(へぇ〜、そうなんやぁ〜・・・)
と思いながらも、私は、今一、勇気が出ません。(笑)
まぁ、そのうち、頂いてみようかな。






アガサ



Posted on 2017/06/13 Tue. 12:10 [edit]

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