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2020/01/13.Mon

日常だからこそ、繋がる

Kさんから頂いた、つぶやきメールをご紹介いたします。

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ずっと一緒に過ごしてきたお正月を初めて一人で過ごすような状態で、
そのような意味では心にまた余裕がなく、思い出しては涙が出てくるようなお正月でした。

相変わらず心がグルグルして静かにはなりません。

私は◯年前に◯癌になっています。
幸い初期で手術だけで治療が終わりましたが、その際主人がとても支えになってくれて、
なんとか乗り切りました。

年末、◯◯時代の部活の友人に初期の乳がんが見つかり手術することを知りました。
彼女は一人ですのでとても辛かったと思います。
その部活のグループは未だに親しくしていますが暇なのは私だけ。
なので、通院付きそったり、入院の手伝いしたり、病院にお見舞い行ったりしてました。

その途中の乗り換えの駅で、何時も主人の実家に行くときに乗り換えていた地下鉄で、
工事がはじまっていました。
主人と一緒に歩いたところを一人で歩くと未だに胸がキュンと締め付けられるようになります。

そんな状態の時に、フワッと「どんどん変わっていくな」って頭の中に入ってきました。
自分で考えたのではないんですが、何時も乗り換えていた駅でいつも一緒だったなって
思ってたら、なんとなく頭の中に、聞こえてきたような感じでした。

勝手に主人が話しかけて来たと思ってます。
(ア:他言なさるわけでもなく迷惑をかけるわけでもありませんから良いと思います)

相変わらず、会いたくてしかたがありません。
静かな気持ちにはなれなくて、いつも主人のことばかり考えています。

(略)

- - - - -



お友達への寄り添い。

お友達もどれだけ、心強かったか計り知れません。

体調が弱っている時、傍に居てくれるだけで、どれだけ救われるか・・・私も

経験していますので、お友達のお気持ちがよくよくわかるように思えています。



自分が受けた思いやりを今度は他(自分以外)に思いやりをかけることは、

とても大切なことです。

ご主人も相当喜んでおられることでしょう。

だからこそ、ご主人の話しかけ <どんどん変わっていくな> というのが

テレパシーとなって受信できたのだと思います。



静かな気持ちというのは、なにも、瞑想したり座禅を組んだり、

いかにもという時だけに発生するものではありません。

誰かのために尽くしている時にも、そうした状態になります。



人間は自分のためには生きれない、そう 私は思っています。

自分のことしか考えない生き方は、何とも気の毒で薄っぺらい。

誰かのために尽くす(捧げる、支える)ことで、心が豊かに広がります。

( 見返りを強要しては 水の泡ですけれども。苦笑 )



その豊かに広がる心は、自然に周波数を高めます。

思いやりは、どの方向だれにとりましても善いもの。

お友達に寄り添う思いやりは、直接的にはお友達への影響が大きいですが、

結果的には、Kさんにとっても大きな良い影響があります。



真心で生きるというのは、そういうことなんではないかと思うのです。

本当に、良いことをなさいました。

お友達の心に、一生の良き思い出と感謝として心に刻まれます。



大切な人、友好関係にある人達、可愛がってくれていた身内(ご先祖)との繋がりは、

まさに、そういうことなのです。

こういうことの積み重ねによって、信頼が深まります。

遅くなんかありません。

思った時、気づいた時から 重ねてゆけば良いのです。

静かな気持ちというのは、静かな行動のことではなく、

心が思いやりの状態にあることだと思います。



Kさんのメールを読ませて頂いて、私も心が静かになれました。

今、読んでくださっている方の心も 静かになれますように。



共に過ごした月日、そこに互いの愛情と信頼が静かに育まれている間柄、

言葉では恥ずかしくて、感謝や愛の気持ちを言えずとも、

相手を思いやる心がある限り、日常も繫がっているのです。

思い(心)は、言葉を越えたレベルのものだから。















有難うございます。

アガサ











愛しい家族、大切な人との交流 | Comments(0)
2020/01/10.Fri

ひとりだけど・・・ひとりじゃない

2020年の初めての内容をどうするか・・・

一週間ぐらい考えていました。

"考えている(悩んでいる)時は、そのタイミングではない"

という持論に任せつつも 悶々とした気持ちは否めません。笑

でも、

タイミングが合うと すっと出てくるんですね。

お時間ありましたら、心静かにお読み頂ければと思います。



交流で伝えられたことが、ある日突然 日常に起こる_

それを丁寧に、言葉ひとつひとつ選びながら 噛みしめながら

つぶやくようにメールをくださいます。

以前より、ところどころに書かせて頂いていますこと_

" 愛は 静けさの中にある "

を実感なさったことをメールを頂いて、知ることは本当に有難いです。



ひとりだけど・・・ひとりじゃない・・・



私達は頭でわかっていること(肉眼では見えないこと)も

悲しさ、切なさ、辛さ そして 孤独

これらを同時に感じますと 頭ではわかっていることにさえ

歯向かいたくなります。

(少なくとも、私はそうです。苦笑)

時に、我慢の限界がやって来、大泣きしたい気持ちに駆られます。



そういう時、他界された大切な家族、愛する人の足をひっぱると

日本では昔っから 言われているようですが、短絡的思想?発想です。

あるいは、

" 最近、傍にいないような気がします " とよく聞きますが、

忘れられたと早合点なさることはお勧め出来ません。



相手がどうこうではなくて、私達の心と感情で、つまりは

自分で自分をぐるぐる巻きにしている・・・と思えます。



心の周りを感情という綿か煙か霧のようなもので ぐるぐる巻き。

まあ、そんなような想像をして頂ければ わかりやすいと思います。



そうした " ぐるぐる巻き(霧) " も、何かがキッカケで晴れてきます。

そのキッカケは、無意識であることが多いです。

それで自然です。

お天気もそうですよね。

曇り、雨、晴れ・・・様々ですが、すべて自然です。



そうした自然のことまで意識的に動かそうとするのは、不自然。

結果や効果を意識的にすることが向いている分野と

向いていない分野があります。

交流は、自然分野ですから 後者。

それゆえ、多くの方々が歯がゆく思え、手っ取り早さを求めてしまう

のだと思います。



それでは、

Iさんから頂いた、つぶやきメールの一部をご紹介したいと思います。

- - - - -

◯月、愛する人との約束があり 出かけました
(ア:映画を観に行かれたそうです)

去年の始めに最後の作品の公開日がわかり、
◯月 一緒に仕事の休み合わせて見に行くぞって話していました
あまりにも先の話で忘れちゃうよって言っていたんですが、
時って流れていってるんですね…

一緒によく待ち合わせした駅、映画館、見終わったあと決まった所で
お昼を食べていたお店、その後ぶらぶらしながら過ごした街並み

帰る時いつも「なんか買って帰って一緒に食べよ」と言って
私の好きなものを買ってくれていた…
アガサさまとお話させて頂いた日伝えて下さった言葉を思い出しました
出張なのか…仕事帰りなのか…
手土産みたい…
ちょっとした食べものを買って帰る…
そういう気持ちのあるかた

その日…一日…
ひとりでいるのに…ひとりじゃない…
行く所行く所で彼の姿が鮮明に出てきて涙が出ちゃいました…

それから1週間ほど過ぎたあと…
彼が旅立って以来2度目の夢を見ました
ただ黙って私を抱きしめてくれました

一瞬のことでしたが目覚めた後もなぜか鮮明に覚えていて、穏やかな気持ちでした
あの日、アガサさまが私に伝えてくださった優しさと温もりが重なったような、
とっても優しい穏やか気持ちでした
言葉ではなく、とってもあったかいもの…

- - - - -



Iさんからのメールを読んでいるうちに、心がとても静かになりました。

読み終えた時、心の湖面に水輪が少しもない程の静けさでした。



( 本当に会われたんですね・・・)



そのような言葉が 口にのぼったように思います。

心と言葉が一致した言葉です。



確か・・・Iさんが遠路遥々来られての交流時は、多くのことを

お伝えできなかったように思います。

誰のせいでもなく、でも、誰かのせいにしておけば 楽ですから、

こういう時は、私の力不足だということにしています。

いいんです、それで。



長年、多くの交流を経験していきますと 明確ではないにせよ

( こういうことじゃないかな・・・)

と思えることを積み重ねてきます。



そのひとつは、

" 愛する者同士が 一番繫がる "

ということ。



霊媒や霊能者というのは、自分の能力を誇示したいのが

正直なところで、他から認められたい、褒められたい、といった

欲が常にあるだろうと 思います。

伝える側がそのようにまだ思っているとしたら、時代遅れ。

百数十年以上も、遅れた考えです。

もうそんな時代ではない と私は考えています。

誰が伝える というのは、どうでもいいのです。



大切なのは、

愛する者同士が、お互いを認め、尊重し、信頼し、

愛と信頼を深め続けることです。



Iさんをはじめ、多くの方々が 愛する家族、愛する人との接触を

経験なさっています。

そこに 派手さは ありません。

愛と信頼に、わかりやすさ、派手さ等は もう 不必要。



日常のなかに、交流が あります。

愛と信頼が基盤になっているからこそ、日常を大切に丁寧に

なさって頂きたいのです。



とはいえ、情報過多な時代で、不穏な空気も世界中にあり、

何とも落ち着かない要素があります。

それでも、私達は 心を腐らせることなく、人として大切なものを

大切に思える心を持ち続けて行きたいものです。



" ひとりだけど、ひとりじゃない "



一見一聞、頼りなげに思えるかも しれませんが

そんなことありません。

大切なことだと 私は思うのです。



すごく 大切なこと。


















= 今日の一枚 =

りんごのオモチャです。
100均で買った手袋に、ゴムボールを入れただけのもの。
りんごは、めちゃくちゃ 気に入った様子。(大成功!)
指のところをくわえて、ブンブン振り回したり
興奮マックスになると、くわえているのをブーンと放り投げて、飛ばす・・・
それを取りにいって、また ブンブン。
一人遊びをしてるのをチラ見するのも、また楽し。笑

今はね、写真のような美しさはありません。
ぼろっぼろ。

可愛いもんです。












アガサ








愛しい家族、大切な人との交流 | Comments(0)
2019/12/30.Mon

正月飾り 〜 初めて作ってみた 〜

毎年、秋を感じる頃から日が経つのが加速するような

気がします。



いつ頃からか 忘れましたが、

「 一日に 大きめの用事は ひとつ 」

そうするようになっていました。

それで 精一杯。苦笑



若い頃のように 二つも三つも、あるいは、同時に

いくつものことが出来なくなりました。

しようとも思えなくなりました。大笑



一つのことを 間違えないように ケガしないように

自分で気をつけること。

気をつけていても、うっかりすることがあります。 笑



時間、月日の経つのは速いもんです。

秋の紅葉が綺麗だなぁ〜と思っているうちに、あっという間に

外気温の数値がどんどん下がってきました。

昨年一年間、山奥暮らしをしていたおかげなのか、

突如、歩く人達の服装も、まるで スキーウェア並みにハッとしました。

自分は・・・薄い長袖Tシャツとジーンズ、そして、裸足だったのです。

体温調節機能が誤作動を起こしたままなのか? 笑



靴下を履くよりも、先に寒さを感じたのは、頭部。

お気に入りのぼんぼんが付いたニット帽をかぶりながら、裸足のまま

トレッキングシューズ・・・何とも妙な気温感知です。



長野市のほとんどの人達が、ニット帽をかぶっています。

オシャレでかぶるのではなく、寒いから。

湿気があまりないので、体感温度は緩和のように思います。



あっという間に、晦日。

今年はどうも、お正月のお飾りを購入する気になれず、

" 昔は、自分ん家で作ったんだろうなぁ・・・"

という気持ちが何故か沸々湧いてくるではありませんか。



どうしたもんかと思いながら、今まで買っていたのに、

買う気になれない気持ちの変化に ちょっと妙な気分。

けれど、無視することも出来ず、

何に引っかかりを感じているんだろうなぁ〜 程度です。

まぁ、自分の内に " 何か " が発露したのなら

理由は追求せず、素直になってやろうと思いました。



ささやかでも 新年を迎える感謝はしたいなぁ・・・

という気持ちをぼんやり感じていましたら、

" 自分で作ろう " と思ってしまったのです。

なんと まぁ・・・

このぐうたら者の私が。 笑



正月飾りの本来の意味を 想像しながら、

それぞれの素材の謂れを 想像しながら、

自分に用意できる範囲の 素材を考えましたら、

100均さんにお世話になることに しました。



折り紙

水引き

これで、初めて自分で作ることにしました。

しかも、出来る範囲で。 笑



感謝する自分が 心こめて作るんだから

わかってもらえるだろう・・・

そう思い、感謝をこめて作りました。

いつか しめ縄を編み、白い半紙で作りたいと思います。



新年がめでたいとか、

歳神様に来て頂きたいとか、

そういうのは、なんだか もういいやと思えてしまうように

なってしまいました。



ただ 感謝をしたい、感謝を表したいと思います。

それだけ。




皆さん、ありがとうございます。

皆さんの御身と御心が 健やかでありますように。
















= 今日の一枚 =

なんとか、それなりに仕上げました。
水引きで作りましたのは、松です。
松の上のは、太陽をイメージしました。笑
折り紙で、鶴を白、赤、黄の三種、羽ばたかせてみました。

本当は玄関(外気)に飾るのだと思いますが、
何となく、玄関の内側(内気)に飾りたいと思えましたので
そうすることに。 笑

これはこうだ、というしきたりも尊重しています。
でも、" なんとなく " 思えることを大事にしたいと思います。

うちの"りんご"も、おかげさまで1才を迎えました。
毎晩、母子でお布団の争奪戦です。 笑











アガサ







日常 | Comments(0)
2019/12/26.Thu

また 一緒に暮らせるから

Rさんの交流数日前のことでした。

いつもの わんこへの呼びかけ、「 お布団ひいたよ。寝よか。」

この言葉で、うちのりんご姫は一目散に布団の上へ。

「 もっとズレてくれるかぁ?お母ちゃん、寝るとこ無いやん。」

毎晩の母子のやりとりです。



やっと寝れる・・・といっても夜9時過ぎですけれども、

布団に入る習慣です。

寝ながら本を数ページ読んでも集中出来ず、寝ることにしました。



毎晩のお願い事(辛く悲しい状態、弱い立場の人や動物達への祈り)を

し終え、眠くないけれど、時間だから寝るかとお布団をこんもりと

被ろうとしたその時、

< ◯っちゃん! >

まだ若い男性の大きな声がしました。

あまりにも、一生懸命に呼んでおられる。

ひたむきな気持ちも飛んできました。



( 私の名前・・・じゃないよねぇ・・・)

私の他界した家族達とは、夢であったこともありませんし

夢で見た事もありません。

ましてや、そんなに懸命に ひたむきな気持ちで呼んでくれる

性格の人は身内にはいません。笑



( やっぱり、私のことではないなぁ・・・)

この時にすぐに、どなたのということを考えませんでした。



( 必ず、大事なご家族と繫がりますから、安心してください。)

そう心に刻み、寝息をたてているりんご姫の寝顔を覗き込み、

他界した動物家族達に心で話しかけて、眠り込みました。



当日、Rさんからスカイプ通話を頂く前に、調子を合わせますと

すでに来られていました。

30代ぐらいに見えるハンサムな男性でした。

睫毛がびっしり生えていて、お人形さんのような目です。



ア「 睫毛が長くてびっしり。男性に失礼かもしれませんがお人形さんのような目ですね。」

R「 そうなんです。睫毛が抜けて、目に入って痛いぐらいです。」

ア「 本当に可愛い目ですね。私などは睫毛がちょっとだけですから。笑」



< Rちゃんの顔は・・・>

この「Rちゃん」という話しかけでハッと思い出しました。

数日前の夜に懸命に呼ばれていた"◯ちゃん"は、Rさんのことで

あの男性は、この方だったのだと符号したのです。

( やっぱり、私は呼ばれていなかったんだ!)

自分のことを心配して呼びかけてくれていなくて、良かった!

Rさんだと判って、良かった!!

もちろん、就寝前の"懸命な呼びかけ"のことをRさんにお話しました。



< Rちゃんの顔は、ぱっと明るい印象があるんです。

( ご自分には)そうした明るさがないんですよねぇ。>

と苦笑いされながらおっしゃいました。

綺麗で可愛い目のことを言われ、褒められ過ぎたとでも思われたでしょうか・・・

褒めているのではなくて、私は見たまま思ったままをストレートに言っただけ。

ハンサム・・・とは言わないでしたか?今の時代は。

イケメンでしたか? 個人的にはこの言葉はあまり好まないので

使いませんよ。(笑)

やっぱり、ハンサムの方が言葉としては、私の中でしっくり来ます。(笑)



< 週末、家族と過ごせるのが最高に嬉しかった。

 家族と一緒に居れる、特に何のイベントもなくても

 それだけで幸せでした。この気持ちは今もあります。>

彼の心が、私の心に沁み通ります。

( 本当にそう思っておられるのが、わかりますよ。)

私の内情を見抜かれてか、わかりませんけれども、

< 家族は、一緒に居ないと。ね!>

と、ニヤリ顔で私に話してくださいました。

あはは。

何でも お見通し・・・なんですねぇ。まいりました。笑



24日を大切に思い続けておられること、

子に楽しいクリスマスを過ごさせてあげたい思いのことを話され、

飾り付けのことも身振り手振りでおしえてくださいました。



( それは、折り紙で作った輪っかを繋げるアレですね?)

彼は真剣に、そして、とても嬉しそうに幸せな空気いっぱいで

作っているところを見せてくださいました。

( クリスマスの飾り付け用・・・なのかなぁ?)

Rさんに、折り紙で輪っかを作って繋げる装飾をなさっている事を

伝えました。

すると、

「 主人は、子を出産して自宅に戻ってきた時のお祝いで

 折り紙で作った輪っかをいくつも作って、部屋全体を飾って

 くれていました・・・」

少々、私は耳が遠いのですが、思い出を話されるかのように、

嬉しさと淋しさが入り混じった涙声でRさんは話してくださいました。



( そうでしたか。折り紙で輪っかの飾りを作ってあげていたんですね。)

彼の嬉しさ、幸せな気持ちで作っておられるのが、ありありと私に

伝わってきます。

Rさんにすれば、複雑な気持ちでしょう。

けれど、ご主人がどれほど、Rさんを愛し思い続けておられるか、

お子さんのことを愛しておられか、

彼の思いをどんな言葉を繋ぎ合わせれば、見合った分を伝えきれるのか

わからない程の愛情です。



彼自身、悲しみや切なさもあるけれど、どんなに嬉しくて、

どんなに嬉しかったか、

そして、これからも最愛の妻と子を愛し続けていく思いでいっぱいです。



真面目な表情で彼は私に話してくださいました_

< 今でも 何でも ◯ちゃんに結婚を申込みたいと思っています。

 姿を見せてあげれないのは残念ですが、傍に居て守っています。

 必ずまた会えるから、また一緒に暮らせるから 楽しみにしています。>

あっさりと 簡単に この思いや考えに移行出来たとは 私には到底

思えません。

愛情が深ければ深いほど、縁が濃ければ濃いほど、悲しみや辛さから

そうは簡単に移行するのは難しいように 私は思います。



< 彼女の愛情が(ご自身を)救ってくれたように思います。>

他界後まもない頃、彼は打ちひしがれておられたのです。

ハンサム具合がわからないほど、髪はボサボサで表情は暗く、

ご自分でもどうしようもなかったと仰っていました。

そんな時に、太陽の陽射しのように暖かく感じられたのが

最愛の人からの愛情だったことに彼は気づいたそうです。



肉体がある時には、愛情というのはそうした感覚ではわからないですが

重く、必ず朽ちる肉体から脱した後の身体には、微細で精妙な感覚を

取戻せますから、目には見えないものを実感できるようになるのです。



彼は、今、広い家に住んでいるそうです。

そして、いつか、最愛の妻Rさんがそちらにゆかれた時に

一緒に暮らせることを楽しみになさっているそうです。

お子さんはいつか、愛する人と出会うから、親と一緒に住みたいと

思う思わないはわからないと笑って仰ってました。





( 随分、落ち着かれましたね。)

<はい。かなり落ち着いてきました。家族のおかげです。>

( 本当に。そうですね。

 Rさんの淋しさと悲しさは深いですが、

 きっと あなたの愛情が温かさとして伝わり続けると思います。)



必ず、という強い信念の表情で深く頷かれて

彼は愛するご家族がおられるお家へと帰ってゆかれたのでしょう。

スカイプを終え、気づけば、アガサ部屋には、私独りでした。




" また 一緒に暮らせるから "



愛する者同士が また 一緒に暮らせることを

教えて頂きました。

再確認出来ました。

ありがとうございます。










待っててよ!

私の動物家族たち!!! 

※向こうは気が向いた時に今でも傍にウロチョロしているのでしょうけれど
こちらの感覚としては、、、ねぇ。(笑)
そういう意味で「待っててよ!」と思っています。(大笑)


















アガサ







愛しい家族、大切な人との交流 | Comments(1)
2019/12/23.Mon

心で通じることの大きさ

交流の回想を更新するペースが衰えている私です。

書きたいな・・・

書かないとな・・・

という気持ちがいつも在るのに、

書けてない言い訳をさせてください。(苦笑)



書いていいのかどうか・・・

という思いがよぎるのです。

その思いが巡ることのひとつに、

交流内容を他の方々と比べてお考えになるのだなぁ・・・

ということがあげられます。



そのお気持ち、わからなくもないです。

この回想を書いたら、羨ましいと思われるんじゃないか?・・・

表現を変えた方がいいかな?・・・

それとも、この部分を省いた方がいいのかな?・・・

な〜んて、考えてしまうのです。

それで、手が引っ込むのです。(笑)



回想を書くことで、他界後の生をお伝えしているのですが

他と比べさせてしまう、羨ましいと思わせてしまうのは、

書き手(私)の考えや対応が足りないということです。



9割の方々がそのように思われたことがなくても、

1割の方々がそのように思われたことがあるのなら、

1割の方々をほっておくことは出来ません。

例え、考え方や捉え方の違いであろうとも。



交流というのは、つきつめれば、心で通じることです。

肉眼で見たい、肉耳で聞きたいお気持ちは察していますが

物質にこだわってしまいますと、歪んでしまいます。



心で通じることを軽んじてしまう、物足りなく思うのは

物質重視の世の中にどっぷり使ってしまっている私達の

ある種の偏見であり、欲でもあります。



世界的に有名な本の主人公の、有名な言葉のひとつに、

" 大切なことは 目に見えない。"

という言葉があります。

多分、ほとんどの方々がご存知の言葉です。

本を読んでいる時は、「そうだよねぇ。そうなんだよねぇ。」と

感慨深く、ため息まじりで 一点を見つめながらしみじみ

こう思える方々が多いと思います。

心ではわかっていることも、どうしても、心よりも感情を優先

してしまうのです。

感情の方が勝っている状態。

善い悪いではなく、単にその状態にあるということ。



交流は、その有名な言葉の通りです。

ご依頼人の肉眼と肉耳を用いる必要などないのです。

交流は、大切な機会であるはず。

ですから、心で見なくてはよく見えません。

心を持ち続けていると 大切な人とは通じ合えるのです。

悲しく辛い状態であっても、心は存在します。



更新のノロさ言い訳から書き始めていますが、

申し上げたいことは、

交流というのは、心を以て 心で通じ合うことであり、

心で通じることが真の理解と愛情を大きく育めるということです。



偏見や欲は、自分が伝える交流にはありません。

他界されてもご自分の偏見や欲を伝えたいんだ!という方と私は

繫がりません。



ご依頼くださる方の " 大切な方 " は、そうした類いの方々では

ないのだと心から信頼しているからです。







年末が近づいてまいりました。

様々な行事がありますが、大切なことはただひとつ。

大切なものは、目では見えないんだということ。



キラキラとしたイルミネーションや他のお家や人達を羨ましいとか

見たくないとか、自分には関係がないとか、そんなふうにお考えに

ならないでください。



あなたが淋しく、辛く、悲しい思いを持ちながら生きておられるのを

存じています。

けれども、心を腐らせてはなりません。



あなたが大切に思い、愛している方との連絡網である心を

どうか、大切に 大事になさってください。



心は 正直で温かい。

だから、私は 心が大好きなのです。



大切な人を 大切に思うように

ご自分も 大切に思ってください。

目の前におられるご家族や他の方々も 大切に。

動物達も 大切に。





心で通じることほど スゴいことは ありません。

そう 思います。










補足:12/25記
回想の更新は、続けていきますので、ご安心ください。





アガサ





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