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2019/06/14.Fri

いじめ犯罪

いじめは、犯罪。

子どもがやっても、犯罪。



先生が謝っても駄目。

教育委員会が謝って、済むことではない。

学校だけのことではない。



教育現場は、多岐にわたり、

親は、家計のために少しでもと働き、

子どもの心に寄り添う大人は、身近にいない。

大人達のせいだけともいえない。

その子の個性も関係してる。



" 見つからなかったら、何やってもいい。"

家庭にいながら、親も子もインターネットかゲーム。

( そら、アカンわな。)



自分の思う通りに出来るのがゲーム(機械)だから、

心が育つことはない。

腹立ったら、電源落としたりして、自分本位でいれる。

そんな毎日の繰返しによって、

自分のことしか考えない、

自分だけが大事な性質が増幅する。



テストの点さえ 良かったら、親は何でも買ってくれる。

うちの子はええ子だと思い込んでしまう。(間違い)

高価なゲーム機やスマホは、誕生日かクリスマス、

お年玉で手に入る子ども達が多い。

そんな、子の嬉しそうな顔を見て、親は ご満悦。(違うやろと思う)

「頑張ったからご褒美」とか、「他の子も持ってるから」という言葉で

与えてしまう。

与えた後は、大変らしい。

(これも想像できること)



問題が起きてから ぎゃーぎゃー言っても

子どもは聞く耳も心も持ってない。

親の説教中は、シャットダウンか、スリープモードに

頭がなってるから。



手間と日間(時間)のかかることは疎まれ、

お金でケリをつけたがる。

お金さえあれば、しあわせをつかめると

思い込んでしまう。

拝金主義は、大事なことを 見落としてしまう。



先生に" 生徒指導 " まで求めるのは、無理。

それは、親がすること。

小さい時から、良識で育てる努力をすること。

心を育むのが、親の務め。

だから、子育てはしんどい。

しんどいのは、当たり前。



親のせいで、日本の教師は、忙し過ぎる。

「 先生にも家庭があるんやで。子どもさん、おられるんやで。」と言いたくなる。

親が、親がすべきことまで 学校にやらせる。

家庭でやること、家族で考えること、家庭で家族と話しあいすることまで

学校だ、先生だと考える親。

責任転嫁する親。

「そんなことまで先生に尋ねるの?」と思うことまで

尋ねる親がいるのには、驚く。



先生は、本筋の務めがある。

子ども達が楽しく学べるように教授するのが仕事。

勉強が好きな子には、励まし、

勉強があまり好きではない子には、その子の特性を見つめること。

その言葉に親は、子を客観的に認めることが出来る。

テストの出来具合が、子どもの成長では ない。



いじめ犯罪をする子は、大人の目を盗むことに 長けている。

大人の前では、良い子ぶる。

群れをつくる。

威圧を与える。

多分、いじめをする子の親の姿そのものだと思う。



参観日よりも必要なのは、子ども達が日々のほとんどを過ごす場が

どうか?ということ。

PTAの役割は、そこに在ると思う。

綺麗なお花を親達がするのではなくて、

子ども達と共にする方が良い。

学校周辺の掃除や草むしりを親達だけでするのではなくて、

子ども達と共にする方が良い。

子ども達が "自分達で、自分で、綺麗にする。掃除をする。"

ことを心に刻むことの方が、意味がある。

PTAの活動は、本来、そういうもの。



毎日、教室に 先生以外の良識ある大人がいればいいなと思う。

子ども達の、学級の、空気を見るため。

PTAの働きは、9割そこに注いだ方が良い。



本当は、親がわが子の心を育てるのが良い。

けど、親も、自分の時間を楽しみたいかなぁ・・・

そういう時代なのかなぁ・・・



いじめ犯罪に手を染める子に、問題があるのであって、

被害を受ける子に落ち度や問題があるのでは ない。



嫌な、辛い思いをしてまで、学校に行くことは ない。

勉強に関していえば、個人で勉強した方が はかどる。

だけども、学校は、家庭にはない楽しさと社会性を学べるところ。

人をいじめるような奴がいるところに、

乗り込む必要は、ない。

それは忍耐でも、我慢でも、修行でも なんでもない。

親の体裁のために、子どもに辛い思いをさせてまで我慢させる

必要はどこにも ない。



教育の場である学校で、いじめ犯罪が起きたら

すみませんでした、と一斉に頭下げて謝ることが教育者の仕事ではない。

頭を下げておられるシーンで、心から申し訳ない、

という空気が感じられたことは、極稀。



大抵は、

" 頭下げて、団体で謝っておいたら、世間体的にOKだろう "

こんな心の声が聞こえてくる。

記念撮影か?と思ったりするぐらいだ。

(あぁ、口悪い私)





いじめてる暇あったら、

いじめられてる子を 助けてやれ。

ひとりで助けるのが、無理そうだったら

クラス全員で 助けてあげる。

それが、根性あるってこと。

それが、本物。



いじめは 犯罪。

謝って済むことでは ない。








アガサ



































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2019/04/27.Sat

冷静に物事をみる、とは

世間で起きていることは、IT会社ニュースで、ざっとタイトル読みをします。

3点、気になることがありました。



・尊い命を巻き込んだ大事故を起こした加害者へのうやむやな対応。

・その事故への、著名有名で優秀なコメンテーターの方々のお言葉。

・その事故対応への、ネットからの声が感情的である、という判断。



この3つに共通するのは、不公平で不誠実 ということ。

事故を起こした人が、高学歴でキャリアがあっても、

現実、人が亡くなり、多くの方々が巻き込まれたのですから、

現行犯逮捕です。

これをすべき部署がしていないから、不公平で不誠実。

加害者が指示をしたしないに関わらず、そうした類いの " 根回し " は

まるで映画並の速さです。

この大事故に限らず、昔っから、政府高官やそれに準ずる人達が

何かをやらかしてしまったら、お蔵入り、迷宮入りとなるのです。



2点め、著名有名で優秀なコメンテーターの方々のお言葉は、

随所に、ご自分を基準に発言なさっています。

人が亡くなり、ケガを伴う事故や事件につきましては、

コメントする側がご自分を基準にしたようなコメント発言は

観点と論点がズレているとしか思えません。

炎上するのは、極自然なことだろうと思います。



3点め、ネットの人達は感情的だというご意見。

不誠実、不公平があるから、「おかしいぞ」という意見が出るのです。

誠実、公平に事が成されていないから、です。

コメントが明らかに公平を欠いた発言であるからゆえ、

多くの人々が「それはおかしい」となるのです。

それは、感情的ではないと思うのです。

ネット意見=感情的=冷静ではない=独断と偏見

という色眼鏡で見、記事として書かれます。

確かに、感情的なコメントもあるでしょうけど、

すべてがすべてそう(感情的)とは言えないのです。



大切な家族が事件事故に巻き込まれて、亡くなった・・・

事件事故に巻き込まれて、日常生活に差し支える大けがになった・・・

精神的に苦痛が残ってしまった・・・

毎日です。毎日。

ずっとですよ。

事件や事故が忘れ去られていっても、ご本人やご家族の苦痛と悲しみは

毎日毎日続くのです。



事故や事件は、イベントではない。

暇つぶしの起爆剤でもなんでもない。

命と日常が懸かってる。



毎日毎日、一秒一秒、

言葉では言い尽くせない深い悲しみと辛さと怒り、

様々な感情と闘っておられるのです。

凄まじいほどの辛さです。



物事を冷静に見、真実を扱うという大役は、

警察、裁判所など 国家権力が担っていますから、

その部門が、不誠実で不公平なことをやってしまったら

国家はすでに崩壊している、という他 ありません。

地位や権力を持っている者のための " ご都合国家 " 。

地位や権力が大きくなればなるほど、崩壊破壊への道が加速します。





きちんとなさること。

被害に遭った人が自分の家族なら、親しい友人なら、

目の色変えてしっかりとお仕事をなさると思います。

各部署が各部門が、例外なくきちんと仕事をすること。

相手がどこかの国王や総理であったとしても、です。





ご家族を奪われた方のお気持ちを考えないで、

何を考える必要があるというのです?



腐り切った対応に、多くの人達は憤りを感じているのです。

それは感情的ではなくて、

至って 自然な 人の心の声です。





誠実であること。

正直であること。

これらは、簡単なようで 実に勇気がいること。

人様に迷惑がかかった時ほど、

震えながらでも

勇気を振り絞らねばなりません。





冷静に物事を見る時、自分の立場を擁護してしまっては

物事は冷静には見れず、まともな考えは出てこない。

そう思います。






亡くなられた方々、

そのご家族、

ケガをされた方々のことが最優先です。





















アガサ

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2018/11/15.Thu

狩猟解禁について

朝、家族たちを家の前で見送り、掃き掃除をしていました。

パンッ パンッ

何度も 銃の音がしました。



「農作物を食べるから、農業者に被害をあたえる野生動物の数を

 コントロールする。

 だから、狩猟は重要な役割を担っている。」

だそうです。



わざわざ、山の中に入ってきて 撃つのです。

人間が増え過ぎたからといって、狩猟して

数をコントロールしてますか?! と問いたい。

しかも、毎年。

しかも、解禁日を 待ちに待って。



撃った後は、

「食肉にしたり、革製品にしたりして 大切な命を無駄にはしません!」

だって。



農作物に被害があるのなら、テクノロジーを駆使した物を

使えばいい。

あるいは、人間が住んでいるエリアを ぐるっと金網で

完璧に囲めばいい。

そうしたら 罠も銃も必要なくなる。



結局は、国(環境省)が ついてるからね。

被害が大きいから、国が認めてるから、という大義名分を

当たり前のようにかがえておられるけど、命を奪ってるんだ。

戦争だってそうだもの。

それぞれの国が都合のいいように自国を正論化して、

成敗する!みたいな具合で戦争が始まるわけです。

結局は、殺してるんだよね。

殺し合い。

大抵は、大義名分を掲げて、正しいことのように

大きな声と態度で命を奪う。



人間はどんどん、領域を広めてるから野生動物も大変。

住むとこも、食べるものも 奪われるんだものねぇ。



税金と国民の情報を裏で一元化するために、

クレジットカード利用者には増税分還元するって

そんなとこにばっかり、時間とお金を割く国。

ちゃんと頭、使えって思う。





また、銃の音。

ひっきりなしに 聞こえる。

それって 追い回してるわけだ。



撃って 死んだ動物たちを見て、

何とも 思わないのかなぁ。



「 日頃の練習成果が出た!」

とでも、ちらりとも思うのだろうか。

命を奪って、嬉しいのか?

もっとも、お上からの指示なんだろうけど。



太古の昔から続いているっていうけど、

じゃぁ、日常生活も太古の昔とやらと全く同じ?

スーパーには行ったこともなく、

服装も太古の昔風で、

上下水道の設備が整っていない場所で生活されてる?

家の造りも 太古の昔風?

まさか、電気製品、お持ち?

本当に、都合のいいように言うね。



テクノロジーを使って、

命を大切にするために 知恵を使ってこそ、

人間だと思うけど。



銃使って 殺すなんて。

人間に対しては「 銃規制 」があるのに、

野生動物に対しては、

「 数のコントロール 」だそうです。

正当なんだそうです。

正当ってなんだ?

常識ってなんのためにある?



でだ、

撃ち過ぎたら、今度は、きっと保護保護って言うだろうね。

絶滅の危機にある、とか言って

国はやらずに、保護団体に 任せて。

その保護団体に寄付してるのは、国民。

動物の命や環境を大切に思っている人達の支援。



自分達で環境壊すようなことを計画して税金使って

責任転換先は、自然。

自然災害のせいにする。



なんか、おかしいこと やってるね。





いろいろとご都合はあるんでしょうけど、

あたしゃ、そうは 思わないね。

















アガサ











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2018/10/17.Wed

2ヶ月半を過ぎて

いかが お過ごしですか?

山の中は、次第に寒さが増してきました。

すでに、冬の服装です。



お休みを頂いてから 2ヶ月半が過ぎました。

いつも、どうしていこうかと考えています。

必要とされているのなら、少しずつ再開をしようか・・・

その時期はいつなのか・・・

以前のように1時間も出来るだろうか・・・

と考えたり。



楽しく嬉しい時には思い出されず、

辛く悲しい時にだけ、ふと思い出される存在_

これが私の中での アガサの存在です。

記憶に残らなくて善い。

前に出なくて善い。

目立たず、ひっそりしてるのが善い。

見た目や言動が特別である必要がない。

それが 霊媒の姿だと思っています。



そこらの 気の良いおばちゃんのような、

どこかの 温かいおばあちゃんのような、

時に 正義感まるだしのオッサンのような、

頑固で無口だけど寛容なじいちゃんのような、

そんな感じ。



どこにでもいるような存在_

そんなんがいいと思っています。



休養期間を来年の3月末ぐらいまで、と考えていましたが

日々頂く有難いメールに感謝してるだけでいいのか?

と思っています。



以前のように毎日1時間、お伝えする自信が

ちょっとまだ ありません。

自分の家族たちのことも 考えてあげたいので

平日の限られた時間帯だったら 引受けられるかな・・・

そういうように 思えています。



世の中には 素晴しい霊媒の方々が多くおられると信じていますので、

お待ち頂くほどの者ではないだろう・・・

そのようにも思っているのです。



それでも、

信頼くださり依頼をしたいと思われる方がおられるのなら

精一杯努めようという気持ちに、変わりありません。



お休みさせて頂いてから、2ヶ月半になりました今の

正直な気持ちを書かせて頂きました。






いつも温かいメールを本当に有難うございます。











= おまけ =

味覚と嗅覚が長けている家族。
それだけに市販の食品や外食では、何が混ざっているかがわかってしまう家族。
ある意味、気の毒。
私なんては、美味しいか美味しくないか程度で、微妙な味は分かりません。
普通の味覚嗅覚のおかげで、平和に食べて来れました。(大笑)

才能があるから それを仕事にするのが最善とも思えない私。(苦笑)
気が熟し、タイミングが合って、
一番大切なこと→本人が覚悟を決めるなら、
小さな小さなパン屋さんも いいかもね。
だけど、頑固なパン屋だな、きっと。(大笑)
パンの仕上がり具合を見て、「駄目だ。今日の出来は今いちだ。」
眉間にシワをよせながら、売らないでしょうね。(苦笑)
(あ〜、勿体ない。だけど、私が食べれるな!ラッキー!)

初めて作ったクロワッサンを味見しました。
混じりけなしの正直クロワッサン。
家族は言います、「麦から作って、パンを作りたい。」と。

ま〜、とにかく。
何でもかんでも 自分でやるのは大変だよ〜。(笑)








アガサ






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2018/09/04.Tue

一緒に過ごせるうちに。 (加筆 9/6)

大切な人と一緒に居れる有難さは、別れを経験したから。

普通で平凡な日常がどんなに幸せに溢れていたのだと

気づかされます。

深い悲しみを経験したからこそ、当たり前に思いがちな

その有難さにしみじみいたします。

そうした経験も、忙しかったりしますと つい

感情の赴くままに 動いてしまう私たち。



日々頂くメールは本当に有難く思います。

メールを拝読しながら、様々ことを心に思い、

我が身を振り返る機会を頂いています。



家族の関係、子育ては、家庭の数だけ いろいろ。

命と心を大切にする以外は、

何が正解かというのは無いと思います。



子育てに、専門家はいません。

同じ家庭で育っても 子どもひとりひとり 違います。

一般的な成長と比べること、

有名な学校に入れること、

著名な哲学者や教育者の教育論に心酔し傾倒する、等

それらが正しいことではありません。

良い親だとも 思えません。

子どもがひとりひとり違うように、

私たち大人もひとりひとり違うのです。



" うちの子も天才にさせたい(出来るかも) " とか、

" うちの子も◯○大学に入学させたい " などというのは

子どもを無視してると思うのです。

子どもはブランド物のバッグや靴ではないのです。

子どもにさせずに、ご自分がなさったらいいのです。

子に言うまえに、大人が日常で示すのです。

見返りを期待せず、純粋に、大人が勉学に励めばいい。



子どもには、子どもの特性(個性)があります。

年齢に沿いつつ、その子の個性を大切に見守りながら

日常を大袈裟で窮屈にすることもなく、

自然に過ごしていかれたら良いと思っています。








最近は、小さな子どもさんにもスマホでゲームや映像を

見せられるのにはびっくりします。

子どもが静かにしてるからゲームをさせておく・・・

みんなが持っている時代だから、スマホを持たせる・・・

楽だし、喜ぶから・・・というので手渡してしまうと

後々、多くの問題がやってきそうです。

まず、習慣になり、簡単に、依存症になっていきます。

依存症になってから、事が起こってから、

ワーギャー言っても辛いだけ。しんどいだけ。

「 そんなの知らなかった!」と人は言います。

想像しうる行動の流れは、親が想像しておきたいものです。

( 政府の「想定外」という無責任さと同じですよ。)

使う前に、きちんと説明するのも親の役目。

与える者の役目です。



便利なものを扱うには、使うと決める前に、

家庭内でルールを決めること。

時間的なルールは必ず守ること。

小学校に入ってきたら、

なぜ、そうするのか、

なぜ、そう考えるのか、

なぜ、そう思うのか。

物には多面性があることを言い、危険な可能性について

説明することは大事。

面倒くさいことですけど。(苦笑)

話し合うのが、家族への思いやりなのです。



順序だてて わかりやすい言葉で伝えたうえで、

本人がどう思うか、

ということも確かめた方が良いと思っています。

小学校低学年でも、自分の意見はありますよ。

3歳ぐらいから自分の考えは持っていると思います。



親が一方的に長時間話していますと、

子どもは別の世界に行ってることが多いです。(笑)

空想の世界か、無の世界か、眠りの境地か。



話す時間は、短く。

話す内容は、端的に。

話す音量は、小さめ。

話す口調は、おごそかに。

なかなか難しい時もありましたが、

親自身も自分が伝える内容を確認しながら

話せますからね。

大事だと思います。



10代に入ってきますと、今の時代、避けられない話題が「勉強」。

わが家では、

「 皆が高校に行くから、大学に行くから行く・・・

 というような考えで通わせるお金はうちには無い。」

小学校高学年に成った頃、こう話しました。

この姿勢は今でも変わりません。



勉強が嫌いだったり、何かの辛い理由があるのなら、

学校に行く必要はないと考えています。

義務教育期間中であっても。

人生は、通り一遍ではありません。

だけど、家でぼんやりしているのは、いけない。



いつまでも 親は " 稼ぐ人 " で居られませんから、

子どもだって、自立への準備が要ります。

家で勉強をするのか

仕事を探して独立をするのか

あるいは、

これで食べていくんだという " 何か " に修練するのか。

決めるのは、本人です。

親ではない。

行動に移すのは、本人。

親ではない。



学校に行くのなら、先生の授業をしっかり聴くこと。

先生は授業の準備をされていますから、

子どもといえども拝聴する姿勢は大切。

それを教えるのは、家庭です。

学校が教えることではありません。

(授業でワーワー騒がしいのは、家庭が家庭でないからです。)



先生、お友達、クラスメイト、学校にかかわる様々な方々、

近所の方、全く知らない人達、動物達、

とにかく、丁寧に接すること。

これを教えるのも、家庭。

親が子にマナーとエチケットを教えるのです。

人様に対する接し方は、親の影響がかなり大きく表れます。



子どもにばかり「 あれしろ、これしろ 」とは言えません。

普段から、親が人として節度ある姿勢と態度で生きること。

家族に対して、

ご近所に対して、

人として節度ある態度で接すること。

身近な存在に対してこそ、礼儀と感謝を持つのが大切。

親しさの中にこそ、礼儀を。

生きていくうえで、とても大事だと思います。



どんなに子どもさんが素晴しい能力をお持ちでも、

人としてやって良いことと悪いことは

きちんと説明せねばなりません。

これを説明しないと、ろくでもない、

鈍い人間に成ってしまいます。



自分が上手に出来ることでも、

他の人よりも優れていても、

能力を振りかざすような態度と感情は、迷惑行為。

どんなに天才と言われようと周囲に不愉快な思いをさせてまで、

我を通すことは、天才でも何でもない。

人前でやることではありません。



子自身が選択する数が増える分、

責任を取ることも増えるんだということも

説明してあげてください。

子どもたちは、失敗を繰返し経験していくなかで、

何が大切なのかを自分なりに知っていくのです。

そうやって 子ども本人の人生に成っていきます。

子どもが自分で自分の人生を築いていくのを

遠くから見守っておくのが親心。

(つい口を出してしまいがちですけどね。笑)



人の心がわからない、

迷惑をかけているのがわからない、

そんな鈍い人間には成って欲しくないのです。

今の大人達で十分すぎるではありませんか?(苦笑)



私たち日本人に多い感情と言葉は、

「 みんなが持ってるから・・・」

「 みんなが知ってるから・・・」

「 みんながやってるから・・・」

ですね。

自分もみんなと同じことをしないと

仲間はずれにされてしまうから・・・。

違うんですよ、それは。

仲間外れにするような意地の悪い者は、

同じ物を持っていても、なにしても、

他を虐めるのです。

そんなのに構うことはありません。

そんなのが居るところに、居る必要はないと思います。

特に子どものうちは。



勉強するにしても、

仕事をするにしても、

何にしても、

何をするにしても、

命と心を大事にするのが本筋です。



一緒に居れる間なんて、わずか。

家族にしてあげれることは、そうはない。

親が子にしてあげれることも、そうない。

有限。



何が大切なのか、何が大事なのかを

話すことはとても素晴しいことで大事なことなのです。

話せるうちに話しておいた方が良いように思います。



そうしたことを声なき声で教えてくださったのは、

ご依頼くださった方々とご依頼人の " 愛する方 " の

愛と信頼による交流から。



一緒に居れる長さじゃない。

一緒に居れる時間が短くても、

どれだけ 愛(思いやり)を込めて生きるかだろうと

思うのです。











長くなってすみません。
加筆編集:9/6











= おまけ =

お勝手口に、なぜか、釣ってある小さなニンニク。
可愛いなと思っています。

わが家の台所周辺の重力が、おかしい時があります。
山の中に住んでいますと、山のエネルギーというのでしょうか、
地面から来るものがダイレクトです。
特にどこかで大きな地震が来る1週間前ぐらいには、強烈です。
山の中に住むというのは、いろいろなことがあるんですね。












アガサ


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