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愛しい家族、愛しい人との対話 _ 静かで 心穏やかなひととき

他界された愛しいご家族や方々との対話回想、思うところを書いています。

人生の選択 〜 なにが違っていけなかったのか?〜 

- - - - -
(略)
自分の人生なのですが、(略)。
他のみんなと、なにが違ってなにかいけなかったのか、分かりません。
いつも全力のつもりですが、何でか、これからどうしたらいいのか、
分からないところです。
(略)
- - - - -

お辛い最中にいらっしゃる方から頂いたメールの一部です。



自分の人生は、思い通りにはならないもんだ_

ずっとそう思ってきました。

その時々の 悩みや問題を直視して 考えて考えたあげく

やっぱりそこに行き着きます。

子どもの頃には 子どもなりの、

若い頃には 若い頃なりの、

年を重ねれば 重ねたなりの、

悩みや問題があります。



悩みや問題というのは、人それぞれに違うのは

どなたも実感されているでしょう。



他の人達と比べて、

何がどう違っているのか、選択を間違えたのか?・・・

自分の人生を 他の方々の人生と比べる必要は

どこにもない、と思います。

人生というのは、制服のように決まっているものでもなく、

当てはめることなど 出来ません。

当てはめてしまうと 自分が苦しくなるだけ。



自分が窮地に立たされている時、

誰しも 他の人すべてが 幸せそうに 平和そうに

見えてしまいます。

それは、物事の " 片面 "、" 一部 " しか見てないからです。

年を重ねていく中でそのことに気づきました。



他の人が幸せそうに見えるなら、それで良いじゃない。

何より、ですよ。

自分は不調だけど、どなたか知らないけれど、健康そうで良かった、

自分はガックリだけど、どなたかは、良いことがあったみたいで良かった、

自分は生きる気力が失せているけど、誰かが、意気揚々されていて良かった、

そう思います。



逆の立場で考えてみます。

自分が比較的、平和で 穏やかであるとき、

辛い状態にある方々に 心がいくか? ということです。

気の毒に思いこそすれ、そこまでなのが 世の常、人の常。

悲しみにくれている人、

困っている人、

辛そうにしている人、

身体の具合が悪そうにしている人を テレビで見るのではなく、

近くにおられる方々に向けて

ご自分が平和である時に、そうした方々に関心を寄せ、

親身になって 心を寄せられるのでしょうか?



世の中には、

・・・言葉で言えないほどのお辛いことに遭われる方々が

おられます。

こんな辛いことは、無いな・・・

交流のご依頼を通して、絶句してしまうことも大変多いです。

掛ける言葉さえ 見つからない。



災害や事件、事故で、ご家族や大切な方を亡くされる方々も

毎日のようにおられます。

日本はまだ、そこまで行っていませんが、

他国では、

テロや戦争で、家族を次々に奪われる方々は多くおられます。

家も焼かれ、

物もなく、

家族を次々に戦争や正義という名の元に結集された集団に

奪われ、名誉の何とか呼ばわりされ、命を失う_

食べるものも いつ手に入るか分からない国で生きている方々は

多い。

そういう方々は何を思うだろうか。

人と比べる余裕すら無い現実を生きておられる。



人生は、他の人と比べることではないように思います。

間違い・正しい、というのは無くて、

どういう結果になろうとも、

毎日、

その時 その時に 思いやりをこめているか、

それだけのように思います。



それが習慣となって、心に刻めていれば、

覚悟が生まれてきます。

人間、覚悟をしているつもりでも、

突然のことが起きますと やっぱり ショックを受けます。

それは当たり前です。



子どもは健康で、

マイホームがあって、

配偶者とは何でも話せて、

毎日働きに(稼ぎ)に行ってくれて、

話せる楽しい友人達が居て、

適度に潤いのある生活をしている _

そんな方がいらっしゃるのでしょうか?

(私、そんな生活をしたことがありません。苦笑)





全力で頑張っていても、

思い通りになるとは 思いません。

その時、物事に人に 真っすぐな心で接することで

自分という者を 自分の心で感じれるしあわせを得れるのです。



真面目に、地道に、誠実に生きておられる方々が

大変なご苦労をされることも 多くあります。

それでも、ご本人は 苦労だとは思われない。

心は大きく育ち、豊かな精神が養われ、

他がどうこうではなく、

思いやりに満ちた生き様をされているからだと 思うのです。



人を羨ましく思う気持ちは いつしか嫉妬となります。

不平不満は、ご自分の人生も心も 腐らせてしまう。



何が違って、何がいけなかったのか_

考えること、内省することは大切ですが、

心にまで 蓋をなさいませんように。



人生において必要なことは、

命の尊さと 心の大切さを 本当にわかっていること。

周囲がどうなっていっても、

人として 何が大切なのかを わかっていること。



人生というのは、決して 思い通りにはならない。

だけど、

命を大事にし、

心を大切にしていくことは、

どんな窮地に追い込まれたとしても、

守り続けたいと 思うのです。



悩みや心配がある時こそ、呼吸をしてください。

動植物は全て、呼吸をしています。

私達の心だって、呼吸は必要ですよ。

新鮮な空気を吸気で取り入れ、使いきったものは

身体の外へ出す。ね。



ご依頼ご相談をされる前に、呼吸をなさってみてください。

心が静かになってくるまで。

気長に、

いつでも、どこででも、出来ることです。











= おまけ =

先日の大雨の雨上がり、気温も低かったので、久しぶりに歩きました。(笑)
爽やかというより、どんよりしていたので、どこか陰気くささもありましたが
(まあ、いっか。虫たちが出てこない内にちょっと歩こう。)
そんな感じです。
緑で生い茂っている季節ですので、空があんまり見えず、遠くの山々も見えない
のですが、雲も薄くなってきて、お日さんの光が射してきました。

陰があるから、光が目立つんです。
薄暗いから、陽射しの美しさが際立ちます。

私達の人生と似ていますね。
いつも晴ればっかりじゃ、有難さなんて 分かりゃぁしない!(笑)






アガサ










Posted on 2018/07/11 Wed. 10:02 [edit]

category: 頂いたメールへのお返事

thread: 生きること  -  janre: 心と身体

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11

異常気象 

毎年、

「 今年のお天気は、ちょっとおかしいよね。」

と私達は言います。

毎年毎年、去年よりは異常だと思うのです。

これだけ大きな自然現象が続きますと、言うに留まらず

実際に 日常生活で やっていかないといけない時期に

入ってきているように思います。



温暖化と言われ続けていますが、

小氷河期に入ってきているとも言われています。

温暖化と氷河期が入り混じっている、というと

矛盾しているように思われるかもしれませんが、

ここ数年のお天気具合を思い出しますと

なるほど、と思えます。



日本の四季が 消えつつあります。

暑過ぎたり、大雨が続いたり、というように

" 過ぎる " ことが増えました。

異常気象という言葉が頭に浮かび、世間的には

異常気象は、取るに足りないようにさえ思われ始めました。



異常、異常、異常・・・。

異常というのは、常と異なるということ。

私達人間にとっての " 異常 " 。



違う視点からしますと、理由はなんであれ、

地球的には、均衡を保とうとしているのだと思います。

生きている地球ですもの。



気象、地震、火山活動・・・etc

私達人間は、いつもの日常生活を守るために、

先を知りたいと思えます。

専門知識をフル活動させて、日夜、研究調査されている機関も

世界中にありますが、ピンポイントで予測することは不可能。

地震の場所にしても「来そう」と言われている場所とは違う場所で

起きています。

自然相手では、人間のたゆまぬ研究や過去歴を以てしても

当てることは、所詮、無理なのかもしれません。



山の中で住み始めて、苦手なことだらけの毎日を経験して

思うところはとても多いです。

わかりやすく気づいたのは、気温、そして、空気。

標高もありますが、不便さを通して、今まで気づかなかった

ことに 気づくこともあります。

気づくというか、考える、想像する、ということ。



アスファルトで固められた場所は熱の逃げ場がありません。

どんなに技術や研究が進んでも、自然に取って代わるようなもの

はありません。

こう熱過ぎたりすると、室内を快適にするためや健康維持のためにも

多くの機材を多くの場所で使われます。

それからは機械による熱が発生します。

それがまた、ムッとする熱さ。

室内は快適でも、外はさらに暑くなります。

そうした繰返し。

スパイラル。

まるで、私達の感情に似ているように思いました。

行き場のない気持ちは、どんどん溜まってきて熱くなってくる_

自分も周囲も居心地がわるく、息苦しくなってきます。

規模は違いますが、私達も地球も、身体のどこかのバランスが

崩れたら、自然とバランスを取ろうとしますよね。

( 爆発する前に、何とかしないと。)



自然に対して 予知はしづらいですが、

私達人間は、他の動物達と同じく、動物であり、生き物。

地球も、活動しているのです。

(このことをつい、忘れてしまいます。)




毎日心掛けられることは、本当に些細なことですし、

目に見えての成果というのは実感しづらいですが、

心掛けることはとても大切だと思っています。



心掛けたとしても、気象まで変えられるとは全く思ってもいませんが

「 地球という大きな家に住んでいるんだ。 」

そう思って、

自分たちの家の中を汚すようなことだけはしたくないもんです。



災害や事故や、災難がふりかかってこないと私達は考えません。

しかも、自分に、身近にふりかかってこないと、他人事です。

「気の毒だなぁ」と思いこそすれど、自分の日常に痛手がなければ

いつのまにか、忘れてしまう・・・というのが正直なところ。

毎日の生活、自分のことが精一杯なのは誰しも同じです。

( 災害で多くの方々が困っているのに、政治家の方々は

 飲み会をされていたなんて、神経を疑いますよね。)



心からの「想定」などしたことのない政府が言う「想定外」

という言葉には、飽き飽き。

事が起こってから、対策本部を設置する_

設置したことで満足されているようなんですよね。

" ほら、設置したぞ。仕事、やってるだろ、俺たち先生方は。"

という声が聞こえてきそうです。(苦笑)

" お偉方 " の皆さんは、ご自分のことしかお考えにならない。

一般庶民は選挙の時に投票してもらう駒なんでしょう。



「想定外」で どれほど多くの方々の尊い命が奪われているか、

事の重大性など ご存知ないようです。



私達は、隣人の方々と協力しながら、自分達の命は

自分達で守っていかねばなりませんね。

それは普段からの積み重ね。






どなた様も大切になさってください。















=おまけ=

クルミの木に、クルミの実が成り始めました。
「え? これがクルミ?」
と思いましたよ。イメージがあまりにもかけ離れていたのでね。(笑)
落ちているグリーンの実を見ますと、あのクルミでした。
クルミの木はとても堅いですから、実まで堅い。
薪ストーブの薪材として長持ちするのは、クルミのような堅い木だそうです。
長く燃やしていれるから。
だぁ〜けぇ〜どぉ〜、薪割り出来ないほど、堅い!
らしいですよ。

緑の季節に、ぼちぼち飽きてきた贅沢者な私は、ぼちぼち、秋が待ち遠しいです。
虫達が活動を休止する冬なんては、すごく寒いですが、私が出歩ける季節!
夏は虫が多くて、びびってしまって、なかなか外には出れないのです。(苦)








アガサ



Posted on 2018/07/06 Fri. 11:16 [edit]

category: 思うこと

thread: 自分にできる事から  -  janre: 心と身体

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06

投げられた言葉 

発する言葉。

浴びる言葉。



好きな人からの言葉というのは、とても心を大きく左右します。

まぁ〜、好きでなくても、左右されますね。(笑)

昔から " 口は災いのもと " といわれていますが、本当にそう。

誰もが経験することですね。(私も痛感します)

感情にまかせて、思わず、言ってしまった!・・・

取り返しのつかない言葉もありますし、

取り返しがつかないことになっても、それはそれ。

仕方ありません。

また、相手によって、言葉の受け取り方も違います。

同じ言葉でも、言う人が違えば 印象も違ってきます。

私達には、感情があるからです。



感情のままに、八つ当たりし続けるのは、言う人が甘いんです。

語気は強くとも、内面は弱い。

自分のことしか 考えていない。

苦労をされたとしても、その苦労から何も学んでいないから

人に対して キツいことが言えるのです。

(勿体ないですよね)



相手を尊重しない、言われた身におきかえれない時、

浴びせた言葉は、暴力になります。

腹立った時などは、酷い言葉が思わず、ぽろっと出ますけど(苦笑)、

しまった!言い過ぎた!・・・

と思いますよね。

そして、

後になってから、独り反省しきり。(笑)

謝っても許してくれるくれないに関わらず、

素直に謝るのが良いですね。



言葉というは、

言う側の感情・気持ち・心がすべて一致しているかどうかは、

時に 本人でさえ、わかりません。

その言葉とは逆の気持ちなのかも しれないし。

その通りかも しれないし(苦笑)、

単に 八つ当たりだったり。



この世は何が正しいのか、わかりません。

投げつけられた言葉そのものが、正しいとは思えないのです。

どんなに知恵者で、

どんなに秀才や天才と言われているような人であっても です。



本心がわからない・・・と思えることがあって、自然です。

嘘が上手な人もいれば、

嘘が下手な人もいますから。(笑)



他界されると 嘘はつけないと思います。

この世のように物質(肉体)が優先されるのではないから。

今まで気づかなかったこと、

自分本位で生きてきても、

他界してから少しずつ わかってくるのだと思います。

誰かにサポートされて気づかされるのではなくて、

自分で気づいていくのだと思います。

多分、物欲が収まってくるからだと思います。





他界して初めてわかる、人の真心_

感情が その人ではないでしょうし、あなたではないと思います。

冷静に、静かに 心穏やかな時が 本当のその人であり、あなた。



交流は、不思議系ではないと申し上げ続けているのは

そういうことなのです。



言葉は相手を左右するからといって、

何も言わない、言えなくなる・・・と思うのではなく、

相手を大切に思ってさえいれば、どんなに語彙が少なくとも、

真心は伝わるのです。

嘘くさい雄弁な人が何万語を話そうと、

誠実で正直な人がたった一言つぶやいた言葉の方が

どれだけ美しく、深みがあることでしょう。



言葉に、心があるかないかは、

誰にでも わかります。

うまく話せるようになる必要はないと思います。

心がこもってさえいれば。


















=おまけ=

ポンぼけですみません。
ふっくらとしたこの袋のような中に蛍が入ったら、綺麗だなろうなぁ〜・・・
そんなことを家族達と話していました。
とても小さな花ですが、虫たちにとっては、ちょっとロマンチック?かな?
いやいや、私はそういう性分ではないので、この表現は自分で歯が浮きます。(笑)
ま、昼寝かな? (あははは)







アガサ





Posted on 2018/07/02 Mon. 16:18 [edit]

category: 頂いたメールへのお返事

thread: 心、意識、魂、生命、人間の可能性  -  janre: 心と身体

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02

交流ご依頼をお休みさせて頂きます。(加筆 6/21) 

いつも温かいお心とご信頼をよせてくださり、有難うございます。




2018年7月末を持ちまして、

当分の間、交流をお休みさせて頂きます。






約10年程の間、ご依頼くださる方と大切なご家族や存在の方々との

交流を優先してまいりました。

数年前あたりから、実年齢よりも10歳程、年をくってる感じが

してまいりました。(苦笑)

交流の際や事前に知らされる、"愛しい人"の病歴などを自動的に

コピーしてしまう私の身体が受けとめるには体力的に厳しく思うことが

増えてまいりました。

(まぁ、要するに 年くった ということです。笑)



体調や気力を温存? 養生というのでしょうか?

ぴったりの言葉がわかりませんが、体調の様子をみながら、

今後のことを考えつつ、家族たちとの時間を過ごさせて頂こう_

そう思えました。すみません。



ご依頼頂いた方々に、ずっと持ち続けていることがあります。

それは、

ご依頼が終わっても、ご依頼が必要なくなっても私には

責任があると思っています。

大切なご家族や大切な方からの心や思いを伝えた、という責任です。

これは、生涯、消えることはありません。

依頼をするしないに関わらず、拙ブログをご覧頂いている方々にも

同じように思っています。

その思いを口に出して言わずとも、ご依頼人様、お読みくださっている皆様の

お心で自然に、信頼というものが育まれているのだと思います。

とにかく、突然のご報告をお許しください。



交流というのは、騙し騙しで続けるものでは ありません。

伝え手である私の体調をごり押ししていては、きちんと伝えられないし

体調のみならず、心(気持ち)の揺れや偏りも均衡がとれいているかを

チェックするのも、役を預かる者の責任です。



家族からは「 養成はしないの?」と度々言われましたが、

霊媒というのは、どこかで受講してなるもんではありません。

そんな簡単なことではないし、

そんなに軽々しい役目ではありません。

「 養成は性分じゃないんだぁ。現役選手が必ずしも名コーチだとは

 限らないのと同じだよ。

 それに・・・こういうのは自然に湧いて出てくるもんだから。」

そう返事をしている私です。





交流は、誰にでもできる_

出来るかもしれませんが、出来る・するというのは誰にでも言えますが、

果たして、" 愛しい方 "の思いや心に忠実かどうか?という重要な点では

到底、出来るとは言えないと思います。

交流を、いわゆるスピリチュアルというような枠で捉え、

伝えるものではないのです。

この部分は、誰が何と言おうと譲れないし、譲りません。

私が生きた半世紀すべてが、これに繫がっているからです。



表に出ること、目立つことに興味が無いからこそ、

この地味で地道なこと(交流)を続けて来れたのだと思います。



でも、時の流れでしょうか・・・

ここらで一旦、見直さないといけないという思い(流れ)が

沸々と 日に日に 大きく成ってまいりました。



長野の山奥への引越が決まった頃から・・・

何となく そう思えていましたが、

" 何となく"をずっと、拒否していたように思います。

大切なご家族、大切な人、大切なわんこや猫ちゃんの他界で

深い悲しみの淵におられる方々は、どうするんだ?

もうちょっと頑張ったら、どうだ? 自分_

それの繰返しでした。

でも、流れに背くことは無理なんですね。(苦笑)



体調を心配して、休んで欲しいと家族達が言い出したわけではないのです。

むしろ、家族たちは、

「 お母ちゃんは、そういう役なんだよ。」

と、自然に思ってくれていたようです。

家族たちからは、それぞれに協力と理解をもらっていたと思います。

・・・多分、そう。(笑)



子からは、

「 お母ちゃんはお母ちゃんだけど、

 悲しんでる人達のために頑張っていると思うよ。

 だから、頑張って。ぼくも頑張るから。」

こんなふうに小さい頃から何度も励まされてきました。

我慢ばかりさせていたようにも思っています。

私が、何度か倒れたこともあり、朝、涙をぬぐって

登校していたことも知っています。



子の涙を見、健康は自分のためにあるんじゃないんだと思いました。

家族のために、自分以外の人のために、健康で居たい。



お子さんを残して若くして他界された親御さん、

若い方が親御さんよりも先に他界される、

ご夫婦、恋人、パートナー、

ご友人、知人・・・

どの方々との交流も、深い、深い、愛情です。

言葉では言い尽くせない思いをしながら、思いに近づけるために

常に言葉を選び、伝えています。

交流という機会を頂き、いつも思いますのは、

共に暮らせるだけでも、幸せなんだということです。

一日、一時間、一分、一秒を愛おしく思わずにはいられません。



何故かわかりませんが、

この数年間が何かとても大切なように思えます。

次のために※、立ち止まって、アガサという者を外から見ねばならない

と思ったのです。

来年なのか、もうちょっと先なのか、わかりませんが、

自然に機が熟してくると思います。

真正直に心を持って生きてさえいれば、成るように成るのだと思います。

※「次のために」というのは、ご依頼くださった後のことです。
日常のことや、先のことです。
時間が経てば経ったなりに、様々な移ろう思いがあります。
大切な方の他界によって、時間が止まったままとお感じになり続けていても、
すべてのものごとは 移ろいでいます。
止まったまま・・・ということは、決してありません。




誰しも、悲しみを胸に抱いています。

それは、見た目では 分かりません。

そういうものだと思ってきましたし、そうだと思えます。



ほとんどの方々が、私のことを霊媒としてではなく、

旧友のようだと思ってくださることが本当に嬉しく有難いです。

" 懐かしい顔を見にいこうか。"

" ちょっと喋りにいこうか。"

ふっと そう思われた時に 気軽に立ち寄れるアガサ小屋を持ちたい。

まぁ〜とんでもなく大きな夢ですね。(笑)

古い家でいいから 気兼ねなく「お越し下さい」と言える場所 _

そんな 淡いのんびりした夢を抱き始めています。

資力のない私ですから(大笑)、そんな夢を実現するためには

どうすればいいのかも分かりません。(笑)

田舎の山奥というだけで、のんびりした気持ちになれます。



生きることの意味なんて考えずに(笑)、

ただ 授かったこの生を 今ある生を 物は無くとも

心豊かに感じれるような場所を いつか持ちたいなぁ〜・・・

そんなことを考えているのです。



何の力もない自分、

年齢ばっかり増えていく自分ですが、(笑)

家計のために働かないといけません。

車の免許もない、取る気もない私が、この山の中で?!(大笑)

本当に何もない自分が、どうやって?!・・・

ぶつくさ申していますが、

いろいろと考えた末のお知らせです。

誠に勝手を申します。

でも、どうか、ご心配なさらないでください。



ご縁が切れるわけではないのです。

これからのために、足元を固め、ちょっと先のことを考えたい_

( まあ、ずぼらですね )

これが理由だと思っています。



今まで通り、つぶやきメールをください。

頂くメールのおかげで、私は、いつも励まして頂いています。



こんな山奥までドライブがてらお越しになれる方は、

どうぞ、お越し下さい。

自然以外なにもない山の中ですけれどね。(笑)

ただし、

11月以降から3月末までは、お越しにならないでください。

ものすごく寒いです。



綺麗なお履物やお召し物では、来ないでくださいね。

汚れたら、ハラハラしますから。私。(大笑)

長袖・運動靴、肌の出ている部分が少ない格好でお願いします。

何のお構いやおもてなしも出来ませんが、

知人友人として 近辺を ゆるゆると散策しましょうか。



おぼろげな夢を実現するには、様々な " 壁 " がたくさんあります。

実現出来ないと言った方が現実的と思いますが、

のんびりした夢を抱くことは、

迷惑をかけるもんではないから

ま、いいですよね。(笑)









●追記
6/28:ブログ更新は7月に入ってからになると思います。
(ブログはのろのろとながらも続けますのでご安心ください。)

6/24:メールのお返事ご連絡が遅れています。ご勘弁ください。









= おまけ =

私のガラケーの画面にいつもあるのは、この写真です。
ごんの写真はたくさんあるのですが、ほっこりするのが一番!
何とも言えない表情です。
毎日、眺めています。
寝る前には、心の中で話しかけています。
逢いたくて逢いたくてしかたない、私の息子です。
ま、いつか逢えるわなぁ〜。(笑)




6月から姿を見せなくなりました。気配もありません。
いじわる野良猫に追いやられたんじゃないか、
どこかでケガしたまま、動けなくなったんじゃないか、
道に迷ってしまったんじゃないか、
心細くて鳴いてるんじゃないか・・・
まぁ〜いろんな心配をします。
心配で、淋しくて、こう思ってもどうしようもないのはわかってるんですけどね。
毎朝毎晩、無事を祈るぐらいしか出来ません。
どこかで元気にしてくれていれば良いし、
どこかの優しい農家さんで可愛がってもらえていれば、良いし。
いつか、一緒に住みたいなぁ、と思っていますが、それは淡い夢。
ぺこが自由でしあわせであれば、それが一番です。
傍にいれない、最期を看取れないことがいつも心にありますが、
祈るぐらいは出来ます。
ごんと同じで、寝る前には、心の中で話しかけています。
逢いたくて逢いたくてしかたない、私の娘です。
ま、いつか逢えればいいなぁ〜。(笑)
母ちゃんは娘ぺこがどこかで安心して暮らしていることを祈るだけです。








アガサ



Posted on 2018/06/19 Tue. 13:45 [edit]

category: アガサよりお知らせ

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19

何も出来なくても、自分は自分。 

車の免許のない私が山を降りる術は、歩きだけ。

とはいえ、

最寄りバス停まで、徒歩40分強、

村の中心まで、約10キロの道のりを歩こうとは

未だ思えず。(笑)

ほとんど人が歩いていない道を

若干、体調に不安がある自分が単独で出歩くのは

後々考えますと、迷惑がかかるかなぁ・・・

と思ってしまい、ついつい 尻込み中。

たぬき、いたち、きじ、ねこ達では、畑仕事をされている

方々のところまで行けないだろうからねぇ。(笑)



山の中での生活は、ある意味、天の国のよう。

時間の流れるスピードは その日によって違い、

家族以外の方々との たあいもないお喋りは、

山荘に来られた時だけ。



自転車か原付バイクでもあれば・・・

と思いましたが、何かが違うような気がして

気が進みません。(笑)

気が進まない時は、合理的であっても 行動しない。

自分のそうした気のおかげで、不便です!

でも、まぁ、不便ということは、" し過ぎることはない " ですから。

便利な環境だとついつい、" し過ぎて " しまいます。

おやつ、食べ過ぎ。

親離れ子離れ時期に差し掛かっているのに、出しゃばり過ぎたり。あはは







山の中に住んで、いつも 思っていることがあります_

" 自分に何が出来るのか。

 何も出来ない。

 自分には何があるのか。

 何もない。"

という自問自答。

いろいろなことがあって、最近、ふと こう思えてきました、

" 何も出来ず、何もない自分で良いんじゃないか "

って。

そんなふうに思う時もあれば、

いや、もうちょっと頑張れよと思い直したりもします。



そうした何でも無い自分を感じる時、

幼い頃から繰返し見る夢が ふと頭に浮かびます。

穏やかな雰囲気の ひょっこりした山がひとつ。

まるで、色鉛筆か水彩画で描いたような烏帽子のような山に

祖母が幼稚園ぐらいの私の手をひいて、

「 あの山へ行こか 」

「 あそこへ行くで 」

とでもいうような祖母の心の声がしている、のんびりした不思議な夢。



「 うん。行く!」

と祖母に返事した途端、

登っていく感覚はほとんどなく、突然、私の目の前に

山の中腹か 頂上近くにある古い山小屋が建っていました。

焦げ茶色の、古びた木の家。

まるで、今のこの山小屋のような感じです。(笑)



ただ違うのは、店先のような造りで、物を並べる木の台が

いくつもあるのです。

子どもの腰ぐらいの高さの木の台には、何も無いのです。

子どもですから、" お店に何も無い " ことの方が不思議で

「 おばあちゃん、なにも ないで!」

と大きな声で言いますと、

祖母は いませんでした。

「 あれ? おばあちゃんは?」と周りをきょろきょろする私。

いつも ここで起きてしまうのです。

何度も 何度も 見ました。



この山小屋に決まり、周囲が緑で包まれているのを

実際に目にした時、この夢のことを思い出しました。

ここで何があるのかわかりませんし、

用心はすれど、期待は少しもありませんが

いろいろと考える時期なのかも、しれません。

まぁ〜、考えるには ぴったりの場所ですね。(笑)



テレビ無い生活9年目に入り、

テレビ見たいな〜とシビレを切らしかけていた私は

自転車もない生活になり、

歩くしかない。(笑)



360度 緑の世界。

自然の中にいると、自分の弱さや何も出来ないことを

これでもかと知らされました。

" 人は考える葦 " とおっしゃったパスカル氏は、

上手に例えられたと思います。



何も出来ない弱っちぃ自分ですが、

人のことを考えて

家族のことを考えて_

そうやって こちらでの一生を暮らせたら

しあわせだと思います。



何も出来なくても、自分は自分。

自分の価値を問い出したり、見い出そうとしたら、

私は終わりと思います。

価値の有る無しは どうでもいい。

価値があるかないかは 知らん。(笑)



ただ、

人のことを考えて、

家族のことを考えて、

出来る限りのことをしてあげたい。

出来る限りの範囲のことをちまちまと出来るのが

しあわせかなと思うのです。










わけのわからないつぶやきに おつきあいくださり、

ありがとうございます。










= おまけ =

ようやく、春のような気候になりました。(笑)
と思ったら、梅雨だ!
今日の気温は、21度くらいだそうですが、わが家は16度。
長袖ででないとちょっと寒いです。
晴れた日はこんなふうに景色が綺麗です。





可愛い花でしょう?
名前はわかりませんが、可愛いなと思い、撮りました。
名前はわからないけど、良いなと思えるのが気楽です。
自分もそうありたいと思っています。欲深いですな!(笑)





家族が借りている村の畑に久しぶりに行きました。
虫、蛙、花、草・・・その成長ぶりに圧倒されます。
陽にあたると皮膚が痒くなるみたいなので、とりあえず帽子、手袋、マフラー。
今までの自分では考えられない出で立ち。
そのうち、身体が慣れてくるからね、待っとけよ!と思っています。(笑)











アガサ







Posted on 2018/06/14 Thu. 14:35 [edit]

category: 思うこと

thread: 心、意識、魂、生命、人間の可能性  -  janre: 心と身体

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