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Author:アガサ
他界された愛するご家族、大切な方との対話を地道にお伝えしています。

アガサ

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粛々と生きていこう

2019.10.18 09:28|思うこと
自分がこの世に生まれたのは、親のおかげ。

その親も、それぞれの親のおかげ。



自分に物心がついてくると、特に若い頃なんかは

正直、感謝の「か」の字もわかっていなかったと思う。



若い頃を過ぎ、年齢を重ねていくなかで、

様々な経験を 自分なりに重ねていく。

嬉しく、楽しい経験よりは、むしろ、苦しく辛い経験を

重ねていくことで、感謝の「か」の字がようやく身に沁みる。



親心の温かさ、

友情の温かさ、

人様の温かさ、

動物家族の温かさ、

いろいろな温かさが 自分の内で浸透していく。

馴染んでくる。



そうやって、感謝の「かん」の字がわかってくる。

災害、事故、病気、、、

世の中の 他人様の 様々なことを 独り祈るように

なってくるのは、

感謝の「しゃ」の字に指をのっけているのかなぁ〜

と思う。

謝という漢字には、

" ありがたく思う心を言葉に表す " という意味が

あるそうだ。



自分が無事であることを有難く思うという意味ではなく、

今、自分がこうして生きながらえているのは、

知ってる知らないに限らず、自分以外の人達のおかげ。

命を差出し、食として生をささえてくれている動物達の犠牲のおかげ。



いつ 大きな辛さがやって来、

いつ 深い悲しみがやって来るのかは わからない。

いつ やって来ようが、動揺しながら、泣きながらでも

粛々と生きていけるように 平凡極まりない日常を

夜空に輝く星々のごとく、貴重に思いたい。



平々凡々と暮らしていれば、他界は美しく充実している。

それが本当かどうかを調べたいとは思わない。

他界に思いを寄せ過ぎることもなく、

この世に居る限りは、この世での生を粛々と受け入れたい。






困っている人達、動物達が、救われますように。

強き立場の者が、弱き立場の命と心を救いますように。



霊媒、霊能者という者がこの世からなくなりますように。

真心を持ち続ける人達が増えますように。















生まれた日に寄せる思い

アガサ


どう生きればいいのか、どうすればいいのか 〜 他界による悲しみ 〜

2019.09.27 12:01|思うこと
大切だと思える人が他界することで、

自分の感情に 振り回される。

否が応でも 自分という者に 向き合わされるのだ。



家族であろうが なかろうが、

長年であろうが 短期間であろうが、

出会いや存在が どれほどであろうが、

淋しいには 違いない。



大事と思っていたけれど、これほどのショックの大きさに

自分のことながら 驚くことも ある。



そっとしておくのが 一番良いように 思うが

自分のなかから 少しでも速く 辛さや悲しさ等の

複雑な感情を 追い出したいと思ってしまう。



叶わないことだと 頭では分かっていても 

時が戻せたら・・・

と 願ってしまうのだ。



誰もが そう 願う。



そうした時の特効薬など ないけれど、

今のところ これを大事にするのが 良いと思っている。



" 感謝を捧げる "



なんだ、感謝かと 思われた方々も 多いだろう。

けれど、この " 感謝 " というのは、実に深い。

感謝をするのは、簡単だ。

真に感謝をするのは、なかなか、難しい。



それは、愛する、ということと似ているように 思う。

愛することは、簡単。

だけど、真から愛するということは、実に難しい。



耐え忍ぶこともあり、

時に憎いと思うこともありながら、

愛するとは一体何だろう? と自問自答することもあり。



生と死を身近にし、日常を生きていくうちに、

真に愛するということが 何となく こういうことかと思う。

( これも 人それぞれ 違っていいと思う。)





愛する_

すべてのことから 自由で 相手の幸せを 静かに心から祈る思い

ではないかと思う。

自分にとって不都合があっても、ただただ、相手の幸せを祈る

真の愛には、感謝も含まれている。



心が辛く、自分に向き合えなくなる時も、たくさんある。

ひがんだりして、陰にこもってしまって、

どうしようもないな、自分って と思える時もある。



だけど、それらすべてが「自分」なのだと わかってやり、

自分の脆さも弱さも 自分が わかってやること。

まずは、

家族も含めて、自分以外の誰か ではなく、

自分を 自分が わかってやる。

これは、すべての土台になるように 思う。

それも 愛だろう。



感謝する、

愛する、

そして、

同じぐらいに大切なのは、

自分を許してやること。



真に受け入れるということは 大変 時間がかかる。

真に受け入れられた時、あぁ、そうか・・・と思える。

そうだったんだと 気づく。

何に気づく ということではないけれど、

何か 大きな 純粋なものに 気づくのだ。



愛というのは、

ものすごく 大きくて 広くて 深い。

制限など ないくらいの大きさ。

地球や太陽系を包み込めるほどの 大きさだといっても
(もっと大きいだろうと思うけれど)

おかしくない。

愛は 表現できないほど 大きく 深いのだ。



私達は 常日頃から 愛だ、感謝だと よく使うが

果たして 真からのそれ なんだろうか。

" 言うは易し、行うは難し " だ。



我が家では、

「 あと1時間の命だとしたら、あるいは、明日1日の命だとしたら 」

という話を よくする。

可能性は ゼロではない。

いつ 何が起きるか 誰にも わからない。



どうしたいか、

どう生きたいか、

何を言っておきたいか、

何をしてやりたいと思うのか、

考えれば 考えるほど、大して 思いつかない。



「 みんなと会えて よかった。」と自分は思う。

縁あって 家族となれた、友人になれた、これら無形の宝は

他界しようがどうしようが、永遠だ。

心だけでは、信じられない・・・という物質至上主義の世の中

だけど、心こそ 最高のものなのだ。






悲しい時、辛い時、人は誰でも 我を忘れる。

けれど、

決して 独りでは ない。



愛する人、

大切な家族は、

どこにいても 私達を 忘れるなんて ない。



いろいろあるだろうが、

いっぱい言いたいことがあるかもしれないが、

でも やっぱり

ありがとう と 言いたい。



いつか きっと 心から そう言える時は 来る。

それが 真の愛で 真の感謝だと 思う。



ひとりひとり 考えが あって いい。

どれが 正しいというのは ない。

命、存在を 心から大切だと思い願うかぎり

すべてに愛と感謝が存在するのだと 思う。



だから、自暴自棄になんてなるな。

ご自分を祖末に扱うな。

きちんと ご自分を 自分で受け入れてあげること。

自分を大切になさること。

自分に愛をこめること。



結局、私達は 愛をこめて祈り生きるほか

ないように 思うのです。


















アガサ







テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル:心と身体

子どもの虐待 〜 命にゆるすぎる日本 〜

2019.09.05 13:03|思うこと
吠えること、言葉が悪いことをお許しください。





2016年の12月25日、近隣の方からの通報があった時点で

虐待以外、考えられない。



その時点で、一時保護を解除しなければ、親?を見抜いていたら

子どもさんは、大切な命は、救われていたかもしれない。



それまでも、相当、子どもさんに対しての虐待があって

ご近所も、もう耐えられないと思ったから、通告されたと思う。

子どもが可哀想って。



通告するのは、勇気が要るのは誰でもわかる。

震える指先で電話されたんだと思う。

電話をきった後も、震えておられたと思う。

ものすごい 勇気が要りますから。



もうね、

子どもが泣き叫ぶのを聞くに耐えられなかったんですよ。

通告する人、どうしようか迷っていた人、多くのご近所さんが

子どものために、胸痛めてはったんですよ。



虐待する親(人)は、自分を偽るために、いっぱい嘘をつく。

自分を擁護するためやったら、なんだってする。

公的機関の前ではね。

別人のふりなんて、そういう人らは簡単に演じますから。



嘘を平気で言う。

善人ぶる。

子煩悩ぶる。

見た目も変える、自分のイメージを変える"余裕"がある。

おかしいやん。

それって。



専門家なのに、なんで、見抜けないの?

面倒くさいの?

" 件数 " やと思ってるの?

毎日のことだから?

キリないって思うの?

だから、書類上の段取りなの?

なんで、子どもに関わる仕事をしようと思った?

命に関わる仕事でしょ。

違う?

普通の仕事とは 違うんやで。



親が子どもを虐待してるんだから、

親は親ではないことぐらい、誰でもわかるでしょ。

親が子を拷問してて、親権もへったくれもないで。

大人が、子どもを拷問してるんですよ。

他を拷問してるです。

犯罪やで。



誰が守ってやれるの?

SOS(命を助けて)を表現しにくい小さい子どもさんを

誰が守ってやれるんですか。





いつも 思う。

何のための「資格」なん?

ものすご、勉強して、実務経験もしてはるんやろ?

と思う。



資格がない人達の方が、良識で、まともな判断できるのに。

資格もってる人達が、なんで、判断できないの?

なんで、「この人(親)、嘘ついてる。」とわからんの?

芝居(演技)と、本心ぐらい、わかるでしょう?



子どもが虐待で死なんと、わからへんの?

いったい、何人 虐待されたら わかるの?

何人の子ども達が、親から拷問を受けたら、ええのですか!





日本って、ほんま おかしいと思う。

命に関して、鈍過ぎる。

命より 大事なもんって 他にないでしょ。



外国は、即、子どもを引き離すよ、親から。

アルコール依存だけでも、引き離すよ。

親が児相の訪問(ぬきうち)を怖がるぐらい、厳しいのに。



それぐらいせんと、どんどん 

子どもの命と心が 奪われ続ける。






資格って、命を守るために あるんやと思ってた。

勘違いか、私の。



資格がないご近所さんや、私なんかは、

現場に 踏み込めへんでしょ。



命を守れるのは、

子どもを親の虐待から守れるのは、

現場に踏み込めるのは、

資格を持っているあなた達しか いない。







言葉悪くて すみません。

だけど、多くの方々が 滅茶苦茶 怒ってますよ。

ものすご、心痛めておられますよ。



お子さんを亡くされた親御さんを多く存じてる分、余計に

語気が強く悪くなります。

どんな思いで毎日過ごされているか。



今も、親から受ける虐待という拷問で、

辛い思いをしている純粋無垢な子ども達がいるんです。

子ども達にとっては、毎秒 痛くて 苦しくて 悲しいんです。



ニュースに登らず、

親からの拷問で辛く痛い目にあってる子ども達は

この国、日本に どれだけいるんやろう。

ニュースなんて、氷山の一角やから。



国は、どんだけ、" 子どもの命を守ってみせる!"

気があるのか。

正直なところ、本気では 考えてないと思う。

選挙で勝つこと、他の非をつっこむことぐらいしか 考えてないから。



権力っていうのは、命を守るために使うもんですよ。

ご存知でしたか?



力のある人が、やるべきことをやらんと

子ども達が被害に遭うだけ。



弱い立場、正直で真面目な人達が、どんどん困る最低な国になるだけ。

少子化、少子化ってネタみたいにしておっしゃって、失言ばかり

なさっているようですけど、

親からの拷問によって、どれだけの尊い命が奪われているか

この現実に即効、対処せんとあきませんよ。

何年 かかってるんや。



命に ゆるすぎ。

鈍過ぎ。

無関心すぎる。





















吠えるしか能がない、情けない自分。

アガサ









テーマ:日常
ジャンル:育児

迷う時、悩みがある時には

2019.08.10 09:42|思うこと
いるべき時に、いるべきところにいて、

成すべきことを 成す。



これだろうとぼんやりと思うのです。



流れに身を任せる、というのは 簡単なようで難しい。

タイミングを見計らう、

機や時を見る、

というのも難しい。

言葉の数が少ないことほど、すごく難しい。

誰でも出来るようなことをし続けるのは、大変な忍耐が要る。



必要なものは、探さなくても 目の前にあって

それに気づくのは、事後的だと思います。

私はいつも、事後的に気づきます。(笑)



人間 誰でも迷うし、悩みます。

時折、悩まないことや迷わないことがあたかも自然で

優秀であるかのように、自己満足的な空気いっぱいで

おっしゃる方もおられるようですが、そういう方のことは

気にされないほうが良いと思います。

生きている以上、迷って、悩んで、普通なんです。

迷わず、悩みのない人は、ごめんなさい、自己陶酔型と思います。



考えて考えて考えて、

悩んで悩んで悩んで_

これでいいのかな? 違うんかな?

ああしておけば良かったのかな???

皆誰しも、こう思いながら 生きているのだと思います。



自分の感情に振り回されても、いいと思います。

振り回されるているのは、自分が一番よく知っているのですから。



いるべき時に、

いるべきところにいて、

成すべきことを 成す。



暑い毎日で 頭はぼぉ〜としがちですけれど

洗面所の鏡の隅っこに、このことを書いたメモを貼って

ふとした時に、じぃぃ・・・と穴が開くほど

見入っています。

















暑さの中にも秋が含まれてきましたね。

アガサ



テーマ:心のつぶやき
ジャンル:心と身体

お盆に思うこと 2019

2019.08.04 09:24|思うこと
びっくりするぐらい、暑い毎日。

もう暑いの、ええわ(やめて)。と思う毎日。

命の危険を感じ、地球は大丈夫か?と心配しています。
(大丈夫ではないから、この酷暑。)


昨年は、山の中生活でして夏を期待していた頃だなぁ〜と

思い出しました。

期待とは違い、山奥は暑かったのです。(苦笑)

「 ちょっとぉ、もっと こう 涼しいんちゃうの?!」

と山小屋の中で空気?山荘?山?に向かってボヤいていた私です。

よっぽど高い山に登らない限りは、山は暑いことを経験しました。

しかも、刺すブンブン系の虫がたくさん。

しかも、こちらに向かってくる!



山は、夏というよりは、10月下旬〜 12月頃が良いですね。

凍るのが激しいのは、1月中旬以降ですから、晩秋前後が最高だと

思います。

(この意見は家族全員一致です。笑)



お盆が近づいてきましたね。

他界した家族達や親戚の人達、先生、友人、動物家族達のことを

思います。

いつもより、思います。



お盆だけ、扉が開く・・・というのは、物質的だなぁ〜と思いますが、

物質世界に重きを置き、住む者にとってはそう言われた方がイメージしやすい

のだと思います。

それに、限定した方が、人の心理的には特別感が沸き起こるからでしょう。

特別や限定に無頓着な私ですが、物質的な考えを否定しません。

人様に迷惑をかけないのであれば、胸の内で思う程度は自由ですものね。



話を戻します。

お盆。

お盆を大人になってからは、あまり意識をしたことがありません。

仕事仕事仕事、で忙しかったのもあります。

多くの方々がお盆休みで、人通りが少なくて、クーラー涼しいな〜

と思えて、ちょっと得した気分を感じながら、仕事をしていました。



お盆に思いを馳せますと、思いますのはやっぱりこれ。

お墓参りと五山の送り火。

子どもの頃は、親に連れられて、お墓参りに行くのが常でした。

その帰りに寄れる、昭和な喫茶店で食べれるスパゲッティが、

小学生の私を何とも優雅でリッチな気分にさせてくれてました。

スパゲッティというよりは、焼きそばだったかも。笑

美味しかったなぁ〜。

懐かしいなぁ〜。



お盆の終わりといえば、五山の送り火。

実家から歩いてちょっとしたところから、送り火を見れました。

五山全部、見たい!とは、子どもの頃も大人になっても

思いませんでした。

何となく・・・そういうことではない、と思っていたからです。



小学生の頃、祖母と歩いてちょっとの大通りまで行って、

「 見えた? おばあちゃん。」

「 見えたで。ようけの人やな〜。」
(ようけの → たくさんの)

「 きれいやなぁ。あの近くは、熱いねんで。」

「 せやろなぁ。」

「 うち、お父ちゃんと行ったこと あるねん。燃えてない時に。」

「 せやったなぁ。登ったって言うてたなぁ。」

「 なんもなかったで。石で積んであっただけ。景色は良かったけどな。」

「 そぉかぁ。石が積んであったんや。へぇ〜。」

「 なぁ、おばあちゃん。ご先祖さんやらは、ちゃんと帰れはるのん?」

「 帰れはるで。そのために 送り火を焚いてはるんやから。」

「 そぉか。それやったら 安心やな。

 帰り道、覚えてはらへん人も やはるんちゃうかと思ぉて。笑」

「 どうもない。ご先祖はんは、ちゃんと 帰らはる。

 また、来るで〜 って言うてな。笑」



祖母との何気ない会話の帰り道、心の中で小学生の私は、

「 来年もまた、来てや。ご先祖さん。」と、思いつつ、

「 待てよ・・・見えてしまうやん? 見えた?・・・

 知らん人は居はるのに(見えるのに)、

 ご先祖さんは見たことないんちゃう?うち。」

小学生の頃というのは、本当に面白いもんですね。(笑)



祖父と小さな商店を営んでいた祖母は、どちらかというと

ガサツで陽気で勝ち気な女性。

時代が時代でしたから、お仏壇のお世話?は祖母の日課でした。

仏教を信じてたのではなく、ご先祖さんに感謝をしていたのです。

その後ろ姿を見て育ち、祖父母と同じ部屋で寝ていた私は、

ご先祖さんのこと、他界する、老いる、ということが特別ではなく、

とても普通でした。

おはようと挨拶をするのと同じように、日常的に思えていました。

寂しく思えても、悲しむことではないんだと祖母を行動を見て

そう思っていたのでしょう。



人様の、大切な方々との交流では、自分を静かに燃やすような馬力?で

心から心を込めて尽くして、交流をさせて頂いています。

これは当たり前のことで、私が優しいわけではありません。

人ならば、普通にそう思います。

人様の大切な方々とは、交流が出来ても、私自身の身内とは

そうは交流できません。

考えてみれば、それが 自然なのかなぁ・・・と思えます。



一昨年から、予期しないこと、望まないことが突発的に起き、

少ない選択肢の中から、どちらかを選ばなければならないことの連続で

しっちゃかめっちゃかの最中、酷い薬害皮膚炎になり、思えたことは、

" 人生は、先読み 不可能 " ということ。

人間、いつ どうなるか わからない、ということ。



望まないことも 起きる。

努力していても どうにもならないことも たくさんある。

でも、

人生に、生きていくということに 悲観はしたくない。

望みがある、報われるということではなくて

立ち止まりながらも、より自然に(普通に)生きていたいと思います。



お盆が近づいてきますと、

休暇と捉えて楽しむことも善し

日頃の疲れを労うために、ゆっくりのんびりも善し

忙しい日々では考えられないことに、思いを馳せるのも善し。



年のせいか何だかわかりませんけれども、

いろいろと思うところが増えたなぁ・・・と思いながら、

命の大切さを しみじみと思って過ごしています。



とにかく、

熱中症にならないように 皆さん、気をつけてください。

クーラーを点けた部屋に居ても、気をつけてくださいね。













= おまけ =

りんご、です。
只今、初ヒート中。
マナーウェア(おむつ)にテンテコマイし、暑いだろう?かぶれてない?で
着けたり外したりで、気が気でない母ちゃん(私)。
暑いだろうと思って、毎朝5時前に母娘で散歩。
到底、善光寺さんまでは行けず。(苦笑)
雄犬くんに合わないように祈りながらの早朝散歩です。
すっかり、娘を守る母親根性が育ってきました。

お〜い! ごん達ぃ。元気かぁ〜?!
暑さなんて、関係なくて良いねぇ〜。
(羨ましいぞ、マジで。笑)

















寒がりで暑がり@アガサ




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